優しい空の星

夏瀬檸檬

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優しい空の星

7番星


「うーん!」
私は世子殿のキルの部屋のテラスで大きく伸びをした。優しい風が吹いているけど、もう季節は夏に入りかけている。もうそろそろ半袖のドレスに変わるのだろう。
なんて、のんびりしているのかしら。私の今の生活って。
「ふぁ~。」
大きくあくびが出てしまった。
「くすくす。」
後ろの部屋から笑い声が聞こえた。
私が振り向くと、椅子に座りながら本を読んでいたキルがこちらへゆっくり歩いてきた。口元は緩んで笑っている。
「退屈?」
キルは私の顔を覗き込んで聞いてきた。
「まさか。ふふ。キルのそばにいれるだけで幸せ。」
そう言いながら笑ってみせるといつもの通りキルも笑った。
最近になっても、キルの謹慎処分は解けることがない。だから、私がこの世子殿にいることが多くなってきている。毎日必ずここを尋ねる。キルは優しく笑って部屋に案内してくれる。たわいのない会話をして、時々、仕事帰りのリランも入れてお話ししたりする。
「キル。もうそろそろ、帰るわね。」
「わかった。気をつけて帰りなさい。」
「ええ。また明日来るね。」
「ああ。待ってるよ。」
そう言ってキルは帰るとき毎回頬にキスをしてくれる。最初は戸惑ったけどもう慣れた私はおとなしくキスを受けた。


「日を空けずにオリビア様は来てくださいますね。」
俺専用の若い執事は、空になったティーカップをトレイに乗せながら言った。
「ああ。」
本当は心から嬉しいけど、長年そばにいてくれた執事のカリラには、そんな気持ちを伝えるにはちょっと気が引けた。からかわれるのがわかっているから。カリラも若いから恋愛とかいう言葉が大好きらしくて。
俺は、ライティングデスクの引き出しから1つのブレスレットを取り出した。愛おしそうに俺は見つめる。
「王子様。まだお渡ししてないのですか?」
俺が見つめているブレスレットに気がついたらしくカリラが聞いてきた。俺は黙って頷くと大きくため息をついたカリラは俺の方を向いて話し始めた。
「いいですか?王子様。」
「なに?」
「女心というものは離れやすいんです。事実、オリビア様のアルベーサ様への想いは潰えているではないですか。ですから、お側にいる間に心を射止めるのですよ。今しかないチャンスです。」
「確かに。それは、俺も思うけど。押し付けたり強引に俺の方へ向かせるのは、愛情とは思えないよ。」
この喋り方は自分でも俺らしくないと思った。
オリビアにあってから俺は変になってる。
俺は、頬杖をついた両手のひらに顎を乗せた。
カリラは少し悲しそうな顔をして話を続けた。
「それは…そうですが、私は悔しいのでございます。王子様の方がアルベーサ様より優秀で慈悲があり素晴らしい方なのに、実母であるフローラ様という後ろ盾を失くしたがために、王子様がこのようなお立場にいることが、私は悔しいのです。地位を上げるにはやはり、アルベーサ様より先にご結婚なさり、お世継ぎを迎えるということ。そして、幸せに暮らしていくのが、私の、カリラの願いでございます。」
「カリラ…。だが、アルベーサには罪がない。そのような身勝手なことはできないのだよ。」
「ですが、」
「カリラ。いいんだ。俺は、今、オリビアと共にいるだけでそれだけで今幸せな生活を送っているのだよ。いつも心配かけてすまぬな。カリラ。」
そばにいるだけでよかったのに。
なのに、今俺はオリビアを欲しい。それが、重い愛情であることはわかっている。でも、それくらい君を愛しちゃいけないか?
ねえ、愛ってなんですか?
ただ、人を愛するだけなのに、どうしてこんなに苦しまなくてはならないのですか?
神様。どうして、こんなに切なくならなくちゃならないのですか?


