ヒロインと呼ばれても〜自称悪役令嬢に王子をお勧めされましたが、私の好みは貴女の従者様です

春日千夜

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第一章 人生が変わった7日間

4:可愛いあの子がヒロインだなんて(イールト視点)

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 暴走する馬車の前に飛び出すのは無謀だと分かっていた。そもそも、お嬢様から出されていた指示とも違うんだ。それでも俺はあの瞬間、咄嗟に駆け出していた。

「いやぁぁ! イールトさん!」

 霞む意識の向こう側に響く、可愛いあの子の声。こんな悲壮な声で呼ばせるために名前を教えたわけじゃないのに……何やってるんだろうな、俺は。

 泣きながら必死に呼びかけてくれる彼女、シャルラちゃんと出会ったのは、本当に偶然だった。
 俺の主人、メギスロイス公爵家の長女アルフィール様から出されていた指示は、「緑木オレアの月、ゴルドの日に下町で起きる暴走馬車の事故で負傷した女性を、公爵家所縁の医師の元へ速やかに運ぶ」という事だけだったから。

 俺の一歳下のお嬢様はとても不思議な方で、昔から奇妙な事を度々話していた。「わたくしには前世の記憶がある」とか何とかで、一歩間違えれば頭のおかしい人物と言われるような話だ。
 だから俺も公爵閣下も、他言しないようにとお嬢様に言い聞かせてきたが、その内容は到底無視出来ないものだった。
 何せそのお嬢様の前世知識とやらで、俺と俺の家族は救われたし、公爵家も莫大な富を築いたから。

 だから今回も正直に言って理解に苦しむ話だったが、俺はお嬢様の指示に従って下町に来ていた。
 予言めいた今回のお嬢様の不思議な話には、あまり詳しい情報は入っていない。大雑把な日付と時間帯と場所しか分からず、被害に遭う婦人とやらの詳細も不明。事故を起こす馬車も、どこかの低位貴族の物だという事ぐらいしか分からない。

 そんなわけで事前に防げるはずもなく、事故が起きるのを待つしかなかったのだが。下町と一言で言っても、これがなかなかに広いんだ。
 任務を遂行するためには、オレアの月の間、毎週ゴルドの日に、朝から夕方までずっと下町にいるしか方法はない。

 馬車が通りそうな道だけを厳選し、町の異変にすぐ気付けるよう神経を尖らせて、一日中下町を何往復もする俺。
 ……どう考えても不審者で。周囲から向けられる視線は痛いし、見回りの兵士には声をかけられるし。本当に肩身の狭い五日間だった。

 そんな日々に一時の安らぎを求めた俺は、最近流行りのバゲットサンドを生み出した下町のパン屋を訪ねた。
 他店にはない柔らかできめ細かなパンは、美味しいのはもちろんのこと、不思議な事に食べると元気になれると使用人たちの間で噂されていた。
 だから自分で食べてみて、美味しいようだったらお嬢様に一度お出ししてみようと思ったんだ。お嬢様は料理の研究に余念のない方だから。

 そうして訪ねたパン屋の看板娘が、シャルちゃんだった。たぶんお嬢様と同い年だろう素朴な顔立ちの彼女は、小さな体でくるくるとよく動く、自然な笑顔が可愛らしい女の子だった。
 俺自身は色男といえるような顔ではないが、いつだってお嬢様の傍らに控えているから、それなりに目立つんだろう。女の子たちから言い寄られた経験はあるし、日頃から着飾ったご令嬢を何人も目にしている。でも、こんなに惹きつけられる女の子は初めてだった。

 いつ起きるか分からない事故対応のために、ただ街中に佇む俺の安らぎ。それがシャルちゃんの笑顔だったんだ。
 だから俺は名前を教えた。この任務が終わっても、またパン屋を訪ねた時に覚えていてもらえるように。
 これから先、回数を重ねて、そのうちもし彼女が振り向いてくれたなら。……そんな淡い期待を胸に抱いて。

 初めて自分から手に入れたいと思った女の子。そんなシャルちゃんの母親が、暴走馬車に轢かれそうだった。それが何を意味するのかなんて考える間もなく、体は自然と動いていた。
 彼女の笑顔を一瞬たりとも曇らせたくない。その一心で。

 それなのに、俺が代わりに轢かれて結局泣かせてしまった。本当に俺は、何をやってるんだろうか。

「イールトさん! イールトさん!」

 泣かないでと言いたいが、激痛で軋む体は動かない。辛うじて意識を保つのがやっとで、目を開ける事すら叶わない。
 これはきっと死ぬんだろうなと、ぼんやりと思う。お嬢様の話では、馬車に轢かれたご婦人は手当ての遅れが原因で亡くなってしまうのだから。
 それを阻止するために、すぐ医者の家へ運べるようにと俺は待っていたんだ。その俺がこれじゃ、誰も救ってくれやしないだろう。……そう、思っていたのに。

「誰かお願い……イールトさんを助けて」

 懇願するようなシャルちゃんの掠れ声と共に、体全体が温もりに包まれ、ふわりと軽くなる。一気に意識が引き戻されて目を開けば、気を失ったシャルちゃんが俺の上に倒れていた。

「嘘だろ……」

 体中を駆け巡っていた痛みが全て消えて、折れ曲がっていたはずの足や手、胸骨や背骨も治っている。これをやったのは、紛れもなくシャルちゃんのはずだ。
 なぜなら、馬車で轢かれて亡くなるご婦人の娘は、回復魔法を使えるから。

