42 / 161
第四十二話 狂気のギャンブラー
しおりを挟む
時間:手術前夜 23:00
場所:伊豆諸島海域 & 東都大学附属病院
「社長、マジでやめましょうよ……この海況で出たら、本当に死にますって!」
吉岡は、岸壁に打ちつける十メートル級の波を見て、膝が笑っていた。
「普通の船ならな。――だが、あれは“ポセイドン”だ」
龍立が指さす暗い海面の向こうから、異様なシルエットが、波を裂いて姿を現した。異星人の戦艦のような、鋼鉄の怪物。
小水線面双胴船――SWATH(スワス)。
本来は、澄心物流が、最悪の海況下でも精密半導体を輸送するために、巨額を投じて導入した全天候型スペシャルカーゴシップだった。水面に出ている部分は小さく、本体は、波のうねりから逃れるように、水面下に沈んでいる。どれほどの大波でも、甲板はまるで陸のように安定していた。
「南方先生、乗ってください」
龍立は南方仁の腕をつかみ、そのまま「ポセイドン」の甲板へ飛び乗る。エンジンが吠え、鉄の怪物は黒い大波を切り裂いて、東京へ向かって疾走し始めた。
◇
翌日 午前4時。東都大学附属病院・VIP病室。
まだ夜の闇が残る廊下を、全身ずぶ濡れの龍立と南方仁が、ほとんど駆け込むようにして病室の扉を開ける。ベッドには、母・織田 光子が横たわっていた。
歳月はその顔に確かな皺を刻んでいるが、本来の気品は隠しようがない。名家・織田家の娘としての、静かな高貴さ。濡れ鼠になった息子の姿を見て、光子は弱々しく笑い、今にも泣きそうな目をした。
「龍立……。外、あんなに雨が……。どうしてそんな格好で……」
手を伸ばして汗を拭いてやろうとして、力が入らず、途中で止まる。澄原家という冷血な闘技場の中で、龍立にだけは、ただの「母」であり続けた人。
「母さん、しゃべらないで。少しでも体力を残して」
龍立は、その冷え切った手を、両手で包み込む。胸の奥が裂けるように痛んだ。
「ただちに、この手術を中止させろ!」
南方仁は、ほとんど飛びかかるようにしてベッドサイドに来て、カルテとCTアンギオのフィルムをひったくる。一瞥しただけで、その顔色が変わった。
「……やっぱりな。ここだ、“禁忌”そのものだ。動脈瘤の近位ネック(プロキシマル・ネック)の角度がデタラメだ。六十度どころか、それ以上ねじれてる。ゼウスのステントがまともに貼りつくわけがない。こんなもん、入れた瞬間にタイプⅠエンドリークだ。最悪、ステントがずれて、そのまま血管を刺し破る」
「社長! 即刻中止です! 従来の人工血管置換のオープン手術に切り替えろ!」
「無礼者!!」
病室のドアが乱暴に開き、父・澄原 惟宗と、財前院長が大勢の医師を引き連れて入ってきた。
「どこの野良犬だ、私の病院で吠え散らかしているのは」
財前は、南方仁の顔を見るなり、鼻で笑い、ネクタイを直した。
「おやおや、これはこれは――クビになった元・南方先生じゃありませんか。島では診察料が稼げないから、今度は社長夫人の手術を邪魔して小遣い稼ぎですか?」
龍立は立ち上がり、南方仁の前に一歩進み出て、その両者の間に立った。
「父さん。南方先生は、ゼウスに致命的な欠陥があると言っている。しかも、その欠陥は“母さんのような症例”をモデルに、高圧テストで確認されている。これ以上、母さんの命を賭けのチップにするわけにはいかない」
惟宗は、息子に視線を向けようともしない。まるで、邪魔な駒でも見ているかのように、袖口のしわを整えながら、淡々と言った。
「龍立。この手術のために、私はどれほどの政財界の要人と、医学界の大物たちを“見学”に呼んでいると思う?」
「ゼウスの“初の臨床応用”――これは、日本製医療機器の夜明けを告げる記念碑だ。ここで成功させれば、財前院長は医師会会長だ。澄原グループの株価は跳ね上がり、我が家の影響力はさらに増す。これは単なる手術ではない。政治だ」
龍立は目を見開く。
「記念碑? 株価? 政治? 彼女は“母さん”だ。織田家の娘であり、あなたの妻だ。その命を、実験台にするつもりか!」
惟宗の視線が、冷たく細くなる。そこには、父親としての情など一片もなかった。
「彼女は澄原家の“嫁”だ。家のために身をささげるのは、当然の義務だろう」
「それに、開胸手術となれば、三十センチの傷跡が残る。織田の女は、死ぬにしても美しく死ぬべきだ。胸に醜い傷跡を残すなど、許されん」
「……その“見栄”は、命より重いのですか」
龍立は、絞り出すように吼えた。
「龍立……。お父さんの言う通りにして」
ベッドの上で、母がかすれた声で言った。夫の言葉の意味は理解している。しかし、抵抗しなかった。この何十年、彼女はこの家に従うことしか知らなかった。ただ、諦め切ったように目を閉じ、目尻に、一筋の涙が流れた。