私は姫宮殿に戻って部屋に入ると、どっと眠気が私を襲った。最近、あまり寝てないからかしら。この機会に眠っちゃうのもいい手よね。でも、生活習慣崩れちゃうし…。頑張って起きてなきゃ。
「オリビア姫…」
扉の先から消え入りそうな声でリランは私を呼んだ。
何だろう?
「どうぞ。入ってきてください。」
私が言うと、その数秒後に彼は部屋に入ってきた。リランの顔は今にも倒れそうな顔をしていて、リランとは思えないほど焦っていた。
「リラン?」
「……アルがアルベーサ様がお呼びです。王宮殿にお越しください。」
アルベーサ様。リランはアルのことを呼び捨てに呼んでいるというのに、どうして、様付けで?私は、ただならぬ嫌な予感がした。
「イザベルたちは急いで礼服の準備をして差し上げなさい。何とか、早めに。でも、雑にならないように。」
「「かしこまりました。」」
二人は同時に答えると急いで服を用意した。
「殿方はご退室なさいませ。」
アナスタシオが吐き捨てるように言って急いでアクセサリーなど装飾品の準備をする。


着替え終わって急いで王宮殿に着くと、アルは自室で脚を組んで豪華な椅子に座っていた。
私を見る目は、怖い。
何で、私睨まれてるの?
「…アル?」
「今日限り、君を宮殿から追放する。」
「……え?」
なに?今、アルは私に何と言った?
突然すぎて、なにを言われたのか頭の中が整理できない。
「ど、どういうこと?アル。」
「その呼び方も、今この場を持って禁止とする。敬意をもって私に接しなさい。」
「…ご、ごめんなさい。でも、どうしてですか?!」
「理由なんてない。もう君を好きではなくなった。それだけだ。」
「……私、そんな…。そんな、アル、いえ、王子様に失礼なことしましたか?」
「…ああ。俺を傷つけた。」
「傷?」
「………とにかく、もう君はこの王室には必要のない姫だ。もう、君は平民として、元の生活に戻ってもらう。二度とこの宮殿に出入りはさせない。俺の前から消え失せろ!」
「……っ」
私は、走って部屋から出た。
あんなの、アルじゃない!
アルの私に向ける瞳はもう、優しい瞳じゃなくて、私に憎しみを込めて恨むような瞳だった。
怖い。冷たい。彼は冷たい。いつだったか、リランが言ってた。本当だ。アルは冷たい。
「きゃっ!」
王宮殿を出たすぐの庭で転けてしまった。
涙が止まらない。
「ああああああ…!」
私はこの歳になりながら声を上げて泣いた。
「うっうっ。ああ…。」
周りにいる剣術の稽古をしている兵士はもちろん、女官たちも私に注目を浴びせるくらい大泣きした。こんな綺麗な礼服も、装飾品も、彼のためにおしゃれしたこの毎日も、意味なかった。キルが謹慎処分になる前、あの頃が一番落ち着いている、優しい日々だった。何でいきなり私はここを追い出されるの?何で…アルンティス宮殿から追い出されるの?イザベルや、アナスタシオからも離れなきゃならない。
…キル。彼とも離れきゃならない。
何で…やっと、人を愛することはどういうことかを知ったのに。何でこんなに残忍なやり方で、私を追い出すの?私は人を愛しちゃいけないの?私が悪かったの?シャーロット。あなたとも離れなきゃならない。私はここにいちゃいけない。ごめんなさい。ごめんなさい。母さんも父さんもごめんなさい。王太子妃になることを楽しみにしてくれてたはず…。前の王朝の一族だった私たちがまた王族になれるはずだったのに。やっと、純粋に人を、キルを愛せたのに。
「うっうっ。ど…して。どうしてこうなるの…。うっ。うっ。」
私は無意識に立ち上がってある場所へ向かった。
そこは…
「オリビア…。」
キルのいる世子殿だった。
私はキルに会った瞬間人目もはばからず抱きついた。
「オリビア?どうしたの?」
聞きながらもキルは私を抱きしめてくれる。
こんな、包み込んでくれる愛が欲しい。突き放されたくない。そばにいて欲しい。その一心で抱きついた。もうそろそろ、姫という身分も解かれて郷に帰れと命じられる。ならば、今だけ。姫という身分の間だけキルを愛させてください。

