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拈華微笑
拈華微笑 第一話
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水曜日、15時。ドアのノックの音がする。何となく恐る恐るドアを開けば、ドアの隙間から気まずそうな目をするオグロが見えた。
今日の服装は菫色に細かい花柄の入ったスーツを着て、黒いハイネックのカットソーを着こんでいる。
俺がゆっくりとドアを開けば、オグロが慌てたような表情を浮かべる。
だから俺は何事も無かったかのような表情を浮かべて、オグロに甘えたように囁いた。
「待ってたよ」
オグロに向かって手を伸ばせば、オグロは俺の手を掴んでプレイルームの中に飛び込んでくる。
そして俺の身体を抱きしめて、ただ静かに俯いていた。
やはりオグロも俺に、ケーキの解体をしている自分は見られたくない様だ。俺はオグロに何も聞かないようにして、オグロの胸に頭を埋めた。
多分俺はオグロに、京條さんとショーを見ていた事を知られているのだ。
怖くないといえば嘘になるけれど、あそこに立っているオグロと今此処にいるオグロは、完全に乖離したものに俺には見える。
自分でもよく理解している事は、今俺の目の前にいるオグロの方が、正しいオグロだという事だ。
さっきからオグロは俺に対して、何を話していいのか解らない様だ。ずっと黙りこくってしまっている。
流石に心配になってきてオグロの顔を覗き込めば、オグロがやっと答えた。
「………ゼノ、逢いたかった」
この言葉は本当。嘘偽りない真実。心からの言葉に思わず笑みが零れた。
「………俺も」
そう甘く囁きながら、俺に縋りつくオグロの頭を優しく撫でる。
するとオグロは安心したように微笑んで、静かに目を閉じた。
真っ赤な壁と天井に見守られながら、オグロとベッドの上で寝転がる。するとオグロが少しだけ目を泳がせてから、小さく囁いた。
「………なぁ、京條さんのやってる出掛けるやつってさ、どうやるの?」
それを聞いた時に、やっぱりショーに来ていたのは見られていた事を察しながら、質問の内容が可愛らしい事に思わず笑う。
けれどただでさえ此処に来て、長めのプレイ時間を取っているにも関わらず、何もしないオグロにお金を使わせるのは少し気が引けた。
「金と権力と信頼を叩き付けて、俺を必ずパティスリーショップに返す事が出来る人にだけ許可が下りる」
正直オグロと出掛けるのが別に怖い訳ではない。何故ならオグロは一緒にチョコレートを食べた日に、俺の唾液まで身体に入れても俺を別に襲おうとはしなかった。
だからオグロと二人きりになる事自体に、正直恐怖感はない。
「金、の方はどうにかできるけど、信頼と権力は厳しいな………」
金はどうにか出来ると言われた時に、確かにあの仕事であればそれなりに金を受け取っている事を理解する。
確かにケーキを惨殺するようなことをして、大した金を貰えていないなら意味がない。
思えばオグロが着ている服も、差し入れの品も全て質のいいものだ。
もしかすれば俺が鵜飼さんに交渉をすれば、店外の権利を得ることが出来るかもしれない。
「………後で俺、鵜飼さんに交渉してみようか?」
そう言って微笑んで見せると、オグロが目を輝かせる。その少年のような屈託ない笑顔に、俺は少しだけ癒された。
***
「ねぇ鵜飼さん最近来る水曜日の人、デートコース行きたいんだけど、駄目?」
俺がそう言った瞬間に、鵜飼さんが物珍しそうな顔を浮かべる。そして何か思考を巡らせてから、鵜飼さんが言った言葉はこうだった。
「あー………アイツ、いい男だもんな………」
鵜飼さんの返答に固まれば、鵜飼さんが何かを勘違いしたような笑みを浮かべる。
想定外の返答に呆気に取られれば、鵜飼さんがさらに続けてくる。
「デートコース行くのは良いけど、お客との恋愛は御法度だからな……?今までゼノは浮いた話が無かったけど、お前ああいうのが好みなんだなぁ………?」
