社内恋愛はじめました。

柊 いつき

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119.豹変③

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あの衝撃の目撃から数日後、今日はいつもの講座の日だった。今日も真央ちゃんは松田さんと今日も先に連れだって帰るようだ。

「ごめんね、これから松田さんと本屋さんに寄るから」

そう拝むように謝られてしまうと自分から待っててなんてとても言えそうになく。

...最近の真央ちゃん、なんだかんだ言ってすごく頑張ってるし。

今日の講座には山本さんも出席していたので否応なしに本日の片付け作業は彼と一緒だったけれど、その頑張りに水を差すことはできないでいた。あの日から何となく山本さんとは以前のように自然な感じでなく、少しだけ緊張感が走る。でも、この頃には以前みたいにおんぶに抱っこというほど頼り切ってはいなかったので、山本さんも私の事は大して気にもとめてなさそうで。

「三浦さん、この資料急いで戻してきて」

「は、はいっ」

そんなアウトオブ眼中の私に彼は容赦なく紙袋いっぱいの資料、その他もろもろを手渡した。
私はそれらを持ち、先日、行ったばかりの資料室へと走る。相変わらず薄暗い気味が悪い空間ではあったけれど先日行ったばかりの場所だったし、今は山本さんと距離が置ける分向こうに行く方が気が楽だった。今日は先日よりスピードアップしないとなかなか終わらない資料の数だったので集中しながら。そのおかげかなかなかいいペースで作業が捗る。

...ここは確かあの場所に。あ、ラッキー♪

途中で余裕も出てきたりなんかして軽やかにファイルを戻し次々に教材本を手に取り、その登録番号を暗唱する。

...Aの...653、Aの...?ん?

どこか頭の隅に引っかかる登録番号に手が止まる。改めて教材本の背表紙を確認するとそれは先日戻しそびれた教材本。あの時の私は目撃してしまった場面があまりにも衝撃的だった為にその本をそのままに資料室から逃げるように飛び出してしまっていた。翌日、その事が気にかかり確認しに行くとその場にはなかったので、気を利かせてくれた誰かが戻してくれていたのだと、都合よく考えてのだけれども。今日は因みに講座でその本を使用してはいなかった。

「何でこれがここに...?」

誰がこの紙袋に入れたのだろうとその場で首を傾げていると誰もいないはずの資料室に、私以外の人間の声が木霊する。

「三浦さんって鈍臭い」

...だ、誰?

聞き覚えのある声に驚き振り返ると、その人物はドアを背にブツブツ独り言を言いながらこちらへと近づいてきた。

「...こんなのがヤツのお気に入りなんて」

その声の主の山本さんは長身から繰り出されるコンパスを生かし、あっという間に私との距離を詰める。私は何とかこの場から立ち去ろうとしたけれど、目の前に立ち塞がれいつの間にか退路を断たれてしまっていた。それでもどうにか通してもらおうと足掻く。

「あ、あの...す、すみません。私の用事はもうすみましたから」

「そうみたいだね。でも、俺の方の用事はまだ済んでいないんだ」

逆に壁際まで追い詰められた。

「...私に用事...ですか?」

その優しい言い方とは真逆の冷たい視線に私の足が竦む。

「そう。大事な用事」

その時の彼は口元に薄っすら笑みをたたえていたけれども、目は笑っていないように見え、私はそれ以上何も言えずにいると向こうから勝手に話しだしてきた。

「この間、三浦さんここで見てたよね?」

それには心当たりがあったけれど、正直に言えるわけがなく無言を貫くと山本さんは首を傾げて演技がかった仕草で頭を掻く。

「あれ?おっかしいな。藤崎さんが三浦さんと目があったって言ってたけど...?」

そんな風に具体的に言われてしまい、しかもそれはおお間違い。それなのにその場から逃れたい一心で、慌ててしまった。

「ち、ちがっ...私は、藤崎さんとなんて目はあってなんかっ...!」

つい、ムキになってそこまで否定してしまった後、そこを山本さんが間髪入れずに追求される。

「そうだよ。あの時いたのは藤崎さんではなくて、内藤さんと俺。どうして三浦さんがそれを知ってるの?」

彼の咎めるような言葉と鋭い視線で、自分が墓穴を掘ってしまった事にようやく気がつく。

あの日相手の女性と一瞬だけ目があった気がしたのだけれど、気のせいとタカをくくっていた。うちの社は社内恋愛はオープンだから人気のないこんな所で、社内の誰かと誰かがここで逢瀬を重ねるのはよくあることなのかもしれない。山本さんだって、私に見られてしまったのはたまたま運が悪かっただけ。ただ、私の知っている限り人事部の女性は全て既婚者のはずだから、山本さんと内藤さんは不倫の関係だと容易に想像でき、2人の関係はオープンになんてできる訳がなく...。

その決定的な場面を同僚の私に目撃されてしまった山本さんの心中を想像すると、サーっと血の気がひき、目の前の山本さんとは目を合わせることが出来なくなる。そのおかげで山本さんが今どんな表情をしているかも分からず、頭上から聞こえてくる彼の声がいつもよりも抑揚がなく聞こえてきた。

「さて、どうしようか?」

そんなの私に聞かれたって...困る。そう思ったけれど口には出せない。今の私は蛇に睨まれたカエルのようなもの。今の状況はどう考えたって、自分にとってよくない場面だという事だけは分かっていた。

「わ、私、何も見てませんからっ...!」

それだけ言い放つとくるりと方向転換。一か八か勢いをつけて出口へと向かおうとした時、後ろから手首を掴まれる。

「っ...!?」

その掴まれた痛みで動きを封じられてしまうと、そのまま強く身体を背後の書棚に押し付けられてしまう。そのうえ、逃げようとした拍子にもう一方の手も一括りされ、頭上で纏められてしまう。

「...バカじゃないの?そんなその場凌ぎの嘘、誰が信じるかよ」


グイッと顔を近づけすごまれる。いつもと違う声色でキツイ言葉を吐き捨てられると、掴まれた手にギリギリと力が加わる。

「い、たっ...」

片手で両手を抑え込まれているだけなのに解けない。
身体を捩ってジタバタさせても解けない。

大の大人の男の人の前で自分の非力さを呪い恐怖の方が勝る。

「...何をする...気ですか?」

泣きたい気持ちを抑え半ばヤケになりながら、山本さんの顔を睨み返した。けれども、そんな子供じみた真似では力は緩めてはもらえず、それどころか彼は空いている片手で不意に私の頭を撫で。

「...せっかく、誰も来ない場所にいるんだから三浦さんも楽しまないと、ね?」

その手が下り頰におりその指先が顎に触れて、俯き加減だった私の顔を強制的に上げさせる。その時、否応なしに彼と目が合ってしまいさっきとは裏腹な言葉を吐き捨てられた。

「...本当、目障りなオンナ」

口元に薄く笑みを浮かべて顔を近づけてくる顔から、その行為の先を予測できた私は顔を横に振り、思いっきり背ける。それで山本さんは、もっと強く手を抑え付けて圧を加えてくると、それには頭だけでなく、全身を使い私は激しく抵抗した。

「や、やだ、やだっ!!!」

逃げようと必死になり声が大きくなる。それに苛立ちを覚えた彼は、私の口元に手を当て塞ぎにかかった。

「ぅぐっ...」

「うるせーな」

それから書棚の方へ体重を乗せるように身体を強く抑制されてしまい、昆虫採取の標本のように身動きを封じられてしまう。
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