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身体奪還作戦
もうすぐ1ヶ月
しおりを挟む給食後のお昼休み。
美晴の身に起こっていることなど全く知らない風太は、今日も保健室へと向かった。三つ並んでいるうちの、一番奥のベッド。そこのカーテンを締めると、「あいつ」と二人きりの時間になれる。
「風太の黒髪、きれいだね」
「おれの……じゃない……。これは……美晴の……髪……」
「キミの笑顔も素敵だよ。笑うとかわいいね」
「おれの……顔……じゃない……。これは……美晴の……顔……。お前が……褒めてるのは……美晴……」
「もうっ! 甘い言葉をささやいてあげてるのに、全然ムードが出ないじゃないか! 風太もその気になってよ!」
「その気……って……なんだよ……! お前……また……前みたいに……変なこと……する気か……!?」
ベッドの上に、小学6年生の女子が二人。安樹は『美晴』の綺麗な後ろ髪をヘアブラシでときながら、プンスカと怒った。
「でも風太は、こんなに変なボクでも、受け入れてくれるんでしょ?」
「聞く必要も……ないだろ……。おれと……お前は……友達なんだから……、もう……嫌われることを……怖がるなよ……」
「ふふっ。やっぱりボクは、キミのことが好きだ♡」
「と、友達として……な……! おれも……お前のこと……友達として……好き……だから……な……!」
「うんうん。今はそれでいいよ。友達として♡」
「うーん……? おれの……言ってること……本当に……分かってる……のか……?」
「分かってるよ。友達だから、こうして休み時間になったら遊びに来てくれるんでしょ?」
「そりゃあ……まぁ……。お前……と……しゃべってる……と……楽しいし……」
「いいんだよ。もう一度、ボクに告白しても」
「するかっ……!」
絶望しかなかった風太の日々に、些細な平穏が戻ってきた。
教室では相変わらず独りぼっちだが、いつかの『刑』のような酷いイジメは、まだ起きていない。休み時間に教室から出て、保健室や図書室に行けば、こうして安樹と楽しく話すことができる。そんな唯一の友達は、自分をとても慕ってくれている。
学校に行くことが辛くない。今まで焦りと不安しかなかった風太の心には、ほんの少し余裕が生まれていた。
「その……、いろいろと……ありがとう……な……。安樹……」
「うん? 急にどうしたの?」
「いや……。改めて……お前に……言っておきたかった……だけ……」
「そっか。ふふっ、こっちを向いてから言ってくれる?」
「ごめん……。無理だ……」
ほっぺたは真っ赤になっていた。
背後から、それをつつこうとする安樹の人差し指がやってきたが、風太はペシっと叩いて追い払った。
「いてて……。しかし、一つだけ謎が残るね。美晴の好きな男の子って、結局誰だったんだろう」
「さあ……? とにかく……もう……そいつを……探し出そうなんて……ことは……しないよ……」
「えぇー? 風太は気にならないの? 美晴の好きな……『図書室で会える男の子』、だっけ?」
「ここ数日……、散々……振り回されたし……。『男の子』の正体については……もう……どうでも……いいよ……。そいつを探す……手がかりだって……今は……何もないしな……」
「あはは、まぁ色々あったよね。風太に探す気がないなら、ボクも諦めようかな。でも、探す手がかりは……なくもないけど」
「ん……? 何か……方法が……あるのか……?」
「簡単なことだよ。キミが図書室に行って、男の子をかたっぱしからその目で見ればいい」
「へ……? つまり……どういうこと……だ……?」
「女の子はね、好きな男子を見ると胸がキュンってなるんだよ。つまり、風太が見て胸がキュンキュンってなった男子が『図書室で会える男の子』というわけさ」
まさに、恋愛小説を愛読している安樹らしい作戦だった。しかし風太は、手足をワタワタと動かして、その作戦に激しく反発した。
「い、嫌だっ!! おれも……男……なんだぞ……!!? おれが……男に……対して……胸が……キュン……なんて……そんなの……絶対に……嫌だーーーっ!!!」
「わぁっ、暴れないでよ。ブラッシング中なんだからさ。髪が乱れるじゃないか」
「その作戦……! おれは……絶対に……やらないからな……!! そんな……女みたいなこと……したら……、心まで……完全に……美晴に……なっちゃうだろ……!?」
「えー? なっちゃえばいいじゃん、美晴に。っていうか、すでにもうほぼ美晴になってると思うよ。キミ、かわいいし」
「フザけるな……! おれの……心は……まだまだ……風太だ……!! 恋愛とか……よく……分からないけど……、男に……ときめいたり……は……絶対に……しない……!」
「絶対にない……とは言い切れないのが、恋愛というヤツさ。あり得ないことが起こるから、人の愛は面白いんだよ。同性を好きになることもあるし、異性を好きになることもあるし、友達を本気で好きになることだってある」
