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風太と美晴の入れ替わり

少年と少女

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 『100ノート』。
 100回書き込めば、何でも願いを叶えてくれるというウワサの、素敵な魔法のノート。現在そのノートは、とある少女の手にあった。
 
 まるでウソみたいな話。本当に効果があるのかは、誰にも分からない。しかし少女は、そんなくだらない存在にすがるほど、精神が衰弱すいじゃくしきっていた。
 
 ──痛い。辛い。苦しい。
 
 瞳からは涙があふれ、静かにほおを伝う。少女が着ている白いブラウスの胸の辺りに、涙の雫がポタポタと落ちる。
 そのブラウスは、誕生日にお母さんからプレゼントしてもらったものだ。

 「お母……さん……」
 
 あと7回。そこまできて、必死に文字を書いていた右手が、止まる。
 シャープペンは震える指から逃げ出し、机の上を少し転がった。
 
 ……決意がらぐ。
 
 少女は手のひらで顔をおおい、しずくを受けとめ、「本当にそれを願ってもいいの?」と、自問じもんする。
 しかし、身体には惨劇さんげきあとが、今も残っている。それらは消えずに、今なお「わたし」を苦しめている。
 ハッと現実を思い出すと、少女の決意はしっかりと固まり、右手はもう一度シャープペンを拾った。
 
 「無理っ……。わたしはもう……耐えられないっ……。ごめんなさい……お母さん……」
 
 全ての文字を、元々は白紙だったページに書き終えた。少女はため息をつき、パタンと裏表紙を閉じた。
 そのノートの見た目は、まるでファンタジーな魔導書まどうしょだった。赤茶色の革で立派に装帳そうちょうされている、いかにも魔法の力がありそうな、『100ノート』。
 少女はノートを胸に抱き、心の中で強く願った。

 (わたしをやめたい。こんなどうしようもない戸木田美晴の人生を……かえてほしい)

 * * *

 まだ少し肌寒はだざむい風が吹く、4月の終わりごろ。
 待望たいぼうの昼休みを迎えた月野内つきのうち小学校しょうがっこうでは、小学生たちが、各々おのおのの自由な時間を過ごしていた。活発かっぱつな生徒たちはドッジボールや鬼ごっこなどの運動をして汗を流し、大人おとなしい生徒たちは図書室で読書をしたり、校庭のすみにあるウサギ小屋で、ウサギとのふれあいを楽しんだりしている。
 
 どちらかといえば活発な男子である風太フウタは、同じクラスの友達がやっているドッジボールに参加することにした。
 
 「健也、おれも入れてくれ」
 
 健也ケンヤ。風太のクラスのリーダー的存在であり、風太の親友だ。
 さわやかな短髪に、小6とは思えないキリッとした瞳。「イケメン」というよりは「ハンサム」な顔立ち。そんなルックスに加え、バツグンの運動神経うんどうしんけいもあり、健也は男子からも女子からも人気が高かった。きっと彼の将来は、本日の日射ひざしよりも明るい。
 
 「風太、待ってたぞ。人数の少ない方に入ってくれ」
 
 健也はいつものように、遅れて来た親友を、チームの戦力がかたよらないようにった。風太もそれにこころよしたがい、健也とは別のチームに参加した。
 
 「よし。おれは雪乃と同じチームだな」

 雪乃ユキノ。ミディアムショートの髪をヘアピンでめた、活発なタイプの女子だ。クラスの女子のなかでも体は小さい方だが、いつも元気いっぱいで性格も明るい。
 住んでいる家が近所にあり、年齢も同じなので、風太と雪乃は昔からよく遊んでいる。
 
 「あれ? 風太くんも、わたしとおんなじチーム?」
 「おう。今入ったんだ」
 「やったぁ! こっちチーム、さいきょーだよっ! ジュンくんに、翔大ショウタくんもいるしっ」
 「でも、相手チームには健也がいるぜ。あいつの投げる球は速いから、顔に当たらないように気を付けろよ」
 「大丈夫だよ。風太くんが守ってくれるもんっ!」
 「えっ!?」
 「ボールから、わたしを守ってくれるんでしょ?」
 「あ、ああ! うん……」
 
 風太は一瞬いっしゅん動揺どうようし、少し固まってしまった。
 雪乃の言葉は、いつも直球だ。健也が投げる球以上に速い直球の言葉を、風太はそこねてしまった。ドッジボールのルールでいうと、完全にアウト。
 
 (いやいや、「守る」って特別な意味じゃないだろ! 何を意識してるんだよ、おれは……!)
 
