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第三話 「俺が、お前たちの盾になる」
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翌朝 9時30分。
澄原グループ本邸・龍立の部屋。
龍立はパソコンの前に座り、画面を見つめていた。
昨夜、姉の澪が社内ネットワークへのフルアクセス権を渡してくれたのだ。
「さあ、兄さん。あんたがどうやって連中をいたぶるつもりか、見せてもらおう」
龍立は、総務課長・坂本から全社宛てに送られている通知メールを開く。
件名:【重要】昨夜の空港待機に関する「自主研修」認定について
送信者:総務部・坂本
本文には、こう書かれていた。
――昨夜の待機は、社員がチームの結束力を高めるために自主的に行った「自主研修」である。
――よって、当該時間帯は勤務時間としては計上されない。
――下記リンクから「研修同意書」に署名すること。
※署名を拒んだ者は、チームワークに欠けると判断し、次回査定において不利に扱う場合がある。
「ふざけんな」
思わず口をついて出た。
単なるタダ働きの押しつけではない。
心をへし折るための一撃だ。
二兄は、昨夜かろうじて灯った希望の火を、自分の手で踏みつぶさせようとしている。
――“あのとき信じた自分が馬鹿だった”と思わせるために。
そのとき、社内チャットがポンと鳴り、ダイレクトメッセージのウィンドウが開いた。
送ってきたのは、佐久間だった。
『少爷……すみません。今、第三会議室に閉じ込められています。課長が、署名しないなら北海道の廃倉庫に飛ばすって……美咲(昨日倒れた子)が病院から泣きながら電話してきて、辞めたいけど怖くてって……』
『みんなローンがあって、仕事を失うわけにはいきません。疲れるのは構いません。でも、馬鹿にされるのはもう嫌なんです』
文字の隙間から、濃い絶望が滲み出ていた。
現実は残酷だ。
心の中にどれだけ火を持っていても、住宅ローンと生活費の前では、一瞬で水をかけられる。
龍立は目を閉じ、深く息を吸い込む。
――自分を信じたせいで、彼らの人生を壊すわけにはいかない。
「反抗できない理由が、“反抗するコストが高すぎるから”だというなら――」
龍立はスマホを取り、ある番号に電話をかけた。
「もしもし、加藤先生ですか。澄原龍立です。今すぐ、僕の個人信託口座を動かしてください」
「ええ、あの資金です。今、使います」
通話を切ると、彼の目にかつてない決意が宿った。
「二兄さんが“飯のタネ”で脅す気なら、俺はもっと高い“金の飯椀”を用意する」
キーボードを叩く。
新規メール作成。
宛先:全社員(250,000名)
CC:取締役会全員・内部監査室・グループチーフリーガルオフィサー
件名:【特命準備室・緊急告知】「違法な署名強要」に関する証拠提供依頼およびコンプライアンス協力金について
本文:
――私は特命準備室長の澄原龍立です。
つい先ほど、総務部から皆さんに送られた「自主研修同意書」を確認しました。
これは、労働基準法に公然と反する行為です。
とはいえ、皆さんが拒否できない理由も理解しています。
報復が怖い。収入を失うのが怖い。
だからこそ、私はここに「特別な指示」を出します。
不当な扱いを受けている全ての社員に向けて。
1.署名の拒否について
当該「同意書」は、ただちに無効とします。
これ以上、署名を行わないでください。
2.証拠提供(Whistleblower Reward)について
現在、いかなる部署(例:総務部)においても、社員に署名を強要している事実があれば、
・録音を開始し、
・メールやチャットのログなど、あらゆる証拠を保存してください。
3.コンプライアンス協力金(1人あたり50万円)について
昨夜、空港での待機業務に従事していた30名の社員に対し、
脅迫行為および不当な圧力を受けたことへの補償として、
有効な「署名強要の証拠」を提供してくれた方を「コンプライアンス協力者」と認定します。
特命準備室は、代理人弁護士を通じた第三者エスクロー口座を介し、
お一人につき【50万円】のコンプライアンス協力金をお支払いします。
※この資金は私個人の資金から拠出されます。
会社の経理を通さず、完全に合法であり、かつ、提供者の身元は厳重に保護されます。
恐れないでください。
今日から、皆さんの「尊厳」は、その薄い給料よりも高く評価されるべきものです。
以上。
送信ボタンを押す。
同じ頃、本社ビル二十八階・総務部第三会議室。
空気は、凝固していた。
坂本課長は演台の前に立ち、手には束ねた「自発的同意書」。
その目はどす黒い。
「まだ誰が署名してない? 佐久間、お前だな?」
佐久間は隅の席に座り、震える手でペンを握りしめていた。
