社内恋愛はじめました。

柊 いつき

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121.誰にも言えない①

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その日を境に山本さんに監視されているような息詰まる日々が始まった。表面上はいつも通りに振る舞う彼に私は心底怯える。そのうえ仕事上では突き離されてしまう。まだ管理部に来て日の浅い私にとっていつも頼りきっていた彼にソッポを向かれる事は思いの外、大打撃で。毎日の残業を余儀なくされ、いつしか身も心も疲れきっていった。

...こんな目にあってまで会社にいなくちゃいけないの?

残業で室内に1人になるといつも決まって思うのは、こんな事。その度に会えなくなってしまった藤澤さんの事を思い出しては自分を奮い立たせる。それでも、限界点が近いと自覚し始めていたある日の事だった。

「三浦さん、今日の午後から私と営業先まで同行してもらえませんか?」

岡田課長代理がわざわざ私のデスクまで来てくれて、午後から営業先への同行をお願いされる。普段、殆ど課長代理がデスクにいないのは役職付きの為外回りの仕事が多かったから珍しい事ではなかったけれど、部下の誰かを直々に誘う事は滅多になかった。

「...私が、課長代理とですか?」

戸惑う私を余所に、彼は目を細めながら「ええ」と同意を求める。私がその返事に躊躇っていると、山本さんがそれを聞きつけて手を挙げて課長代理の背中越しから話題の中に入ってきた。

「あ、それなら自分がいきます。今、ちょうど手が空いてますので」

確かに営業先への同行なら仕事のできる山本さんの方が適任。それに彼にとって上司に自分をアピールする大チャンスで、一緒に同行したいと若手なら誰もが思うくらい、課長代理は有能な人だった。私はそんなアピールをしたいほど仕事ができるわけでもなく、管理部に入りたてのど新人がどんな仕事ができると言わんばかりの山本さんの視線が、課長代理の背中越しでも痛い感じる。私はその冷ややかな視線が怖くて速やかに辞退しようした。

「私も、山本さんの方が...」

いいと思いますと言いかけると、課長代理はそこに言葉を被せた。

「山本は抱えている案件が随分あるんじゃないのか?」

振り向きざま課長代理は視線を山本さんのデスク上にめぐらせる。すると、山本さんもそれにならい、自分のデスク上の書類の山を自覚してしまうとそれ以上食い下がる事は出来なくなった。
課長代理はいつも穏やかな笑みを絶やさない人だけれど、意見ははっきりと言う。しかも、それが的を得ているものだから課内で彼を論破できるのは上司の富永課長くらい。そんな彼が山本さんを黙らせるのは当然簡単な事で、私もそれには従わざるおえなかった。

結局、同行は課長代理と私の2人で落ち着き、私としては憂鬱な出来事が1つ増えただけ。私はあの日から仕事上での集中力は欠如してミスばかりで、この同行はどう考えたって最近の勤務態度に関するお説教をされるとしか思えなかった。普段、優しい課長代理だって仕事には厳しい人みたいだから、これから何を言われるか戦々恐々のなか、その日の午後は午前中のスケジュールが押してしまい、営業先へは息つく暇もなく慌てて電車移動。

結局、課長代理とゆっくり話しをする機会なんてまるでなしで、営業先の予備知識をもらえぬまま訳のわからない難しい専門用語が飛び交う中、その場で私はニコニコと黙って空気のように存在していた。ずっと営業先で何をさせられるのだろうと思いきや、本当にただの同行。

...こんな状況の同行なら、有能な山本さんよりも私の方が本当に適任。

適材適所とはよく言ったものだと最寄り駅へ向かう帰る道すがら思い、今日の同行でお説教を覚悟していた私はとんだ肩透かしをくらった気持ちが湧くほどの余裕が出ていた。並んで歩く課長代理の様子もいつもと代わり映えなく、只今、横断歩道の信号待ち。

不意に、今立っている場所から見える向こう側の甘味処のお店を彼が指をさした。

「三浦さんはあのお店に入った事ありますか?」

よくよく話を聞いてみると課長代理は甘いものに目がないらしく、ここの営業先に来る時いつも気になっていたようで。男性1人で入るのは少し気がひけると困った顔をしながら教えてくれた。
そして、今は女性の私と一緒なので入りやすいからとそのお店に誘われる。私も甘いものは嫌いではないので、それには二つ返事で快諾して。もしかしたら、課長代理の私を同行に誘った本当の目的はこっちだったのかなと思いつつ、入店した。

お店の中に入ると平日のお昼をとっくに過ぎた時間帯の中だったせいか、そんなにお客さんの数は多くないみたいだったけれども、女性客の方が圧倒的に多かった。男性客は課長代理と他のカップルの男性ぐらいで、私たちは奥の方の席へと案内される。

「知る人ぞ知るって感じのお店ですね」

案内された時にもらったお手拭きで手を拭い、メニューを開くとレトロな渋い店構えから、想像もつかないくらい女心をくすぐる甘味ばかり。早速、私はメニューの隅から隅まで吟味しあんみつを注文。課長代理は甘いものが好きだというわりには、みつ豆なんていうあまり甘くなさそうな部類のものを即決で頼んでいた。

お客が少ないせいか対して時間もかからずに運ばれてきた、あんみつとみつ豆。その見た目の美味しそうなことといったら...。

「いただきます」

「はい、召し上がれ」

課長代理に笑いながら促される間も無く、すぐさま、添えられていたスプーンで最初の一口いただく。

「...美味しいです」

午後は歩き通しで疲れていたから、身体が甘いものを欲していた。目の前にいるのは課長代理といえども、男性と2人きりだという事をすっかり忘れる。さっきまでの警戒心は何処へやら、私はあんみつを次から次へと口へ運び、ちょうど半分位なくなったところで一息。気がつくと課長代理のみつ豆が殆ど減っていないように見えた。

「本当、女性は甘いものが好きなんだね。そんなに美味しいなら鳴沢にもここを教えるべきかな?」

既に半分以上食べてしまった私に、課長代理はそれはそれは柔らかな笑顔で真央ちゃんの話題を振ってくる。彼は真央ちゃんの元上司だったからそれは不思議な事ではないのだけれど、今の彼の言動は私の目には摩訶不思議に映った。


課長代理が甘いものが食べたいから、私はここに誘われたのよね?
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