虐げられし陰の皇女ですが、生贄嫁いだ隣国で「蛮王」に甘く愛され、飯テロ&内政チートで国を救うことになりました

紅葉山参

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追放の日の宣告と出発

蛮族の国境で見つけた、初めての温かさ

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 帝国を離れてからの旅路は、心身ともに過酷を極めた。
 スーザンは閉所恐怖症に加え、幼い頃からまともな食事を与えられてこなかったため、体力も極端に低い。粗末な馬車は揺れるたびに骨に響き、与えられるのは冷えた硬いパンと水ばかりだった。

(耐えるのよ。あと少しで、トロイセンの国境よ……)

 トロイセン領土へ入る道は、帝国からの視線を避けるため、敢えて人里離れた荒野を選んで進んだ。護衛兵たちはスーザンへの関心など微塵もなく、彼女を「生贄」としてただ目的地まで運ぶ道具としか見ていない。食事の時間も、休憩も、すべては彼らの都合次第だった。

 七日目の夜明け前。馬車はついに、両国を隔てる巨大な岩山の中にある、唯一の関門に差し掛かった。帝国側は薄暗く、石造りの要塞のような造りだ。

「これより先は、トロイセン領土だ。スーザン皇女、我々の役目はここまで」

 護衛兵の隊長は冷たく言い放つと、スーザンを馬車から降ろした。
 早朝の寒気と、これから独りになるという恐怖に、スーザンの体は震えた。

「お前にやる分はもうない。トロイセンに着いたら、せいぜい王に媚びて、少しでも長く生き延びるんだな」

 隊長は嘲笑を浮かべると、残りの硬いパンを地面に投げつけ、そのまま馬車をUターンさせた。彼らは一刻も早く、この「蛮族の国境」から遠ざかりたかったのだろう。

 スーザンは、荒涼とした国境に一人取り残された。
 目の前には、巨大な岩の門がある。門の向こうが、地獄と噂されるトロイセンだ。

(蛮王ロキニアス……)

 恐怖が胸を締め付ける。しかし、生贄として投げ出された以上、後戻りはできない。
 スーザンは深呼吸をして、門に近づいた。

 門番を務めるのは、トロイセン側の兵士だ。帝国側の制服とは全く違う、動物の毛皮や厚い革の装備を身に着けている。噂通りの「蛮族」の姿だ。
 彼らはスーザンを一瞥し、片言の帝国語で尋ねた。

「お前が、帝国から来た……皇女か?」

「は、はい。スーザン・ロア・マドレスと申します。和平のため、王の元へ参りました」

 スーザンが震えながら答えると、一人の兵士が大きな笑い声を上げた。

「ハハ!こんなに華奢な嬢ちゃんを生贄に寄越すとは、帝国も随分とケチになったもんだ!まあいい、通せ!」

 蛮王の兵士は、もっと無愛想で冷酷だと思っていたが、彼らは豪快で、むしろ陽気な雰囲気さえあった。

 門をくぐり、スーザンは驚愕に目を見開いた。

 門を越えた瞬間、景色が劇的に変わったのだ。
 帝国側は枯れ草と岩肌ばかりだったが、トロイセン側は広大で肥沃な大地が広がり、遠くには豊かな森が見える。空気も澄んでおり、何よりも、道の脇には色鮮やかな花が咲き乱れていた。

(こんな、豊かな場所だったなんて……。蛮族の国境だなんて嘘だわ)

 さらに驚いたのは、その風景に溶け込むように建てられた、国境検問所の建物だ。
 木造で温かみがあり、何人かの子供が笑顔で走り回っている。その建物から漂ってくるのは、なんとも香ばしく、食欲をそそる匂いだった。

