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風太と美晴の入れ替わり
誰?
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堅くて、ひんやりとしている。
風太が背中を着けて寝ている場所は、教室の床だった。寝心地は良くないし、衛生的ではない。
「……!」
風太は目を覚ました。
ぱっちりとまぶたを開けたはずなのに、とても暗い。その原因となっているのは、視界を完全に覆いつくしてしまうほどの、長い前髪だった。
(髪の毛……?)
しかし、風太は髪を伸ばしたことはない。体を動かすことが多いので、髪の毛は運動の邪魔にならない長さであるようにと、いつも心がけている。
「……?」
その邪魔な前髪を払いのけても、今度は視界が曇っていて、周りがよく見えない。寝起きの眼なので、視界がぼんやりしているのは、特におかしなことではないが……。
(肩が……痛い……?)
次に違和感があったのは、前髪を払いのけるために使った、自分の右手だった。
風太は、右肩の辺りがビリビリと痛むのを感じていた。それほど強い痛みでもないが、これから体育の時間だということを考えると、面倒な事態ではある。
(あっ! そうだ。体育の時間だ!)
教室の外で、健也を待たせている。早く健也と合流し、授業が始まる前にグラウンドへ行かなければならない。
風太は、痛みのない左腕で体を支えながら上体を起こし、まだ眠たげな頭を首で持ち上げた。
(なんだか、頭が重い気がする……。寝起きだからかな?)
ぽつぽつと現れ始めた違和感を無視して、風太は健也の姿を探そうとした。しかし、未だに視界はぼんやりとしており、周りの景色はピントがずれているので、近くに健也がいるかどうかが分からない。
いい加減に起きろ。そう自分に言い聞かせるように、風太は右手でゴシゴシと目をこすった。
「???」
右手だ。風太の右手、そして右腕がある。
自分の右腕のハズなのに、肌が白くて、とても細い。少なくとも、腕相撲で健也と互角の勝負をしていた男子の右腕には見えない。風太は不思議に思って、その腕一本を隅々まで眺めてみた。
「……!」
決定的におかしいのは、半袖の体操服の袖口。
男子の体操服の上は、全体的に白色で、袖口が群青色になっている。ちなみに下は、ポケット付きの群青色の短パン。
しかし、今風太が着ている体育服は、袖口が臙脂色。つまり、雪乃たちが着るような、女子の体操服だ。まばたきして何度確認しても、服の色は変わらなかった。
(なんだよこれっ! 誰がこんなことを……!!)
誰の服なのかは知らないが、寝ている間に女子の体操服を着せられてしまった。よく見ると、短パンも上履きも、風太が身に着けているものは、みんな女子のものだ。
(まさか、健也が……!? いや、健也はこんなイタズラをする奴じゃない……ハズ)
とにかく、こんな格好を誰かに見られるわけにはいかない。
風太は焦る気持ちを抑えるため、ゆっくりと深呼吸をして、冷静に脳を働かせた。
(落ち着け……。こんな服はすぐに脱いで、自分の服に着替えればいいだけだ)
風太は立ち上がり、教室全体を見回した。
電気が消え、カーテンが閉まっている暗い教室。健也どころか、自分以外に誰もいない。
(あれ? ここは、6年1組の教室じゃないのか……?)
教室の後ろの黒板には、カラフルなチョークの文字で「新学期 6の2 家族」と書いてある。小6の女子には、黒板にこういうことを書きたがる性質があるのだ。
(6年2組……)
キンコーン。体育終了のチャイムが鳴る。
後で担任の先生に「体育をサボって、何をやっていたの」と、叱られるかもしれないが、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
風太は急いで「6の2」から出て、6年1組の教室へと向かった。幸い、6年1組の教室には、まだ誰も帰ってきていなかった。
(よかった! まだ間に合う。セーフだ……!)
風太の机があり、机の上には畳んでおいた私服がある。それを着てしまえば、危機は終わる。脱いだ後の女子の体操服は、適当に畳んで、そこらに置いておけばいい。
風太は自分の席まで歩き、落ち着いて自分のTシャツを広げた。
「……っ!?」
しかし、動きが止まってしまった。
自分の体が、Tシャツを着ようとしない。何故か、本能が自制をかけている。
風太は手に取った服を机の上に戻し、一歩後ろへ下がった。心臓は急にバクバクと鳴り、おかしな緊張感に包まれている。
(ど、どうして緊張するんだ!? おれの服だろ!? 自分の服を着るだけなのに、何か悪いことをしてるような気持ちに……!)
