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第二章 社畜と新しい彼女と親子仲のかたち
12.社畜と海
しおりを挟む俺と篠田のホテルは、ごく普通のビジネスホテルだった。
同じリゾート会社の系列会社が運営している、リゾート施設を訪れる営業マンや東京にあるリゾート会社の本社から出張してきた社員を泊めるためのホテルらしい。
沖縄感はまったくない。ちょっと狭いシングルルーム。部屋に備え付けのお茶など、沖縄感をわざとなくしているのか、と思えるほど普通のものだった。泊まりの出張でよく使う、いつもの仕事と変わらない雰囲気の部屋だ。
俺と篠田は、同じホテルの場合必ず別のフロアで予約する。一度チェックインしたら、その後翌日まで会わないことが望ましい。俺と篠田に限らず、全社員に規定されているセクハラ対策だ。電機メーカーのように体育会系の企業(の上司たち)はセクハラ問題を恐れており、女性への配慮が徹底されている。
どう考えても沖縄でデートさせるためにこの出張を仕組んだ館山課長も、会社の規定は無視できなかったらしく、今回もこの規定が適用された。
もちろん今夜は、会社によって張られたバリアを無視して、俺と篠田は同じ部屋にいる。
まずはそれぞれの部屋に荷物を置き、さっさと風呂を済ませ、篠田が俺の部屋に来た。
俺はベッドでぐでっと横になっている。真夏の沖縄での商談に加えて、国際通りをけっこう歩いたので、アラサー社畜の体力は使い果たしている。
篠田は椅子に座り、ホテルへ入る前に買ってきた泡盛を飲んでいた。
「宮本さんは飲まないんですか? 甘くておいしいですよ」
「明日運転できないとまずいからいいわ」
本当は付き合うべきなのだろうが、理瀬も含めた旅行の日程を台無しにはできない。この歳で夜の深酒をすると、翌日の朝まで残るのだ。若い頃はどんなに飲んでも寝たら治っていたが。
「あんまり飲みすぎるなよ? ビーチで倒れられたら大変だからな」
「ソーダ割りだから大丈夫です」
篠田はグラスに残っていた泡盛をくいっと飲み干し、少し赤くなった顔を俺に向けた。
「あの」
「どうした?」
「そろそろ、そっち行っていいですか?」
「好きにしろよ」
セミダブルベッドが一つだけの部屋なので、一緒に横になったらどうやっても肩が触れ合うほどの距離になる。
俺と篠田は、呼吸を感じるくらいの距離でじっと見つめ合う。
「顔が赤いぞ」
「酔ってるからです」
「緊張してるからじゃないのか?」
「……今まで隣り合わせのベッドで寝てたのに、こんなに近いの、初めてですね」
「お前の寝相が悪すぎて、俺はよく踏み潰されてたけどな」
「ひど! なんでこんな時にそんなこと言うんですか」
「緊張しないのが一番だからだよ」
俺は篠田の顎を指でつかみ、そっと顔を近づけた。
注射を打たれる直前の猫みたいに、篠田は身体を丸くし、さらにじっと見てくる。
「目、閉じれば?」
俺がそう言うと、篠田はおとなしく目を閉じた。
それからしばらく、長いキスをした。
急に唇が重なる意外の音がなくなって、エアコンが風を吹く音だけが部屋に響く。
その時、俺は篠田と一線を越えてしまったんだな、と自覚した。
五年以上とても近くにいながら、一度も触れ合うことがなかった女の子と、今日あらためて触れ合っている。お互いに求めあっている。
五年越しの達成感というものはない。むしろ不思議というか、これから起こる変化が怖くて、俺は身震いしそうなのを我慢した。篠田には決して気づかれないように。
キスが終わると、篠田は俺の胸に飛び込んできた。
「へへ」
変な笑い声だったが、とても満足そうな顔をしていた。
「宮本さん」
「なんだ?」
「……今日はここまででもいいですか」
「ここまでって、具体的になんだ?」
「だーかーらー意地悪しちゃだめですって」
篠田が俺の胸をぼす、ぼすと叩く。
「するんじゃなかったのか?」
「宮本さんがどうしてもっていうならいいですけど……私たち、今日はじめてキスしたのに、すぐそういうことするのって、ちょっと罪悪感が……今更ですけど」
