社内恋愛はじめました。

柊 いつき

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111.優しい嘘

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遠距離恋愛を決めた私たちの専らの通信手段はネット回線によるテレビ電話。私が顔を見て話したいと願ったからだ。藤澤さんはそれらの設定を事細かに出国直前まで教えてくれた。

そして、長期のお休みにはちゃんと帰国して会おうと彼は言ってくれたのに、私は空港でまた泣いてしまい、彼を困らせてしまう。

「頼むから泣かないで。優里が泣き止んでくれないと俺は行けない」

抱きしめられた彼の腕の中は安心できたけれど、涙がなかなか止まらない。彼は私が泣き止むまでずっと待っててくれた。

「...すみません。私...」

「いいよ。今回は特別なんだから仕方がないさ」

いつもみたいに穏やかに微笑んでくれる彼は優しい。そんな彼となら5年という長い時間でも遠距離恋愛を続けていけると思えた。

※※※

彼が出国してふた月あまり経った頃。

週のこの曜日とネット電話をする予定を決めてあり、いつもなら都合が悪い時は連絡がくる。それが今夜に限り連絡がなかったというのに彼との回線が一向に繋がらない。

...どうしたのかな?

30分くらいパソコンを繋げて眠くなってしまったので、そのまま私は寝てしまう。けれどその日を境に藤澤さんと話すことができなくなった。

最初の1週間は、忙しいのかなと思った。たまにそういう日があったから。
次の1週間は、全ての連絡先に繋がらなくなったのに気がつき、彼の方で何かトラブルがあったのかなと思った。次の1週間は呑気に考えることができなくなりネガティヴな考えしかできず不安になる。

...松浦に何かあったか聞いてみようか?

研究室に用事があり咄嗟にそんな考えが浮かんだけれど、藤澤さんと私の関係を話すわけにはいかない。それなら、私たちの関係を知っている田山さんにはどうだろう?と彼のデスクを見ると不在。今、うちの会社は全社あげての新商品の販売が控えており営業部の男性社員は出払っていることが多くて、田山さんはその最たるものだった。

...こんなプライベートな相談、しちゃダメだ。

そう思い直し、藤澤さんからの連絡が来るのをひたすら待つ。家に帰ると彼からのプレゼントを眺めてはため息をつき、彼と過ごした場所を通る度に思い出が蘇り、胸が苦しくなる日々が続いた。

そうして一月余り経っただろうか。

帰宅すると郵便ポストにはダイレクトメールとともに見慣れない縁の封筒が一通混じっていた。

...なんだろう?

真っ先にその封書を手にとって確認すると、それはローマ字表記のエアメール。私には海外にいる友人は1人もおらず、考えられるのは藤澤さんしかいない。心臓が大きく跳ねると同時にばくばくとその鼓動は速くなる。部屋に戻るなり急いで封書を開けると、お世辞でも上手ではない字で書かれた便箋が2枚入っていた。

『親愛なる優里へ...』から始まる文面はやっぱり藤澤さんからのもので。彼の今の状況と心情が丁寧に綴られており、期待していた新しい連絡先は一切記していなかった。それどころか殆どの内容が私への謝罪だった。

今は仕事に集中したくて遠距離恋愛はできない事への謝罪。
いきなり自分から連絡を絶った事への謝罪。

もしかしたら藤澤さんの方から意図的に連絡を絶ったのではないのだろうかという不安がずっと頭をよぎっていた。それが否応なしに現実だとこの手紙で思い知らされてしまう。

...私は彼に恋して幸せな事しか覚えていないけれど、藤澤さんは違っていた?

たくさん手紙の中で謝られてしまい、いつも穏やかに笑いかけてくれる彼の笑顔が浮かんでは、消える。別れ話になるとすぐに私が泣いてしまうから、遠距離恋愛をしようと約束したのは私を泣かせまいとする彼の優しい嘘。そんな優しい嘘は今の私にとっては残酷な嘘に違いなかった。

それに気がついてしまうと余計に彼への想いが募り、どうしていいのか分からない。それでも震える手でなんとか読み進めると、その最後の最後で信じられない文面を見つける。

『もし、5年後位に再会ができてお互い相手が居なかったら』

自分との結婚を考えて欲しいと書いてあり、何度もその文字を読み返しても『結婚』という文字は見間違いでも自分の願望でもなかった。ただ、それまで待ってて欲しいとは言わない彼の気持ちの自信のなさみたいなものが文面から伝わる。

きっと別れ話の時に話していた『心変わり』を気にしているのだと感じた。私の心変わりを止める権利はないからと言われている気がして歯痒かった。

...私には藤澤さんしかいないのに。

その気持ちを伝えようにも、連絡手段がないので伝えることが出来ない。だから、今の会社で5年間、彼が戻ってくる事を待ち続けることが最善策だと信じるしか手立てはなかった。



こうして藤澤さんとの恋は僅か1年足らずで、幕を閉じる。
期間は決して長くはなかったけれど、とても幸せだった。
だから、彼の言うような心変わりなんてありえないと思った。

たとえ、これも藤澤さんの優しい嘘だったとしても。

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