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第2部 嫁ぎ先を決めろと言われました
89.こだわりが引き寄せたようです
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その日も香子は白虎と過ごしていた。
今日あたりには侍女頭の陳秀美が戻ってくるはずである。侍女の補充については望み薄だが実家での話は少し聞かせてほしいと香子は思っていた。戻ってくる時間はわからないので陳が戻り次第連絡するように話を通してある。
(でも、白雲が優先かしら)
すぐそこに控えている白雲をちら、と見やる。全くいつも通りで面白くない。
ちょっかいを出したいという気持ちが頭をもたげるが、後が怖いので断念せざるを得ない。最近眷属は四神を煽る、という技を編み出したらしい。それに四神も喜々として乗っかるのだからタチが悪い。
自分の椅子になっている白虎の腕を、香子は胸の前でぎゅっと抱きしめる。筋肉質で太い腕だ。いつだって守られているという安心感。
(平和だ……)
そうのんびり思っていられたのはその日までだった。
白虎の室の表から声がかかる。
『兄、少しよろしいか? 趙が呼んでいます』
室の前に控えている黒月の声。白雲が一瞬白虎を窺った。諾の返事を得たのだろう。『失礼します』と言い置いて室を出て行った。
なんだかまた自分絡みだろうかと香子は冷汗をかく。だが白虎の様子が全く変わらないことからまぁいいかとすぐに忘れてしまった。ただ、その後四神宮内外は少しばたばたしていたようである。しばらくすると白雲が戻ってきた。少し気が張っているように見える。
『如何か』
『……陳が往来で赤い髪の少女を保護したそうです』
『?』
何か事件にでも巻き込まれたのだろうか。香子は首を傾げた。
白雲が息を吐いたのがわかる。彼は端的に事のあらましを話した。
曰く、王城の前の馬車道に人が投げ出されているのを陳が見つけた。
それは赤い髪の、外国の少女だった。わけあって王都へ出てきたが一緒に来た人とはぐれてしまったのだという。
怪我もしているので一時的に四神宮の寮で保護させてほしいという陳情だった。
『ふうん……?』
香子としてはいまいちピンとこなかったが、おそらく陳が同情するような要素がその少女にあったのだろうと推察する。だがそれだけでは王城内に連れてくるには不十分だろう。
『誰か……詳しい話を聞きに行くのよね?』
『はい』
相手が陳だけに、今にも白雲が出て行きたそうだ。香子はなんだか嫌な予感がした。
『ええと、確認したいのだけど。もしその少女が虚偽を行った場合誰かそれをわかる人がいるのかしら?』
超常的な答えを求めて聞けば四神とその眷属であれば相手が嘘をついているかどうかわかるらしい。相変わらずチートである。
ならばなおのこと白雲に行かせるわけにはいかない。
(冷静な判断ができそうな者といえば……)
黒月は香子の守護なので論外である。となるとあとは青藍と紅夏だが、青藍は香子が部屋を離れると延夕玲と過ごそうとするので遣いに出すと恨まれるかもしれない。
となると。
『なら、紅夏に行かせたらどうかしら? 朱雀様に許可を取らないとだけど……』
『朱雀様には我が。花嫁様は白虎様と過ごされますよう』
『……はい』
そう言う白雲の目が怖かったので、香子は素直に白虎の腕の中でくるまった。なんだかこれでは猫の子みたいだなと思ったが、相手は虎なのでいいことにした。
白雲に提案した通り紅夏が行ったらしい。紅夏が一度戻ってきたりとちょっとしたやりとりがあり、四神宮の外側の寮で過ごすだけならばいいのではないかと四神が許可を出した。
『で? 結局どういう話だったの?』
今度こそ陳とその少女を連れて戻ってきた紅夏に、香子は話を聞いてみることにした。ちなみに紅夏と入れ違いに白雲は白虎の室を出て行った。
陳が連れ帰ってきたという赤い髪と緑の瞳を持つ少女は、他国の貿易商の娘だった。