鵜飼さんがやけにニヤニヤしながら、俺の顔をジロジロとみてくる。俺は深く溜め息を吐いてから、小さく舌打ちをして見せた。
「………いや、そういうんじゃないから…………ホントあの人は違う………」
そう言って目を逸らしてみても、鵜飼さんは俺をからかうように笑っている儘だ。
だから俺はそんな鵜飼さんを放っておいて、デートコースに行ける許可が下りたことを、オグロにどう伝えようか考える。
すると鵜飼さんが不思議そうな表情を浮かべて、こういった。
「そういえばあの客、大分金の払いが良いけれど……何の仕事してんだ?」
そう言われた瞬間に、正直全身の血の気が引く。
まさかケーキの殺して、その肉を密売しているなんて口が裂けても言えない。だから俺は適当に笑ってこう言った。
「ああ、京條さんの知り合い。一緒に働いてる人だから、金ある……」
そう返答を返せば、鵜飼さんはただ感心した程度で後は俺に突っ込んでこない。
すると鵜飼さんはまたニヤニヤしながら、俺に問いかけてきた。
「京條さんも良い男だよなぁ…………ゼノ、まさか京條さんが本命か?」
鵜飼さんがそう言いながら俺をからかい、俺は思わず露骨に嫌な表情を浮かべる。
「ちょっと鵜飼さんまじでやめて………?店辞めるよ?」
「ああ!!ゼノごめんって!!冗談だって!!」
そう言って凄めば鵜飼さんは平謝りをして、適当に返してくれる。俺はわざとらしく小さく舌を打って見せた。
帰りの送迎の車の中で、今までのお客の顔を思い浮かべる。確かに俺が自ら、デートコースに行くことを交渉したのはオグロだけだ。
ほんの少しだけ入り込み過ぎてしまっている自覚を認め、流石に反省をする。
けれどオグロに対しては大分甘えてしまっている事も事実なので、正直できる事をしてあげたかった。
そういう時にさらりと鵜飼さんが言い出した、いい男という単語に少し反省するのだ。
オグロは確かに美しい顔をしていると感じる。
くっきりとした二重瞼の目元や、長い睫毛。それに形のいい唇。すべてが俺にとって美を連想させるものだ。
そう言えば確か、奏太の顔もくっきりとした二重瞼だった。
「ゼノさん、着きましたよ」
ドライバーの声に我に返れば、住んでいるマンションの前だ。
考え込んでしまっていたことを恥ずかしく思いながらも、ふと奏太の事を思い返す。そういえば最近俺は、奏太の事をあまり考えていなかった。
「お疲れ様」
そう言って車から降りれば、何時も通りにボディーガードが両サイドに着く。
マンションのエントランスに入ろうとした瞬間、声が聞こえた。
「…………涼っ!!」
思わず立ち止まり振り返れば、其処には懐かしい姿がある。其処に立っていたのは、紛れもない奏太だった。
その姿を見た瞬間に、俺の心の中がざわめく。奏太は少しだけ大人になり、俺よりも大分背が高くなっていた。
ボディーガード達が少しだけ警戒をしているのに気付き、静かに囁く。
「…………大丈夫、あの人知り合いだから………帰って………」
気を使って去ってゆくボディーガード達を見送り、奏太を見る。奏太は切なげな表情を浮かべたままで俺を見る。
正直なんて言葉を返してあげればいいか解らない。今更何しに来たのかと聞くのも、適当な話を振るのも難しい。
暫しの沈黙の後で、俺はこういった。
「久しぶり………」
奏太は少しだけ安心したような表情を浮かべて、優しい笑みを浮かべる。優しそうな目元は、昔と変わらなかったのだ。
「久しぶり………お前のこと、ずっと探してたんだ………。勝手に調べてごめん……。
そして、あの時のこと………本当にごめん………!!!」
奏太はそう言ってから、頭を深く下げた。
正直俺は奏太に対して、なんて言葉を返していいか解らない。
ただわかっていたことは奏太に謝られたところで、今更軌道修正出来ないくらいには、俺の人生は狂いきってしまっていた。
「………いいよ、謝んないで。もう気にしないで……。
俺今、新しい人生、ちゃんと歩めてるから、ね?」
今更謝らないで欲しい。俺の心を掻き乱さないで欲しい。そう思うのに、奏太が会いに来た事実は嬉しい。
