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三章 ~静寂にして不穏な一夜~
間一髪の代償
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残された時間は少ない。高桐邸の裏山に上がったアレクシアは、主だった部分を真っ先に済ませ、そこから優先順位の高いものから片付けていく。
好機は一度で、一瞬で、一つだけ。だから、その一点に全てを集中すればいい。派手で大掛かりである必要は無い。むしろ、小さい方が良い。代わりに、作業の質は限りなく高く。
そして、燐耀の言う通り──大前提として、常に冷静でいること。
「お疲れ」
ようやくひと段落しようというところで、鏡華に声をかけられた。
「遅めのお昼、あるいは早めの夕飯だわよ~」
夕飯──それでようやく、日が傾き始めていることに気づいた。そして思いだしたように、アレクシアの腹が音を鳴らした。
「はいはい、遠慮することないわよハラペコちゃん~」
と、鏡華は持っていた大きな籠の蓋を開ける。
炊いた米を三角形に固めた、〝オニギリ〟あるいは〝ニギリメシ〟というモノを始め、揚げた肉に焼いた卵に塩で締めた野菜に茶の入った保温瓶──簡素ではあるが、何故かとても安心出来る内容だった。漂ってくる臭いに、アレクシアの腹が、更に大きな音を鳴らす。
「これっ」
空腹に押されてオニギリに伸ばした手を、すかさず鏡華は叩き落とし、オニギリの代わりに湿った布巾を握らせる。それで手を拭いてみれば、あっという間に布巾は黒くなった。
「いただきマス」
汚れを落とした手を合わせ、謝意を示す。神聖帝国でも食前に祈りと感謝を捧げるのは同じ。しかし、謝意を示す先は材料素材となっている穀物や動物達、そしてその生産者や運営管理者達であり、神ではない。アレクシアとしては、はっきりと見える分、こちらの方がしっくりしていた。
「何だか、こっちにすっかり馴染んじゃったみたいね」
自身もオニギリをついばみながら、鏡華は笑う。それに釣られて笑いかけるアレクシアに、鏡華は更に訊ねた。
「ところで‥‥‥アレクシアちゃんは、これからどうするの?」
「‥‥‥え」
「その、エリッサって娘と決着をつけて、それで終わりじゃないわよ」
これから──エリッサのことを気にするあまりに後回しにていた事を、アレクシアは今更のように思いだした。
「ちなみに、神聖帝国に帰りたいなら、海を渡る船くらいは用意出来るわ。もちろん、〝密航〟という形になってしまうけどね」
当然といえば当然。敵対国への渡航など、〝密航〟と同義だ。
だが、形はどうあれ、帰ろうと思えば帰れるということ。
その選択肢があるということ。
「帰ル‥‥‥」
二つ返事で飛びつくべきなのに、アレクシアは躊躇った。
帰ってどうなるのか──そんな疑問が、頭に浮かんだことで。
そして、そんな自分に、アレクシア自身が驚いていたことで。
『‥‥‥昨夜も言ったけどね』
咀嚼したオニギリを飲み込むと、鏡華は言葉を敢えて切り替えた。
『私にせよ蒼真にせよ燐耀ちゃんにせよ、手助けは惜しまないわ。でも、一番最初に決めて動くのは、貴方自身』
態度こそ穏やかだが、言葉は重い。アレクシアの態度に合わせて帝国語に変えたのも、それが理由だろう。
『エリッサがどうのとか、神聖帝国がどうのとか、私達がどうのとか‥‥‥そんな〝外の問題〟なんて後回しにしなさい』
だからこそ──中途半端な意思など、通用しない。
『貴方は何をしたいの? アレクシア自身がしたいことは、何?』
『‥‥‥私は』
『つまらん上に、無意味な問答だな』
「っ!」
答えを遮る声の方を振り返るよりも先に、正面に座る鏡華が飛び出し、アレクシアを突き飛ばした。
自分が突き飛ばされた事を認識した時には、キョーカの体は稲光によって弾き飛ばされた。
*****
『キョーカっ?』
アレクシアは、血相を変えてくずおれた鏡華に駆け寄る。
『行きつく先は冥府、永遠の苦悶‥‥‥貴様の運命は、それだけだ』
そんなアレクシアに、侮蔑を隠さない声が頭の上から投げかけられるが、アレクシアが愕然としたのは、そんな言葉ではない。
『‥‥‥そん、な‥‥‥』
鏡華は、動かない──体だけでなく、脈も心臓も。
『何だ、死んだのか? そこまで威力を込めたつもりはなかったが』
侮蔑の気配が、同情に変わる。
『穢れた下民とはいえ、哀れな末路だな。〝厄種〟なぞに関わったばかりに』
『‥‥‥厄種‥‥‥?』
ようやく、アレクシアは振り返る。
『貴様のことに決まっているだろう、出来損ないめ』
木よりも高い位置に浮かぶエリッサが、嫌悪と侮蔑を満面に張り付けて見下ろしていた。
『その下民の雌は、何の関係もなかったのに貴様が巻きこんだ。どうやって取り入ったか知らないし、知りたくもないがな』
『貴方‥‥‥っ』
『貴様はいるだけで他者を不幸にし、破滅させる』