もう二十代後半に差し掛かる篠田だが、恋愛経験がないためか、まだ心の中に少女的なものが残っている。そう思うと、俺はそれを大事にしてやらなければ、と思う。
「まあ、焦ることでもないからな」
「余裕ですね」
篠田がぷく、と頬をふくらませる。
「いい大人にリードしてもらえて嬉しいだろ?」
「そうですね。嬉しいです」
最後のジョークを篠田はさらりと受け流し、俺に抱きついたままぐーぐー眠り始めた。
* * *
翌朝。
相変わらず寝起きの悪い篠田を叩き起こし、朝六時にレストランがオープンしてすぐ朝食をとり、さっさと準備して理瀬のホテルへ向かった。
理瀬を後部座席に載せ、俺が運転席、篠田が助手席で一時間ほどのドライブが始まる。
沖縄の景色は、当たり前だが都内とは全く違う。俺や篠田の生まれ育った、一般的な本土の田舎とも違う。生えている植物や、台風対策のためにやたら頑丈な設計な建物など、すべてが違うのだ。だから道中は、景色の話をするだけで楽しかった。
理瀬は、朝から浮かない顔だった。もともと低血圧で朝は苦手な子だが、いつもよりも弱気というか、何かに怯えているような顔をしていた。
途中で一度コンビニに寄り、俺と理瀬の二人で話す。沖縄名物ルートビアを飲みながら。理瀬もそこそこルートビアを気に入っていた。
「理瀬、お前やっぱり落ち込んでるな?」
「大丈夫ですよ。わがまま言ってもお母さんには会えませんし」
その言葉に嘘はなさそうだった。今までも、急な仕事で母親との外出を何度もあきらめた理瀬。もう慣れている、といえばそれまで。
しかし今の理瀬はいつになく不安そうだ。もしかしたら、何か別の不安があるのだろうか。
「あの」
「どうした?」
「海、どうしても行かなきゃだめですか。一人で待っててもいいですよ」
「そんなに俺に水着姿を見られるのが嫌か?」
「それは別にいいですけど……」
何か言いにくそうな顔をしている理瀬。こういうときは優しく聞いてあげないと、この子は意思疎通をさっさとあきらめて、理由も説明せず去るような決断をしてしまう。
悩みをそのままの形で俺に伝えられるようになっただけ、成長したとも言える。
「何が嫌なんだ? 別に、笑ったりしないから言ってみな」
「……私、泳げないんですよ」
あー、なるほどな、と俺は思った。
水が怖くて、プールや海水浴といった遊びとはほぼ無縁だったのか。ビーチに行っても、怖い思いをするだけだと思っているらしい。
「なんだ、そんなことか」
「そんなことじゃないですよ。溺れて死ぬかもしれないんですよ」
「足がつかなくなるほど深いところまで行かなきゃ溺れねえよ。最悪、ライフセーバーさんも見てるし、どうしても嫌なら海に入らないで、砂浜でお城でも作ってりゃいいし」
「それはちょっと寂しいですよ……」
「まあ心配すんなって。プールや海水浴に行っても泳げないやつなんかいっぱいいるよ」
「そう、なんですか……?」
理瀬の悩みは本当にそれだけだったらしく、表情がだいぶ和らいでいた。いろいろ話しているうちに、トイレへ行っていた篠田が戻ってきて、車に乗った。
「なあ篠田、理瀬は泳げないんだってさ」
俺がいきなり暴露すると、理瀬はあわてふためいていた。
この子はまだ、自分の弱さを共有されることに慣れていない。だからさっきも、俺だけに泳げないことを話していた。
でもそれではだめだろう、と俺は思う。天才の理瀬でも、社会に出たら自分でわからない事なんていくらでもあるはず。俺は胃潰瘍を救ったこともあって理瀬に(たぶん)いちばん信頼されているが、篠田くらいの知り合いにも、弱さを出していったほうがいい。
「だ、大丈夫ですよ、海には入りませんから。宮本さんと篠田さんの二人で楽しんでください」
篠田は沖縄へ行く前から、泳げることをすごく楽しみにしていた。自分が足を引っ張るかもしれない、と思っていたのだろうか。
「心配しなくてもいいよ。浮き輪とか借りて遊ぼ? 何なら私が泳ぎ方、教えてあげるよ! 理瀬ちゃんが泳げるようになるまで特訓! 特訓!」
「えええっ……」
理瀬はまた不安そうな顔に戻ってしまった。
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