「シャルちゃんがヒロインとか……」

 それが何を意味するのか気付いた俺は、絶望のどん底に落ちていった。
 俺の腕の中にいる、華奢な体。涙で濡れた小さな顔。こんなに愛らしい彼女を、お嬢様を守るために俺は……手放さなきゃならないなんて。

「おい、君! 怪我は⁉︎」

 不意にかけられた声に、はっとして顔を上げる。暴れ馬を宥め終えたんだろう、御者が心配そうに俺を見つめていた。

「ああ……大丈夫です。とりあえず動けます」
「そうか、良かった……。すまない。この馬車は、モルセン子爵様の馬車なんだが」
「そのようですね」

 横転した馬車には、モルセン家の家紋が描かれていた。この騒ぎで、また紅コッケーが逃げ出したらしく、先ほどまで馬車を止めようと群がっていた下町の連中は、俺たちを見る余裕もなさそうだ。
 傍らでは、暴走馬車の持ち主、ジャック・モルセン子爵がシャルちゃんの母親の前で泣き崩れている。二人とも怪我はなさそうで、俺はホッとした。

「本当に怪我はないのか? 医者をすぐに呼ぶが」
「ええ、俺は平気です。この子も気を失ってるだけですし。ただすみませんが、この子の母親と少し話したいのですが」
「母親?」
「子爵様とお取り込み中の方ですよ」

 俺たちの視線に気付いたのか、シャルちゃんの母親が振り向いた。俺の腕の中で気絶しているシャルちゃんに気付いたんだろう、泣きすがるモルセン子爵の肩を慌てた様子で叩いている。

「ジャック! いい加減、離して」
「なぜだ! 頼む、マリア。もう消えないでくれ……!」
「そうじゃなくて! 娘が倒れてるのよ!」
「娘? 君は結婚してるのか⁉︎ 誰との子だ!」
「ああもう! 面倒くさいわね! あなたとの子に決まってるでしょ!」
「私との……私に娘が⁉︎」

 シャルちゃんの母君はすごいな。お嬢様の話だと平民のはずだが、こんなにハッキリとモルセン子爵に言えるのか。それだけ、この二人の仲は深いものだったんだろう。
 ようやく事態を理解したらしいモルセン子爵は、なぜか物凄い形相で俺を睨みつけ……。

「君は何者だ! 娘から手を離せ!」
「……は?」

 いや驚いた。まさか初っ端から、威嚇されるとは。

「ちょっと、ジャック! 何言ってるのよ! その子は私の命の恩人なのよ⁉︎」
「む……それもそうか」
「そうよ! それより、あなたは大丈夫なの⁉︎」
「あ、ええ。大丈夫です」

 駆け寄ってきたシャルちゃんの母君は、心配そうに俺の顔を覗き込んだ。後ろに立っているモルセン子爵の視線が痛い……。

「私はマリア。この子の母親なの」
「ええ。シャルちゃんから聞いてます。俺はイールトです」
「イールトさんね。あなたのおかげで助かったわ。本当にありがとう」

 シャルちゃんの母、マリアさんは、美人といっていい顔立ちだ。さっきまでの強気の言葉と違って、ホワイトブロンドの髪色と透き通ったエメラルドグリーンの瞳から受ける印象は、どことなく儚い。
 シャルちゃんはきっと、父親に似たんだろうな。栗色の髪と榛色の目は、モルセン子爵の色味に近いから。

 でもマリアさんが俺に向けてくれた笑顔は、シャルちゃんそっくりで。間違いなく、シャルちゃんの母親なんだと分かった。

「いえ。むしろ、助けるためとはいえ突き飛ばしてしまい、すみません」
「私は大丈夫よ。それよりシャルラは……」
「俺を心配してくれたみたいです。泣いて気を失ったようで」
「そうなのね」

 マリアさんは優しい笑みを浮かべると、苦虫を噛み潰したような顔をしているモルセン子爵に振り向いた。

「イールトさんは、あなたの馬車に轢かれたんだから。医者の手配をしてくれるわよね?」
「あ、ああ。もちろんだ。それに君と私たちの娘も、念のため医者に診せなくてはな」
「すみません。そのことなんですが。良ければ、俺に任せてもらえませんか?」
「君が?」

 訝しげな目で見つめるモルセン子爵に、俺はシャルちゃんを抱えたまま、にこりと笑った。

「お初にお目にかかります。私は、メギスロイス公爵家ご長女、アルフィール様の従者をしております。イールトと申します」
「公爵家の従者⁉︎」

 公爵家の名前を出した瞬間。モルセン子爵と御者の顔色が一気に変わった。
 未だ目を覚さないシャルちゃんの温もりは離れ難いものがあるが、いつまでもこうしているわけにはいかなかった。

「我が主人の伝手で、腕の良い医者がおりますので。そちらをご紹介出来ればと」

 胸の奥で光る恋心を押し込めるのは、馬車で轢かれた時以上の痛みを感じる。それでも俺はお嬢様を守るために、この気持ちを封印しなければならない。
 夕焼け色が空を染める中、俺は淡々と任務をこなしていく。やがて訪れるだろう夜の静けさに、潰れてしまいそうな心が慣れる事を願いながら。
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