馬に蹴られても死んでなんてやらない【年下αの魔性のΩ略奪計画】

水沢緋衣名

文字の大きさ
6 / 35
第二章 

第一話

しおりを挟む
 お試しアルバイトは無事に三日目を迎えた。
 従業員の休憩用和室は、客室と違わぬ位に雰囲気があり、気分はほぼほぼ旅行である。
 その場所で立派な焼き魚を食べながら、おひつから出す美味しいご飯を頬張る。
 温泉入り放題であるだけでも、大分贅沢でしかなかったのに、夕食は板前さんの作った賄い付きだ。
 ご飯も豪華で美味しいなんて、何か知らないうちに俺は徳を積んでいたのだろうか。
 住み家だって社員寮と言いつつも、場所的には旅館の離れの位置にある。まるで旅館に住んでいるみたいだ。
 
 
 更には雇い主が、俺好みの美人のΩとまできた。
 
 
「………こんな都合の良い仕事あっていいのか………??」
 
 
 思わず本音が漏れた俺に対して、操さんが鈴を転がしたような声で笑う。
 
 
「大丈夫ー♡あっていい♡あっていい♡あとご飯はおかわりあるよぉー♡
ってか虎ちゃんお風呂掃除きつくなかったぁ??体力ないとあれが辛いって皆言うんだよねぇ……」
「きつくないですよ。俺体力は割と自信ありますから………」
 
 
 嘉生館の温泉はちゃんと温泉法に則り、毎日のお湯の入れ替えと、清掃の義務を守っている。
 温泉の広さと源泉の濃さ。全てを考えると、確かに掃除にとても体力を使うものだ。
 掃除は本当に大変だった。俺も体力がなかったら、音を上げていたかもしれない。
 けれどこの仕事の福利厚生が、それ以上に遥かに大きかったのだ。
 

「わぁー!!本当に頼もしいー!!マジでさ、皆続かない理由体力なんだよねぇ……。
虎ちゃんが良かったらだけど………ウチで長期で働いてくれませんか?虎ちゃんいてくれると頼もしいなーなんて……」
 
 
 こんな都合のいい職場に、長期で勤めて良いんですか………!!!
 
 
 そう言いながら上目遣いで、俺を見上げる操さんは、最早神としか思えない。
 今の今まで俺が体力を蓄えてきたものは、気にいらない連中相手の喧嘩だ。先日まで不良をしてきた自分を恥に恥じていた筈だ。
 それなのに今日の思考では、お陰で体力を蓄えられて、本当に良かったとさえ思っていた。
 人間は単純だ。と、いうか俺が単純である。
 
 
「……喜んで!!」
 
 
 俺がそう返事を返せば、操さんは嬉しそうに目を細める。
 そして悪戯っぽい笑みを溢して、俺の目の前で食事を進めていく。白魚の様な手で箸を持ち、魚を丁寧に解す。
 食事の際の一口一口で、操さんの表情がコロコロと変わる。そんな様子を見ながら心から思う。
 
 
 何この人、滅茶苦茶可愛すぎてしんどいんだけど…………!!!
 
 
 心の中ではのたうち回っているけれど、それを噯にも出さない様に細心の注意を払う。
 操さんは美しい。それに魅力的だし、更にはとても可愛らしい。こんな素敵なΩに、番が居ない筈がないと思う。
 まず、番がいるのではないかと思った理由は、操さんから一切Ωのフェロモンの香りがしたことが無いからだ。
 ラットになる程ではないけれど、Ωの人からは通常でも微量のフェロモンを感じる事がある。
 それは主に体臭に現れ、仄かな甘い匂いが一瞬香る程度は、普段からよくある事なのだ。
 