 風太は何故かドキドキしてしまい、それ以上の返事をしなかった。小さな雪乃は、照れくさそうに顔をそむける風太を見て、ニコニコと笑っていた。

 * *

 キンコーン。
 昼休み終了のチャイムが鳴りひびくと、全校生徒は急いで教室へと戻っていく。これの次に鳴るチャイムが5時間目開始の合図で、それまでに席に着いていないと、先生に怒られてしまうからだ。
 
 「間に合うかな……?」
 
 ドッジボールが終わった後。6年1組の教室から離れた場所にある男子トイレで、風太は少し焦っていた。
 
 小学生というのは、男子トイレで大便をする人の名誉めいよ棄損きそんする性質があるので、個室での排泄はいせつはなかなかスリリングな行為となっている。それゆえ風太は、教室から離れた場所のトイレをわざわざ選び、排泄をした結果、こうしてあせるハメになってしまったのだ。
 
 トイレから出た風太は、自分のクラスを目指して走り出した。図書室の前の廊下ろうかを通って、わたり廊下を渡り、5年生の教室の横を抜ければ、風太のクラスである6年1組へと帰ることができる。
 まだ間に合う。教室までのルートと、所要時間しょようじかんを考えながら、風太は図書室の前を急いで通りすぎようとした。
 しかし、その時。
 
 「うおっ、何だっ!?」

 突然、図書室の扉がガラガラと開き、中から人が出てきた。

 (マズいっ! ぶつかるっ!!)

 風太の体は完全に勢いに乗っているため、急なブレーキをかけることができない。風太は、相手がこちらに気付いて止まってくれることを願った。

 「「あっ!?」」
 
 がつん!
 願いは届かず、風太は図書室から出て来た人物と、全力で、思い切り、ぶつかってしまった。

 「うっ……!」
 
 目の前の景色は乱れ、全力疾走ぜんりょくしっそうが止まった。
 ぶつかった衝撃しょうげきで後ろに押し返されるも、打ち所が良かったのか、風太がわにダメージはほとんどなかった。ただ問題なのは、風太がフルパワーでタックルをぶちかましてしまった、相手の方。

 (うわっ! 女子だ……!)

 長い黒髪。その女子の見た目の第一印象は、「学校の怪談かいだん」。女子トイレの三番目の個室だかにいそうな、トイレのおばけ。服装も、白いブラウスに紺色こんいろりスカートと、いかにもな感じ。しかし、霊体れいたいだからけてぶつからない、なんてことはなかったので、残念ながらおばけではない。
 その女子は、「きゃっ」と小さな悲鳴ひめいをあげ、床にべたんと倒れ込んだ。そして、その子が図書室で借りたのであろう分厚ぶあつい本が、ちゅうを舞った後、バサッと地に落ちた。
 
 「あっ、ヤバい……! ご、ごめんっ!」
 
 第一声は、風太の「ごめん」。今の事故は明らかに、安全確認あんぜんかくにんおこたった風太にがある。
 心の底からの「ごめん」を、その子に渡した。本当は「大丈夫かい? ケガはない?」ぐらい言えたら、気遣きづかいもできてカッコいいのだろうが、風太はそれを口に出すのをためらってしまった。

 (初めて見る顔だ……)
 
 しゃべったことが一度もない女子だ。
 その女子について、風太が確実に分かることは、同じクラスの生徒ではないということ。5年生か、それとも6年2組か3組の生徒だろうか。
 
