1 / 20
1
しおりを挟む
首筋に刻まれた呪印が、身体中を蝕んでいく。呪いの熱が肌を覆い、焼き付くそうとしているのだ。あまりの痛みに指先が震える。激痛に倒れたのはつい先程のことだというのに、じきに命が尽きるのだとはっきりと分かった。
「……リュカ! リュカ! しっかりしろ!」
いつの間にか抱き起こされた身体が、逞しい腕の中に収められていた。ほとんど開かない目でどうにか焦点を合わせる。リュカを抱きかかえているのは、ベルナルド・フリストフ。この国の第三王子であり、自分の夫である人だった。
「ベルナルド……」
掠れた声が出る。彼の名を呼んだのは、一体いつぶりだろう。……最後に名を呼ばれたのは、思い出せないほどに前だった気がする。
生温い液体が彼の瞳から振り落ちてきた。リュカ、リュカ、と繰り返すこの男は、本当に自分の夫なのだろうか。妻になどちっとも興味を示さず、滅多に顔も見せず、囁く愛も持ち合わせていない、そんな形ばかりの夫が、今まさに死なんとする自分を抱きかかえて泣いている。
「リュカ、目を閉じるな、死んではダメだ、僕を置いていくな、いかないでくれ、リュカ――」
ベルナルドの必死の叫びは、リュカの痩せ細った灯火をほんの少しだけ温めたけれど、結局すぐに消えてしまった。激痛に強ばっていた身体が、ふっと軽くなる。まず初めに手がだらりと垂れて、追いかけるように全身が弛緩した。感覚が消え失せていく。すう、と息を吐くような感覚で、リュカの意識は身体から離れ、そして空に――は、舞い上がらなかった。
(……ん?)
絶叫するベルナルドの頭頂部を、いつの間にか見下ろしていた。彼の腕の中で息絶えているのは、リュカ・ガステア。間違いなく自分自身だ。
まったく状況が読めずに、混乱する頭で辺りを見渡す。ここは、自分が嫁いだ家……いや、城の自室だった。広々とした空間にあるのは、やけくそみたいに大量の花を生けた花瓶と、暇つぶしに読んでいた書物、あとは必要最低限の家具のみ。平民の出なこともあって豪奢な暮らしを好まないリュカの希望で実に質素なものだった。
いつもの地味な部屋に、自分の死体とそれを抱えて泣き叫ぶ夫の姿。そして、二人を眺めるもう一人の自分。頭頂部を見下ろせるということは、自分は彼らより高い場所にいるわけで、しかもこの足は地面についていない。
(浮いてる、よな……どう見ても)
自分が浮遊しているという事実を受け止めきれないうちに部屋の扉が勢いよく放たれた。ベルナルドの叫びを聞いた侍従たちが慌てて駆けつけてきたようだった。
「ベルナルド殿下! これは一体……!」
彼の腕の中のリュカが事切れていることに、皆すぐに気がついたようだった。
「来るな!」
ベルナルドの牽制に、侍従たちの動きがぴたりと止まる。
「誰も来るな……誰も、誰も僕のオメガに触れるな!」
止まったはずの心臓が大きく脈を打った。
――僕のオメガ。
そんなセリフ、一度だって聞いたことがなかった。子を成し、血を繋ぐことが使命であるリュカを彼はただの一度も抱かなかったのだ。望みもしない発情期に入り、途方もないほどの欲望にのまれ、もがいていた時ですら、この男は会いに来てくれなかった。
自分は愛されていないのだと、そう思って生きてきたのに。
それなのに今になって、この男はリュカを「自分のオメガ」だと、そう言うのか。愛していたと、亡骸に向かって――
(……生きているうちに、たった一言でも聞かせてくれたら、俺だってもっとうまくやったのに)
後悔とも違う、大きな感情の波にリュカは飲み込まれる。死してなお、人の心はままならないものなのか。
偽りの夫はまだ声を上げて泣いていた。大粒の涙が頬を滑り落ちていく。
手放した身体にどれほど降り注ごうとも、リュカにはもう何も感じ取れなかった。
「……リュカ! リュカ! しっかりしろ!」
いつの間にか抱き起こされた身体が、逞しい腕の中に収められていた。ほとんど開かない目でどうにか焦点を合わせる。リュカを抱きかかえているのは、ベルナルド・フリストフ。この国の第三王子であり、自分の夫である人だった。
「ベルナルド……」
掠れた声が出る。彼の名を呼んだのは、一体いつぶりだろう。……最後に名を呼ばれたのは、思い出せないほどに前だった気がする。
生温い液体が彼の瞳から振り落ちてきた。リュカ、リュカ、と繰り返すこの男は、本当に自分の夫なのだろうか。妻になどちっとも興味を示さず、滅多に顔も見せず、囁く愛も持ち合わせていない、そんな形ばかりの夫が、今まさに死なんとする自分を抱きかかえて泣いている。
「リュカ、目を閉じるな、死んではダメだ、僕を置いていくな、いかないでくれ、リュカ――」
ベルナルドの必死の叫びは、リュカの痩せ細った灯火をほんの少しだけ温めたけれど、結局すぐに消えてしまった。激痛に強ばっていた身体が、ふっと軽くなる。まず初めに手がだらりと垂れて、追いかけるように全身が弛緩した。感覚が消え失せていく。すう、と息を吐くような感覚で、リュカの意識は身体から離れ、そして空に――は、舞い上がらなかった。
(……ん?)
