社内恋愛はじめました。

柊 いつき

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110.happy ending⑦藤澤視点

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"Attention passengers ...

先ほどから流暢な外国語のアナウンスがひっきりなしに流れてくる。ここは搭乗案内のアナウンスが頻繁にされるのが日常茶飯事な国際空港。平日はいつも1人で渡航していたのだが、今日に限り優里も一緒に来ていた。なぜなら今日が出発の日だったからだ。大きなスーツケースは既に預けており、少し時間が空く。搭乗時刻まで俺と彼女は別れを惜しんでいた。

向かい合わせに立っている優里はアナウンスが頭上で繰り返される度ビクつき、案内板を見てはため息をついていた。

...だから見送りはいいって言ったのに。

彼女は仕事を休んでまで来てくれたのだが、搭乗手続きまであと一時間足らずの時点でもう既に涙目。そんな様子を見るに見かねてしまい彼女に声をかけた。

「もう帰ってもいいよ。見送りがいないのはいつものことで慣れているから」

その言葉がキッカケというか呼び水になってしまったようでその黒い瞳からぽろぽろ涙が溢れ出てきてしまう。

...しまった。逆効果だったか。

「うっ...っ...さ、寂しい事...言わないで...下さい」

そんな風に泣かせるつもりはなかった。慌てた俺は彼女の手を引っ張り、近くの立て看の裏の方へと連れて行く。そこで隠れるように泣いている彼女の身体を抱きしめた。

「...ごめん、変な意味で言ったわけじゃない。お願いだから泣き止んで」

腕の中の彼女はようやく無言で頷いてくれ、顔をしゃくりあげ泣くのをやめようと努力して声を抑えようとしている。そのいじらしさに胸が苦しくなりながら、指でその涙を拭う。このまま一緒に連れて行きたいと思うほど心が掻き乱された。

「こまめに連絡するから」

「...はい」

「ちゃんと長期休暇には帰ってくるから」

「...はい」

「俺たちはきっと大丈夫だから。そんなに悲しい顔をしないで、ね?」

子供に噛んで含めるように言って聞かせる。ただ、最後だけは不安そうな顔をして返事を返してくれない。多分、これは俺が心変わりをするといった話をしたせいだろう。あんな例え話をするのではなかったと悔やんだが、もう遅い。

「...優里。頼むから...返事をしてくれ」

機嫌をとるように彼女の頬を撫でるとまた彼女は泣きそうになってはいたものの、今度は小さく頷いてくれた。その返事でどれだけ安堵したことだろう。

「ありがとう...」

ここが空港だということを忘れ、人目もはばからずそっと触れるだけのキスをしていた。

それから間もなくして、再び泣くのを堪えている彼女を残し時間だからと搭乗手続きへと向かう。その時、何気なく振り返ると優里はずっとこちらを見送ってくれていて、それに小さく手を振り応える。

この辛い気持ちをここに置いていければどんなに楽だろうと、思いながら。

※※※

赴任早々、強烈なカルチャーショックというか、仕事において初めて壁にぶち当たる。日本ではそこそこできる自負もあったが、ここではそんなものは少しも役に立たない。微かにあったプライドなどという厄介なものはあっという間に粉々に打ち砕かれてしまった。

帰宅して真っ暗な部屋に灯りを点けることすら、辛い日々が続き鬱々とする。唯一の救いといえば、ネット回線で繋いだテレビ電話で優里と他愛もない事を話すことだった。多くて週3回、研究所に泊まり込みの時は、1週間に1度になってしまうこともあった。それは当初無理のない回数だと思われたが、時差が生じ、お互いの睡眠時間が削られることは否めない。

それがひと月、ふた月と回数を重ねて。

「おはようございます。お仕事はこれからですか?」

画面向こうの彼女はいつも就寝前なのでパジャマ姿。俺の方はというと、いつもより多少早起きをしており、パソコンに向かっている。

「こんばんは。後1時間くらいしたらここを出るよ。そっちはもう寝る時間じゃない?」

今日はいつもより開始時間がずれてしまったので、平日にもかかわらず深夜帯になっていた。その証拠に画面の優里は少し眠たそうにしている。

「あ、いえ...まだ、大丈夫です」

眠そうなのを指摘され慌ててしまったのだろうか、何度も瞬きを繰り返し大げさに否定しているものの、こちらは無理をしているのが分かるので、早く休ませてあげたかった。

「今日はいいよ。また時間を作るから。女性の寝不足は肌に良くないっていうし、ちゃんと寝なさい」

「...でも」

「でもじゃない」

「...すみません」

諭すようにいうと、よほど疲れて眠かったのだろうか優里もそれには渋々従う。そして、彼女が回線を切ったのを確認すると、俺はパソコンの電源を落とすことなく密かに撮ってあったスクリーンショットを眺める。撮ってあったのは、優里の話している時の顔だった。

...潮時か。

話しながら、笑ったり、困った顔をしたり。百面相みたいにコロコロ変わって、写真で見ても飽きなくて、映し出されている顔の輪郭を思わず指先でなぞってしまっていた。

「ホント、面白くて、可愛い...」

だが、なぞってもなぞっても、無機質な画面の感触でしかなく、彼女の白い肌に触れることができずに、虚しくてやるせない気持ちになる。

これが俺たちの距離だと最初から分かっていたはずだった。
本当はもっと早く解放してあげるつもりだったのに、自分の経験トラウマがそれを邪魔していた。

思いが通じて何も言わずに去らなければいけない初恋の人彼女はどんな気持ちだったのだろうか?
残された俺は強い喪失感に襲われ、なんで?という気持ちが強かったが、今なら彼女の気持ちが痛いほど理解できた。

離れていればいるほど相手の気持ちが見えなくて不安になる。
それでも不確かな未来に彼女の気持ちを縛り付けることはできないと自分に言い聞かせていた。

目の前に映し出されている優里は眩しいくらいの笑顔を自分に向けてくれている。何も知らない無垢な笑顔で。そんな彼女を正視することが辛くなり、パソコンの電源を落とした。真っ暗になった画面はまるで俺の今の心境を表しているかのよう。


ごめん、優里。俺には遠距離恋愛は向かないみたいだ。
今まで付き合ってくれてありがとう。

君には感謝しかない。




俺は今まで人の気持ちをこんなに考えたことはなかった。
彼女と離ればなれになり、初めて気がつくことだらけだ。

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