何時間経ったか。
オリビアは私に抱きつきながら眠ってしまった。
俺は、オリビアを横抱きに抱き抱えベッドへ運んだ。こんな、涙の跡がつくほど、目が腫れてしまうほど泣くなんて…。君にいったい何があったんだ。

「なるほど。そういうことか。」
カリラから話を聞かされて納得した。
「俺が、オリビアの近くにいて、オリビアが俺に対して恋心を抱いているのが気に入らないから追い出すということだな。」
「はい。定かではございませんが、」
「許せないな。私情を持ち込んで愛する相手を宮殿から追いやるとは。」
何を考えているのか。アルベーサは。
もう、これは、俺がどうにかできるような問題ではないな。王様に、父上に会うしかなさそうだ。
「謹慎処分は、アルベーサから出されていたはずだが、解くことは可能か?」
「もちろんでございます。権力が強いのは圧倒的にキル様ですから。」
「父上からは、何も命令を出されていないな?」
「はい。」
「では、急ぎ謹慎処分の命を取り下げろ。それと、父上に会いに行く。準備を頼む。」
「かしこまりました。」
カリラは、走ってその場から離れた。
世子殿にいる使用人たちにこのことを伝えるためだ。
父上に会って、話さなければならないことは山ほどある。
部屋の真ん中にあるオリビアが寝ているベッドまで行くと、もう、涙の跡が消えたオリビアが寝ていた。
いや、もう、オリビアはオリビアではない。
「ヴェデ。」
俺は、ヴェデの手を握った。
「私が守ってあげる。だから、今はお休み。目が覚めたらきっと、状況は変わっているのだからね。」
ヴェデの手から俺の手を離すと、優しく触れるだけのキスをした。行ってきます。そう言うように。
部屋の扉を静かに閉めて、廊下を歩き始めた。
静かな廊下には、俺の履いている靴についている金の拍車だけが音を立てている。
「カリラ。リランを呼んでくれ。」
「かしこまりました。」


「王様。キルベール様がおいでにございます。」
何だ。このような時間に。
キルベールが私を訪ねるなど珍しいこともあるものだな。
「すぐに通せ。」

「久方ぶりだな。キルベール。」
私がそう問いかけると、キルベールは真剣な瞳で私を見た。やはり、キルベールはアルベーサにはない気迫を持っている。
「王様、今日の今この場で申し上げたいことが御座いまする。」
「…申してみよ。」
「今一度、この宮殿から出していただきたいのです。」
何を言うかと思いきや、キルベールはいったい何を言っているのだ。
ついこの前まで村にいたのは王妃に追い出されたと知っているが、何故、また王子である彼が宮殿を離れるというのだ。確かに、私は、キルベールきみのことを避けていた。キルベールのその気迫と賢さが私を超えるのではないかと恐れていたからだ。キルベールのことを嫌っていたり愛していないわけではない。でも、村にいる間に、キルベールは、私を超えていた。持ち前の、優しさと明るさ、賢さが武器になっていたのだ。だからこそ、今、この王室にはそなたが必要なのだ。その賢さを持っている。地位だって王子という高い地位だ。側室の子ということだけで王になる道を諦めなければならないなんてこの王室はどこまで狭苦しいのだ。正室から生まれたアルベーサは、正室から生まれただけあって気品のある素晴らしい王子だ。でも、彼の心はどこか歪んでしまっていた。だからこそ、だからこそ、次の王には、そなたになってほしい。
「何故、この宮殿を出るというのだ。」
「もちろん、この宮殿にはいずれ戻りまする。ですが、今、私には守らなければならない大事な人がいるのです。私の命を賭けてでも守らねばならぬのです。そのためには、この宮殿を離れるのが最適です。彼女と共にこの宮殿を離れさせていただきたいのです。彼女と共に数年ばかりの時をどこか外れの村が街で暮らしとうございます。」
「…だが…。そなたは、この王室にとってなくてはならぬ人材なのだ。そんなそなたを宮殿から出して暮らさせるなんてこと…。」
「私の代わりは、アルベーサがしてくれまする。」
「アルベーサなどに代わりは務まらん!」
つい本音が出てしまった。
アルベーサの前で言ったらどれだけアルベーサを苦しめる言葉か。私にも分かっていた。だが、止められなかった。
「…分かっております。王子である私がこの宮殿を離れるということはまた新たなる波乱を呼ぶ。ですが、私が彼女を守らなかった場合、この国はいずれ亡国の道をたどりましょう。」
「そこまで、そなたが愛している少女というのはもしや、、」
「ご想像通り、ヴェデーアスティーヌ・ステファンです。」
「確か、彼女は、オリビアと名を改めて、アルベーサの妻になる予定だったのでは。」
「アルベーサが、私と彼女が恋仲になったことを知り宮殿から追い出そうとしております。」
「だから、そなたも一緒に宮殿を出て彼女を守ると?」
「はい。」
なんだ。やはり、守りたいものがおるのではないか。
恋の力は無限大とはよく言ったもんだ。
「面白い。良いだろう。そなたを宮殿から出してやる。だが、それには、条件がある。」
「条件?」

まさか、あんな条件を出してくるとは思わなんだ。
《街のはずれに屋敷を立てるからそこに住め》
《片がついたら必ず王室に戻る》
《兵士や女官は同じように側におけ》
屋敷なんて立てたら目立ってしまう。女官や兵士を置くのも目立つ。だが、これを飲まなければ、ヴェデは危険だ。今のアルなら何をしでかすかわからない。
でも、これで、一応やるべきことは済んだ。
アルの言った宮殿に出入りするなという言葉は、王である父上が言わなければなんの縛りにもならない。王族である俺たちより下の階級の平民には縛りになってしまうが、そんなのいくらでも俺が解ける命令だ。
「守ってあげる。そう言ったからには約束は守らねば。」


「ん…」
白色の天井…大きくてピカピカ光るシャンデリア。
ここは…
眼が覚めると、私はキルの部屋のベッドに寝かされていた。
「そうだ…私…」
宮殿をでてけと言われたんだ。
キルのところに転がり込んで…本当に何やってんだろ。
スウェン…久しぶりにあなたの上に乗って駆け回りたい。
「…母さん…父さん…。私の居場所は…二人の元しかないのかな…。」
また涙が溢れてきた。
大切な人に裏切られるのがこんなに苦しかったなんて…私は、今、アルの気持ちが分かった気がする。最初に裏切ったのは私だ…。最初に、アルを裏切ってアルを傷つけた。アルは、私を好きでいてくれたのに、私はその気持ちを無視してキルを愛した。一日の大半をキルのいる世子殿で過ごして、リランとも会話を楽しんだ。アルの気持ちを私は踏みにじったんだ。傷ついてたのに…アルの心は傷ついてたのに、私は気づくことができなかった。いや、気づこうとしなかった。私の瞳には、アルは写っていなかった。
ごめんなさい。ごめんなさい。アル。
いいえ。アルベーサ第二王子。
うつむきながら涙を流している私を柱の陰から見ていたキルはしびれを切らしたように私の前に現れた。そして、私の声も耳に入れないように瞬間的に私が言葉を発しようとした瞬間に、彼は私を抱きしめた。
「…き、キル?」
突然のことに驚いて涙は止まった。
それに気づいたキルは強く抱きしめていた腕を解き、私の両肩にキルの両手が置かれ目と目を合わせざるをえない体制になった。
「…涙止まったみたいだね。」
「…あ。はい。」
「敬語禁止。」
「え?あ、わかった。」
「…大事な話がある。クローゼットに入っている好きなドレスを着たら、イザベルや、アナスタシオも一緒に、ダイニングルームへおいで。食事をとりながら話そう。」
「…はい。」
キルの瞳は、ついこの前までの優しい瞳じゃなく、真剣でかつ気迫のある見惚れるほどかっこいい瞳をしていた。