「おお、ご苦労さまです、皇女殿下。長旅、お疲れ様でした!」

 建物の奥から、一人の女性が現れた。トロイセンの民族衣装のような、動きやすそうな服を着た彼女は、スーザンの前で深々と頭を下げた。

「私は国境検問所の内政官を務める、ルーナと申します。さあ、どうぞこちらへ。王宮からの迎えが来るまで、ここで暖かくお過ごしください」

 ルーナは、スーザンの冷え切った手に触れ、心配そうにその顔を覗き込んだ。

「ひどくお痩せになっていますね……さあ、暖炉のそばへ。トロイセンでは、遠方からのお客様にはまず『温かいおもてなし』が必須なんです」

 スーザンは、初めて感じる心からの優しさに、思わず涙が出そうになった。
 帝国では、冷たい石の床の上を歩き、誰からも人間扱いされなかった。しかし、ここは生贄として送られた国のはずなのに……。

 ルーナに促され、スーザンは暖炉のそばの椅子に座った。
 暖炉では、先ほど嗅いだ香ばしい匂いの元となっている、シチューのようなものが煮込まれていた。肉と野菜がたっぷりと入っており、帝国で出される残飯とは比べ物にならないほど、豊かで栄養がありそうだ。

「トロイセンの伝統的な『元気回復の豆スープ』です。体を温めますよ」

 差し出された木のボウルには、湯気を立てるスープと、焼きたてのパンが添えられていた。パンは外側がパリッと、中はふっくらとしていて、帝国で食べた石のように硬いパンとは別物だ。

(美味しそう……。こちらの世界で生まれて初めて、こんなに温かい食事を目の前にしたかもしれない)

 スーザンは慎重にスープを一口飲んだ。
 熱すぎず、程よい温度。肉の旨味と豆の甘さが口の中に広がる。その瞬間、スーザンの涙腺が崩壊した。

「うっ……ううっ……」

 我慢していた二十一年分の悔しさ、恐怖、そして何よりも、「美味しいものを食べたい」というささやかな願いが叶った安堵が、涙となって溢れ出した。

「どうしました、殿下!?口に合いませんでしたか?」

 ルーナは驚いたが、スーザンが泣きながらも一心不乱にスープを飲んでいるのを見て、察したようだった。

「ああ……どうぞ、ゆっくり召し上がってください。ここは、もう安全なトロイセンの領土です。蛮王陛下の統治するこの国は、どんな来訪者であれ、粗末な扱いはしないと誓っております」

 その言葉と温かい食事に、スーザンの人間不信の壁に、小さな亀裂が入った。
 体の中が温まり、緊張が少し緩んだ時、スーザンは、トロイセン王宮から迎えに来たという一団が、門前で待機しているのを見た。

 彼らの一番前に立っているのは、誰よりも威圧的で、鎧を纏った、驚くほど長身の男だった。

 全身を黒曜石のような重厚な鎧で覆い、その顔の半分は冷たい金属の兜に隠されている。夜明け前の薄明かりの中、兜の隙間から覗く眼光は鋭く、まるで雪山の頂に立つ一匹の孤高な狼のようだった。

(まさか……あの人が……)

 その男こそ、『蛮王』ロキニアス・ハンナバル王その人だった。

「ご命令により、帝国から送られた生贄、スーザンを迎えに参った」

 ロキニアスの声は、低く、冷たかった。そして、スーザンの胸の中に、再び氷のような恐怖が駆け巡った。彼の纏う空気は、あまりにも重く、強大で、この国境検問所の温かさを一瞬で凍らせてしまうほどだった。

 しかし、シチューで温まったスーザンの心は、以前ほど怯えていなかった。
 そして、恐る恐るロキニアスの姿に目を向けたその時、スーザンの目に、驚くべき光景が映った。

 強靭な鎧の隙間から、彼の手首が一瞬見えた。そこには、数日前の戦いで負ったものだろう、深く、まだ治りきっていない傷が覗いていた。

(あの、ロキニアス王が……傷ついている?しかも、薬草すら塗っていない?)

 あの蛮王が、実は極度に疲弊しているのではないかという、かすかな予感が、スーザンの胸に生まれた。

「王よ。こちらが皇女スーザン殿下です」

 ルーナに促され、スーザンは立ち上がった。体は震えているが、スープで得たエネルギーが、彼女に一歩前に踏み出す勇気をくれた。

「ロキニアス王。和平のため、参りました」

 スーザンは真っ直ぐに蛮王の目を捉えた。生贄としてではなく、一人の人間として、初めて王と対面した瞬間だった。
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