 
 けれど最近の抑制剤はとても有能で、普段から分泌されるフェロモンの匂いさえ遮断する。
 昼間の仕事に就いているΩの殆どは、規則を守った抑制剤の使用をしているか、既に番がいるかだ。
 番契約を結んだΩは、フェロモンの香りが番のαにだけしかしなくなる。
 Ωの就労に対して気を付けて国が重視している事といえば、ヒート時にαを混乱させない事だと思う。
 
 
 ヒートになってしまったΩが、その発情フェロモンでαを惑わし、ラットにさせて混乱に導く。
 確かにヒートのΩに中てられると大変ではあるけれど、Ωを襲うかどうかに関しては、最早人格の問題な気がする。
 俺はヒートのΩに中てられた事はあるけれど、それでΩを犯した事は無い。
 というか俺は、Ωの人と恋愛をしたこと自体が無いのだ。基本的に付き合ってきた人たちはβだ。
 それ位にΩの絶対数は少ないものだと思う。
 
 
 操さんは男性という性別ではあるものの、それが全く気にならない程に美しい。
 仕事と関係のないところで出会っていたら、すぐアタックしていたと心から思う。
 流石にこの人は俺の雇い主であり、上司である。番の有無に関してなんて、普段から聞きづらい事だ。更に上司になってしまえば、早々聞ける筈がない。同級生だったとしても、細心の注意を払うだろう。
 
 
 でも操さんに番のαがいて、フェロモンの香りを独り占めしているとしたら、もの凄く羨ましいなと心から思う。
 
 
 食事を食べる操さんを見つめながら、フェロモンの香りはどんなだろうと思いを馳せる。
 花の様な香りがするのか、砂糖菓子の様な甘い匂いなのか、想像ばかりが膨れ上がった。
 こんな事を想像する段階で、失礼な事は解っているけれど、想像せずにはいられない。俺はこの時に、自らの思春期を噛み締めていた。
 
 
 操さんは自分の指についたご飯粒を、唇で噛む様に取り、俺の方を見て首を傾げる。
 そして俺に、不思議そうな表情を浮かべ問いかけた。
 
 
「ねぇねぇ虎ちゃん、随分静かだけどどうしたのぉ??なんか滅茶苦茶複雑な顔してない??
もしかしてホームシック??」
「え!?!?いや!?!?違います!!!全然!!!俺みたいな人間で良いのかなって!!!光栄すぎて!!!
俺、柄も悪いですし、口もぶっきらぼうだし、足手纏いにならないと良いなって……!!!」
 
 
 操さんの声に我に返り、慌てて振る舞いを取り繕う。
 操さんは焦って言った俺の言葉を、鈴を転がした様な何時もの笑い声で吹き飛ばした。
 
 
「あっは……!!全然邪魔になんてならないからぁ!!まぁヤンチャしてた頃あるんだろうなー位は想像してますけどぉー??………結構喧嘩の怪我あるよねぇ??虎ちゃん」
 
 
 ぎくり。
 
 
 思わず図星を突かれて固まれば、操さんは意味深な笑みを浮かべる。
 操さんは思っていたよりずっとずっと目敏かった事を、この時に気が付いた。
 確かに俺の身体には喧嘩で付いた傷痕があるし、別に隠しているつもりはない。
 けれど、喧嘩の傷痕と断定迄されて、言葉に出されたのは初めてだ。
 口元から八重歯を覗かせて、操さんは悪戯っぽい笑みを浮かべる。すると操さんは意外な言葉を口にした。
 
 
「まー、俺だってチョットだけヤンチャとかしてた事あるから、気持ちわかるなぁなんて………!!!」
「えっ!?!?操さんがヤンチャ!?!?」
 
 
 操さんがヤンチャをしている所の想像を、俺は一切出来ない。
 そんな抱きしめたら折れそうな腕や身体で、喧嘩なんてしたりするんだろうか。
 妄想が頭の中をグルグル駆け巡る俺を横目に、操さんは含みのある笑みを浮かべて口元を押さえる。
 