やってはいけないことをしているような気がして、風太は警戒心を持って周囲を見回した。
感覚を研ぎ澄ましているためか、周辺の音や会話も、うるさいくらいによく聞こえる。
「元気ないわね、雪乃。やっぱり風太くんのことが心配?」
「うん……。あの『体育おバカ』の風太くんが、体育を休むなんて」
「具合が悪いのかもね。今から、保健室に様子を見に行ってあげたら?」
「ダメだよ。わたし日直だし。みんなに迷惑かかっちゃうでしょ?」
「バカね。日直の仕事くらい、代わってあげるわよ」
「えっ、いいの!? 実穂ちゃんっ!」
「雪乃に暗い顔される方が、よっぽど迷惑なの。友達としては。だから、もうウジウジはナシよ」
「うんっ! ありがとう実穂ちゃん! 大好きっ!」
「こ、こらっ! 抱きつくのもナシっ!」
雪乃と実穂の会話が聞こえた。それも、ここからかなり近い。
会話の内容を気にしている余裕はない。一歩ずつ、二人の足音が、この6年1組の教室へと近づいてきている。
風太は再び、自分の服へと視線を戻した。
(どうする? ムリヤリ着るか? でも、まずは体操服を脱がないと! 一旦、どこかに隠れるべきか? どうしよう、どうすればいいんだ……!?)
パニック状態だ。心も体も、冷静さを失っている。
ヤケになった風太がTシャツを掴んだ時にはすでに遅く、雪乃たちは教室のドアを開けていた。
「「あっ……!」」
入ってきた二人の女子と、目が合った。雪乃たちはこちらを見てひどく驚き、完全に固まってしまっている。
「ゅ……ゆ……」
とにかく、風太は目の前にいる雪乃の名前を呼ぼうとした。しかし動揺しているせいか、うまく言葉にならない。
「ゅ……き……の……」
やっと風太が絞り出した声は、細くて小さかった。自分にすら聞こえないくらいの声。おそらく雪乃にも、その声は届いていないだろう。
早く弁解をしなければならない。「誰かのイタズラでこんな服を着せられて、おれは目が覚めたらこうなってて、何も知らないし、ワケが分からないんだ」、と。何かを必死に話そうとして失敗している風太を見て、雪乃が口を開いた。
「何をしてるの……?」
困惑。
雪乃の目は、いつものそれとは明らかに違っていた。理解のできない、得体の知れない物へ送る視線。輝きのない瞳。
風太はパニックになりながらも、ようやく次の言葉を喉の奥から絞り出した。
「ふっ……! ふくぅ……きひぃっ、き、きがえっ……たくてっ……!」
声がおかしい。何かを恐れて震えながら、かん高い裏声でしゃべっているようだった。
不安定な心が、声の調子をも狂わせているのかもしれない。それにしても、今の声はまるで……。
「えっ? 着替え……?」
雪乃の表情は、ますます険しくなっていた。不思議な声で出した風太の精一杯の弁解は、うまく伝わらなかったらしい。風太はもう、自分でも何を言っているのか、理解できなくなってしまった。
「ゲホッ……! い、息がっ……! けほっ、けほっ!! おえっ!」
突然、風太は気分が悪くなり、咳が止まらなくなった。手で口を押えても、床にへたり込んでも、その苦しみは終わらない。喉の奥にある異物がとれることはなく、ひどい咳と同時に、涙まで溢れ出そうになった。
しかし男として、風太は雪乃に泣き顔を見せようとはしなかった。
「えっ……!? だ、大丈夫っ!?」
雪乃は、急激に体調が悪化した風太を心配している。
(ダメだ! 頼むから来ないでくれ、雪乃! お前に、こんなに情けない、弱っているおれを見せたくないっ……!)
風太は苦しみで顔を上げることもできなくなり、その場でうずくまってしまった。頭を伏せると、また長い前髪が降りてきて、風太の顔を覆った。
(お、おれの体に、何が起こってるんだ……!?)
突然の事態に、風太のそばへと駆けよってきた雪乃と実穂も、かなり動揺していた。
「ど、どうしよう、実穂ちゃん! この子、すっごく苦しそうっ!」
「落ち着いてっ! すぐに先生を呼んでくるわっ!」
「わ、わた、わたしはどうすればいいっ!?」
「この子の様子を見ながら、コップに水を汲んで! もし嘔吐しそうなら、ビニール袋を渡してあげてっ!」
「分かった!」
しっかり者の実穂は、雪乃に的確な指示を出してから、職員室へと向かうべく教室を出た。
(この子? おれが、『この子』?? そんなっ、まるで、おれが……風太じゃないみたいな呼び方……)
風太は震えが止まらない自分の体を、必死にさすった。自分でも何に対して恐怖しているのか、さっぱり分からない。とにかく一刻も早く、この場から消えてしまいたいという気持ちで、心は埋め尽くされていった。
「はぁっ、はぁっ……。も、もう……ダメだ……」
頭では、もう何も考えられない。そして体に判断を委ねると、真っ先にこの場所から逃げ出すことを選んだ。
風太の両脚は胴体を支え上げ、ふらつきながら6年1組の教室を後にした。
「あっ、待って! 動いちゃダメっ!!」
雪乃は叫んだが、風太は立ち止まらなかった。
* *
ふらふらと廊下を歩き、風太は男子トイレへとやってきた。この中なら、雪乃は追って来ることができない。通常、女子は男子トイレに入ってはいけないのだ。
「うぐっ、ぐえぇっ……!」
風太は手洗い場の流し台に顔を突っ込み、のどを焦がしながら、胃の中にあるもの全部をビチャビチャと吐き出した。首を降ろすと、また長い髪が頭から垂れてきて、頬をくすぐってくる。
(違うっ……)
この長い髪は、明らかに自分のものじゃない。
風太は呼吸を整え、鏡の前でゆっくり顔を上げた。相変わらず、視界は少しぼやけているが、風太には鏡に映った人物がハッキリと分かった。
「……!?」
さっきぶつかったあの女の子が、目の前の鏡に映っていた。
風太が背中を着けて寝ている場所は、教室の床だった。寝心地は良くないし、衛生的ではない。
「……!」
風太は目を覚ました。
ぱっちりとまぶたを開けたはずなのに、とても暗い。その原因となっているのは、視界を完全に覆いつくしてしまうほどの、長い前髪だった。
(髪の毛……?)
しかし、風太は髪を伸ばしたことはない。体を動かすことが多いので、髪の毛は運動の邪魔にならない長さであるようにと、いつも心がけている。
「……?」
その邪魔な前髪を払いのけても、今度は視界が曇っていて、周りがよく見えない。寝起きの眼なので、視界がぼんやりしているのは、特におかしなことではないが……。
(肩が……痛い……?)
次に違和感があったのは、前髪を払いのけるために使った、自分の右手だった。
風太は、右肩の辺りがビリビリと痛むのを感じていた。それほど強い痛みでもないが、これから体育の時間だということを考えると、面倒な事態ではある。
(あっ! そうだ。体育の時間だ!)
教室の外で、健也を待たせている。早く健也と合流し、授業が始まる前にグラウンドへ行かなければならない。
風太は、痛みのない左腕で体を支えながら上体を起こし、まだ眠たげな頭を首で持ち上げた。
(なんだか、頭が重い気がする……。寝起きだからかな?)
ぽつぽつと現れ始めた違和感を無視して、風太は健也の姿を探そうとした。しかし、未だに視界はぼんやりとしており、周りの景色はピントがずれているので、近くに健也がいるかどうかが分からない。
いい加減に起きろ。そう自分に言い聞かせるように、風太は右手でゴシゴシと目をこすった。
「???」
右手だ。風太の右手、そして右腕がある。
自分の右腕のハズなのに、肌が白くて、とても細い。少なくとも、腕相撲で健也と互角の勝負をしていた男子の右腕には見えない。風太は不思議に思って、その腕一本を隅々まで眺めてみた。
「……!」
決定的におかしいのは、半袖の体操服の袖口。
男子の体操服の上は、全体的に白色で、袖口が群青色になっている。ちなみに下は、ポケット付きの群青色の短パン。
しかし、今風太が着ている体育服は、袖口が臙脂色。つまり、雪乃たちが着るような、女子の体操服だ。まばたきして何度確認しても、服の色は変わらなかった。
(なんだよこれっ! 誰がこんなことを……!!)
誰の服なのかは知らないが、寝ている間に女子の体操服を着せられてしまった。よく見ると、短パンも上履きも、風太が身に着けているものは、みんな女子のものだ。
(まさか、健也が……!? いや、健也はこんなイタズラをする奴じゃない……ハズ)
とにかく、こんな格好を誰かに見られるわけにはいかない。
風太は焦る気持ちを抑えるため、ゆっくりと深呼吸をして、冷静に脳を働かせた。
(落ち着け……。こんな服はすぐに脱いで、自分の服に着替えればいいだけだ)
風太は立ち上がり、教室全体を見回した。
電気が消え、カーテンが閉まっている暗い教室。健也どころか、自分以外に誰もいない。
(あれ? ここは、6年1組の教室じゃないのか……?)
教室の後ろの黒板には、カラフルなチョークの文字で「新学期 6の2 家族」と書いてある。小6の女子には、黒板にこういうことを書きたがる性質があるのだ。
(6年2組……)
キンコーン。体育終了のチャイムが鳴る。
後で担任の先生に「体育をサボって、何をやっていたの」と、叱られるかもしれないが、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
風太は急いで「6の2」から出て、6年1組の教室へと向かった。幸い、6年1組の教室には、まだ誰も帰ってきていなかった。
(よかった! まだ間に合う。セーフだ……!)
風太の机があり、机の上には畳んでおいた私服がある。それを着てしまえば、危機は終わる。脱いだ後の女子の体操服は、適当に畳んで、そこらに置いておけばいい。
風太は自分の席まで歩き、落ち着いて自分のTシャツを広げた。
「……っ!?」
しかし、動きが止まってしまった。
自分の体が、Tシャツを着ようとしない。何故か、本能が自制をかけている。
風太は手に取った服を机の上に戻し、一歩後ろへ下がった。心臓は急にバクバクと鳴り、おかしな緊張感に包まれている。
(ど、どうして緊張するんだ!? おれの服だろ!? 自分の服を着るだけなのに、何か悪いことをしてるような気持ちに……!)
やってはいけないことをしているような気がして、風太は警戒心を持って周囲を見回した。
感覚を研ぎ澄ましているためか、周辺の音や会話も、うるさいくらいによく聞こえる。
「元気ないわね、雪乃。やっぱり風太くんのことが心配?」
「うん……。あの『体育おバカ』の風太くんが、体育を休むなんて」
「具合が悪いのかもね。今から、保健室に様子を見に行ってあげたら?」
「ダメだよ。わたし日直だし。みんなに迷惑かかっちゃうでしょ?」
「バカね。日直の仕事くらい、代わってあげるわよ」
「えっ、いいの!? 実穂ちゃんっ!」
「雪乃に暗い顔される方が、よっぽど迷惑なの。友達としては。だから、もうウジウジはナシよ」
「うんっ! ありがとう実穂ちゃん! 大好きっ!」
「こ、こらっ! 抱きつくのもナシっ!」
雪乃と実穂の会話が聞こえた。それも、ここからかなり近い。
会話の内容を気にしている余裕はない。一歩ずつ、二人の足音が、この6年1組の教室へと近づいてきている。
風太は再び、自分の服へと視線を戻した。
(どうする? ムリヤリ着るか? でも、まずは体操服を脱がないと! 一旦、どこかに隠れるべきか? どうしよう、どうすればいいんだ……!?)