三年ほど前に父と共に唐を訪れ、帰国しようとしたところ船が難破し秦皇島の浜辺にたった一人打ち上げられた。
浜辺の近くの村の夫婦に拾われ暮らしていたが、四神の花嫁が降臨したことを聞き、養父と共に王都へ出てきたのだという。
四神の花嫁が少女と同じように”赤い髪”をしていると聞いたから。
けれど王都に着いた途端人の波に押されて養父と離れ離れになり、少女が馬車道に投げ出されたところを陳が見つけたという話だった。
『……もしかして、その子は髪の色で私が同郷なのかもしれないと思ったのかしら……?』
香子は唖然とした。
香子の元の髪の色は黒だ。
最初赤に染めてくれたのは留学していた時の友人で。それから赤に染めるようになった。何度も染めるうちに色が入りやすくなり、卒業真近の頃にはこんなに鮮やかな赤い長髪の子は見たことがないと教師に呆れられたものだった。
留学中は楽しくて楽しくてしかたなかったが今ならわかる。赤い髪は、香子なりの精神安定剤だったのだ。
今は朱雀のおかげで常に赤い髪でいられる。元に戻したいと思えばすぐに戻ると言われているが黒髪の己に戻るつもりはない。少なくともこの一年は無理だろうと香子は思う。香子は自分の弱さをそれなりに理解していた。
『おそれながら、陳もそのことを忘れていたようです。間違いを正しましたが、はぐれた相手に会わせるまではこちらで預からせてもらえないかとのことです』
『そうね……直接ではないにしろ勘違いをさせてしまった私にも非はあるわ。せめて一緒にきた方と再会できるまではお預かりしましょう。ところで、彼女のお父様は貿易商だったという話だけどどちらの国の方だったのかしら?』
『セレスト王国と聞いています』
『海の向こうの大国だ』
国名を聞いたところでわからない。白虎を見やるとそう答えてくれた。
『船でどれぐらいかかるのかしら?』
『確か片道二か月ぐらいではなかったか』
『二か月!?』
なんて遠い、と香子は驚愕したがすぐに思い直した。
帆船である。確か大航海時代にかのマゼランはスペインを出港して南アフリカのマゼラン海峡を抜けるのに一年ぐらいかかったのではなかったか。もちろん途中トラブルもあったはずなのでその距離に一年かかるとは言えないだろうが、船で二か月の距離にある大陸といえばそれほど遠くはないはずである。それよりもあることに香子は気付いた。
『今セレスト王国は”大国”とおっしゃいませんでしたか?』
『ああ。隣の大陸では一番大きいはずだ』
断言するところからそうなのだろうと納得する。
『……船が難破して帰国できないとすれば、少なくともセレスト王国から問い合わせがきているはずでは?』
『そういうこともあるかもしれぬが、我にはわからぬ』
(ですよねー)
例え問い合わせがあったにしろ生き残った少女が秦皇島にいたのでは探しようがない。
『……いくつぐらいの子だったの?』
『……見立てでは成人したかしないかというところかと』
香子は嘆息した。
成人していたとしても十五歳。十二歳の頃に唐に来て、親の生死もわからない。想像しただけでも胸が張り裂けそうである。
『その子の言うことに嘘はなかったのね?』
再度確認する。紅夏は『はい』と答えた。
陳が同情し、紅夏が嘘はついていないという。あとはその少女の人となりだろうと香子は思う。
いろいろな思考が脳裏に浮かぶ。これはさすがに紙に書いて整理する必要があるだろう。
『白虎様、私会いたいと思うのですがよろしいですか?』
『何故に?』
聞き返すということは反対なのだろうと判断がつく。けれど理由はわからないながら会わなければいけないような気がする。
『……気になるのです。なんだか他人事とは思えなくて……』
見知らぬ国にたった一人。どれほど心細かっただろう、言葉もしゃべれたのだろうか。胸がしめつけられるような感覚に香子は嘆息した。
『……そうか』
ふと頤に触れられた。香子は笑みを浮かべて軽く目を閉じる。