 
「そー……ヤンチャ。たっくさん悪い事したし、親だって泣かせたと思うもん……」
 
 
 操さんの口ぶりから、確かに悪い事をしていたであろうことが伺える。
 けれど操さんがヤンチャするイメージが、俺には一切出来ないでいた。
 
 
「………意外です。想像つかないですね………」
「だよねぇー♡まあ、ヤンチャにだっていろんな形がありますしぃ??」
 
 
 操さんはそう言いながら、食べ終えた食器を片付ける。
 使っていた御膳台ごと持ち上げて立つと、俺の方に振り返り微笑んだ。
 
 
「まぁ、俺には虎ちゃんのヤンチャ位、ぜーんぜん許容範囲ってコト♡だからこれから宜しくねぇ??」
 
 
 操さんがそう言いながら和室から出て、優しく襖を閉める。
 この瞬間に俺は神様に、人生全てを許された様な気持ちになっていた。
 だだっ広い和室に一人残された俺は、誰も居ないのを良いことに呟く。
 
 
「………本当、好きだわ………」
 
 
 気持ちが抑えきれない位に人を好きになった事なんて、今だ嘗てない。
 今までの俺の恋は、好きをくれる人に好きを返してきただけだ。
 自分から狂おしく人を好きになった事は無い。でも大切にしてきたし、浮気をしたことは勿論ない。
 だけど別れる間際に言われる言葉は、何時も同じだ。
 
 
『真面目で優しすぎて、貴方との恋はつまらない』
 
 
 何時だって真摯に向かい合ってきたけれど、どれもこれも上手く続かない。
 恋に真面目になるのは良い事なのにおかしいなと、何時も思うのだ。
 自分から求めた恋ではなかったからこそ、その言葉を躱してこれた。
 自分から好きになった人には、この言葉を言われたくないと心から思う。
 俺は嫌な事を思い出し、ほんの少しだけ暗くなっていた。
 けれど今日は、仕事が決まっておめでたい夜の筈なのだ。
 
 
「………よし………風呂いこう………」
 
 
 頭を切り替えた俺は、残りの食事を一気に掻っ込み食べ終える。
 そして空の食器の乗った御膳台を手にして、操さんに続き立ち上がった。
 社員寮に繋がる渡り廊下は、厨房のすぐ近くにある。食器を片付けて、そのまま湯浴みの荷物を取りに行こう。
 この後は温泉に浸かってゆっくり休もう。きっと明日から更に忙しくなるに違いないと思うのだ。
 この時の俺は、やる気と希望に満ち溢れてていた。
 
 
***
 
 
 社員寮から湯浴みの道具を手にして、温泉に向かって歩いてゆく。
 温泉と社員寮を繋げる渡り廊下には、一切灯りが灯ってない。
 正直その真っ暗闇は、幽霊が出そうな雰囲気を醸し出している。
 俺は不良として名を馳せてきたつもりだが、幽霊やお化けの類は怖い。得体の知れないものは苦手だ。
 
 
 ぶっちゃけ、この渡り廊下を歩いている今、滅茶苦茶怖いと思ってる。
 
 
 真っ暗な中を歩いていると、背後からパタパタと何か物音が聞こえた。
 けれどその物音は、俺が足を止めると止まるのだ。そして歩き出すとまた響く。
 
 
 えっ、待って?何?滅茶苦茶怖いんだけど!?!?!?雰囲気が幽霊出ますって感じじゃねえか!?!?!?
 
 
 恐る恐る携帯電話のライトを付けて、背後にそれを向ける。
 俺の真後ろには、全く同じ顔をした二人の子供が立っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

番解除した僕等の末路【完結済・短編】

藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。 番になって数日後、「番解除」された事を悟った。 「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。 けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。

ウサギ獣人を毛嫌いしているオオカミ獣人後輩に、嘘をついたウサギ獣人オレ。大学で逃げ出して後悔したのに、大人になって再会するなんて!?

灯璃
BL
ごく普通に大学に通う、宇佐木 寧(ねい)には、ひょんな事から懐いてくれる後輩がいた。 オオカミ獣人でアルファの、狼谷 凛旺(りおう)だ。 ーここは、普通に獣人が現代社会で暮らす世界ー 獣人の中でも、肉食と草食で格差があり、さらに男女以外の第二の性別、アルファ、ベータ、オメガがあった。オメガは男でもアルファの子が産めるのだが、そこそこ差別されていたのでベータだと言った方が楽だった。 そんな中で、肉食のオオカミ獣人の狼谷が、草食オメガのオレに懐いているのは、単にオレたちのオタク趣味が合ったからだった。 だが、こいつは、ウサギ獣人を毛嫌いしていて、よりにもよって、オレはウサギ獣人のオメガだった。 話が合うこいつと話をするのは楽しい。だから、学生生活の間だけ、なんとか隠しとおせば大丈夫だろう。 そんな風に簡単に思っていたからか、突然に発情期を迎えたオレは、自業自得の後悔をする羽目になるーー。 みたいな、大学篇と、その後の社会人編。 BL大賞に応募しましたので、見て頂けると嬉しいです! ※本編完結しました!お読みいただきありがとうございました! ※短編1本追加しました。これにて完結です!ありがとうございました! 旧題「ウサギ獣人が嫌いな、オオカミ獣人後輩を騙してしまった。ついでにオメガなのにベータと言ってしまったオレの、後悔」

【完結】end roll.〜あなたの最期に、俺はいましたか〜

みやの
BL
ーー……俺は、本能に殺されたかった。 自分で選び、番になった恋人を事故で亡くしたオメガ・要。 残されたのは、抜け殻みたいな体と、二度と戻らない日々への悔いだけだった。 この世界には、生涯に一度だけ「本当の番」がいる―― そう信じられていても、要はもう「運命」なんて言葉を信じることができない。 亡くした番の記憶と、本能が求める現在のあいだで引き裂かれながら、 それでも生きてしまうΩの物語。 痛くて、残酷なラブストーリー。

【完結】この契約に愛なんてないはずだった

なの
BL
劣勢オメガの翔太は、入院中の母を支えるため、昼夜問わず働き詰めの生活を送っていた。 そんなある日、母親の入院費用が払えず、困っていた翔太を救ったのは、冷静沈着で感情を見せない、大企業副社長・鷹城怜司……優勢アルファだった。 数日後、怜司は翔太に「1年間、仮の番になってほしい」と持ちかける。 身体の関係はなし、報酬あり。感情も、未来もいらない。ただの契約。 生活のために翔太はその条件を受け入れるが、理性的で無表情なはずの怜司が、ふとした瞬間に見せる優しさに、次第に心が揺らいでいく。 これはただの契約のはずだった。 愛なんて、最初からあるわけがなかった。 けれど……二人の距離が近づくたびに、仮であるはずの関係は、静かに熱を帯びていく。 ツンデレなオメガと、理性を装うアルファ。 これは、仮のはずだった番契約から始まる、運命以上の恋の物語。

アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました

あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」 穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン 攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?   攻め:深海霧矢 受け:清水奏 前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。 ハピエンです。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。 自己判断で消しますので、悪しからず。

【完結】運命なんかに勝てるわけがない

BL
オメガである笹野二葉《ささのふたば》はアルファの一ノ瀬直隆《いちのせなおたか》と友情を育めていると思っていた。同期の中でも親しく、バース性を気にせず付き合える仲だったはず。ところが目を覚ますと事後。「マジか⋯」いやいやいや。俺たちはそういう仲じゃないだろ?ということで、二葉はあくまでも親友の立場を貫こうとするが⋯アルファの執着を甘くみちゃいけないよ。 逃さないα✕怖がりなΩのほのぼのオメガバース/ラブコメです。

処理中です...