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小箱 蘇夜花
見てください
しおりを挟む「見てください。全部」
「えっ……?」
「わたしの体、見てください」
「お、お前っ……! それで……いいのか……!?」
「はい」
風太が一度も見たことのない、美晴の裸。
着ている服を脱ぐだけで簡単に見ることができるが、風太は今までそれをしなかった。その理由は、美晴が「見せたくない」と言ったからであり、女子の見られたくないところを勝手に見るような男では、雪乃にも顔向けできないと思ったからだ。美晴と雪乃……二人の女子の気持ちを、尊重しようとした結果だ。
しかしそれも、この瞬間まで。美晴本人の口から、「見てください」という言葉が出た。ということは見てもいいのだろうが、風太はまず、急な心変わりに疑問を持った。
「どうして……?」
「やっと、決心がついたので」
「決心……?」
「『見せる決心』と、『手放す決心』です」
「手放す……決心……? それは……どういう意味……だ……」
「その体は……もう、わたしのものじゃないってことです」
「じゃあ……、誰のもの……だよ……! お前が……手放したら……この体は……誰のものに……なるんだ……!」
「……」
そこで無言になることが、美晴としての答えだった。
『手放す決心』とはつまり、もう他人の体だと認めるからこそ、どうなっても構わないという決心だ。このまま新しい体の中にいたいと願う美晴は、古い体の方を手放すことに決めたらしい。
今ここで「裸を見る」と、美晴は完全に元の体への未練を捨てるだろう。風太は、それに気付いた。
「見ない……!」
「えっ?」
「お前が……この体を……捨てる気なら……、おれは……見ない……! ずっと、ずっと……目をつぶって……おくからな……」
「そんなっ! その体はもう、風太くんのものなのにっ!」
「違うっ……! 勝手に……押し付けるな……! 『手放す決心』だけは……今……つけるなよ……! おれは……この体は……美晴のものだと……思ってるんだ……!」
「でも、わたしはもう『見せる決心』もついてて……!」
「そっちだけ……! 本当に……見る……だけ……なら……見る……! おれは……この体を……美晴の体として……なら……、見る……!」
「わ、わたしの体として? 風太くんのじゃなくて?」
「そうだ……。もう一度……だけ……聞くぞ……。この体は……誰のもの……なんだ……?」
「……」
風太は頑なに、体を受け取ろうとしなかった。風太の「元の体に戻りたい」と思う気持ちは、美晴の「元の体に戻りたくない」と思う気持ちよりも、今は強い。
今回は、美晴が折れた。そして、美晴は『手放す決心』の方を一旦諦め、『見せる決心』だけを固めた。
「見てください」
「何を……?」
「わたしの体を、です」
「分かった……」
*
『美晴』はスッと目を閉じた。
『風太』は慣れた手つきで『美晴』のスカートを脱がせ、ブラジャーとパンツだけの姿にした。
「風太くん、後ろに手を回してください」
「こう……か……?」
「そうです。あっ、もう少し上です」
美晴に言われるがまま、風太が肘を曲げていくと、胸の背面辺りで、サポーターやコルセットのような、ゴワゴワした触り心地の物が、風太の指に当たった。
「こ、これか……?」
「その辺りに、ホックがあります。自分で外してみてください」
「う……ん……?」
小学6年生の男子なので当然だが、自分のものどころか、他人のものすら外した経験はない。少し時間がかかったが、体を捻り、指を上手く使って、風太はなんとか外すことができた。
「ふぅ……。やった……! 外せた……!」
「やりましたね。じゃあ、後は……」
「パンツ……か……」
「パンツ……ですね……」
風太はパンツのゴムに指をかけ、前屈みになりながら、するすると脚を抜いていった。そして、脱ぎ終わったパンツはそっと床に置いた。
「さ、最後の……一枚……を……脱いだ……」
少女は、ほぼ一糸纏わぬ姿で、大きな鏡(ダンスの授業で使うキャスター付きの姿見)の前に立っている。
「美晴っ……! め、目を……開ける……ぞ……!」
「待って! その前にっ!」
「うん……?」
「ここを、拭いておきます……!」
そう言うと、美晴は濡れたタオルを手に持ち、風太の股の内側や両足の付け根のあたりを、丁寧に拭き始めた。風太は「そうか、それを忘れてた……!」とは思ったものの、そんなところの世話まで同級生の女の子にやってもらうのは、男としてなんだか恥ずかしくなった。
「いい……よ……。拭くのは……自分で……やる……から」
「いえ、今はわたしがやりますっ。わたしを見本にするつもりで、体のどこを拭けばいいかを覚えてくれれば……」
と、美晴が股間の奥に触れた瞬間。
「んっ……」
ビクンと、『美晴』の体が反応を示した。声が漏れたは、そこが繊細な場所である証拠。
「あっ!! ご、ごめんなさいっ!!」
