76 / 161
第七十六話 国家機械の絞首縄
しおりを挟む
時刻:早朝 06:00
場所:東京湾・F区(澄心ホーム)入口 & 澄心系各社本部
空は鉛色で、今にも落ちてきそうだった。針のような霧雨が、F区の早起きの住民の頬を刺す。本来は静かなはずのゲートが、今は黒い海に呑まれていた。
無標識の黒いトヨタ・クラウンが数百台。沈黙するサメの群れみたいに、あらゆる出入口を塞いでいる。車のドアが一斉に開いた。
降りてきたのは、濃色のトレンチコートに身を包み、銀色の金属ケースを提げた男たち。胸元で暗い朝光を返す金の徽章――国税局査察部、通称「マルサ」の標章だった。
「関係者以外は退避! 公務執行中だ!」
先頭の査察官は無表情で、声は氷のように冷たい。裁判所発付の特別捜索令状を掲げ、スマホで撮影しようとした若い住民を乱暴に押しのけた。若者はよろめいて倒れ、スマホは遠くへ跳ねて、画面が砕け散った。
――同時刻。数キロ先。澄心銀行本店。
ロビーのシャッターが上がる前に、深い紺の制服の一団が踏み込んだ。金融庁・特別検査班。彼らは主幹サーバーの電源を直に落とし、データセンターに黄色い封印紙を貼った。
理由は短く、致命的だった。「国際マネーロンダリングへの関与の疑い。国家金融安全保障を脅かす恐れ。即時、全業務を凍結。現金引き出しは一日一万円まで。」
――澄心ホールディングス・CEO室。
赤い警報灯が壁面で狂ったように点滅し、電話が鳴り続ける。乱雑な交響曲のような騒音の中へ、吉岡俊介が汗だくで飛び込んできた。手のタブレットが滑り落ちそうになる。
「社長! 国税と金融庁だけじゃありません! さっき国交省が“消防上の危険”を理由に、F区の商業施設を全て営業停止に! 厚労省も精工工場に踏み込んで“労安”の総点検だと言ってます……!」
「全面包囲だ。」佐久間拓也の顔は青ざめ、声が震えた。「大門剛造が動きました。ヤクザみたいな下衆な手じゃない――国家機械そのものを回してきた。一夜で、俺たちの酸素の管を引き抜く気です。」
そのとき、CEO室のドアがゆっくり開いた。松本(CFO)が入ってくる。かつて澄原グループで長年“闇”の帳簿を扱い、半生を影の中で生き延びてきた老会計。今は湯気の立つ茶を二杯、両手で運んでいた。手は少し震えている。だが目は、驚くほど静かだった。
「社長、お茶です。」松本は龍立の前に茶を置き、低く言った。
「下のマルサ……昔、何度も相手にしました。先頭の鬼塚――“カミソリ”です。査察じゃない。難癖をつけに来てる。」
龍立は茶碗を取り、浮いた泡をふっと吹く。外の喧騒が、まるで他人事のように遠い。
「うちの帳簿に瑕疵はあるか。」
「断じてありません。」松本は眼鏡を押し上げ、背筋を伸ばした。「あなたについてから、澄心の金は蒸留水みたいに清潔です。――ただし。」
松本は息を吐いた。重い息だ。「この国では、“潔白”は護符にならない。正当な海外投資を洗浄と断じ、合法の税務設計を脱税に仕立てる。数カ月引き延ばされるだけで流動性が枯れ、仕入れ先が怯え、資金繰りが切れる。そうなれば最後は――破綻処理です。」
下階から、足音と引き出しをひっくり返す騒音が響いた。査察官たちが経理フロアに雪崩れ込み、強盗のようにPCと箱ファイルを運び出している。監視モニター越しに、入社したばかりの若い女性会計が、隅で身を縮めて泣くのが見えた。
龍立は茶碗を置いた。その所作の落ち着きが、室内の混乱に一瞬で“芯”を通す。
「松本。行って、連中と茶でも飲め。帳簿を全部出せ。山にして積め。査ると言うなら、飽めるまで査させろ。」
龍立は立ち上がり、落地窓へ歩く。下に広がるのは、国家暴力装置の黒い車列。雨に濡れたボディが、冷たく光る。
「吉岡。全区放送を開け。俺が、皆に話す。」
数秒後。龍立の声が、霧雨を突き抜け、封鎖されたF区の空へ響き渡った。怯える職員にも、家に閉じ込められた住民にも、等しく届く。
「澄原龍立だ。皆、見ただろう。大物が焦っている。権力を総動員して、俺たちを脅しに来た。なぜだ? 俺たちが“正しいこと”をしたからだ。吸血を拒み、働いた分の給料を満額で払った。農家の野菜を正当な値で買い取った。それが連中には、恐怖なんだ。怖がるな。給料は出す。門を塞ぐなら、俺たちは有給休暇だ。覚えておけ。夜明け前の闇ほど、騒がしい。震えているから、声が大きいんだ。」
下の査察官たちの手が、一瞬だけ止まった。捜索される側が怯えるどころか、見世物を眺めるように余裕を見せる――そんな場面を、彼らは見たことがなかった。