龍立は、手術室前の廊下に出るしかなかった。閉じられたドアを、血が出るほど強く握りしめ、爪が掌に食い込んで、じわりと赤い滴がこぼれる。
「……いいだろう」
雨に打たれた夜の中で、龍立は、一台のスマホを取り出す。――数千億を動かすことができる、黒い板。
「ブルーホエール・キャピタルのチーフトレーダーにつないでくれ」
「“デヴァウリング・プラン(吞噬計画)”を発動だ。東都医療グループの転換社債と短期債務、市場に出ている分をすべて買い集めろ。今夜のうちに、この病院の“最大債権者”になる」
場所:伊豆諸島海域 & 東都大学附属病院
「社長、マジでやめましょうよ……この海況で出たら、本当に死にますって!」
吉岡は、岸壁に打ちつける十メートル級の波を見て、膝が笑っていた。
「普通の船ならな。――だが、あれは“ポセイドン”だ」
龍立が指さす暗い海面の向こうから、異様なシルエットが、波を裂いて姿を現した。異星人の戦艦のような、鋼鉄の怪物。
小水線面双胴船――SWATH(スワス)。
本来は、澄心物流が、最悪の海況下でも精密半導体を輸送するために、巨額を投じて導入した全天候型スペシャルカーゴシップだった。水面に出ている部分は小さく、本体は、波のうねりから逃れるように、水面下に沈んでいる。どれほどの大波でも、甲板はまるで陸のように安定していた。
「南方先生、乗ってください」
龍立は南方仁の腕をつかみ、そのまま「ポセイドン」の甲板へ飛び乗る。エンジンが吠え、鉄の怪物は黒い大波を切り裂いて、東京へ向かって疾走し始めた。
◇
翌日 午前4時。東都大学附属病院・VIP病室。
まだ夜の闇が残る廊下を、全身ずぶ濡れの龍立と南方仁が、ほとんど駆け込むようにして病室の扉を開ける。ベッドには、母・織田 光子が横たわっていた。
歳月はその顔に確かな皺を刻んでいるが、本来の気品は隠しようがない。名家・織田家の娘としての、静かな高貴さ。濡れ鼠になった息子の姿を見て、光子は弱々しく笑い、今にも泣きそうな目をした。
「龍立……。外、あんなに雨が……。どうしてそんな格好で……」
手を伸ばして汗を拭いてやろうとして、力が入らず、途中で止まる。澄原家という冷血な闘技場の中で、龍立にだけは、ただの「母」であり続けた人。
「母さん、しゃべらないで。少しでも体力を残して」
龍立は、その冷え切った手を、両手で包み込む。胸の奥が裂けるように痛んだ。
「ただちに、この手術を中止させろ!」
南方仁は、ほとんど飛びかかるようにしてベッドサイドに来て、カルテとCTアンギオのフィルムをひったくる。一瞥しただけで、その顔色が変わった。
「……やっぱりな。ここだ、“禁忌”そのものだ。動脈瘤の近位ネック(プロキシマル・ネック)の角度がデタラメだ。六十度どころか、それ以上ねじれてる。ゼウスのステントがまともに貼りつくわけがない。こんなもん、入れた瞬間にタイプⅠエンドリークだ。最悪、ステントがずれて、そのまま血管を刺し破る」
「社長! 即刻中止です! 従来の人工血管置換のオープン手術に切り替えろ!」
「無礼者!!」
病室のドアが乱暴に開き、父・澄原 惟宗と、財前院長が大勢の医師を引き連れて入ってきた。
「どこの野良犬だ、私の病院で吠え散らかしているのは」
財前は、南方仁の顔を見るなり、鼻で笑い、ネクタイを直した。
「おやおや、これはこれは――クビになった元・南方先生じゃありませんか。島では診察料が稼げないから、今度は社長夫人の手術を邪魔して小遣い稼ぎですか?」
龍立は立ち上がり、南方仁の前に一歩進み出て、その両者の間に立った。
「父さん。南方先生は、ゼウスに致命的な欠陥があると言っている。しかも、その欠陥は“母さんのような症例”をモデルに、高圧テストで確認されている。これ以上、母さんの命を賭けのチップにするわけにはいかない」
惟宗は、息子に視線を向けようともしない。まるで、邪魔な駒でも見ているかのように、袖口のしわを整えながら、淡々と言った。
「龍立。この手術のために、私はどれほどの政財界の要人と、医学界の大物たちを“見学”に呼んでいると思う?」
「ゼウスの“初の臨床応用”――これは、日本製医療機器の夜明けを告げる記念碑だ。ここで成功させれば、財前院長は医師会会長だ。澄原グループの株価は跳ね上がり、我が家の影響力はさらに増す。これは単なる手術ではない。政治だ」
龍立は目を見開く。
「記念碑? 株価? 政治? 彼女は“母さん”だ。織田家の娘であり、あなたの妻だ。その命を、実験台にするつもりか!」
惟宗の視線が、冷たく細くなる。そこには、父親としての情など一片もなかった。
「彼女は澄原家の“嫁”だ。家のために身をささげるのは、当然の義務だろう」
「それに、開胸手術となれば、三十センチの傷跡が残る。織田の女は、死ぬにしても美しく死ぬべきだ。胸に醜い傷跡を残すなど、許されん」