触ってはいけない場所に触ってしまった『風太』は、即座に謝り、素早く手を引っ込めた。
「風太くん、大丈夫ですか……!?」
「……」
『美晴』は声も出さずに、小さく頷いた。
*
「終わりました。これで全身、綺麗になりましたよ」
「うん……」
「じゃあ、め、目を開けてくださいっ。お、お願いします」
準備は全て整ったらしい。風太は静かに深呼吸をして、ゆっくりとまぶたを開けた。
「……!?」
目の前の鏡には、髪の長い少女の裸が映っていた。
色白で痩せている。乳房には脂肪が蓄えられ、ぷくっと膨らんでいる。陰部には、本来の男子の体にあったものは消え失せ、その代わりに下に向かってキュッと摘まんだような形になっていた。
「なんだ……これっ……!?」
風太にとっては初めて見る女子小学生の裸体だったが、驚いた理由はそこではなかった。
「何が……あったんだよ……」
肌の色がおかしい。膨らんだ胸の下からヘソの辺りにかけて、皮膚はグロテスクに歪み、さらに一部は赤黒く変色している。そして腰から陰部のあたりには、強く引っ掻いた後にできるような「ミミズ腫れ」が何本もある。血こそ出ていないものの、痛々しく腫れてうねっているそれはまるで、生き物のようだった。
目の前の悲惨な現状に、思わず目を背けそうになる。しかし、美晴は静かな声で言った。
「しっかり見てください。これが、わたしの体の全てです」
「まさか……、お前が……裸を……見せたくなかった……理由は……」
「もちろん、恥ずかしいという気持ちもありましたけど、風太くんにこれを見せる勇気がなかったというのが、大きな理由です」
「それで……、これは……なんだ……? この……赤い……肌は……」
「火傷の痕です。熱湯をかけられました」
「この……傷は……?」
「刑の名前は、『ハリ裂けミミズ』。その痕です。針で刺青の真似事をする刑だそうです」
「針か……」
「肩の青アザは、界くんたち男子に殴られた時にできました。そしておデコの傷は、図工の授業の時につけられた傷です」
「治る……のか……?」
「分かりません。保健室や病院には行ってないので。ずっと残る傷かもしれません」
「なんだよ……それ……」
「でも、前髪を伸ばせばおデコは隠せますし、服を着ればその体の傷も分かりません」
「そういう……ことじゃない……だろ……!」
「醜いですよね。こんなものを見せて、ごめんなさい」
「……」
「もう服を着てもいいですよ。風太くんに見てもらえて良かったです」
美晴がそう言った後も、風太はしばらく鏡の前に立っていた。
*
5分ほど経過した。
風太は薄水色のパンツをはき、美晴にやり方を教わりながら初めてのブラジャーを着けた。
「これで……いいのか……?」
「はい。胸、苦しくないですか?」
「まぁ……、大……丈夫……そう……だ……」
「じゃあ、ブラウスとスカートはここに置きますね。わたしは、風太くんが脱いだ服を片付けておきます」
「あぁ……頼む……」
『美晴』はブラウスのボタンを留め、紺色のプリーツスカートをはいた。目を閉じなくてもよくなったので、前とは違いスムーズに着ることができた。
ふと、『風太』の方を見ると、畳んだ服を袋に入れて、赤いランドセルへと運んでいるのが見えた。
「美晴……?」
「あっ、終わりましたか?」
「この体の……傷のことは……誰が知ってる……?」
「全部知ってるのは、傷をつけた6年2組の一部の人たちと、風太くんだけです」
「美晴のお母さん……は……?」
「……!」
『風太』の、作業していた手が止まった。
「お前の……お母さん……は、どこまで……知ってる……?」
「何も。何も知りません」
「だ、だったら……! イジメのこと……、おれが……お前の代わりに……お母さんに……相談する……! お前のクラスで……何が起こってる……のか、おれが……ちゃんと……話してやるからっ……! だから……体を元に……」
「それはダメっ!!」
「!?」
「お母さんには、絶対に言わないでっ!!」
「な、なんで……?」
「わたしのお母さん、離婚してからずっと忙しくてっ……! 毎日遅くまで働いて、ずっと疲れてるみたいで……。だから、わたしのことで心配をかけたくない……かけられないんですっ!」
「それで……病院にも……行ってないのか……」
「病院どころか、先生にも、校医の先生にも、誰にも言ってないです。もし誰かに言ったら、絶対にお母さんの耳にも入っちゃうからっ」
「じゃあ……、蘇夜花たちは……お前が誰にも相談できないのを……知ってて……」
「さ、最初に、蘇夜花ちゃんがわたしに言ったんです……!」
美晴の声が、この第一用具庫に響く。
「『美晴ちゃんの家って、母子家庭で大変らしいね。ただでさえ大変なのに、もし娘が学校でいじめられてるなんて知ったら、お母さん……倒れちゃうかもねっ』って……!!」
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