絶叫するベルナルドの頭頂部を、いつの間にか見下ろしていた。彼の腕の中で息絶えているのは、リュカ・ガステア。間違いなく自分自身だ。
まったく状況が読めずに、混乱する頭で辺りを見渡す。ここは、自分が嫁いだ家……いや、城の自室だった。広々とした空間にあるのは、やけくそみたいに大量の花を生けた花瓶と、暇つぶしに読んでいた書物、あとは必要最低限の家具のみ。平民の出なこともあって豪奢な暮らしを好まないリュカの希望で実に質素なものだった。
いつもの地味な部屋に、自分の死体とそれを抱えて泣き叫ぶ夫の姿。そして、二人を眺めるもう一人の自分。頭頂部を見下ろせるということは、自分は彼らより高い場所にいるわけで、しかもこの足は地面についていない。
(浮いてる、よな……どう見ても)
自分が浮遊しているという事実を受け止めきれないうちに部屋の扉が勢いよく放たれた。ベルナルドの叫びを聞いた侍従たちが慌てて駆けつけてきたようだった。
「ベルナルド殿下! これは一体……!」
彼の腕の中のリュカが事切れていることに、皆すぐに気がついたようだった。
「来るな!」
ベルナルドの牽制に、侍従たちの動きがぴたりと止まる。
「誰も来るな……誰も、誰も僕のオメガに触れるな!」
止まったはずの心臓が大きく脈を打った。
――僕のオメガ。
そんなセリフ、一度だって聞いたことがなかった。子を成し、血を繋ぐことが使命であるリュカを彼はただの一度も抱かなかったのだ。望みもしない発情期に入り、途方もないほどの欲望にのまれ、もがいていた時ですら、この男は会いに来てくれなかった。
自分は愛されていないのだと、そう思って生きてきたのに。
それなのに今になって、この男はリュカを「自分のオメガ」だと、そう言うのか。愛していたと、亡骸に向かって――
(……生きているうちに、たった一言でも聞かせてくれたら、俺だってもっとうまくやったのに)
後悔とも違う、大きな感情の波にリュカは飲み込まれる。死してなお、人の心はままならないものなのか。
偽りの夫はまだ声を上げて泣いていた。大粒の涙が頬を滑り落ちていく。
手放した身体にどれほど降り注ごうとも、リュカにはもう何も感じ取れなかった。
6
あなたにおすすめの小説
国を救った英雄と一つ屋根の下とか聞いてない!
古森きり
BL
第8回BL小説大賞、奨励賞ありがとうございます!
7/15よりレンタル切り替えとなります。
紙書籍版もよろしくお願いします!
妾の子であり、『Ω型』として生まれてきて風当たりが強く、居心地の悪い思いをして生きてきた第五王子のシオン。
成人年齢である十八歳の誕生日に王位継承権を破棄して、王都で念願の冒険者酒場宿を開店させた!
これからはお城に呼び出されていびられる事もない、幸せな生活が待っている……はずだった。
「なんで国の英雄と一緒に酒場宿をやらなきゃいけないの!」
「それはもちろん『Ω型』のシオン様お一人で生活出来るはずもない、と国王陛下よりお世話を仰せつかったからです」
「んもおおおっ!」
どうなる、俺の一人暮らし!
いや、従業員もいるから元々一人暮らしじゃないけど!
※読み直しナッシング書き溜め。
※飛び飛びで書いてるから矛盾点とか出ても見逃して欲しい。
拝啓、親愛なる王子、魔族に求婚されて元従者は花嫁と相成りそうです
石月煤子
BL
「――迎えにきたぞ、ロザ――」
とある国の王子に仕える従者のロザ。
過保護な余り、単独必須の武者修行へ赴く王子をこっそり尾行し、魔獣が巣食う「暁の森」へとやってきた。
そこでロザは出会う。
ウルヴァスという名の不敵な魔族に。
「俺の花嫁に相応しい」
(は? 今、何て言った?)
