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「雌(おんな)」No.14
しおりを挟む14、
前方に、小料理屋「竜次」の提灯灯りが見えた。隣の「ホテルタニガワ」の看板も見えた、その看板を見た藤子は、あることに気付き、衝撃を受け、開いた口に手を当てて、呆然とした、
(タニガワ?タニガワて、旦那の名前や)
こんなことに藤子は今になって気付いたのだ。
さっきの四人組の男、竜次が背中刺された時、駆け寄り竜次を抱きかかえた藤子の耳に、野次馬の一人が云った、
(あいつら、谷川組の奴らやで)
確かに谷川組、と云った、野次馬は更にこうも云った、
(谷川組に狙われたら終りや。この前も、イクタマの方で出入りがあって、4,5人死んだらしい)
イクタマ、ここイクタマや、野次馬は続けた、
(進駐軍の物資横流しで儲けてるらしい、ま、今は触らぬ神に祟りなしや)
確かにそう云った、聞き間違いやない。
藤子の頭は激しく混乱した、体は熱でも帯びたように震えが止まらなかった、藤子は立ち止まり、息を整えながら、なおも考える、
藤子を襲った四人は竜次を殺したと同じ男達、この四人は谷川組の人間、そして谷川が藤子を口説くときに云ったことも思い出す、
(儂、な、ひとに云うたらあかんぜ、進駐軍と心安うやってんね。進駐軍のエライ手さんや)
進駐軍のエライ手とコネがあると谷川ははっきりそう云った、頭の中で、これらの一つ一つの事が繋がり一本の糸になった、その先端に谷川のにやけた顔が見えて来た、そして糸の反対の端には、口から血を吐き痙攣して息絶えた竜次の顔、
藤子はようやく結論した、
(谷川は竜次を殺した谷川組の組長)
そして、藤子は谷川が云ったことを重ねて思い出す、
(あ、やっぱし、な。儂も時々、法事であの辺りまで足延ばして、帰りに、罰当たりなんやけど、ホルモン焼き、食いに寄ってたんや。その時、あんた、見掛けたような)
(えらい目に会うたらしいな。暫くして寄ったら、あの辺り、ひとおらんで、聞いたら、な、やっぱり、な。えらい目会うてたんや)
ホルモン焼きの露店の近くを通りかかった谷川は、偶然に竜次を見つけた、組の者に、竜次を連れてこいと命令した。その時、露店で一緒に働く藤子のことも谷川は見て知っていた…
今日の昼、藤子は谷川の実家の寺を訪ね、そこで谷川の妻ふみと会って話をした、当然、ふみは藤子が訪ねて来たこと、相続を巡る話を持ってきたことをそのまま谷川に伝え、ふみは谷川を責め立てた、谷川は藤子の勝手な行動に激怒した、谷川は配下の男らに、藤子を殺せ、と命じた、ふみに告げ口された仕返し、腹いせに、藤子を殺せと命じた、とそう思っていた。
だが、考え合わせれば、それだけが理由ではなかったと判って来た。
(谷川は、初めっから、竜次と一緒に居た藤子のことを知っていた、竜次が谷川とどんな因縁があったか藤子には知る由もないが、谷川は、初めから藤子を殺すつもりでいた、と藤子は確信する、その理由は、藤子が竜次から何か谷川の悪事について聞いている、それを他人に喋られることを怖れたか、それを何処かに訴えて出られるのを怖れたか、そして竜次を殺し、藤子も殺すつもりだった、
だが、谷川は、すぐには手を下さなかった、藤子の挑発に乗せられてか、それともただ単純に色欲に狩られて藤子を殺すのを躊躇っていたのか、
(あんた、その時、見掛けたような)
藤子は今になって思い当る。谷川は、そう云いながら、うちにカマかけてきてたんや、うちがどんな反応見せるか、うちが何か竜次から聞いてないか、
今日の昼間の、谷川の妻ふみとの面談が、谷川を怒らせ、いつか大きな禍となる藤子を殺せ、始末せよと漸く決心させたことは確か。
それにしても、あのカッターシャツの男、いったい何者なん?うちの味方?うちの味方やったら、とっくに顔出して、こういう者ですと名乗った筈、そしたら、うちの敵?警官?警察がもしうちを捕まえに来てるとしたら、もうとっくの昔に、うちの両手に手錠を掛けた筈、
だが、未だにうちの前に立って通せんぼ一度もしていない、それどころか、さっきなどはいきなり現れて、どっちが悪いか事情も聞かず、うちを追っかけてきた男ら四人と、命を賭けて助けてくれた、いったい、何者なん?
せやけど、うちのこと、何処でどう調べてんの?最初に見かけたのは港の近くの空き地、次はうちが今の店で働き始めてすぐの頃、不意に店に顔を出して仲居らにうちの所在を確めた、そしてたった今、いきなり現れて、うちを助けた、
何者なのか、敵か味方も判らない、ふと藤子は思い当たる、このカッターシャツの男、うちが築港に居たことをどうやって突き止めた?その後のことは、付け回していたとすれば、うちが何処に居たか判っていたはず、
しかし、うちが村を棄てて、偶然知り合うた竜次に拾われて一緒に生活するようになったけど、それでも、竜次が殺されるまでこのカッターシャツ男の姿は見なかった、うちが気が付かなんだ、だけなんか?
藤子が、もしや、と思い当ったのは、耕三の世話を頼む、隣人の春猪ばあへの毎月の手当送る現金書留、以来欠かさず送り続けているが、もし、その封筒を見られた場合でも万が一を考えて、差出人住所は、竜次と暮らした長屋にしてあり、差出人名も竜次の名前にしてあった、しかし少し勘繰れば、その現金封筒の差出人が藤子だと誰にでもすぐ分かった、筈…
そう考えると、カッターシャツの男、やはり棄てて来た村の地元の警官か?第一、やくざ者の男四人相手に、相手が溜まらず逃げ出す程の喧嘩の強さ、あれは、絶対に素人ではない、
敵なのか味方なのかどっちか判らない、判らないが、藤子は、このカッターシャツ男に四六時中見張られている、ことだけは間違いない、と確信する、しかし、藤子は考えてみた、こんなうちに、いったいどこの誰が味方、してくれる?
藤子が店に戻ると、仲居らが心配そうに駆け寄って来て、藤子の体のあちこちに触れながら、藤子の無事を確める。
「良かった、な、何んも無うて、ホンマ、心配したわ」
「店のお客さん、どない?」
店内に賑わいも活気もない、第一、仲居らが一斉に藤子の傍に駆け寄ってくること自体、碌な状況じゃない、
「皆な、すぐ帰った、うち、思うね、もうこの店アカンかも知れんな、何でって、今までやったら何処でもかしこでも喧嘩沙汰、刃傷沙汰だらけやった、ひと、目の前で誰か殺されるん見ても皆な知らん顔しとった、
けど、今、世の中、変わってしもた、そんなん、もう嫌われてまうご時世になってんや、時代に逆らわれへん」
他の仲居らは何も云わず俯くだけ、藤子も思う、これ、正解、やろな、と、
「ま、そない、心細いこと云わんと、ほんまにアカンなるまで、うち頑張るし、皆も、ホンマにアカンなる、ちょっと前まで、頑張って貰われへん?」
仲居らは暫し顔を見合わせていたが、一人がくすっと笑うと一斉に大声出して笑った。
仲居達は座敷に上がり、調理場に戻って片付けに掛かる、内の一人、ここで一番長く働く仲居を呼び止め、藤子は訊ねた、
「谷川の旦那は、いつも何処に居てんのか、あんた、知らんか?」
藤子が約束の履行をしつこく迫るようになって以来、谷川は店に顔を出さなくてなっていた。今夜のようなことの後ではもう二度と現れないと藤子は思う、谷川の実家の寺を訪ねても、あそこには帰っていそうにもない、何であれ、直談判して、ことの決着を図らなければ藤子は気が済まない、
藤子は思う、
うちは殺しに来たあの男達は、何を訊いても、どうせ死ぬんやから聞いても無駄や、と答えた、次、いつまたあの四人に襲われるかしれたものではない、せやけど、そんなん別に恐ろしない、うちは命なんぞ惜しない、せやけど、うちを騙した奴は絶対許さへん、
仲居は返事を渋っていたが、
「うちが教えたて云わんといてな、絶対やで、上六の、百貨店、知ってるわな、その角、入ってすぐのとこに、赤十字、あるんやけど、確か、その辺りに、谷川興行て書いた看板のビル、そこが谷川社長の事務所、や、ま、店の者ん、皆、知ってる、けどな、云うか云わんか、だけやけどな」
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