社内恋愛はじめました。

柊 いつき

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118.豹変②

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資料室と資材室は殆ど人気がないのは入室する人間が他の部署と比べて極端に少ないからだ。
ずっと営業部だった私は、管理部に配属になり初めてこの2つの部屋の存在を知った。その位存在感が薄い場所で、ましてや定時を過ぎてのこんな時間帯の今、いつも先客は誰もいない。

「...し、失礼...しますぅ...」

心なしかそっと中を伺うように、入り口のドアを開ける。薄暗い灯りは付けっ放しにされていたものの、もちろん中からの返事はなし。固唾を飲んで部屋の様子を伺い見ていた私は予想通りの展開にホッと胸をなでおろしながら、中へと入った。つい、そんな面倒な事をしてしまうのは同期の美波ちゃんの有難くないお話を聞いていたおかげ。管理部に配属になった直後、情報通の彼女からある事を教えられていた。

『あの部屋は出るんだよ。耳をすますと、女の人のすすり泣く声が....』

普段軽い世間話が好きな彼女に真面目な顔で両手をオドロオドロしくジェスチャーされれば、鈍い私でも何となく察しがついてしまう。

...こんなハイテクな現代社会にそんな非現実なものがあるワケない...けど。

冗談に決まってると、頭の中で分かっててもノミの心臓の私はその場に行くと身構えてしまっていた。薄暗くて広々とした空間に書庫が並ぶ誰もいないから、余計に怖く感じる格好のシチュエーション。淀んだ空気感がまたなんとも言えず、そんな中で早く出なくてはと持ってきた教材本を元の所に返す作業を開始する。そういう時に限って、普段から鈍臭い自分が恨めしい。なかなか目的の場所を見つけられないのだ。

...もう、どこよ!?Aの...653、Aの...。

小さくモゴモゴとその場所を口ずさみ一心不乱にその場所を探し出そうとした時、何か聞こえた気がした。

「.........っ、あっ...」

...今の、なに?

誰もいないと思っていた場所から、想像しなかった声が発せられて手と声が硬直してしまう。危うく持ってきた本を手元から落としそうになり、運良く寸でのところでそれを床につくすんでのところで受け止めた。

...だ、誰かいるの...?

本を慌てて受け止めたのでやや前屈みの低姿勢な私。自ら声を出せばいいものの、臆病すぎて息を潜めてその場所で固まるのが精一杯。だから、逆に神経が研ぎ澄まされさっき空耳かもしれないはずの正体を冷静に受け止める事ができる。

「ああン...もぅ...や...ダメッ 」

「...そんな事言って止めていいの?糸引いてる...すごいよ」

その後も続く、濃密なしっとりとした空気。誰もいないと思われる密室空間は静かな分、その場を直接見なくても、その声、息遣いで何をしているか想像できる。

それは、その...。男女の...睦み合う声、だったと思う。

ドラマとかで見知ってはいたけれど想像のつかない世界で私はぼう然として少しの間立ち聞きしてしまった。けれど、何とか口元に手をあて無我夢中でその場所から離れるようにして後ずさり、音も少なく入り口のドアを開ける事に成功した。

...はぁ、ビックリした。

会議室に戻る途中に胸に手を当てると動悸が速い。人様のあんな場面を見てしまったのは初めてで、自分の知っている社内恋愛とは全く違ってみえてそれはそれは衝撃的だった。気がつくと片付けなければいけない教材本は手に持っているまま。でも、流石に今日は戻る気にはなれず、明日の朝イチで戻せばいいかとデスクの上に置いておいた。すると、その本は朝には無くなっており、慌てて資料室で確認したら所定の位置にある。

...課長代理が戻してくれたんだ。

そんな事を思いながら自分のデスクに戻ると、ちょうど山本さんが会社に来たところだった。

「おはよう、三浦さん」

「...お、おはようございます」

いつもみたいに目を合わせて挨拶できない私を山本さんは「今朝はご機嫌斜め?」なんて茶化しながら自分のパソコンを立ち上げる。私は愛想笑いで誤魔化しながら自分の作業を始めると、彼は既に何事もなかったようにパソコン画面を凝視していた。それを横目でチラリと確認すると自然と安堵の息が漏れる。

...昨日の今日だもの。山本さんの顔をマトモに見れないよー。

実はあんな短時間にもかかわらず、私はあのカップルの正体に気がついてしまっていた。男性は私の隣のデスクの山本さんで、女性は人事の内藤さんだ。人事にはうちの部署とは違って女性社員が大勢いる。しかも既婚者しかいないと聞いていたから。

...山本さんが不倫。

その事は絶対誰にも話すまいと誓った。
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