辺境の漁村育ちですが、命の恩人が隣国の王子様でした 〜溺愛は波のように押し寄せる〜

紅葉山参

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記憶の覚醒と別れ

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 激しい頭痛が治まったとき、シリウスの瞳は完全に澄み切っていた。混乱も、迷いもない。そこにいたのは、辺境の漁村に流れ着いた「アン」ではなく、隣国アンサンブルの第一王子、シリウス・フォン・アンサンブルだった。

 彼はリーリアの手を握り、ゆっくりと口を開いた。彼の声は、以前よりも低く、重厚で、威厳を帯びていた。

「リーリア。私は、アンサンブル王国の第一王子、シリウスだ。どうやら、公務のために乗っていた船が、この国との国境付近で嵐に遭い、難破したようだ。私の護衛や従者は、おそらく全員……」

 シリウスは悲しげに目を伏せたが、すぐに顔を上げた。

「君は、私を命がけで救ってくれた。敵国であるこの国の人間でありながら、その出自や身分を知らずに、献身的に介護してくれた。その恩義は、決して忘れられない」

 リーリアは、彼の言葉を静かに聞いていた。紋章を見た瞬間、こうなることはわかっていた。彼の言葉の一つ一つが、二人の間に存在する、埋めようのない身分の差を、冷たい現実として突きつけてきた。

「私は……人魚姫の呪いと恐れられる、ただの漁師の娘です。お名前を思い出されて、よかったです、シリウス様」

 リーリアは、そっと彼の手から自分の手を離した。もう、「アン」と呼ぶことはできない。もう、彼の手の甲にキスをしてもらうこともできない。それは、あまりにも切ない、別れの予感だった。

 シリウスはリーリアの行動を見て、その意図を正確に理解した。

「待ってくれ、リーリア。君は、私にとって『ただの漁師の娘』ではない。君は私の命の恩人だ。そして……君は、私にとって最も大切な人だ」

 シリウスは、身分を弁えようとするリーリアの態度に焦燥感を覚えた。記憶は戻ったが、リーリアへの愛情は失われていなかった。むしろ、自分が何者であるかを理解したことで、彼女の献身の価値がどれほど計り知れないかを悟った。

「その言葉だけで十分です。シリウス様。すぐに王都へお戻りください。きっと、あなたの国では、皆さんが心配しておいでです」

 リーリアは冷静に、そしてどこか事務的に言った。そうすることで、自分の溢れ出しそうな涙を抑え込もうとしていた。

 その時、洞窟の外から、複数の男たちの声が聞こえてきた。彼らは、昨日リーリアが見た男たちだった。

「この辺りで、王子の服の破片が見つかったそうだ!念入りに捜せ!」

「隠れているなら、出てこい!さもなくば、この村の住民全てを、王子の身を隠した罪で罰するぞ!」

 男たちは、リーリアの村の言葉で脅しをかけてきた。どうやら、彼らはシリウスの護衛ではなく、隣国との摩擦を狙う、敵対国の工作員、あるいは王位継承を狙う政敵の追っ手だったのかもしれない。

 シリウスの顔色が変わった。彼らがこの場所を知り、リーリアの安全を脅かしている。

「リーリア、君は村に戻れ!私がここで彼らを食い止める」

「だめよ!あなたはまだ本調子じゃない!それに、あなたの身分が彼らに知られれば、交渉の余地もなく殺されてしまう!」

 リーリアは、漁師の娘らしく、冷静に状況を分析した。彼女の機転が、ここで二人の命を救うことになる。

「この洞窟の裏手に、小さな船着き場がある。父が秘密で使っていたの。そこから船で海に出なさい。彼らはまさか、あなたが海から逃げるとは思わないわ」

「だが、君は……」

「私は、ただの漁師の娘。すぐに村に戻って、何も知らないふりをするわ。銀髪の私は、いつも村人に疎まれているから、彼らの目を欺くのは簡単よ」

 シリウスはリーリアの瞳を見た。そこには恐怖はなく、ただ、彼を生かそうとする強い愛だけがあった。

 シリウスはリーリアを強く抱きしめた。

「必ず、迎えに来る。身分も国境も関係ない。君は私の命の恩人であり、私の妃になるべき女性だ。決して、忘れないでくれ!」

「……ええ」

 リーリアはそれだけ答え、シリウスを押し返し、小さな船へと導いた。

 シリウスが暗い海へ漕ぎ出していくのを見届けた後、リーリアは急いで洞窟から離れた。

 村に戻ると、追っ手らしき男たちが村長を脅し、住民に尋問を始めていた。リーリアは怯えたふりをして、自宅の陰に隠れた。男たちの警戒心が薄れた隙に、彼女はこっそりと漁具の小屋に入り、漁師服に着替えた。

 男たちは、結局何も見つけられず、怒鳴り散らして村から去っていった。

 夜が明け、誰もいなくなった海辺で、リーリアはただ立ち尽くしていた。

「必ず、迎えに来る」

 その約束の言葉だけが、リーリアの心を温め、そして、絶望から救い出していた。
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