「……その“見栄”は、命より重いのですか」
龍立は、絞り出すように吼えた。
「龍立……。お父さんの言う通りにして」
ベッドの上で、母がかすれた声で言った。夫の言葉の意味は理解している。しかし、抵抗しなかった。この何十年、彼女はこの家に従うことしか知らなかった。ただ、諦め切ったように目を閉じ、目尻に、一筋の涙が流れた。
龍立は、手術室前の廊下に出るしかなかった。閉じられたドアを、血が出るほど強く握りしめ、爪が掌に食い込んで、じわりと赤い滴がこぼれる。
「……いいだろう」
雨に打たれた夜の中で、龍立は、一台のスマホを取り出す。――数千億を動かすことができる、黒い板。
「ブルーホエール・キャピタルのチーフトレーダーにつないでくれ」
「“デヴァウリング・プラン(吞噬計画)”を発動だ。東都医療グループの転換社債と短期債務、市場に出ている分をすべて買い集めろ。今夜のうちに、この病院の“最大債権者”になる」
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
静かに過ごしたい冬馬君が学園のマドンナに好かれてしまった件について
おとら@ 書籍発売中
青春
この物語は、とある理由から目立ちたくないぼっちの少年の成長物語である
そんなある日、少年は不良に絡まれている女子を助けてしまったが……。
なんと、彼女は学園のマドンナだった……!
こうして平穏に過ごしたい少年の生活は一変することになる。
彼女を避けていたが、度々遭遇してしまう。
そんな中、少年は次第に彼女に惹かれていく……。
そして助けられた少女もまた……。
二人の青春、そして成長物語をご覧ください。
※中盤から甘々にご注意を。
※性描写ありは保険です。
他サイトにも掲載しております。
【完結】元ゼネコンなおっさん大賢者の、スローなもふもふ秘密基地ライフ(神獣付き)~異世界の大賢者になったのになぜか土方ばかりしてるんだがぁ?
嘉神かろ
ファンタジー
【Hotランキング3位】
ゼネコンで働くアラフォーのおっさん、多田野雄三は、ある日気がつくと、異世界にいた。
見覚えのあるその世界は、雄三が大学時代にやり込んだVR型MMOアクションRPGの世界で、当時のキャラの能力をそのまま使えるらしい。
大賢者という最高位職にある彼のやりたいことは、ただ一つ。スローライフ!
神獣たちや気がついたらできていた弟子たちと共に、おっさんは異世界で好き勝手に暮らす。
「なんだか妙に忙しい気もするねぇ。まあ、楽しいからいいんだけど」
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
戦場の英雄、上官の陰謀により死亡扱いにされ、故郷に帰ると許嫁は結婚していた。絶望の中、偶然助けた許嫁の娘に何故か求婚されることに
千石
ファンタジー
「絶対生きて帰ってくる。その時は結婚しよう」
「はい。あなたの帰りをいつまでも待ってます」
許嫁と涙ながらに約束をした20年後、英雄と呼ばれるまでになったルークだったが生還してみると死亡扱いにされていた。
許嫁は既に結婚しており、ルークは絶望の只中に。
上官の陰謀だと知ったルークは激怒し、殴ってしまう。
言い訳をする気もなかったため、全ての功績を抹消され、貰えるはずだった年金もパー。
絶望の中、偶然助けた子が許嫁の娘で、
「ルーク、あなたに惚れたわ。今すぐあたしと結婚しなさい!」
何故か求婚されることに。
困りながらも巻き込まれる騒動を通じて
ルークは失っていた日常を段々と取り戻していく。
こちらは他のウェブ小説にも投稿しております。
俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。
true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。
それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。
これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。
日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。
彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。
※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。
※内部進行完結済みです。毎日連載です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる