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第二章 社畜と新しい彼女と親子仲のかたち
10.社畜といつもの出張
しおりを挟む「理瀬の保護者になってほしい」と和枝さんに言われたことを、俺は理瀬にも、篠田にも言えなかった。和枝さんから秘密にするよう言われたこともあるが、俺自身が『女子高生の保護者』になる、ということについてうまく心を整理できなかった。
「宮本さん、お酒飲んでこなかったんですか?」
その日、俺が前回よりは早い時間に帰宅すると、理瀬が怪訝そうに言った。
「今日は俺も、和枝さんも飲まなかったよ。俺はもともとそんなに飲む方じゃないし、和枝さんは疲れて胃がもたれてるから、ってカフェで会った」
「お母さんがお酒を飲まなかったんですか……?」
理瀬はとても驚いていた。
「飲まない日くらいあるだろ」
「インフルエンザで四十度の熱が出た時も飲んでましたよ」
「それもうアルコール中毒じゃないのか」
「そうかもね、ってお母さんも言ってました。私の記憶だと、お母さんが夜にお酒を飲んでなかった日はありませんよ」
「まあ、和枝さんは俺よりも一回り年上だし、歳とったらみんな昔みたいにはいかないんだよ」
その後、理瀬は和枝さんと何を話したのか聞いてきた。保護者になるという話はできず、沖縄へ行くまではずっと忙しいから会えそうにない、という話ではぐらかした。
理瀬は少し残念そうな顔をしたが、あまり深くは聞いてこなかった。
俺が部屋に戻ると、篠田は何の悩みもなさそうないい寝顔でぐーぐー寝ていた。
その後も理瀬が和枝さんに会えない日々は続き、あっという間に沖縄へ行く日がやってきた。
* * *
沖縄旅行、もとい出張の当日。
俺と篠田は、朝早い便で向かう。飛行機でも羽田から沖縄までは三時間かかり、午前からの打ち合わせに間に合わせるためには仕方なかった。理瀬と和枝さんは、午後に那覇空港へ到着する遅めの便で向かう予定。
なかなか起きない篠田をどつき回して朝五時に豊洲のマンションを出て、那覇空港に着いたら九時半。さっさと予約していたレンタカーを借り、取引先のホテルへ向かう。
沖縄本島は暑い。気温でいうと実は東京より低いのだが、湿度がいつも高いうえ、日差しが強い。ただ、田舎育ちの俺は東京のコンクリートジャングル的な暑さよりも、沖縄の開放的な暑さのほうが楽だった。ちなみに篠田は栃木出身なので暑さにはめっぽう弱く、しばらくは「あち~」としか言ってなかった。
取引先のホテルは幸いにも那覇空港から近く、車ですぐだった。和枝さんと理瀬が泊まる予定のこのホテルは、プールや広い庭を兼ね備えた高級リゾート施設だ。俺たちは正門から入らず、事前に伝えられていた事業用の裏口へ向かう。電機メーカーの営業マンが富裕層の宿泊客の目に入ってはならない。デパートやホテル系の取引先ではよくある事で、五年以上社畜を続けている俺はいまさらあのホテルに泊まれるような人間になりたい、とは思わなかった。
数人のホテル設備課の社員に出迎えられ、名刺交換のあと館山課長が作ってくれた見積書をもとに商談。ホテルの電気設備一式を交換したいとのことだが、やはり本土からの輸送費が高く、この値段では厳しいという話だった。
それなら設備を実際に見せてもらって、もっと安くなるようにご提案しましょうと持ちかけたが、「機器室のセキュリティ規定で今日は入れられない」と断られた。
こちらとしては誠意を見せる形にしたが、要するに両者ともやる気がないのだ。うちの見積もりは高いし、相手は細かい話をしようとしない。リゾート会社の設備課の社員たちは、いつもと違う業者の見積もりをとってコスト比較をした(実際は顔なじみの業者にまた発注しよう、と腹の中が決まっている)と経営層に説明したいだけなのだ。
丸一日を予定していた打ち合わせは、午前中で終わった。俺は出さないようにしていたが、篠田は早く仕事が終わり、明らかにうきうきしていた。足取りが軽いのだ。
帰り際、建物の出口まで送ってくれた一人の初老の男性社員が、少しだけ話しかけてきた。
「それで、館山さんはお元気ですか」
「館山をご存知なんですか?」
「ええ。私、沖縄出身ですが昔は東京におりまして、都内のビルの電気設備管理をやっていたんですが、やっぱり沖縄が恋しくなって戻ってきたんです。その時、ちょうど御社に発注した工事をやっていて、館山さんにはいろいろなご相談をしました。館山さんも会社で決められた接待に誘っただけでしょうけど、話の聞き方がうまくて、ついプライベートの悩みまで話してしまいました」
物静かな感じで、商談中はほとんど話さなかった人が、館山課長のことをとても詳しく話している。俺は少し驚いた。
普段は『ナスカの地上絵』なんて呼ばれている中間管理職のおっさんでも、やはり役職付きにまで出世しているからには、お客様からの信頼は厚いらしい。
少しだけ、俺は館山課長のことを見直した。こつこつと人脈をつなぐ、という営業マンの鏡のような人だ。
「今回の話も、十年ぶりに連絡したのにとても親切で、わざわざこちらまで来ていただけました。館山さんに会えなかったのは残念ですが、よろしくお伝えください」
まあ、そこは親切にしたというより、俺と篠田を遠くに行かせたかったから、なのだが。
俺は館山課長がとても親切でいい上司だと伝え、ホテルを後にした。
その後は那覇市内へ車を飛ばし、途中で沖縄名物ソーキそばを食べた。本当はグルメアプリやガイドブックで探すべきなのだろうが、俺も篠田も腹が減っていたので耐えきれず、適当な店に入った。おかげでまずくはないが感動するほどでもない、普通のそばだった。
食事中、俺は理瀬にLINEメッセージを送った。
『もう飛行機乗ったか? 朝の便はあまり揺れなかったぞ』
理瀬はほとんど関東から出たことがなく、飛行機に乗るのは初めてで不安がっていたのだ。俺たちと違って国内線ファーストクラスを予約しているらしいが、どんなにいい席でも飛行機は揺れる。よく乗り物酔いする体質らしく、理瀬は前日から緊張していた。
「和枝さんは毎日のように飛行機乗ってるから、理瀬も大丈夫だよ」
俺がそんなふうに励ますと「そうですよね……」と納得していた。和枝さんと一緒に旅行するためなら、飛行機の揺れなんてどうでもいいはず。
そんなことを思い出しながらソーキそばをすすっていると、まもなく返信がきた。
『いま空の上です。思ってたより怖くないです。お母さんは仕事で来れなくなりました』
最後の一文で、俺は自分の目を疑った。
和枝さんという人は、正直少し変わっているとは思っていたが。
仕事のためなら、自分の娘を一人で旅行に行かせても平気なのかよ。
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