 倒れた女子は、うつむいたまま長い前髪で両目を隠し、左手で自分の右肩を押さえていた。そこはまさしく、風太が激突してしまった箇所かしょだ。
 
 「だっ、大丈夫か?」
 「……」
 
 風太は、とにかくその子に何か話してほしかった。無言の緊張感きんちょうかんは、わめき散らされるよりも辛い。
 「もしかして泣いちゃうんじゃないか?」「大ケガをさせてしまったのかも……」と、そんな不安が風太の頭をよぎった時、謎の女子はゆっくりと口を開いた。
 
 「は……ぃ……」
 
 すごく小さい声。意識を集中していないと聞き逃してしまいそうになる、小さく高い声。今にも消えそうなロウソクみたいに、少しふるえた不安定な声。
 しかし今、その声で確実に「はい」と、この女子は言った。風太としては、とりあえず一安心ひとあんしんだ。

 (ああ、よかった……)
 
 倒れているその子に、手を差しべる……なんて、カッコよすぎることが風太にできるわけないので、自力で立ち上がってもらう。その間に、風太はその女子が落とした本を拾い、そっと手渡した。
 なかなか立派な、分厚い本だ。表紙に書かれているタイトルは、『おね・はんどれど・のて』。……なんとなく、その文字がローマ字ではなく英語だということは風太にも分かったが、解読かいどくにはいたらなかった。
 
 「じゃ、じゃあ……!」
 「……ぁ」
 「おれ、行くからっ……! ぶつかってしまって、本当にごめんっ!!」
 
 少女の無事が確認できて良かったものの、もう時間がない。風太は念のためもう一度頭を下げてから、また教室へと向かって全力でけ出した。

 * * 
 
 キンコーン。
 なんとか開始に間に合った5時間目の授業が、今終了した。これより5分間の休憩時間きゅうけいじかんとなり、その間に生徒達は、次の体育の授業の準備をする。本日は、6年生3クラス合同の、体力測定たいりょくそくていの日だ。
 
 「ねぇ、風太くん。グラウンドに行く時って、図書室の前の廊下を通るよねっ?」
 
 水色の体操服たいそうふくぶくろを持った雪乃が、着替えの準備をしている風太に、質問をした。
 
 「通る……かな?」
 「じゃあさっ、ついでにこの本、返してきてくれない?」
 
 どっさり。
 雪乃の机の上には、5冊の児童書じどうしょが積まれていた。雪乃は見かけによらず読書家なのか、もしくは、ただ返すのを忘れてめ込んだだけか。
 
 「やだよ。それは自分で返しに行けよ」
 「ええー!? わたし、女子だよ!?」
 「知ってるよ」
 「かよわいから、重くて持てないの。それに、女子は男子と違って、体育の着替えにも時間かかるのっ!」
 「なんだよそれ……」
 
 風太としては、雪乃なんかにつかいパシりにされるのは、なんとなく嫌だった。
 それに雪乃は、重い物が持てないタイプの女子ではない。「かよわい女子」というのは、さっき風太がぶつかったやつのことを言うのだ。そんなやつですら、分厚い本を一人で運んでいたのに。
 風太は遠い目をしながら、さっきの女子のことを思い出していた。
 
 「ねぇ、風太くん聞いてるのっ!?」
 
 聞いてない。
 
 「だから、この通りっ! おーねーがーいー!」
 
 雪乃はぎゅっと目をつぶって、両手のひらを合わせ、風太に懇願こんがんした。風太は肩をすくめ、少し考えたあと、そんな雪乃に一つ提案をした。
 
 「よし、じゃあこうしよう。おれにじゃんけんで勝ったら、行ってきてやる」
 
 *

 「雪乃って、絶対最初はパー出すよな。自覚はないみたいだけどさ」
 
 体操服に着替え終わった健也が、風太にそう言った。一緒にグラウンドに行こうと、風太の着替え終わりを待っているらしい。
 
 「そうかもな」
 
 今、6年1組の教室には、風太と健也の二人しかいない。他の男子はもうみんなグラウンドに向かっていて、女子は更衣室こういしつで着替えをしている。
 カーテンが閉まり電気が消えた少し暗い教室で、風太と健也は、雪乃の机の上を見ていた。
 