「北海道で熊の世話になりたくなかったら、とっととサインしろ! これは専務の命令だ! 嫌なら辞めろ。外にはいくらでも志望者がいる!」
そのときだった。
全員のスマホが、同時に震えた。
社内メールの通知音。
佐久間はスマホを取り出し、そのメールを開く。
読み進めるにつれ、瞳孔が大きく開いていった。
「……コンプライアンス協力金……? 50万……?」
顔を上げる。
周りの同僚たちも、同じメールを読んでいた。
三十人の目に、さっきまで真っ白な灰のようだった光が、あり得ない色でともる。
それは、50万円。
目の前のこの課長を告発しさえすれば、その金は自分たちのものになる。
「佐久間! 何を見ている!」
坂本が怒鳴り、スマホを取り上げようと詰め寄る。
ビリッ。
静まり返った会議室に、紙の裂ける乾いた音が響いた。
坂本が固まる。
佐久間が立ち上がっていた。
課長の目の前で、まだ署名していない「同意書」を、真っ二つに引き裂く。
「俺は、サインしません」
佐久間の声は震えていた。
だが、それは恐怖ではない。
震えを支えているのは、昂ぶりだ。
彼はスマホを掲げ、録音の保存ボタンを押した。
「課長。さっき北海道に飛ばすって脅した発言、全部録音しました」
「この50万のためにも――それから、人間として生きるためにも――俺は、あなたを告発します」
ビリッ。
ビリッ。
次々と紙が裂ける音が続く。
二人目、三人目、四人目――。
三十人のエリートが一斉に立ち上がり、手にした屈辱を破り捨てた。
白い紙片が、雪のように会議室のテーブルに舞い落ちる。
「私も署名しません! 録音、取ってあります!」
「俺も告発します! メールも全部残ってる!」
「坊ちゃまが言いました。これは“コンプライアンス協力”です!」
「き、貴様ら……」
坂本はこの光景を、信じられない思いで見つめていた。
普段は腰を折ってばかりの「家畜」たちが、剥き出しの牙を見せている。
一歩、二歩と後ずさり、そのまま椅子に尻餅をつく。
「反乱だ……お前たち、反乱を起こしたんだぞ……」
本邸の部屋では。
母が湯飲みを手に入ってきて、窓の外の東京の街を見つめる龍立の姿を見た。
「龍立。あの子たちに、自分のお金を出したの? あれで一千五百万よ……きっと、たくさんの人に恨まれるわ」
心配そうな表情で言う。
龍立は振り返り、穏やかな笑みを浮かべた。
「大丈夫だよ、母さん」
「他のみんなには、これからゆっくり、俺のやろうとしていることを理解してもらえばいい。
でも、あの三十人の“骨”を買い戻せるなら、これほど安い投資は他にない」
澄原グループ本邸・龍立の部屋。
龍立はパソコンの前に座り、画面を見つめていた。
昨夜、姉の澪が社内ネットワークへのフルアクセス権を渡してくれたのだ。
「さあ、兄さん。あんたがどうやって連中をいたぶるつもりか、見せてもらおう」
龍立は、総務課長・坂本から全社宛てに送られている通知メールを開く。
件名:【重要】昨夜の空港待機に関する「自主研修」認定について
送信者:総務部・坂本
本文には、こう書かれていた。
――昨夜の待機は、社員がチームの結束力を高めるために自主的に行った「自主研修」である。
――よって、当該時間帯は勤務時間としては計上されない。
――下記リンクから「研修同意書」に署名すること。
※署名を拒んだ者は、チームワークに欠けると判断し、次回査定において不利に扱う場合がある。
「ふざけんな」
思わず口をついて出た。
単なるタダ働きの押しつけではない。
心をへし折るための一撃だ。
二兄は、昨夜かろうじて灯った希望の火を、自分の手で踏みつぶさせようとしている。
――“あのとき信じた自分が馬鹿だった”と思わせるために。
そのとき、社内チャットがポンと鳴り、ダイレクトメッセージのウィンドウが開いた。
送ってきたのは、佐久間だった。
『少爷……すみません。今、第三会議室に閉じ込められています。課長が、署名しないなら北海道の廃倉庫に飛ばすって……美咲(昨日倒れた子)が病院から泣きながら電話してきて、辞めたいけど怖くてって……』
『みんなローンがあって、仕事を失うわけにはいきません。疲れるのは構いません。でも、馬鹿にされるのはもう嫌なんです』
文字の隙間から、濃い絶望が滲み出ていた。
現実は残酷だ。
心の中にどれだけ火を持っていても、住宅ローンと生活費の前では、一瞬で水をかけられる。
龍立は目を閉じ、深く息を吸い込む。
――自分を信じたせいで、彼らの人生を壊すわけにはいかない。
「反抗できない理由が、“反抗するコストが高すぎるから”だというなら――」
龍立はスマホを取り、ある番号に電話をかけた。
「もしもし、加藤先生ですか。澄原龍立です。今すぐ、僕の個人信託口座を動かしてください」
「ええ、あの資金です。今、使います」
