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壱、除夕(大晦日)
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「ああっ……どうして……」
諦めて身を委ねてしまえば快感しかなくて、花月は青年に抱きつくことしかできなかった。
「花月、必ずやそなたを迎えにこよう」
甘く抱かれながら、彼女はそんな科白を聞いた気が――した。
* *
旧暦の年末である腊月三十の夕方、林花月は店じまいをしていた。
年の瀬はみな家に帰るもの。通常ならば夜の少し遅い時間まで酒楼を開けているが、今夜はもう誰もこないだろうと店を閉めることにしたのだった。
年が明けてからもしばらくはみな家から出てこない。営業再開は五日ぐらいでいいだろう。花月は店の表を掃き清めると急いで店内に取って返し、残飯の整理をした。
「花月姐さん、年末までそんなことしなくても」
「さすがに今日はあんまり量がないわね。餃子を作って碗に足したらいいかもしれないわ」
「もー、なんでそんなに親切なんだか」
花月は、呆れた様子の従業員の女の子に苦笑した。
ここは都にほど近い街で、街の中心部には科挙を目指す子弟が通う書院があった。街は書院によって栄えていると言っても過言ではなく、花月の酒楼も書院に通う学生たちによって潤っていると言える。しかしそれ以外はこれといって目玉がないせいか、少し外れると貧民街が広がっている。みな少しでも栄えている街に住みたいという心理は一緒なので、人手は常に飽和状態で悪循環を生んでいた。
花月も貧民街で育った。ある時たまたま道端で座り込んでいた老人を介抱したところ、その老人にひどく感謝されて多額のお金をもらった。それを元手に街の中心部近くに酒楼を建てたらこれが意外と繁盛した。
花月の兄はそれほど頭がいいとはいえなかったが料理の才能があった。食材を満たせばどんどんいろいろな料理を作った。花月もない頭を振り絞って妹と経営について考えた。そこで思いついたのは、書院に通う学生には安めの特別メニューを用意するということだった。学生は大概白っぽい制服を着ているからすぐに見分けがつくと思ったからだった。けれど放課後はそうもいかないので、学生だと証明してもらう為に詩経の中の詩をそらんじてもらうか書いてもらうことにした。その為花月はわざわざ詩経の写しを買い求め勉強しなくてはならなかった。詩経の内容は膨大だったが、中には有名な詩がいくつかあるらしいと教わりそれらを暗記したりした。意外とそれが受け、開業して五年目になるがどうにかやっていけている。
「”与人方便,自己方便(情けは人の為ならず)”よ、小明」
「花月さんにとっては確かに……」
兄が茹でた餃子を残飯を入れた碗にいくつかずつ盛り、花月は店の裏口から出て行った。貧民街へ向かう道すがら、白いものがちらちらと降ってくるのが見えた。
(寒い、急がないと……)
せっかくの餃子が冷めてしまうと、花月は足を急がせた。貧民街に家を持つ者はまだいい方で、道端で物乞いをしている者も少なくない。彼女はそんな彼らを他人事だとは思えなかったから、店の残飯の中から食べられそうな物をみつくろい毎晩のように運んでいた。もちろん残飯処理の意味合いもあったのでただの親切とはいえないと花月は思っている。けれど彼らにも除夕(大晦日)を過ごす楽しみはあってもいいのではないかと思った。
この国の年越しで食べるのは水餃子だ。これでもかと沢山作って家族総出で食べるいわばごちそうである。これは年夜飯と呼ばれ、年越しにおける楽しみの一つでもあった。
今晩は何度往復すれば届けきれるだろうと考えながら花月はお盆を運ぶ。やがて道端に寝転がっている薄汚い風体の浮浪者たちが見えた。彼女はためらいもなく彼らに声をかけ、碗を渡していった。
「昨日のお碗があればちょうだい。また持ってくるわ」
「女神さまじゃ……ああ、餃子が食べられるなんて……」
「女神さま……ありがとうございます、ありがとうございます」
「できるだけ暖かいところにいてね。今夜も冷えるから……」
どうやらやはり碗が足りないようだ。「すぐに戻るから待っていてね」と声をかけて回収できた碗を持ち酒楼に戻る。戻ってくる碗はいつだってきれいに空になっていて、彼らが喜んでいることを伝えてくれた。
「さ、もう一仕事ね!」
「姐姐、私も手伝う」
「ありがとう、助かるわ」
従業員の女の子にはいくつか料理を持たせて帰宅させた。酒楼兼家に住むのは兄と花月、そして妹だけである。両親は酒楼を建ててすぐぐらいに亡くなった。あまり親孝行ができなかったのは心残りだが、兄の将来を憂えていた両親はほっとしたのかもしれなかった。
再び碗を妹と共に運ぶ。これが終れば家族で年越しができると、花月は疲労を覚える己を励ました。
ーーーーー
旧暦12月30日、大晦日(除夕)の話です。旧正月の前日です。
中国では年夜飯(年越しの料理。日本で言う年越しそばよりも豪勢なもの。どちらかといえばお節に近いです)に水餃子を食べます。(この物語で早い時間に餃子を作っているのは仕様です) 餃子を食べるのは「更岁交子」という意味で、「子」は子の刻で、「交」は中国語で「餃」と同じ読み方で、つまり喜び、団欒、縁起が良いという意味です。
出典:春節の食べ物 https://www.arachina.com/festivals/spring-festival/food.htm
与人方便,自己方便(情けは人の為ならず) 出典:元代の人、施惠《幽闺记·皇华悲遇》より。施惠は水滸伝の作者の別のペンネーム
