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「雌(おんな)」No.9
しおりを挟む9、
一人に成った時、藤子はその男のことが気になった、
(誰なんやろ、あの時と同じ、カッターシャツの男、なんやろか。うちに何の用事が有んね?もしかして、うちのこと、付け回してる?)
藤子は、仲居が藤子に話したこと、あれで全部、だったのか、とふと疑心が湧いた。女将の刃傷沙汰の話を聞き終わって、藤子が、
(うちなんかとてもそんな真似出来へん)
と云った時、皆な急に一瞬押し黙った。そして一人の仲居が、その冷たい沈黙を破ろうと急に、取って付けたように、不審訪問者の話を始め、そして、最後に、
(心配せんでええ、うちら女将に何も云わへん)
と云った、ことが思い出された、
(心配せんでええ、何も云わへん)
て、どう云う意味?
連鎖的に、もう一つ、藤子は思い出した、
(フジちゃんに何の用事やね)
この一言で、男は、ここに藤子がいると確信した、藤子の所在を確かめたあと、男は藤子のことを何か喋った、それで、
(心配せんでええ、何も云わへん)
男は仲居は何か話した…
それにしても藤子の所在を確めに来た男、いったい何者なん?この男、仲居らに、藤子がここに居るかどうかと尋ねた、とだけ仲居は云ったが、この男、他に、何か、仲居らに云った、ことは間違いない…
(他に何か?あの男、もしかして、警察?)
警察なら、藤子に心当たりするのは、棄てて来た漁師村、徳田の家から盗み、行商の売り上げから掠めた金の事、もしかしてあのくそ婆が、警察に今もしつこく訴えている?
しかし、もしそうなら、とも思う、ここに藤子が居ると判れば、警官ならば問答無用に引っ張っていく、筈…
それとも、決定的な証拠、隠した金の在り処を見つけようと、陰に陽なたに藤子を付け回して、藤子を燻り出そうとしているのか?
仲居らのあの時の冷たい沈黙を、冷静になって思い返す藤子、男が、仲居らに、藤子の、そんな過去の盗癖をばらした…んや、
別にええ、何を云われようが別にどうでもええ、別にひとを殺した訳やないし、たかが、その時は大金、せやけど今となっては三文の値打ちも無い紙屑、うちはただの便所の落とし紙、盗んだだけのことや…
空襲でも受けたのか、焼け焦げた柱や板を壁板にしてに建て付けた木造長屋、ここが仲居らに宛がわれた家だった。一つの長い屋根の下、何軒かに区切られ、親子で住む者、独り身の者、皆同じ職場で働く者同士、お互いに気兼ねがない、ちょっとしたものも貸し借りし合って不自由はなかった。
ここに住む仲居らの、子供の悪さを怒って追っかけ回す姿、ごきぶりのように家から這い出て行く亭主の背中を罵り倒す声が表に迄響き、訪ねて来た借金取りに涙流して、もうちょっと待ってと懇願する姿、女たちの店でのしゃきっとした姿と違う、それぞれの裏の一面が見えて、藤子には何となく微笑ましかった、そしてふと思う、
(うちにはこんな幸せ、もう無いんや、せやけど竜次、うち、ここなら永く働けそうや、頑張るから見てて、な)
が、ただ一つ、難儀なのは、銭湯、ちょっと遠出しなければならなかった。
帰りが遅くなると一人で通うにはやはりまだ世の中物騒で、仲居らの勧めで店に隣接するホテルタニガワの、その晩、客のない部屋の風呂が使えるというので、藤子は出来るだけそっちを利用するようにした。
(せやけど、気ィつけや)
と仲居らに教えられてた、
(何に気ィ付けるん?)
と訊いても、仲居らはにやにやと意味有りげに笑うだけで何も教えてくれなかった。
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