白と青色を交互に使った美しいヴィクトリアンドレスを着た私は、案内されたダイニングルームへと向かった。ダイニングルームには、もうすでに白色と青色を使ったスーツを着ているキルはいつもより数倍かっこよかった。同じ色の服を着ている私たちは、何となく、いつもより側にいる気がした。
「…遅くなってごめんね。」
「いいよ。そんなに遅くないし。座って。」
「…うん。」
「そのドレス似合うね。」
「ありがとう。」
静かに流れる空気。
いつもだったら、幸せな空気。なのに、今の私には、居心地が悪い…。
キルが黙っていれば黙っているほど、心苦しくて自分が何か悪いことをしているような気分になって…
「…話、してもいい?」
「…はい。」
私は、スプーンを置いて、キルを見た。
キルも私と同じように私を見た。
「……私と一緒に宮殿を出よう。」
「え?」
キルと一緒に?どうして…?私一人が出て行けば解決する問題なのに。
私がいなければ…
「『私がいなければ。』」
キルはそういった。
「え?」
「そう思ったでしょ。」
「なんで…」
まるで心を読むように。キルは気づいてしまうんだ。
「ヴェデは何も悪くない。」
「ヴェデ…って…」
「君の名前、もしかして忘れてた?」
「ずっと…オリビアだったから…。」
「うん。そうだね。」
「でも、やっぱり…私は…」
やば、また涙出そう。
「泣いていいよ。誰も止めないから。」
微笑んで優しく言ったその声で私の心は溶けた。
出てきて止まらない涙。
「私は……私は…
ヴェデがいい!」
イザベルもアナスタシオも、切ない瞳で私を見てくれた。
キルは椅子から立ち上がって私の方へ駆け寄って座っている私を横から抱きしめてくれた。頭を優しく撫でてくれた。その温かい手がどれだけ私を安心させたか。アルは知らないんだ。
「今のアルはね、何をしでかすかわからない。宮殿を出た後、ヴェデを襲うかもしれない。ヴェデを最悪の場合殺すかもしれない。だから、だから、俺が側にいる。守るよ。精一杯自分の力を使って今が一番俺の権力の使い道じゃない?」
「キル…」
「俺、権力とか嫌いだから。でも、ヴェデのためだったら権力使いまくるよ。」
ああ…私には…こうやって自分を守ってくれる愛おしいと思ってくれる人がたくさんいるんだ。泣いた時、慰めてくれる。立ち止まった時、また前を向かせてくれる。そんな人の側にいたかった。生きていてよかった。そんな人生にしたいから。
「…あり…がとう。キル。」
「うん。さ、お食べ。私はやるべきことが残っているゆえ、先に自室に戻る。イザベルや、アナスタシオも、食べなさい。」
「え?で、でも、姫君と同じダイニングで食事など…私たちの身分では…」
イザベルは首を振りながら断る。
「命令だ。ヴェデの側にいてやってくれ。」
キル…
「それに、ヴェデにとって君たちは、友達同然らしい。ならば、ともに食べるのが筋であろう?」
イザベルとアナスタシオは、私の方を見てパァッと顔が明るくなった。
「「かしこまりました!」」
二人は同時に楽しそうにそう言った。


「屋敷の準備はいつぐらいに整うのだ?」
自室に戻った俺は、カリラと共に、これからの準備について話し合っていた。
「建設にはいま少し時間がかかるそうなのですが、もともとあった屋敷を建て替えるだけなので、すぐ終わりそうです。その間、キルベール様たちは、ヴェデ様のご実家でしばしの時を過ごしていただく手筈になっております。」
「わかった。では、急ぎの荷造りが必要になるな。」
「はい。」