 「で、カッコいい風太くんは、どうするつもりなんだ? これを」
 「図書室まで運ぶしかないだろ。お前も手伝ってくれよ」
 「それはことわる」
 「なんで断るんだ」
 「お前が雪乃の前でカッコつけたんだから、本を運ぶのはお前の責任。男としてカッコつけたなら、最後までしっかりカッコつけろよ」
 「……」
 
 断られてしまった。しかし、断った健也に対して、風太は全く怒っていなかった。確かに健也の言うことは正しいと、納得したからだ。
 
 「ほら、雪乃は『風太くん』を頼ってるんだろ? 雪乃のことが好きなら、お前が頑張がんばれよ」
 「ああ。おれが頑張らないと……って、はあぁ!?」
 「おい、大声出すなよ。誰かに聞かれるぞ。お前が雪乃のこと好きだって」
 「お、おれは別にっ、雪乃のことはなんとも思ってないっ!!」
 「そうか? でも雪乃は、風太のこと好きだぞ。絶対」
 「ばっ、バカなこと言うなっ!! おれと雪乃は、ただ近所に住んでるだけでっ! だから……あ、あいつは、そういうのじゃないんだよっ!」
 「まあ、いいけどさ。でも、この先もずっと、このままでいられるとは限らないからな。そろそろハッキリした方がいいぞ。風太」
 「は、はぁ??」
 
 健也は変なことを言った。
 そして、変なことを言われたせいで、風太の頭の中は、雪乃のことでいっぱいになった。馬鹿みたいにほうけた寝顔、ほおふくらませて怒った顔、太陽のように明るい笑顔……。
 
 (ちがちがうっ!! 雪乃は、そういうのとは違うっ!!)
 
 あわてて、首を横に振る。
 健也ごときにいじられるのは、なんだか悔しいので、風太は反撃をしてみることにした。
 
 「そ、そういう健也はどうなんだよ。す、好きな女子、とか……!」
 「んー? おれは、お前やクラスのみんなと、サッカーとか野球してる方が楽しいから、そういう恋愛的なものは、まだよく分からないなぁ」
 「なっ!? ず、ずるいぞっ!」
 
 飄々ひょうひょうとした態度で、健也にはひらりとかわされてしまった。
 仕方がないので、健也に反撃することはあきらめ、風太は自分が「硬派こうはな男子」であると思い込む方へと、頭を切り換えた。
 
 (おれだって、恋愛なんかよりも、サッカーや野球の方が楽しいと思ってるさ)

 さらに硬派に。もっと硬派な思考に。
 
 (恋愛なんて、女子が好きなものだし、ダサいだけだろ。サッカーでシュートを決めた時の喜びを、野球でホームランをかっ飛ばした時の気持ちよさを、恋愛なんかが超えられるわけないんだ)
 
 そして、自分に言い聞かせる。
 
 (雪乃とは幼なじみで、友達だ。それ以上でも以下でもないっ!)
 
 むっとしている風太の顔を見て、健也はへらへらと笑った。
 
 「じゃあ、その本持って、そろそろ行こうぜ。雪乃の幼なじみくん」
 「うるさいなっ!」

 風太は体操服に着替え終わり、雪乃の机の上にあった本を、しっかりとかかえ込んだ。
 教室の外では、健也が待ってくれている。あまり待たせるわけにはいかない。
 
 (よし、準備はできた。待っててくれよ。今から歩いて、そっちへ……)
 
 なんだかあしがふらつく。
 
 (あれ? 急に……眠たくなって……きた……。頭がぼーっとして……意識が……)
 
 視界が、どんどん暗くなっていく。
 
 (あっ……)
 
 ドサッ。
 
 「風太? おい、風太!! 大丈夫かっ!?」
 
 目の前の光景に、健也は動揺した。
 風太は教室の床に倒れ、完全に意識を失っていた。
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