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第五話 弟との距離
しおりを挟むアルノルトの熱が下がってから数日。
彼はようやく食堂で食事ができるまでに回復していた。
けれど、その瞳はまだどこか曇っていた。
銀のスプーンを持つ小さな手。
動きはぎこちなく、視線はいつも皿の中に落ちている。
私が「美味しいね」と声をかけても、彼は小さく頷くだけで、まともに顔を合わせてくれなかった。
◇
夜、マリアにそっと尋ねてみる。
「アルノルトは……いつもあんな感じなの?」
「はい……坊ちゃまは、奥様――先代の公爵夫人を亡くされてから、ずっと」
私ははっと息を呑む。
母を早くに失った少年。
彼にとって、優しく寄り添ってくれる存在は消えてしまったのだ。
「それから……お父様もお忙しくなられて。お嬢様も体調が優れませんでしたから、坊ちゃまはずっと一人で」
だから弟は、家族と心の距離を置いていたのか。
母の死による喪失感と、孤独の中で――。
◇
数日後、私は弟の部屋を訪ねた。
扉をノックして入ると、彼は机に座って本を開いていた。
けれど文字を追っているのではなく、ただページをめくっては閉じている。
「アルノルト」
呼びかけると、彼は少し驚いたように顔を上げた。
「……姉上?」
私は窓辺に腰かけ、そっと言葉を探した。
「この前、看病できてよかった。……少しは楽になった?」
「うん……」
返事は短い。けれど、前よりも声が柔らかい気がした。
◇
沈黙が落ちた。
私は思い切って切り出す。
「ねえ、アルノルト。母様のこと……寂しかったでしょう?」
彼の肩がぴくりと震えた。
強がるように唇を噛み、やがて小さく呟く。
「……寂しかったよ。母様がいなくなって、父様は仕事ばかりで……姉上は寝込んでいて。
だから、僕はずっと一人だった」
その声は震えていて、幼い心に刻まれた孤独の重さを痛いほど伝えていた。
◇
私は彼の傍へ歩み寄り、そっと抱きしめた。
奴隷時代、誰かに抱きしめてもらうことなど一度もなかった。
けれどだからこそ、今この子に与えられる温もりの価値を知っている。
「ごめんね。私は知らなかった……でも、これからは違う。私はもう一人でいない。あなたと一緒にいるから」
アルノルトの小さな手が、恐る恐る私の袖を掴む。
やがて彼は、押し殺したように泣き声を漏らした。
「……本当?」
「本当よ。だって私たちは兄妹だもの」
そう言って髪を撫でると、彼はしがみついて泣き続けた。
その涙は、ずっと押し込めてきた寂しさの証だった。
◇
それからの日々、アルノルトは少しずつ変わっていった。
庭で一緒に散歩したり、食卓で「これ美味しいね」と笑ってくれたり。
小さな笑顔はまだぎこちないけれど、確かに増えていた。
――亡き母の代わりにはなれない。
けれど姉として、この子の寂しさを癒やすことはできるはずだ。
私は心に強く誓った。
この子を、二度と孤独にはしない。
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