色んな気持ちでゴチャゴチャのままで、俺は奏太にこういった。
「だからさよなら。もう会いに来ないで……」
今日の服装は菫色に細かい花柄の入ったスーツを着て、黒いハイネックのカットソーを着こんでいる。
俺がゆっくりとドアを開けば、オグロが慌てたような表情を浮かべる。
だから俺は何事も無かったかのような表情を浮かべて、オグロに甘えたように囁いた。
「待ってたよ」
オグロに向かって手を伸ばせば、オグロは俺の手を掴んでプレイルームの中に飛び込んでくる。
そして俺の身体を抱きしめて、ただ静かに俯いていた。
やはりオグロも俺に、ケーキの解体をしている自分は見られたくない様だ。俺はオグロに何も聞かないようにして、オグロの胸に頭を埋めた。
多分俺はオグロに、京條さんとショーを見ていた事を知られているのだ。
怖くないといえば嘘になるけれど、あそこに立っているオグロと今此処にいるオグロは、完全に乖離したものに俺には見える。
自分でもよく理解している事は、今俺の目の前にいるオグロの方が、正しいオグロだという事だ。
さっきからオグロは俺に対して、何を話していいのか解らない様だ。ずっと黙りこくってしまっている。
流石に心配になってきてオグロの顔を覗き込めば、オグロがやっと答えた。
「………ゼノ、逢いたかった」
この言葉は本当。嘘偽りない真実。心からの言葉に思わず笑みが零れた。
「………俺も」
そう甘く囁きながら、俺に縋りつくオグロの頭を優しく撫でる。
するとオグロは安心したように微笑んで、静かに目を閉じた。
真っ赤な壁と天井に見守られながら、オグロとベッドの上で寝転がる。するとオグロが少しだけ目を泳がせてから、小さく囁いた。
「………なぁ、京條さんのやってる出掛けるやつってさ、どうやるの?」
それを聞いた時に、やっぱりショーに来ていたのは見られていた事を察しながら、質問の内容が可愛らしい事に思わず笑う。
けれどただでさえ此処に来て、長めのプレイ時間を取っているにも関わらず、何もしないオグロにお金を使わせるのは少し気が引けた。
「金と権力と信頼を叩き付けて、俺を必ずパティスリーショップに返す事が出来る人にだけ許可が下りる」
正直オグロと出掛けるのが別に怖い訳ではない。何故ならオグロは一緒にチョコレートを食べた日に、俺の唾液まで身体に入れても俺を別に襲おうとはしなかった。
だからオグロと二人きりになる事自体に、正直恐怖感はない。
「金、の方はどうにかできるけど、信頼と権力は厳しいな………」
金はどうにか出来ると言われた時に、確かにあの仕事であればそれなりに金を受け取っている事を理解する。
確かにケーキを惨殺するようなことをして、大した金を貰えていないなら意味がない。
思えばオグロが着ている服も、差し入れの品も全て質のいいものだ。
もしかすれば俺が鵜飼さんに交渉をすれば、店外の権利を得ることが出来るかもしれない。
「………後で俺、鵜飼さんに交渉してみようか?」
そう言って微笑んで見せると、オグロが目を輝かせる。その少年のような屈託ない笑顔に、俺は少しだけ癒された。
***
「ねぇ鵜飼さん最近来る水曜日の人、デートコース行きたいんだけど、駄目?」
俺がそう言った瞬間に、鵜飼さんが物珍しそうな顔を浮かべる。そして何か思考を巡らせてから、鵜飼さんが言った言葉はこうだった。
「あー………アイツ、いい男だもんな………」
鵜飼さんの返答に固まれば、鵜飼さんが何かを勘違いしたような笑みを浮かべる。
想定外の返答に呆気に取られれば、鵜飼さんがさらに続けてくる。
「デートコース行くのは良いけど、お客との恋愛は御法度だからな……?今までゼノは浮いた話が無かったけど、お前ああいうのが好みなんだなぁ………?」
鵜飼さんがやけにニヤニヤしながら、俺の顔をジロジロとみてくる。俺は深く溜め息を吐いてから、小さく舌打ちをして見せた。
「………いや、そういうんじゃないから…………ホントあの人は違う………」
そう言って目を逸らしてみても、鵜飼さんは俺をからかうように笑っている儘だ。