こうして四神はいつも香子を甘やかす。わかっていながらも嬉しくて重ねられる口唇に応えた。
いつのまにか紅夏はその場を辞していた。よくできた眷属である。
今日あたりには侍女頭の陳秀美が戻ってくるはずである。侍女の補充については望み薄だが実家での話は少し聞かせてほしいと香子は思っていた。戻ってくる時間はわからないので陳が戻り次第連絡するように話を通してある。
(でも、白雲が優先かしら)
すぐそこに控えている白雲をちら、と見やる。全くいつも通りで面白くない。
ちょっかいを出したいという気持ちが頭をもたげるが、後が怖いので断念せざるを得ない。最近眷属は四神を煽る、という技を編み出したらしい。それに四神も喜々として乗っかるのだからタチが悪い。
自分の椅子になっている白虎の腕を、香子は胸の前でぎゅっと抱きしめる。筋肉質で太い腕だ。いつだって守られているという安心感。
(平和だ……)
そうのんびり思っていられたのはその日までだった。
白虎の室の表から声がかかる。
『兄、少しよろしいか? 趙が呼んでいます』
室の前に控えている黒月の声。白雲が一瞬白虎を窺った。諾の返事を得たのだろう。『失礼します』と言い置いて室を出て行った。
なんだかまた自分絡みだろうかと香子は冷汗をかく。だが白虎の様子が全く変わらないことからまぁいいかとすぐに忘れてしまった。ただ、その後四神宮内外は少しばたばたしていたようである。しばらくすると白雲が戻ってきた。少し気が張っているように見える。
『如何か』
『……陳が往来で赤い髪の少女を保護したそうです』
『?』
何か事件にでも巻き込まれたのだろうか。香子は首を傾げた。
白雲が息を吐いたのがわかる。彼は端的に事のあらましを話した。
曰く、王城の前の馬車道に人が投げ出されているのを陳が見つけた。
それは赤い髪の、外国の少女だった。わけあって王都へ出てきたが一緒に来た人とはぐれてしまったのだという。
怪我もしているので一時的に四神宮の寮で保護させてほしいという陳情だった。
『ふうん……?』
香子としてはいまいちピンとこなかったが、おそらく陳が同情するような要素がその少女にあったのだろうと推察する。だがそれだけでは王城内に連れてくるには不十分だろう。
『誰か……詳しい話を聞きに行くのよね?』
『はい』
相手が陳だけに、今にも白雲が出て行きたそうだ。香子はなんだか嫌な予感がした。
『ええと、確認したいのだけど。もしその少女が虚偽を行った場合誰かそれをわかる人がいるのかしら?』
超常的な答えを求めて聞けば四神とその眷属であれば相手が嘘をついているかどうかわかるらしい。相変わらずチートである。
ならばなおのこと白雲に行かせるわけにはいかない。
(冷静な判断ができそうな者といえば……)
黒月は香子の守護なので論外である。となるとあとは青藍と紅夏だが、青藍は香子が部屋を離れると延夕玲と過ごそうとするので遣いに出すと恨まれるかもしれない。
となると。
『なら、紅夏に行かせたらどうかしら? 朱雀様に許可を取らないとだけど……』
『朱雀様には我が。花嫁様は白虎様と過ごされますよう』
『……はい』
そう言う白雲の目が怖かったので、香子は素直に白虎の腕の中でくるまった。なんだかこれでは猫の子みたいだなと思ったが、相手は虎なのでいいことにした。
白雲に提案した通り紅夏が行ったらしい。紅夏が一度戻ってきたりとちょっとしたやりとりがあり、四神宮の外側の寮で過ごすだけならばいいのではないかと四神が許可を出した。
『で? 結局どういう話だったの?』
今度こそ陳とその少女を連れて戻ってきた紅夏に、香子は話を聞いてみることにした。ちなみに紅夏と入れ違いに白雲は白虎の室を出て行った。
陳が連れ帰ってきたという赤い髪と緑の瞳を持つ少女は、他国の貿易商の娘だった。
三年ほど前に父と共に唐を訪れ、帰国しようとしたところ船が難破し秦皇島の浜辺にたった一人打ち上げられた。
浜辺の近くの村の夫婦に拾われ暮らしていたが、四神の花嫁が降臨したことを聞き、養父と共に王都へ出てきたのだという。
