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盛夏の頃
氷
しおりを挟む和服の店員に連れられて、橙色の照明で照らされた通路を抜けていく。たどり着いた先は、畳が敷かれたこちらも和風な造りの個室だ。
四人掛けのテーブルが一つと、それを囲むように座椅子が置かれている。その一つ、掛け軸を背にする形で置かれた座椅子には、既に先客が居た。舞台を共にする友人だ。先に呑んでいたらしく、やや赤くなった顔をこちらに向け片手を上げている。
「よーーーーーーすっ!」
舌を打ちながら、友人の向かいへ腰を下ろす。友人はへらへらと笑ったままだ。
「しょうがないじゃーん、明日から僕京都行きなんだよー」
「何しに?」と聞けば「撮影」と一言だけ返ってきた。映画村か。
へらへらとしているが、友人は事務所でも五本の指に入る稼ぎトップ俳優兼アイドルだ。今の季節は、ドラマの撮影と夏の音楽番組の出演が平行して行われ、スケジュールもぎっしり詰め込まれている。
店員に注いでもらった水に手を伸ばし、喉を潤す。本当は酒でも呑みたい所だが、今日は車だ。友達と遊びに出ている子どもも、後で迎えに行かねばならない。
それを友人に伝えると「パパは大変だねえ」と返された。お前もパパだろうが。こんな高級ふぐ店で呑んでていいのか。
「あとで先生と先輩も来るってさー。ふぐだよ、ふぐー。先生のおごりでふぐー。君が来てくれて嬉しいなあ。絶対に来ないと思ったもんなあー」
「今回の件で、色々吹っ切れた」
引退した後は、同期や先輩後輩と話し難く、向こうも気を遣ってしまいそうだからと一線を引いていた。慕ってくれていた後輩には、いささか寂しい思いをさせてしまったかもしれない。そんな風に思うようになったのは、子どもの成長を近くで見ているせいか。あの子どもを側で見ていると、凝り固まった考えも氷のようにとけていくから不思議だ。
「頑張っている姿を見ているからだよ。だから君も、心のどこかで頑張っている姿を見せたくなったんじゃないの?」
「そういうものか?」と首を傾けると「そうだよ」と笑って返された。
「君の復活を一番喜ぶのはあの子どもだもの」
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