だから俺はそんな鵜飼さんを放っておいて、デートコースに行ける許可が下りたことを、オグロにどう伝えようか考える。
すると鵜飼さんが不思議そうな表情を浮かべて、こういった。
「そういえばあの客、大分金の払いが良いけれど……何の仕事してんだ?」
そう言われた瞬間に、正直全身の血の気が引く。
まさかケーキの殺して、その肉を密売しているなんて口が裂けても言えない。だから俺は適当に笑ってこう言った。
「ああ、京條さんの知り合い。一緒に働いてる人だから、金ある……」
そう返答を返せば、鵜飼さんはただ感心した程度で後は俺に突っ込んでこない。
すると鵜飼さんはまたニヤニヤしながら、俺に問いかけてきた。
「京條さんも良い男だよなぁ…………ゼノ、まさか京條さんが本命か?」
鵜飼さんがそう言いながら俺をからかい、俺は思わず露骨に嫌な表情を浮かべる。
「ちょっと鵜飼さんまじでやめて………?店辞めるよ?」
「ああ!!ゼノごめんって!!冗談だって!!」
そう言って凄めば鵜飼さんは平謝りをして、適当に返してくれる。俺はわざとらしく小さく舌を打って見せた。
帰りの送迎の車の中で、今までのお客の顔を思い浮かべる。確かに俺が自ら、デートコースに行くことを交渉したのはオグロだけだ。
ほんの少しだけ入り込み過ぎてしまっている自覚を認め、流石に反省をする。
けれどオグロに対しては大分甘えてしまっている事も事実なので、正直できる事をしてあげたかった。
そういう時にさらりと鵜飼さんが言い出した、いい男という単語に少し反省するのだ。
オグロは確かに美しい顔をしていると感じる。
くっきりとした二重瞼の目元や、長い睫毛。それに形のいい唇。すべてが俺にとって美を連想させるものだ。
そう言えば確か、奏太の顔もくっきりとした二重瞼だった。
「ゼノさん、着きましたよ」
ドライバーの声に我に返れば、住んでいるマンションの前だ。
考え込んでしまっていたことを恥ずかしく思いながらも、ふと奏太の事を思い返す。そういえば最近俺は、奏太の事をあまり考えていなかった。
「お疲れ様」
そう言って車から降りれば、何時も通りにボディーガードが両サイドに着く。
マンションのエントランスに入ろうとした瞬間、声が聞こえた。
「…………涼っ!!」
思わず立ち止まり振り返れば、其処には懐かしい姿がある。其処に立っていたのは、紛れもない奏太だった。
その姿を見た瞬間に、俺の心の中がざわめく。奏太は少しだけ大人になり、俺よりも大分背が高くなっていた。
ボディーガード達が少しだけ警戒をしているのに気付き、静かに囁く。
「…………大丈夫、あの人知り合いだから………帰って………」
気を使って去ってゆくボディーガード達を見送り、奏太を見る。奏太は切なげな表情を浮かべたままで俺を見る。
正直なんて言葉を返してあげればいいか解らない。今更何しに来たのかと聞くのも、適当な話を振るのも難しい。
暫しの沈黙の後で、俺はこういった。
「久しぶり………」
奏太は少しだけ安心したような表情を浮かべて、優しい笑みを浮かべる。優しそうな目元は、昔と変わらなかったのだ。
「久しぶり………お前のこと、ずっと探してたんだ………。勝手に調べてごめん……。
そして、あの時のこと………本当にごめん………!!!」
奏太はそう言ってから、頭を深く下げた。
正直俺は奏太に対して、なんて言葉を返していいか解らない。
ただわかっていたことは奏太に謝られたところで、今更軌道修正出来ないくらいには、俺の人生は狂いきってしまっていた。
「………いいよ、謝んないで。もう気にしないで……。
俺今、新しい人生、ちゃんと歩めてるから、ね?」
今更謝らないで欲しい。俺の心を掻き乱さないで欲しい。そう思うのに、奏太が会いに来た事実は嬉しい。
色んな気持ちでゴチャゴチャのままで、俺は奏太にこういった。
「だからさよなら。もう会いに来ないで……」
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