■表紙イラスト(フリー素材)はお借りしています■
余命半年の俺を、手酷く振ったはずの元カレ二人が手を組んで逃がしてくれません
ユッキー
BL
半年以内に俺は一人寂しく死ぬ。そんな未来を視た。きっと誰も悲しむ人は居ないだろう。そう思っていたから何も怖くなかった。なのにそんな俺の元に過去手酷く振り、今では世界的スターとなった元カレ二人がやってきた。彼らは全てを知っていた。俺がどうして彼らを振ったのか、そして俺の余命も。
全てを諦めた主人公と、主人公を諦めきれないイケメンサッカー選手とシンガーソングライターの再会が導く未来は?
愛人少年は王に寵愛される
時枝蓮夜
BL
女性なら、三年夫婦の生活がなければ白い結婚として離縁ができる。
僕には三年待っても、白い結婚は訪れない。この国では、王の愛人は男と定められており、白い結婚であっても離婚は認められていないためだ。
初めから要らぬ子供を増やさないために、男を愛人にと定められているのだ。子ができなくて当然なのだから、離婚を論じるられる事もなかった。
そして若い間に抱き潰されたあと、修道院に幽閉されて一生を終える。
僕はもうすぐ王の愛人に召し出され、2年になる。夜のお召もあるが、ただ抱きしめられて眠るだけのお召だ。
そんな生活に変化があったのは、僕に遅い精通があってからだった。
従僕に溺愛されて逃げられない
大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL!
俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。
その傍らには、当然のようにリンがいる。
荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。
高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。
けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。
当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。
居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。
さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。
主従なのか、恋人なのか。
境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。
従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。
落としたのは化粧じゃなく、みんなの心でした
444
BL
『醜い顔…汚らしい』
幼い頃、実母が病気によって早くに亡くなった数年後に新しい義母からそう言われたシリルは、その言葉が耳に残って16歳となった今も引きずっていた。
だが、義母のその言葉は真っ赤な嘘でシリルはとても美しかった。ただ前妻の息子であるシリルに嫉妬した結果こぼした八つ当たりの言葉であったのをシリルは知らずに、義母のいう醜い顔を隠すために化粧をする。
その結果、彼は化粧によって本当に醜い顔になってしまった。そんな彼が虐げられながらも徐々に周囲を絆す話
暴力表現があるところには※をつけております
第2王子は断罪役を放棄します!
木月月
BL
ある日前世の記憶が蘇った主人公。
前世で読んだ、悪役令嬢が主人公の、冤罪断罪からの巻き返し痛快ライフ漫画(アニメ化もされた)。
それの冒頭で主人公の悪役令嬢を断罪する第2王子、それが俺。内容はよくある設定で貴族の子供が通う学園の卒業式後のパーティーにて悪役令嬢を断罪して追放した第2王子と男爵令嬢は身勝手な行いで身分剥奪ののち追放、そのあとは物語に一切現れない、と言うキャラ。
記憶が蘇った今は、物語の主人公の令嬢をはじめ、自分の臣下や婚約者を選定するためのお茶会が始まる前日!5歳児万歳!まだ何も起こらない!フラグはバキバキに折りまくって折りまくって!なんなら5つ上の兄王子の臣下とかも!面倒いから!王弟として大公になるのはいい!だがしかし自由になる!
ここは剣と魔法となんならダンジョンもあって冒険者にもなれる!
スローライフもいい!なんでも選べる!だから俺は!物語の第2王子の役割を放棄します!
この話は小説家になろうにも投稿しています。
カワウソの僕、異世界を無双する
コプラ@貧乏令嬢〜コミカライズ12/26
BL
本編完結いたしました♡コツメたん!無双おめでとう㊗️引き続きの番外編も完結しました💕
いつも読んでいただきありがとうございます♡ ほのぼのとワクワク、そしてコツメたんの無双ぶりを楽しんで下さい!
お気に入り1200越えました(new)❣️コツメたんの虜になった方がこんなにも!ʕ•ᴥ•ʔキュー♡
★★★カワウソでもあり、人間でもある『僕』が飼い主を踏み台に、いえ、可愛がられながら、この異世界を無双していく物語。
カワウソは可愛いけどね、自分がそうなるとか思わないでしょ。気づいたらコツメカワウソとして水辺で生きていた僕が、ある日捕まってしまった。僕はチャームポイントの小さなお手てとぽっこりお腹を見せつけながら、この状況を乗り越える!僕は可愛い飼い主のお兄さん気分で、気ままな生活を満喫するつもりだよ?ドキドキワクワクの毎日の始まり!
BLランキング最高位16位♡
なろうムーンで日間連載中BLランキング2位♡週間連載中BLランキング5位♡
イラスト*榮木キサ様
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる