社内恋愛はじめました。

柊 いつき

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138.beloved⑥藤澤視点

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『目は口ほどに物を言う』

まさに今回の発端は、そんな俺の軽率な行動によるものだ。田中さんを初めて見た時、男性社員の中で大変そうだ、くらいにしか思わなかったが、たまたま彼女が歩いている後ろ姿を見かけて動揺する。何故なら、その背格好が俺の知っている優里にとてもよく似ていたからだ。

それからというもの、昔のように何度もその後ろ姿だけは目で追うようになってしまい、挙げ句の果てに彼女と視線が合えば、つい、笑いかけてしまっていた。彼女がそれに勘違いして俺に恋心に近いものを抱いてしまったのは、多分、そこが原因。誰だって視線を感じて目が合えば意識せざるおえないだろう。俺の方は彼女とどうこうなろうなんて微塵も思わず、どちらかというと、あの頃を懐かしんでいただけだった。

そんな考えを巡らせ飲み物を待っていると、田中さんからプライベートに関する質問を受ける。素直そうな彼女のことだから、先ほどの俺の言い訳を鵜呑みにしてくれたのだろう。明らかに先ほどの様子と違って助かった。

「あの...課長はどういったキッカケで奥様と?」

会社において俺が妻帯者だというのは左手の薬指で暗黙の了解を得ている。だが、具体的なことまで職場では殆ど話したことがなく、話したいとも思わなかった。

...優里との馴れ初めか。

だが、今日は彼女のことを傷つけてしまった事や時間稼ぎをしたかったので、話して良いものか悩み。無意識的に右手で左手の薬指のリングの形を確かめながら答えた。

「妻とは以前勤めていた会社で部署は違っていたのですが、知り合って、たまたま一緒に仕事をする機会がありましてね」

「課長は職場結婚だったんですか!?」

「まぁ、そんなところです」

話が大幅にそれたが、楽しそうで何より。1人で盛り上がっている田中さんに、若干、引き気味になりながらも、肝心のところをかわして話をしていた。すると、待ち人来たり。

「遅い、小鳥遊。男の長電話は嫌われるぞ?」

「...す、すみません」

頭をかきながら気まずそうにテーブルに戻ってきた小鳥遊に田中さんは驚いた様子で、彼に声をかけられない。それもそうだろう。2人の計画では、小鳥遊はここには戻ってくる予定ではなかったのだろうから。

それを無理やり戻したのは、もちろん俺だ。
『田中さんをあんな店で一人ぼっちにさせる気か?』と彼女の話を聞く前に、メールで脅しておいたのだ。仕事中の俺は有言実行だから、先に帰ることは平気でやりかねないと小鳥遊はさぞかし驚いたことだろう。

それで、急いで舞い戻ってきたわけだ。彼の今回の行動により、自分の予想は大当たりと密かに俺がほくそ笑んでるとも知らず。

「じゃあ、俺は帰るから。料理は何も頼んでいないので、後は頼む」

何くわぬ顔で2人がいるテーブルを後にし、預けてあったコートを店先で受け取っていると小鳥遊1人が追いかけてきた。

「課長、なんで帰っちゃうんですか?」

「なんでって...俺はここでは場違いだろ?」

小鳥遊に構わずコートを羽織り、帰り支度をすると小鳥遊はそれでも食い下がってきて、いささか相手をするのが面倒くさくなり、つい。

「ま、邪魔ものは消えるとするさ」

ここまで言えば、俺の意図は伝わったはず。予想どおり小鳥遊は押し黙る。下唇を噛噛んで顔を赤くしているあたり、図星と見た俺は彼の肩をポンと軽く叩いた。

「今日は田中さんに免じて許してやるよ。その代わり2度とこういうくだらない真似はするな。あと、帰りにここの領収書もらってこい。明日、俺が個人で清算するから」

それだけ言い残すと、さっさとこんな場違いな店からは退散。歩きながら今夜は何も食べていなかったと空腹を感じ、ちょうど繁華街だったので遅くまで営業中の喫茶店へと駆け込む。そこで、コーヒーとメニューの写真で見た目に美味しそうだったナポリタンを注文。程なくして、運ばれてきたナポリタンは写真通りのもので食欲をそそった。空腹というスパイスのせいか、それらを味わうというより腹にかっ込む。そのおかげで、あっという間に平らげてしまい、食後のコーヒー待ちでようやく一息つくことができる。

暇だったので、頬杖をつきながら窓ガラスの外を眺めると、大学が近いのか、やたらと若いカップルが目に付いた。そのカップル達が先ほどの小鳥遊と田中さんを思い起こさせる。

...2人はどうなっただろうか?

伊達に俺も田中さんの方を見ていたわけではなく、薄々、小鳥遊の気持ちは感づいていた。あそこまで恋は盲目とは思わなかったが、彼らのことを思い、以前の自分を回想する。

昔、岡田さんが俺の無謀な考えに対して『それは若さではなく、バカさだ』と言っていたことを思い出した。20代の俺は今の小鳥遊と大して変わらないことをしていた気がする。

今なら岡田さんの言い分も分からなくもなかった。

決して、誰しもではないが、人は年を重ねるごとにいろいろな経験を経て、しがらみも増え、何事にも臆病になってゆくものだと思う。

それはいい意味でも、悪い意味でも。

※※※

12月24日。

結局、その日、小鳥遊は店の領収書を俺の元へ持ってくることはなかった。別段、おかしな様子もなく、いつも通りだったのでお節介な上司ではない俺は昨日の出来事には一切触れず。というより、年末進行のせいもあり、忙しくて申し訳ないがそれどころではなかった。

そんな中でも、定時になると今日は殆どの人間が帰り支度を始める。

...流石、クリスマスイブ。(笑)

俺は今日も安定の残業シフトだが、自称愛妻家の手前、残業もそこそこにしていつもより早く帰宅する。ただ、早く帰宅するものの何もする事もなく手持ち無沙汰になりそうだったので、軽く夕飯を済ませてから、目をつけていた場末のバーへ。こんな日だからこういう所は客も少なくて、静かにゆっくりと飲めそうだった。

ビールから始まり、ウィスキーを少々。乾き物のチョコレートの残りを摘みながら、締めの飲み物を頼む。

「すみません。カシスオレンジを」

一瞬、注文を聞いた店員が眉をひそめたが、そこは客商売。粛々と対応してくれた。まぁ、さきほどまでのオーダーの好みとは全く違うものを頼まれれば、不思議がられるのも無理はない。カシスオレンジは、男の俺が飲むよりどちらかと言うと女性の方が好む飲み物だったからだ。

これは優里が唯一好む酒だった。

初めて口にした時、一口飲んだだけでその甘さの強さに驚いたものの、彼女らしいと飲み干したのはもう大分前。彼女と離れてからも、かれこれ5年近くなる。

どんな形にせよ、彼女が幸せになっているといいのだが。

来年あたり、仕事がひと段落したらそれを確かめに会いに行ってみようか?
あの手紙に「しがらみ」を残した責任を果たしに。

そうでないと、俺は前に進めそうになさそうだ。



...君は、どうだろう?
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