「美味しゅうございますね。姫君。」
イザベルは、スープをすすりながらそう言った。落ち着いた食べ方。さすが、生まれながらの貴族だ。付け焼き刃で覚えた私の作法なんて本物の貴族の娘に比べられればすぐばれてしまう。
「オリビア…いえ。ヴェデ様。」
アナスタシオは私の顔色を覗き込みながら私の名前を呼んだ。そう、オリビアじゃなく、ヴェデと。
「そのような暗い顔をなさらなくても、キルベール様が守ってくださいますよ。ですから、そんなお顔をなさらないでください。」
この二人は、本当に私を信頼して、共に愛してくれてるんだ。嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
「…有難う。」
「宮殿を出たら…私たちがヴェデ様をお世話できるかわからないですが…」
「え?」
どういうこと?
イザベルや、アナスタシオは私についてきてくれないの?
「ど、どういうこと?私と共にきてくださらないの?」
「…私たちは、宮殿の女官ですから逆らうことはできません。ましてや、宮殿から出て働くなんて、許されるはずがございません…。私たちも姫君と共にお世話をしたいのですが…。さして、力のない女官が、男性である内官様たちに逆らうことなど…。」
「それに関しては大丈夫だよ。」
後ろから優しい声が聞こえた。
振り向くと、案の定キルだった。
「どういうこと?キル。」
「父上が、女官はこれまでと同じように世話をしてもらうことになってるから一緒に宮殿を出てもらう。」
「本当?!よかったわ!」
イザベルとアナスタシオは、柔らかく静かに笑って、頭を下げてきた。
王様は、アルから聞いた話だと、暴君だとかいう話だったけれど、本当はどんな人なのか…わからない。掴み所ない性格なのかもしれないけれど、きっと優しい方。だって、キルが優しいんだもの。優しいに決まってる。
その後、私たちは、荷造りのために一度姫宮殿へ戻って、また世子殿に帰ってきた。
案内された部屋は、大きくて、キラキラ光るほど美しいお部屋だった。でも、そこは、イザベルたちの部屋で、私は、キルの部屋に来なさいと言われた。
「どうして、私はキルのお部屋なの?」
私が扉の前で聞くと、キルは、読んでいた本を机に置いて、私の方へ向き直った。
優しくて、光っている美しい瞳。この瞳を見ていると吸い込まれてしまうのではという錯覚に落ちいる。
この静かな空気に耐えきれなくなった私は、名前を呼んでみた。
「…キル?」
「嫌なの?」
「え?」
「私と同じ部屋だと、ヴェデは嫌?」
「え、そ、そういうわけじゃなくて…キルに迷惑なんじゃないかって思って…」
「私がヴェデをそばに置きたいんだよ。安心して。結婚もしてないのに、無責任に君の寝込みを襲ったりはしないから。」
私は恥ずかしくて顔を赤くすることしかできない。
「…ただ、ヴェデは私と同じベッドで寝ておくれ。」
「え?!」
「もう、私は、ヴェデがそばにいないとダメみたい。せめて、抱きしめて寝ることだけは許してくれないか?」
そんな、優しい綺麗な瞳でこっちを見られたら断るにも断れないよ…
「…はい。」
言ってしまったこの言葉。きっと、この先後悔はしないだろう。だって、キルを好きなんだもの。

そうして、その夜は、キルの腕が腰に回されて抱きしめられながら寝た。もちろん、緊張して寝るも何もなかったけど、なんか、すごく温もりが感じられて幸せで、キルの香りが私を安心させた。

朝、私は、いつもより早い時間に目を覚ましてしまった。
隣を見ると、もうキルの姿はない。こんなに朝早くどこに行ったのだろう。
「ふぁぁ」
あくびをすると、イザベルたちが部屋に入ってきた。
「お召し替えでございますよ。」
「はーい。」
「今日は、貴族の娘のドレスを着ていただきます。」
アナスタシオは言った。
「貴族?」
「「はい。」」
「王族と貴族じゃ服が違うの?」
「はい。もちろんですよ。村娘と、貴族の服が違うのとおなじでございます。村娘が買えない服を着るのが貴族で貴族が着れない服を着るのが王族ですわ。今日は、宮殿を出てキルベール様の視察に付き添っていただくので、王宮殿での格好はあまり、町では好まれないと思いますので。」
「よくわからないけど、分かったわ。私は、そのドレスを着ればいいのね。」
「「はい」」
渡されたドレスは、いつも来ているドレスと大差なくて、でも、
「あれ?いつもつけているロザリオはないのね。」
「はい。あれは、王宮殿の方だけがつけることを許されていますから。」
「イザベルたちもつけれないの?」
「私たちは、王宮殿で女官をしている間はつけれますよ。ですが、お嫁に行く場合、教会に預けることになってます。」
なんか、よくわからないけど、私には知らないことまだまだたくさんあるみたい。


「これも頼む。」
俺は、いつもより早く目を覚ましてしまった。
そのため今も仕事中だ。
目が覚めた時隣に寝ているヴェデを見るとどうしても心が安らいでしまう。寝てしまいたい気持ちをぐっとこらえて、俺は、ヴェデにキスをした。寝ているヴェデからは何も答えてはくれない一方的なキスだったけれど、幸せそうに眠るヴェデにキスを落とせただけで、幸せな気分に満ち溢れた。
「カリラ。」
「はい。キルベール様。」
「そなたもしや寝ていないのではないか?」
「え?」
顔色も悪く目の下は黒く染まっている。くまだ。
「確かに寝ていないですが、私は、多少寝ていなくても平気な体ですので。ご安心ください。」
「まだ時間はたっぷりとあるのだ。少し寝てくるといい。」
「いえ、そのようなことは…」
ダンッ!!
カリラが声を発した瞬間だった。
俺の眼の前を通り抜けた矢は、壁に刺さっていたのだ。カリラは、壁に突き刺さった矢を抜くと、匂いを嗅いだ。その瞬間、カリラの表情は一変した。
「…毒の香りが…」
「毒?!」
「かすっただけで死に至るような猛毒ですね。キルベール様に万が一当たっていたら、死ぬのは確実でしょう。」
「アルベーサ派の間者か。」
「おそらく。」
「急ぎヴェデとこの宮殿内にいるすべてのものを広間に集めろ。緊急集会だ。」
アルベーサ派の間者。
それは、俺を支持するキルベール派の敵。
俺を支持するものは山ほど居るが、もちろんアルベーサを支持する者もいる。俺が、宮殿内で優位に立つともちろんアルベーサ派の者たちは、俺を殺したくなるだろう。今、王様である父上を上手に使える立場にある俺を利用したいやつは山ほどいる。だからこそ、今の俺の立場は優位。それは、俺にとって死を覚悟するという意味でもある。


