社内恋愛はじめました。

柊 いつき

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96.布石④

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ホテルに一泊して、私は一度自宅に戻らせてもらい、翌日も藤澤さんの家でも愛し合った。こんなに会えなかったのは、年明けのあの時以来。

「優里が足りない...」と掠れた低い声で求められると断れないし、断りたいとも思わなかった。とめどもない彼の誘いに応じるままに、夜も朝もなく、求められ求めあう。

でも、そんな『ただれた時間』は長くは続かない。明日はお互いに仕事がある。

それなのに昼間からまた抱き合ってしまう。運動神経も体力もない私はこの頃には体力が尽きてしまい、ベッドでひと休み。そのままウトウトと微睡むと、いつの間にか寝てしまっていた。

「...り。ゆーり」

名前を呼ばれながら肩を揺さぶられると見慣れない天井。一緒に寝ているはずの藤澤さんの顔を認識すると、ここが彼の家だと思い出した。私がハッとして起き上がると彼はベッドに腰掛ける。

「夕方ですよ、お嬢さん」

そんな事を言うわりには優しく頭を撫でてくれて。これではまた寝てしまうとその優しい手から遠ざかり、髪を手ぐしで直した。

「...す、すみません。寝ちゃって」

「確かによく寝てたね」

...うぅ、返す言葉もございません。

自分の格好を見ると彼の大きなパジャマのシャツに下着のみ。それに引き換え彼はジーンズにニットと普段のカジュアルな格好をしていた。彼もさっきまで生まれたままの姿だったはずが、いつの間にかきちんと着替えている。女の子で恋人の部屋に来ている私だけ非常にダラシなく見えた。

「すぐに着替えますっ...」

ベッドから立ち上がり服を着ようとすると、藤澤さんが寝室にまだいて椅子に座っている。

「...あ、あの、着替えたいのですが?」

「どうぞ、遠慮なく」

ニッコリと言われたけれどそんな状況で着替えのできない私は丁重にお断り。藤澤さんは渋々寝室から出て、私が身支度を済ませている間にデリバリーのピザを頼んでくれた。ピザが来る頃には飲み物も何から何まで用意してくれて、傍に書類が片付けられているのが分かる。

...さっきまで仕事していたんだ。

私が起きた時、彼はメガネをかけていた。きっとパソコンの画面でも開いていたのだろう。すごい体力と感心していると彼は何を思ったのか突然食べかけたピザを皿に置き、寝室に行った。そこから戻るとすぐに。

「優里ってうちの鍵まだ持っていたよね?」

その鍵は藤澤さんの看病の為に田山さんから預かっていたもの。借りたっきりで返す機会を逃してしまっていた。

「...えぇ、まあ」

いきなりなんだろうと身構えると、手を出される。

「それ、ちょっと貸してくれる?」

私は言われたままに財布から鍵を取り出すと、何かをつけて戻された。何かの正体は石のついているキーホルダー。さっきまで装飾のない無機質な鍵がどういうわけか掌でキラキラ輝きを放っている。

「あ、あの...これは?」

鍵を返されるとは全く思わなかった私が燻しがると、彼により鍵を握るように開いていた掌を閉じられてしまう。

「もうそれは優里のだから。 ちゃんと持ってて」

それでも、わからないと首を傾げる私に、彼はこれから起こるであろう未来の事を話してくれた。

「実はこういった海外出張は、しばらくの間、続く予定なんだ」

...え?また?

その事実に大きく目を見開き言葉が出ない。そんな事は全く予想していなかったからだ。私が全く言葉を発しないと、藤澤さんは申し訳なさそうに頭を掻く。

「それで自分勝手なお願いだとは百も承知なんだけど。こっちに戻ってきている間は、ずっと俺は優里と一緒にいたい。だから、その時はその鍵を使ってここで待ってて欲しいんだ」

「私に...ここで、ですか...?」

「そう。この部屋で待っていてほしい」

彼からの思いがけないお願いに暫く考えてしまう。彼も私の返事を待っていてくれてお互いに無言になる。頭の中でいろいろな疑問に浮かび、1番気になった事を聞いた。

「あの、それはいつまで?」

「...まぁ、はっきりとしないんだけれど今年の夏までだと思うよ。なんせ、ピンチヒッターだからね」

彼は自分の事をそんな風に揶揄していたので、私もそんなに長くないんだろうと感じた。

「分かりました...私で良ければ、ここで待ってます」

私が了承すると藤澤さんはホッとしたようで目尻を下げる。

「断られるかと思ったよ...」

そう言いながら、またピザを食べ始める彼に断るわけないのにと密かに思う。

本当なら仕事が忙しい理由で会うことすらままならなくなってもおかしくない。それなのに寂しがる私の為にわざわざ会える時間を作ってくれたのだから。

私の好きな人は、とても優しい人だった。

※※※

「いってらっしゃい。気をつけて帰ってきてくださいね」

「うん、行ってきます。必ず連絡するから優里もうちで待っててね」

「はい!」

元気よく返事をすると、それはそれは嬉しそうに藤澤さんは微笑んでくれた。
私はそんな彼の笑顔を見るのが好きだった。


こうして、少しでも離れたくない私たちは、同棲ならぬプチ同棲を始めるのである。
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