諦めて身を委ねてしまえば快感しかなくて、花月は青年に抱きつくことしかできなかった。
「花月、必ずやそなたを迎えにこよう」
甘く抱かれながら、彼女はそんな科白を聞いた気が――した。
* *
旧暦の年末である腊月三十の夕方、林花月は店じまいをしていた。
年の瀬はみな家に帰るもの。通常ならば夜の少し遅い時間まで酒楼を開けているが、今夜はもう誰もこないだろうと店を閉めることにしたのだった。
年が明けてからもしばらくはみな家から出てこない。営業再開は五日ぐらいでいいだろう。花月は店の表を掃き清めると急いで店内に取って返し、残飯の整理をした。
「花月姐さん、年末までそんなことしなくても」
「さすがに今日はあんまり量がないわね。餃子を作って碗に足したらいいかもしれないわ」
「もー、なんでそんなに親切なんだか」
花月は、呆れた様子の従業員の女の子に苦笑した。
ここは都にほど近い街で、街の中心部には科挙を目指す子弟が通う書院があった。街は書院によって栄えていると言っても過言ではなく、花月の酒楼も書院に通う学生たちによって潤っていると言える。しかしそれ以外はこれといって目玉がないせいか、少し外れると貧民街が広がっている。みな少しでも栄えている街に住みたいという心理は一緒なので、人手は常に飽和状態で悪循環を生んでいた。
花月も貧民街で育った。ある時たまたま道端で座り込んでいた老人を介抱したところ、その老人にひどく感謝されて多額のお金をもらった。それを元手に街の中心部近くに酒楼を建てたらこれが意外と繁盛した。
花月の兄はそれほど頭がいいとはいえなかったが料理の才能があった。食材を満たせばどんどんいろいろな料理を作った。花月もない頭を振り絞って妹と経営について考えた。そこで思いついたのは、書院に通う学生には安めの特別メニューを用意するということだった。学生は大概白っぽい制服を着ているからすぐに見分けがつくと思ったからだった。けれど放課後はそうもいかないので、学生だと証明してもらう為に詩経の中の詩をそらんじてもらうか書いてもらうことにした。その為花月はわざわざ詩経の写しを買い求め勉強しなくてはならなかった。詩経の内容は膨大だったが、中には有名な詩がいくつかあるらしいと教わりそれらを暗記したりした。意外とそれが受け、開業して五年目になるがどうにかやっていけている。
「”与人方便,自己方便(情けは人の為ならず)”よ、小明」
「花月さんにとっては確かに……」
兄が茹でた餃子を残飯を入れた碗にいくつかずつ盛り、花月は店の裏口から出て行った。貧民街へ向かう道すがら、白いものがちらちらと降ってくるのが見えた。
(寒い、急がないと……)
せっかくの餃子が冷めてしまうと、花月は足を急がせた。貧民街に家を持つ者はまだいい方で、道端で物乞いをしている者も少なくない。彼女はそんな彼らを他人事だとは思えなかったから、店の残飯の中から食べられそうな物をみつくろい毎晩のように運んでいた。もちろん残飯処理の意味合いもあったのでただの親切とはいえないと花月は思っている。けれど彼らにも除夕(大晦日)を過ごす楽しみはあってもいいのではないかと思った。
この国の年越しで食べるのは水餃子だ。これでもかと沢山作って家族総出で食べるいわばごちそうである。これは年夜飯と呼ばれ、年越しにおける楽しみの一つでもあった。
今晩は何度往復すれば届けきれるだろうと考えながら花月はお盆を運ぶ。やがて道端に寝転がっている薄汚い風体の浮浪者たちが見えた。彼女はためらいもなく彼らに声をかけ、碗を渡していった。
「昨日のお碗があればちょうだい。また持ってくるわ」
「女神さまじゃ……ああ、餃子が食べられるなんて……」
「女神さま……ありがとうございます、ありがとうございます」
「できるだけ暖かいところにいてね。今夜も冷えるから……」
どうやらやはり碗が足りないようだ。「すぐに戻るから待っていてね」と声をかけて回収できた碗を持ち酒楼に戻る。戻ってくる碗はいつだってきれいに空になっていて、彼らが喜んでいることを伝えてくれた。
「さ、もう一仕事ね!」
「姐姐、私も手伝う」
「ありがとう、助かるわ」
従業員の女の子にはいくつか料理を持たせて帰宅させた。酒楼兼家に住むのは兄と花月、そして妹だけである。両親は酒楼を建ててすぐぐらいに亡くなった。あまり親孝行ができなかったのは心残りだが、兄の将来を憂えていた両親はほっとしたのかもしれなかった。
再び碗を妹と共に運ぶ。これが終れば家族で年越しができると、花月は疲労を覚える己を励ました。
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旧暦12月30日、大晦日(除夕)の話です。旧正月の前日です。
中国では年夜飯(年越しの料理。日本で言う年越しそばよりも豪勢なもの。どちらかといえばお節に近いです)に水餃子を食べます。(この物語で早い時間に餃子を作っているのは仕様です) 餃子を食べるのは「更岁交子」という意味で、「子」は子の刻で、「交」は中国語で「餃」と同じ読み方で、つまり喜び、団欒、縁起が良いという意味です。
出典:春節の食べ物 https://www.arachina.com/festivals/spring-festival/food.htm
与人方便,自己方便(情けは人の為ならず) 出典:元代の人、施惠《幽闺记·皇华悲遇》より。施惠は水滸伝の作者の別のペンネーム
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