通話を切ると、彼の目にかつてない決意が宿った。
「二兄さんが“飯のタネ”で脅す気なら、俺はもっと高い“金の飯椀”を用意する」
キーボードを叩く。
新規メール作成。
宛先:全社員(250,000名)
CC:取締役会全員・内部監査室・グループチーフリーガルオフィサー
件名:【特命準備室・緊急告知】「違法な署名強要」に関する証拠提供依頼およびコンプライアンス協力金について
本文:
――私は特命準備室長の澄原龍立です。
つい先ほど、総務部から皆さんに送られた「自主研修同意書」を確認しました。
これは、労働基準法に公然と反する行為です。
とはいえ、皆さんが拒否できない理由も理解しています。
報復が怖い。収入を失うのが怖い。
だからこそ、私はここに「特別な指示」を出します。
不当な扱いを受けている全ての社員に向けて。
1.署名の拒否について
当該「同意書」は、ただちに無効とします。
これ以上、署名を行わないでください。
2.証拠提供(Whistleblower Reward)について
現在、いかなる部署(例:総務部)においても、社員に署名を強要している事実があれば、
・録音を開始し、
・メールやチャットのログなど、あらゆる証拠を保存してください。
3.コンプライアンス協力金(1人あたり50万円)について
昨夜、空港での待機業務に従事していた30名の社員に対し、
脅迫行為および不当な圧力を受けたことへの補償として、
有効な「署名強要の証拠」を提供してくれた方を「コンプライアンス協力者」と認定します。
特命準備室は、代理人弁護士を通じた第三者エスクロー口座を介し、
お一人につき【50万円】のコンプライアンス協力金をお支払いします。
※この資金は私個人の資金から拠出されます。
会社の経理を通さず、完全に合法であり、かつ、提供者の身元は厳重に保護されます。
恐れないでください。
今日から、皆さんの「尊厳」は、その薄い給料よりも高く評価されるべきものです。
以上。
送信ボタンを押す。
同じ頃、本社ビル二十八階・総務部第三会議室。
空気は、凝固していた。
坂本課長は演台の前に立ち、手には束ねた「自発的同意書」。
その目はどす黒い。
「まだ誰が署名してない? 佐久間、お前だな?」
佐久間は隅の席に座り、震える手でペンを握りしめていた。
「北海道で熊の世話になりたくなかったら、とっととサインしろ! これは専務の命令だ! 嫌なら辞めろ。外にはいくらでも志望者がいる!」
そのときだった。
全員のスマホが、同時に震えた。
社内メールの通知音。
佐久間はスマホを取り出し、そのメールを開く。
読み進めるにつれ、瞳孔が大きく開いていった。
「……コンプライアンス協力金……? 50万……?」
顔を上げる。
周りの同僚たちも、同じメールを読んでいた。
三十人の目に、さっきまで真っ白な灰のようだった光が、あり得ない色でともる。
それは、50万円。
目の前のこの課長を告発しさえすれば、その金は自分たちのものになる。
「佐久間! 何を見ている!」
坂本が怒鳴り、スマホを取り上げようと詰め寄る。
ビリッ。
静まり返った会議室に、紙の裂ける乾いた音が響いた。
坂本が固まる。
佐久間が立ち上がっていた。
課長の目の前で、まだ署名していない「同意書」を、真っ二つに引き裂く。
「俺は、サインしません」
佐久間の声は震えていた。
だが、それは恐怖ではない。
震えを支えているのは、昂ぶりだ。
彼はスマホを掲げ、録音の保存ボタンを押した。
「課長。さっき北海道に飛ばすって脅した発言、全部録音しました」
「この50万のためにも――それから、人間として生きるためにも――俺は、あなたを告発します」
ビリッ。
ビリッ。
次々と紙が裂ける音が続く。
二人目、三人目、四人目――。
三十人のエリートが一斉に立ち上がり、手にした屈辱を破り捨てた。
白い紙片が、雪のように会議室のテーブルに舞い落ちる。
「私も署名しません! 録音、取ってあります!」
「俺も告発します! メールも全部残ってる!」
「坊ちゃまが言いました。これは“コンプライアンス協力”です!」
「き、貴様ら……」
坂本はこの光景を、信じられない思いで見つめていた。
普段は腰を折ってばかりの「家畜」たちが、剥き出しの牙を見せている。
一歩、二歩と後ずさり、そのまま椅子に尻餅をつく。
「反乱だ……お前たち、反乱を起こしたんだぞ……」
本邸の部屋では。
母が湯飲みを手に入ってきて、窓の外の東京の街を見つめる龍立の姿を見た。
「龍立。あの子たちに、自分のお金を出したの? あれで一千五百万よ……きっと、たくさんの人に恨まれるわ」
心配そうな表情で言う。
龍立は振り返り、穏やかな笑みを浮かべた。
「大丈夫だよ、母さん」
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