――同じ頃、永田町。
大門剛造は広い議員事務所で、F区のリアルタイム映像を見ていた。口元に、残酷な笑みが浮かぶ。「強がるか。なら、その口を縫ってやる。」
彼はメディア中枢へ直通する赤い専用電話を取った。「始めろ。今夜以降、“澄原龍立”という名を、国中が唾を吐く“通り魔ネズミ”にしてやる。」
場所:東京湾・F区(澄心ホーム)入口 & 澄心系各社本部
空は鉛色で、今にも落ちてきそうだった。針のような霧雨が、F区の早起きの住民の頬を刺す。本来は静かなはずのゲートが、今は黒い海に呑まれていた。
無標識の黒いトヨタ・クラウンが数百台。沈黙するサメの群れみたいに、あらゆる出入口を塞いでいる。車のドアが一斉に開いた。
降りてきたのは、濃色のトレンチコートに身を包み、銀色の金属ケースを提げた男たち。胸元で暗い朝光を返す金の徽章――国税局査察部、通称「マルサ」の標章だった。
「関係者以外は退避! 公務執行中だ!」
先頭の査察官は無表情で、声は氷のように冷たい。裁判所発付の特別捜索令状を掲げ、スマホで撮影しようとした若い住民を乱暴に押しのけた。若者はよろめいて倒れ、スマホは遠くへ跳ねて、画面が砕け散った。
――同時刻。数キロ先。澄心銀行本店。
ロビーのシャッターが上がる前に、深い紺の制服の一団が踏み込んだ。金融庁・特別検査班。彼らは主幹サーバーの電源を直に落とし、データセンターに黄色い封印紙を貼った。
理由は短く、致命的だった。「国際マネーロンダリングへの関与の疑い。国家金融安全保障を脅かす恐れ。即時、全業務を凍結。現金引き出しは一日一万円まで。」
――澄心ホールディングス・CEO室。
赤い警報灯が壁面で狂ったように点滅し、電話が鳴り続ける。乱雑な交響曲のような騒音の中へ、吉岡俊介が汗だくで飛び込んできた。手のタブレットが滑り落ちそうになる。
「社長! 国税と金融庁だけじゃありません! さっき国交省が“消防上の危険”を理由に、F区の商業施設を全て営業停止に! 厚労省も精工工場に踏み込んで“労安”の総点検だと言ってます……!」
「全面包囲だ。」佐久間拓也の顔は青ざめ、声が震えた。「大門剛造が動きました。ヤクザみたいな下衆な手じゃない――国家機械そのものを回してきた。一夜で、俺たちの酸素の管を引き抜く気です。」
そのとき、CEO室のドアがゆっくり開いた。松本(CFO)が入ってくる。かつて澄原グループで長年“闇”の帳簿を扱い、半生を影の中で生き延びてきた老会計。今は湯気の立つ茶を二杯、両手で運んでいた。手は少し震えている。だが目は、驚くほど静かだった。
「社長、お茶です。」松本は龍立の前に茶を置き、低く言った。
「下のマルサ……昔、何度も相手にしました。先頭の鬼塚――“カミソリ”です。査察じゃない。難癖をつけに来てる。」
龍立は茶碗を取り、浮いた泡をふっと吹く。外の喧騒が、まるで他人事のように遠い。
「うちの帳簿に瑕疵はあるか。」
「断じてありません。」松本は眼鏡を押し上げ、背筋を伸ばした。「あなたについてから、澄心の金は蒸留水みたいに清潔です。――ただし。」
松本は息を吐いた。重い息だ。「この国では、“潔白”は護符にならない。正当な海外投資を洗浄と断じ、合法の税務設計を脱税に仕立てる。数カ月引き延ばされるだけで流動性が枯れ、仕入れ先が怯え、資金繰りが切れる。そうなれば最後は――破綻処理です。」
下階から、足音と引き出しをひっくり返す騒音が響いた。査察官たちが経理フロアに雪崩れ込み、強盗のようにPCと箱ファイルを運び出している。監視モニター越しに、入社したばかりの若い女性会計が、隅で身を縮めて泣くのが見えた。
龍立は茶碗を置いた。その所作の落ち着きが、室内の混乱に一瞬で“芯”を通す。
「松本。行って、連中と茶でも飲め。帳簿を全部出せ。山にして積め。査ると言うなら、飽めるまで査させろ。」
龍立は立ち上がり、落地窓へ歩く。下に広がるのは、国家暴力装置の黒い車列。雨に濡れたボディが、冷たく光る。
「吉岡。全区放送を開け。俺が、皆に話す。」
数秒後。龍立の声が、霧雨を突き抜け、封鎖されたF区の空へ響き渡った。怯える職員にも、家に閉じ込められた住民にも、等しく届く。
「澄原龍立だ。皆、見ただろう。大物が焦っている。権力を総動員して、俺たちを脅しに来た。なぜだ? 俺たちが“正しいこと”をしたからだ。吸血を拒み、働いた分の給料を満額で払った。農家の野菜を正当な値で買い取った。それが連中には、恐怖なんだ。怖がるな。給料は出す。門を塞ぐなら、俺たちは有給休暇だ。覚えておけ。夜明け前の闇ほど、騒がしい。震えているから、声が大きいんだ。」