エリッサの法力が集まる。それを目にした瞬間、アレクシアは跳ねるように駆け出した。直後に、アレクシアのいた場所──いや、頭のあった空間を稲光が貫いた。
『本国の地を穢させるわけにはいかん。穢れた貴様は、穢れたものらしく、この穢れた地で死ね』
好機は一度で、一瞬で、一つだけ。だから、その一点に全てを集中すればいい。派手で大掛かりである必要は無い。むしろ、小さい方が良い。代わりに、作業の質は限りなく高く。
そして、燐耀の言う通り──大前提として、常に冷静でいること。
「お疲れ」
ようやくひと段落しようというところで、鏡華に声をかけられた。
「遅めのお昼、あるいは早めの夕飯だわよ~」
夕飯──それでようやく、日が傾き始めていることに気づいた。そして思いだしたように、アレクシアの腹が音を鳴らした。
「はいはい、遠慮することないわよハラペコちゃん~」
と、鏡華は持っていた大きな籠の蓋を開ける。
炊いた米を三角形に固めた、〝オニギリ〟あるいは〝ニギリメシ〟というモノを始め、揚げた肉に焼いた卵に塩で締めた野菜に茶の入った保温瓶──簡素ではあるが、何故かとても安心出来る内容だった。漂ってくる臭いに、アレクシアの腹が、更に大きな音を鳴らす。
「これっ」
空腹に押されてオニギリに伸ばした手を、すかさず鏡華は叩き落とし、オニギリの代わりに湿った布巾を握らせる。それで手を拭いてみれば、あっという間に布巾は黒くなった。
「いただきマス」
汚れを落とした手を合わせ、謝意を示す。神聖帝国でも食前に祈りと感謝を捧げるのは同じ。しかし、謝意を示す先は材料素材となっている穀物や動物達、そしてその生産者や運営管理者達であり、神ではない。アレクシアとしては、はっきりと見える分、こちらの方がしっくりしていた。
「何だか、こっちにすっかり馴染んじゃったみたいね」
自身もオニギリをついばみながら、鏡華は笑う。それに釣られて笑いかけるアレクシアに、鏡華は更に訊ねた。
「ところで‥‥‥アレクシアちゃんは、これからどうするの?」
「‥‥‥え」
「その、エリッサって娘と決着をつけて、それで終わりじゃないわよ」
これから──エリッサのことを気にするあまりに後回しにていた事を、アレクシアは今更のように思いだした。
「ちなみに、神聖帝国に帰りたいなら、海を渡る船くらいは用意出来るわ。もちろん、〝密航〟という形になってしまうけどね」
当然といえば当然。敵対国への渡航など、〝密航〟と同義だ。
だが、形はどうあれ、帰ろうと思えば帰れるということ。
その選択肢があるということ。
「帰ル‥‥‥」
二つ返事で飛びつくべきなのに、アレクシアは躊躇った。
帰ってどうなるのか──そんな疑問が、頭に浮かんだことで。
そして、そんな自分に、アレクシア自身が驚いていたことで。
『‥‥‥昨夜も言ったけどね』
咀嚼したオニギリを飲み込むと、鏡華は言葉を敢えて切り替えた。
『私にせよ蒼真にせよ燐耀ちゃんにせよ、手助けは惜しまないわ。でも、一番最初に決めて動くのは、貴方自身』
態度こそ穏やかだが、言葉は重い。アレクシアの態度に合わせて帝国語に変えたのも、それが理由だろう。
『エリッサがどうのとか、神聖帝国がどうのとか、私達がどうのとか‥‥‥そんな〝外の問題〟なんて後回しにしなさい』
だからこそ──中途半端な意思など、通用しない。
『貴方は何をしたいの? アレクシア自身がしたいことは、何?』
『‥‥‥私は』
『つまらん上に、無意味な問答だな』
「っ!」
答えを遮る声の方を振り返るよりも先に、正面に座る鏡華が飛び出し、アレクシアを突き飛ばした。
自分が突き飛ばされた事を認識した時には、キョーカの体は稲光によって弾き飛ばされた。
*****
『キョーカっ?』
アレクシアは、血相を変えてくずおれた鏡華に駆け寄る。
『行きつく先は冥府、永遠の苦悶‥‥‥貴様の運命は、それだけだ』
そんなアレクシアに、侮蔑を隠さない声が頭の上から投げかけられるが、アレクシアが愕然としたのは、そんな言葉ではない。
『‥‥‥そん、な‥‥‥』
鏡華は、動かない──体だけでなく、脈も心臓も。
『何だ、死んだのか? そこまで威力を込めたつもりはなかったが』
侮蔑の気配が、同情に変わる。
『穢れた下民とはいえ、哀れな末路だな。〝厄種〟なぞに関わったばかりに』
『‥‥‥厄種‥‥‥?』
ようやく、アレクシアは振り返る。
『貴様のことに決まっているだろう、出来損ないめ』
木よりも高い位置に浮かぶエリッサが、嫌悪と侮蔑を満面に張り付けて見下ろしていた。
『その下民の雌は、何の関係もなかったのに貴様が巻きこんだ。どうやって取り入ったか知らないし、知りたくもないがな』
『貴方‥‥‥っ』
『貴様はいるだけで他者を不幸にし、破滅させる』
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