四神の花嫁が少女と同じように”赤い髪”をしていると聞いたから。
けれど王都に着いた途端人の波に押されて養父と離れ離れになり、少女が馬車道に投げ出されたところを陳が見つけたという話だった。
『……もしかして、その子は髪の色で私が同郷なのかもしれないと思ったのかしら……?』
香子は唖然とした。
香子の元の髪の色は黒だ。
最初赤に染めてくれたのは留学していた時の友人で。それから赤に染めるようになった。何度も染めるうちに色が入りやすくなり、卒業真近の頃にはこんなに鮮やかな赤い長髪の子は見たことがないと教師に呆れられたものだった。
留学中は楽しくて楽しくてしかたなかったが今ならわかる。赤い髪は、香子なりの精神安定剤だったのだ。
今は朱雀のおかげで常に赤い髪でいられる。元に戻したいと思えばすぐに戻ると言われているが黒髪の己に戻るつもりはない。少なくともこの一年は無理だろうと香子は思う。香子は自分の弱さをそれなりに理解していた。
『おそれながら、陳もそのことを忘れていたようです。間違いを正しましたが、はぐれた相手に会わせるまではこちらで預からせてもらえないかとのことです』
『そうね……直接ではないにしろ勘違いをさせてしまった私にも非はあるわ。せめて一緒にきた方と再会できるまではお預かりしましょう。ところで、彼女のお父様は貿易商だったという話だけどどちらの国の方だったのかしら?』
『セレスト王国と聞いています』
『海の向こうの大国だ』
国名を聞いたところでわからない。白虎を見やるとそう答えてくれた。
『船でどれぐらいかかるのかしら?』
『確か片道二か月ぐらいではなかったか』
『二か月!?』
なんて遠い、と香子は驚愕したがすぐに思い直した。
帆船である。確か大航海時代にかのマゼランはスペインを出港して南アフリカのマゼラン海峡を抜けるのに一年ぐらいかかったのではなかったか。もちろん途中トラブルもあったはずなのでその距離に一年かかるとは言えないだろうが、船で二か月の距離にある大陸といえばそれほど遠くはないはずである。それよりもあることに香子は気付いた。
『今セレスト王国は”大国”とおっしゃいませんでしたか?』
『ああ。隣の大陸では一番大きいはずだ』
断言するところからそうなのだろうと納得する。
『……船が難破して帰国できないとすれば、少なくともセレスト王国から問い合わせがきているはずでは?』
『そういうこともあるかもしれぬが、我にはわからぬ』
(ですよねー)
例え問い合わせがあったにしろ生き残った少女が秦皇島にいたのでは探しようがない。
『……いくつぐらいの子だったの?』
『……見立てでは成人したかしないかというところかと』
香子は嘆息した。
成人していたとしても十五歳。十二歳の頃に唐に来て、親の生死もわからない。想像しただけでも胸が張り裂けそうである。
『その子の言うことに嘘はなかったのね?』
再度確認する。紅夏は『はい』と答えた。
陳が同情し、紅夏が嘘はついていないという。あとはその少女の人となりだろうと香子は思う。
いろいろな思考が脳裏に浮かぶ。これはさすがに紙に書いて整理する必要があるだろう。
『白虎様、私会いたいと思うのですがよろしいですか?』
『何故に?』
聞き返すということは反対なのだろうと判断がつく。けれど理由はわからないながら会わなければいけないような気がする。
『……気になるのです。なんだか他人事とは思えなくて……』
見知らぬ国にたった一人。どれほど心細かっただろう、言葉もしゃべれたのだろうか。胸がしめつけられるような感覚に香子は嘆息した。
『……そうか』
ふと頤に触れられた。香子は笑みを浮かべて軽く目を閉じる。
こうして四神はいつも香子を甘やかす。わかっていながらも嬉しくて重ねられる口唇に応えた。
いつのまにか紅夏はその場を辞していた。よくできた眷属である。
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