「アルベーサ様の間者が?」
アルベーサ派とキルベール派で宮殿内が二人に分かれていることは、薄々気づいていた。でも、キルを殺したいと思う輩がいることに関してはどうしても許せない。もっとも、殺そうと思う輩は、賢くはなさそうだ。殺しても、きっと王様はアルに目をかけてはくれないだろう。王様だってバカじゃない。キルが死体で見つかったとして、誰が殺そうとしたかなんて明白だ。キルベール派でキル様の死を願っているものはきっと誰もいないだろうし、女官や、平民たちもみんなそうだろう。キルが王になってから出世するためにキルに今から取り入ろうとする人が多い。女官の場合、王妃様からの推薦がない限り、王様にお会いすることはできないけれど。どちらにしたって、みんな出世が命。そのためだったら第二王子、アルベーサ様の命など惜しまない。これでは、死の連鎖は止まらない。どちらかが、許さなければこの憎み合いは止まらない。
「アルベーサ様がキルを殺せと命令されたの?それとも、その間者が独断で?」
「それは今はまだ調べ途中だが、恐らく、アルベーサが命じたことだろう。今、アルベーサと我々は仲が悪いからね。」
「わ、私のせいだよね…ごめんなさい。」
私はまた俯いてしまった。
でも、顔を下げた途端にキルは私の頭を優しく撫でた。温かくて私とは違う男らしい手で、とても大きい。そんな手が私の頭を撫でた。
「そなたの所為ではない。そなたは何も悪くない。」
心臓の音に合わせるように撫でるキルの優しい手は私の所為で汚れてしまっているのかもしれない。
「これは王室の問題だよ。ヴェデが何を気にするというのだ。私は、ヴェデを守るためだったら何でもするといったよ。何でもさせてよ。好きな子のためだったら力は無限大に出るんだから。…疲れたりもしない。ヴェデがそばにいてくれるのなら。」
「キル…」
「けして、死んだりしない。例え、何が起ころうと。」
「そうですわ。ヴェデ。」
聞いたことのある優しい声。
一斉に振り返ると、シャーロットが美しいドレスではなく、商人が着るような、とても貴族の娘が着るような服ではない服をまとっていた。
「シャーロット?あなた、どうして、この世子殿に。それに、その服…。」
「物足りないって思ったわ。」
「え?」
「あなたと会えなかった少しの日々が。」
あ、そっか。ずっと、シャーロットには会ってなかった。
「…いつのまにか、ヴェデの優しさが心に染み付いてた。私は貴族の娘で、もうすぐ結婚するのに、殿方の顔よりも、あなたの顔が頭に染み付いてた。…恋とか、恋愛とかじゃない。親友としていつのまにか、あなたに惹かれていた。共に行動させてください。あなた様のために、豪華な装飾品も全て捨てました。共に、あなた様とその周りの人を守るお手伝いをさせてください。」
シャーロットは、立膝をついて頭を下げる敬意を表す行為を私とキルに向けた。
「キルベール王太子殿下。…ヴェデーアスティーヌ妃殿下。」
「妃殿下?」
私が妃殿下?
「よし。良いだろう。シャーロット。そなたは、護身術は習っていたか?」
キルは、優しい顔で笑いながらシャーロットに話しかける。
「もちろんです。自分の身は自分で守る。それが父の方針でした。」
「ならば、ヴェデを守れるな?」
この言葉を聞いた瞬間、シャーロットの顔はたちまち明るくなった。そして、いつもより大きい声で彼女は言った。
「お任せ下さい!」
みんなの顔も和んだ。
「シャーロット。」
私が呼ぶと優しく笑いながらシャーロットは振り向いた。
「はい。妃殿下。」
「その呼び方はダメよ。妃殿下じゃないんだもの。」
「ふふ。わかりました。では、私のこともローレンと。お呼びいただけますか?」
「ローレン?それって、前の名前じゃ。」
「オリビア様がヴェデ様に戻ったように私も戻りとうございます。」
「わかったわ。あ、それと、その敬語もやめて。普通に今まで通りが良いわ。敬語ってあんまり好きじゃないのよ。」
「わかったわ。でも、あなたは妃殿下よ。これだけは譲れないわ!」
「わかった。その呼び方でも良いわ。」
シャーロット、いえ、ローレン。
あなたのこともっと好きになった気がする。

みんな、変わり始めてるんだ。
私も変わらないといけない。嫌でも気づく。
キルが私を好きって言ってくれたことが本当だってよくわかったから。私は素直でいられる。一人で泣いたりしない。そばには、キルやイザベル、アナスタシオ、カリラ、それに。ローレンがいるから。
人って誰かがそばにいるだけでこんなにも強くなれるんだ。一人で泣くよりも周りに誰かがいてくれる。それだけで私は前を向けているような気がする。もう、今は自信を持ってキルのそばにいて良いのよね。キルと幸せになっても良いのよね?
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