「ゴチャゴチャうるさいぞ……この恋愛脳野郎……! 男でも女でも……構わず好きになる……変なヤツ……なんて……お前だけだよ……!」
「ちょっと待って。そもそも性事情に関しては、キミの方が変なヤツじゃないか。女の子と体を取り替えっこした男の子なんて、ボクみたいなヤツより珍しい」
「そ、それは……美晴が勝手に……やったんだから……しょうがないだろ……!? とにかく……もう……『図書室で会える男の子』の話は……ナシだ……!! それに……ついては……とりあえず……一旦……忘れる……! いいな……!?」
「はーいっ。忘れまーす」
安樹はヘアブラシを置くと、柔らかい布団の中にボフンッと潜り、いたずらっ子のようにくるまった。はしゃぐ安樹を余所に、風太は自分の後ろ髪にそっと触れ、ブラッシングが丁寧に終わっていることを指の感触で確認した。
「ブラシ……、終わった……のか……」
「どう? 髪の毛がサラサラになってるでしょ? これからは、鏡を見ながらこんな風にやってみてね」
「ああ……、助かったよ……。上手く……できなくて……困ってたんだ……。男だった……時は……やらなくても……よかったんだけど……なぁ……」
「へぇ。その体、やけに大事にしてるみたいじゃないか。どうせ他人の体なんだし、好き勝手に使ってやろうとは思わないの?」
「何度も言うけど……これは……美晴の体なんだ……。自分の体……だとは……認めないから……こそ……、おれの……好き勝手には……できないんだよ……。美晴の方は……おれの体のこと……どう思ってるか……知らないけどさ……」
「なるほどね。それなら、髪の毛以外にも色々と苦労とかしてきたんじゃない? キミが美晴の体で生活を始めてから、どれくらい経つんだっけ?」
「入れ替わったのが……4月の……終わり頃……だから……、そろそろ……1ヶ月……かな……? まぁ……この体での……苦労は……今まで……たくさん……あった……」
「1ヶ月か。じゃあ、『女の子の日』なんかも大変だっただろうね。男子にはないんでしょ? あれ」
「ん……? 何が……?」
「え? ほら、あれだよ」
「は……? あれって……何……?」
「うん? だから、『女の子の日』だって……」
なんだか、話が噛み合わない。
二人は顔を見合わせ、安樹は右に首をかしげ、風太は左に首をかしげた。
「『ひな祭り』……?」
「ううん、全然違う」
やはり、話が噛み合わない。
「じゃあ……何の話を……してるんだよ……! 全然、分からないって……!」
「えぇっ!? いやいや、その発育の良さで、まだ始まってないってことはないだろうし。だとすると……」
「ハッキリ……言えよな……! 『女の日』って……何なんだよっ……!」
「えっとね、風太? 美晴になってから、お腹の下あたりがズンズンと痛くなった日はない?」
「えっ……!? う、ウンコ……漏らさない……ように……我慢しようと……して……」
「ウンコじゃない。それとは違う腹痛だ。ほら、もっと血とかがドロッと出る感じの」
「血ぃっ……!? 殴り合いの……ケンカをした……時に……頭から……血をドロッと……」
「それも多分違うっ! もういい。耳を貸して。早くっ!」
「は、はぁ……?」
風太はワケもわからず、言われるがまま安樹に耳を貸した。安樹は左右を見回し、静かに風太に近づくと、耳元でそっとささやいた。
「もうすぐ、キミに“生理”が来る……!」
「セ……セイリ……!? “整理”……?」
「その漢字は違う。保健の授業、ちゃんと聞いてなかったの? ほら、初潮とか月経とか」
「ああ、“生理”……か……。そういう……言葉は……授業で……習った気がするけど……、それが……何なのか……までは……知らない……」
「そ、そうか。男子にとっては、その程度の認識なのか。まぁ、男子は一生経験することのない出来事だし、仕方ないのかも」
「それで……、その……セイリって……いうのが……どうしたんだ……?」
「そうだなぁ。一言で言うなら、『風太のガールズライフ最大の試練』、って感じかな」
「あのな……。冗談……抜きで……、真面目に……正確に……話してくれよ……!」
「いいや、これが全く冗談じゃないんだよ。激痛も伴うし、血だって出る。地獄のような日々が続くものだと、考えてくれていい」
風太を見つめる安樹の目は、真剣そのものだった。
「そ、それ……本当……なのか……? 血が出る……ほどの……痛み……? ど、どうすれば……治るんだ……!? やっぱり……病院に……行かなきゃ……ダメか……!?」
「病気や怪我じゃないから、病院に行っても治らないよ。痛みを和らげる薬はあるけどね」
「ほ、本当に……おれに……セイリが……来るのか……!? なんで……お前は……おれに……セイリが来るって……分かるんだ……!?」
「何も、キミだけの話じゃない。体の成長と共に、女の子みんなに来るものなんだ。だから、別名『女の子の日』なんだよ」
「う、ウソだっ……! ウソついてるだろっ……! 雪乃が……セイリの話を……してるところ……見たことないぞ……! 他の……女子だって……!」
「おバカ。男子が見ている前で、そんな話をするわけないじゃん」
「でも……! 雪乃が……痛みに……苦しんでる……ところも……見たこと……ないし……!」
「キミには見えないところで苦しんでるんじゃない? もしくは、体の成長が遅くてまだ生理が始まってないか、だね」
「成長……。じゃあ……この体も……成長が遅くて……、セイリが……まだ始まってないって……可能性も……」
「ないな。ボクよりも発育がいい体をしているキミに、まだ生理が始まってないとは考えられない。諦めるんだな」
「そ、そんなぁ……!」
あまりにも衝撃的な宣告。ショックを受けた風太は、力無くヘナヘナと倒れこみ、柔らかい布団の上に沈んだ。これからキミの身に起こると宣告されたのは、「激痛」と「流血」だ。
「くそぉ……! 美晴の……体になって……、今まで……だって……散々……苦労してきたんだ……! まだ……これ以上の……地獄があるって……言うのかよ……! 畜生……!!」
「こればっかりはね。ボクにもどうしようもない」
「なぁ、安樹……! 痛み……って……どれくらい……なんだ……? ケンカで……殴られるよりも……痛いのか……? 血って……どこから……出るんだ……? もっと……詳しく……セイリのこと……教えて……くれ……!」
「こらこら、声が大きいよ。詳しくは、保健体育の教科書でも読めばいいんじゃない? ボクよりもしっかり説明してくれるよ」
「お前が……ビビらせる……ようなこと……言うから……、おれは……不安なんだ……よ……!! 大丈夫……なんだよな……? 我慢できる……程度の……痛み……か……?」
「死にはしないよ、多分。ボクも出来る限りサポートしてあげるから、生理になったら教えてね」
「うぅ……、やっぱり……最悪だ……。美晴との……入れ替わり……なんて……」
「泣き言はカッコ悪いよ。他の女の子だってみんな乗り越えてるんだから、男のキミなら大丈夫だって」
「男の……おれなら……? 男……? 男……。そうか……男だ……!」
頭の上で、豆電球がピカっと光った。
何かを思いついた風太はガバッと起き上がり、未だに布団にくるまっている安樹に詰め寄った。
「そうだ……! 男に戻れば……いいんだ……! おれは……男に戻るんだよ……!」
「きゅ、急にどうしたの?」
「すっかり……忘れてた……! ペンダント……!」
「ペンダント?」
「この前……牡丹さんから……もらった……『入れ替わりペンダント』……だよ……! お前……持ってるんだろ……?」
数日前、牡丹さんというおまじないコレクターからもらった、入れ替わりペンダント。効力は呪いのノートより弱いが、使うと体が入れ替わる……つまり、一時的に元の体に戻れるらしい。風太は、安樹がそれを持っていることを思い出したのだ。
「ああ、あれね。家に置いてきちゃった」
「今、すぐ、取りに帰れっ……!! そうだった……! ベッドで……のんびり……してる……場合じゃなかった……! ペンダント使って……早く……元に……戻らないと……おれは……美晴に……なっちゃうんだ……!」
「ふわぁ~あ。一眠りしてから行くね~」
「バカっ……! アホっ……! 早く行けっ……!」
「わぁっ!? や、やめてよっ! 掛け布団を返してっ!」
「うるさいっ……! あの……ペンダント……早く……もって来い……! おれに……セイリが……来る前に……早くっ……!!」
「全くもう……。人づかいが荒いんだから」
キンコーン。
今日もまた、昼休み終了のチャイムが鳴った。
「今日の放課後……! もう一度……この……保健室の……ベッドに……集合だ……! お前は……あの……ペンダント……を……持って来て……、使い方を……調べておいてくれよ……な……!」
「えー? 今日はもういいんじゃない? また明日集合で」
「ダメ……だ……! おれには……もう……時間がない……! 安樹に……しか……頼ること……が……できないんだよ……!」
「あっ、求められてる♡ ……って、その言葉はずるいよっ! ボクはそこまで都合のいい女じゃないぞ」
「でも……、一刻も……早く……元に……戻らないと……!」
「ひざまくら」
「え……?」
「キミのひざまくら、一時間。それが対価。いいね?」
「えぇっ……!? それは……ちょ、ちょっと待てっ……!」
「完璧な仕事を約束するよ! マイ・ベスト・フレンド! それじゃあ、行ってきますっ♡」
「あ、あぁーっ……! ちょっと……待てっ……て……! 考える……時間を……!」
風太の制止も虚しく、安樹は保健室の扉を開けて飛び出してしまった。
先行き不安しかないが、一応これで、身体奪還に向けての作戦会議を始められそうだ。風太はもう一度気合を入れ直し、自分の目標を明確にした。
「よ、よーし……! とにかく……絶対に……元に……戻ってやる……! おれに……セイリが……来る前にっ……!」
応援ありがとうございます!
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