パニック状態だ。心も体も、冷静さを失っている。
ヤケになった風太がTシャツを掴んだ時にはすでに遅く、雪乃たちは教室のドアを開けていた。
「「あっ……!」」
入ってきた二人の女子と、目が合った。雪乃たちはこちらを見てひどく驚き、完全に固まってしまっている。
「ゅ……ゆ……」
とにかく、風太は目の前にいる雪乃の名前を呼ぼうとした。しかし動揺しているせいか、うまく言葉にならない。
「ゅ……き……の……」
やっと風太が絞り出した声は、細くて小さかった。自分にすら聞こえないくらいの声。おそらく雪乃にも、その声は届いていないだろう。
早く弁解をしなければならない。「誰かのイタズラでこんな服を着せられて、おれは目が覚めたらこうなってて、何も知らないし、ワケが分からないんだ」、と。何かを必死に話そうとして失敗している風太を見て、雪乃が口を開いた。
「何をしてるの……?」
困惑。
雪乃の目は、いつものそれとは明らかに違っていた。理解のできない、得体の知れない物へ送る視線。輝きのない瞳。
風太はパニックになりながらも、ようやく次の言葉を喉の奥から絞り出した。
「ふっ……! ふくぅ……きひぃっ、き、きがえっ……たくてっ……!」
声がおかしい。何かを恐れて震えながら、かん高い裏声でしゃべっているようだった。
不安定な心が、声の調子をも狂わせているのかもしれない。それにしても、今の声はまるで……。
「えっ? 着替え……?」
雪乃の表情は、ますます険しくなっていた。不思議な声で出した風太の精一杯の弁解は、うまく伝わらなかったらしい。風太はもう、自分でも何を言っているのか、理解できなくなってしまった。
「ゲホッ……! い、息がっ……! けほっ、けほっ!! おえっ!」
突然、風太は気分が悪くなり、咳が止まらなくなった。手で口を押えても、床にへたり込んでも、その苦しみは終わらない。喉の奥にある異物がとれることはなく、ひどい咳と同時に、涙まで溢れ出そうになった。
しかし男として、風太は雪乃に泣き顔を見せようとはしなかった。
「えっ……!? だ、大丈夫っ!?」
雪乃は、急激に体調が悪化した風太を心配している。
(ダメだ! 頼むから来ないでくれ、雪乃! お前に、こんなに情けない、弱っているおれを見せたくないっ……!)
風太は苦しみで顔を上げることもできなくなり、その場でうずくまってしまった。頭を伏せると、また長い前髪が降りてきて、風太の顔を覆った。
(お、おれの体に、何が起こってるんだ……!?)
突然の事態に、風太のそばへと駆けよってきた雪乃と実穂も、かなり動揺していた。
「ど、どうしよう、実穂ちゃん! この子、すっごく苦しそうっ!」
「落ち着いてっ! すぐに先生を呼んでくるわっ!」
「わ、わた、わたしはどうすればいいっ!?」
「この子の様子を見ながら、コップに水を汲んで! もし嘔吐しそうなら、ビニール袋を渡してあげてっ!」
「分かった!」
しっかり者の実穂は、雪乃に的確な指示を出してから、職員室へと向かうべく教室を出た。
(この子? おれが、『この子』?? そんなっ、まるで、おれが……風太じゃないみたいな呼び方……)
風太は震えが止まらない自分の体を、必死にさすった。自分でも何に対して恐怖しているのか、さっぱり分からない。とにかく一刻も早く、この場から消えてしまいたいという気持ちで、心は埋め尽くされていった。
「はぁっ、はぁっ……。も、もう……ダメだ……」
頭では、もう何も考えられない。そして体に判断を委ねると、真っ先にこの場所から逃げ出すことを選んだ。
風太の両脚は胴体を支え上げ、ふらつきながら6年1組の教室を後にした。
「あっ、待って! 動いちゃダメっ!!」
雪乃は叫んだが、風太は立ち止まらなかった。
* *
ふらふらと廊下を歩き、風太は男子トイレへとやってきた。この中なら、雪乃は追って来ることができない。通常、女子は男子トイレに入ってはいけないのだ。
「うぐっ、ぐえぇっ……!」
風太は手洗い場の流し台に顔を突っ込み、のどを焦がしながら、胃の中にあるもの全部をビチャビチャと吐き出した。首を降ろすと、また長い髪が頭から垂れてきて、頬をくすぐってくる。
(違うっ……)
この長い髪は、明らかに自分のものじゃない。
風太は呼吸を整え、鏡の前でゆっくり顔を上げた。相変わらず、視界は少しぼやけているが、風太には鏡に映った人物がハッキリと分かった。
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