下の査察官たちの手が、一瞬だけ止まった。捜索される側が怯えるどころか、見世物を眺めるように余裕を見せる――そんな場面を、彼らは見たことがなかった。
――同じ頃、永田町。
大門剛造は広い議員事務所で、F区のリアルタイム映像を見ていた。口元に、残酷な笑みが浮かぶ。「強がるか。なら、その口を縫ってやる。」
彼はメディア中枢へ直通する赤い専用電話を取った。「始めろ。今夜以降、“澄原龍立”という名を、国中が唾を吐く“通り魔ネズミ”にしてやる。」
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
静かに過ごしたい冬馬君が学園のマドンナに好かれてしまった件について
おとら@ 書籍発売中
青春
この物語は、とある理由から目立ちたくないぼっちの少年の成長物語である
そんなある日、少年は不良に絡まれている女子を助けてしまったが……。
なんと、彼女は学園のマドンナだった……!
こうして平穏に過ごしたい少年の生活は一変することになる。
彼女を避けていたが、度々遭遇してしまう。
そんな中、少年は次第に彼女に惹かれていく……。
そして助けられた少女もまた……。
二人の青春、そして成長物語をご覧ください。
※中盤から甘々にご注意を。
※性描写ありは保険です。
他サイトにも掲載しております。
【完結】元ゼネコンなおっさん大賢者の、スローなもふもふ秘密基地ライフ(神獣付き)~異世界の大賢者になったのになぜか土方ばかりしてるんだがぁ?
嘉神かろ
ファンタジー
【Hotランキング3位】
ゼネコンで働くアラフォーのおっさん、多田野雄三は、ある日気がつくと、異世界にいた。
見覚えのあるその世界は、雄三が大学時代にやり込んだVR型MMOアクションRPGの世界で、当時のキャラの能力をそのまま使えるらしい。
大賢者という最高位職にある彼のやりたいことは、ただ一つ。スローライフ!
神獣たちや気がついたらできていた弟子たちと共に、おっさんは異世界で好き勝手に暮らす。
「なんだか妙に忙しい気もするねぇ。まあ、楽しいからいいんだけど」
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
戦場の英雄、上官の陰謀により死亡扱いにされ、故郷に帰ると許嫁は結婚していた。絶望の中、偶然助けた許嫁の娘に何故か求婚されることに
千石
ファンタジー
「絶対生きて帰ってくる。その時は結婚しよう」
「はい。あなたの帰りをいつまでも待ってます」
許嫁と涙ながらに約束をした20年後、英雄と呼ばれるまでになったルークだったが生還してみると死亡扱いにされていた。
許嫁は既に結婚しており、ルークは絶望の只中に。
上官の陰謀だと知ったルークは激怒し、殴ってしまう。
言い訳をする気もなかったため、全ての功績を抹消され、貰えるはずだった年金もパー。
絶望の中、偶然助けた子が許嫁の娘で、
「ルーク、あなたに惚れたわ。今すぐあたしと結婚しなさい!」
何故か求婚されることに。
困りながらも巻き込まれる騒動を通じて
ルークは失っていた日常を段々と取り戻していく。
こちらは他のウェブ小説にも投稿しております。
俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。
true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。
それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。
これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。
日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。
彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。
※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。
※内部進行完結済みです。毎日連載です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる