3 / 13
良心の限界
しおりを挟む
よく慈善を目的として、財団法人なんかに多額の寄付をするハリウッドスターやIT長者がいる。ディカプリオとかジョブズやビルゲイツもその1人である。障害者や難病患者の支援、または人類文明発展のための研究への投資など多種多様な慈善事業の種類がある。そういった多種多様な慈善事業が大勢の大富豪の道徳的善意によって賄われている。そう考えると、いやはやこれはなんと感心すべき事実であろうかと普通の人は思うだろう。
しかし、その単一的側面のみでこれを見てしまっていいのだろうか?
つまり、金持ちは道徳的で生来的な良心だけでこの寄付をやってのけているのだろうか?私はことさら猜疑に思う。
結論から言うと、これらの寄付はなにも良心の側面のみから行われているのではない。(ただし、これは全くないというわけではなく、良心側面が大部分をしめた寄付が少ないということを示唆している。)
寄付金控除というのを聞いたことがあるだろうか?寄付金を払った分だけ税金が優遇され払わなくてもよくなると言う制度である。我が国でもある制度だが、
自由の国アメリカは我が国とは控除のスケールがまったくもって違う。つまり、彼らは莫大な寄付によって支払うべきさらに莫大な税金を回避しているのである。
さて、これを踏まえて今日考えてほしいのは彼らはこの優遇がなくなったとき、果たして寄付を続けるのだろうか?ということである。
全員がやらなくなるとは思わないが、それでも寄付をする人は減るのではないか。このように見立てるのがここは筋であろう。(私が富豪だとしたらもちろん優遇が無かったら寄付などまったくしないだろうし。)
【余談になるが、この大富豪の寄付というのは、実に気持ち悪いものだと私は思う。だってそもそも彼ら金持ちは社会的弱者から搾り取ることによって巨万の富を得ているわけで(マルクス理論的には)、それを自らもう一度そういった弱者に与えようなどというのは中々狂った行為だと思う。むしろ、それには良心というよりかは弱者の搾取が彼らによって行われていることについて目をそらさせるためのエサとして使われているように思うのである。】注:さて、話を戻そう
では、皆さんにお尋ねしよう。富豪は良心の赴くままに寄付をしているのか、
それとも、優遇という「利益」のもとに
寄付をしているのだろうか?
もう、答えは自明だろう。
はっきり言って良心、そして善意、さらには正義というのは「利益」があってこそ原初的に成り立つものなのである。
この「利益」というのはなにも金銭的なことばかりを言っているのではない。
例えばここに少々ばかり考えすぎる浦島太郎がいたとしよう。
彼は少し目上の人と(上司や教師のような)海岸線をともに歩いて談笑をしている。そこに突然、村の童子達にいじめられている亀が現れる。
さて、ここでまた質問。考えすぎる浦島は一体ここでなにを考えるだろうか。
浦島「目上の人が隣にいる状況下で今ここで亀を助けなければどうなるだろう。
あぁ、僕はきっとあの人に失望されるかもしれない。はたまたここで助ければ、自分の高度な倫理観をアピールできるかもしれない。」
瞬間的にここまで考えられる人ははっきり言って、もはやサイコパスだけれども、感覚的、本能的にこの状況の上でそのような思考がある。
「失望されるかもしれない」というのはつまり亀を助ければ「失望されない」ということだ。
これを「不安及び恐怖からの解放による利益」と言えるのではないか。
この利益について、イメージしやすいのは忘れ物の時である。この場合の正義は早めに言うことだが、そこには「遅く言うと教師に叱られる」というバイアスがかかっている。早めに言えば、それを回避できる。そういう心理が隠れている。つまりこれも「不安及び恐怖からの解放による利益」と言えるだろう。
だから、つまり今日私が言いたいのは、
良心が単一でその効用を及ぼしうる範囲は非常に狭く、そしてその良心は利益と相互的に作用することによって持続しているということである。
少々小難しい風に書いてしまったが、
裏を返せば、良心を涵養する、つまり「あれこれしなさいよ」とか「こういうふうにしたほうがいいんじゃない」というときというのはその根拠を良心に任せすぎずにその裏にある「利益」というものをしっかりと提示するべきだということである。
ということで今日から私もいろんな人に
ご飯なんかを奢ろうと思うのである笑
(ただし、今回述べた内容は宗教による良心という超特殊なモノの上には全く成り立たないことを一応書いておく。)
しかし、その単一的側面のみでこれを見てしまっていいのだろうか?
つまり、金持ちは道徳的で生来的な良心だけでこの寄付をやってのけているのだろうか?私はことさら猜疑に思う。
結論から言うと、これらの寄付はなにも良心の側面のみから行われているのではない。(ただし、これは全くないというわけではなく、良心側面が大部分をしめた寄付が少ないということを示唆している。)
寄付金控除というのを聞いたことがあるだろうか?寄付金を払った分だけ税金が優遇され払わなくてもよくなると言う制度である。我が国でもある制度だが、
自由の国アメリカは我が国とは控除のスケールがまったくもって違う。つまり、彼らは莫大な寄付によって支払うべきさらに莫大な税金を回避しているのである。
さて、これを踏まえて今日考えてほしいのは彼らはこの優遇がなくなったとき、果たして寄付を続けるのだろうか?ということである。
全員がやらなくなるとは思わないが、それでも寄付をする人は減るのではないか。このように見立てるのがここは筋であろう。(私が富豪だとしたらもちろん優遇が無かったら寄付などまったくしないだろうし。)
【余談になるが、この大富豪の寄付というのは、実に気持ち悪いものだと私は思う。だってそもそも彼ら金持ちは社会的弱者から搾り取ることによって巨万の富を得ているわけで(マルクス理論的には)、それを自らもう一度そういった弱者に与えようなどというのは中々狂った行為だと思う。むしろ、それには良心というよりかは弱者の搾取が彼らによって行われていることについて目をそらさせるためのエサとして使われているように思うのである。】注:さて、話を戻そう
では、皆さんにお尋ねしよう。富豪は良心の赴くままに寄付をしているのか、
それとも、優遇という「利益」のもとに
寄付をしているのだろうか?
もう、答えは自明だろう。
はっきり言って良心、そして善意、さらには正義というのは「利益」があってこそ原初的に成り立つものなのである。
この「利益」というのはなにも金銭的なことばかりを言っているのではない。
例えばここに少々ばかり考えすぎる浦島太郎がいたとしよう。
彼は少し目上の人と(上司や教師のような)海岸線をともに歩いて談笑をしている。そこに突然、村の童子達にいじめられている亀が現れる。
さて、ここでまた質問。考えすぎる浦島は一体ここでなにを考えるだろうか。
浦島「目上の人が隣にいる状況下で今ここで亀を助けなければどうなるだろう。
あぁ、僕はきっとあの人に失望されるかもしれない。はたまたここで助ければ、自分の高度な倫理観をアピールできるかもしれない。」
瞬間的にここまで考えられる人ははっきり言って、もはやサイコパスだけれども、感覚的、本能的にこの状況の上でそのような思考がある。
「失望されるかもしれない」というのはつまり亀を助ければ「失望されない」ということだ。
これを「不安及び恐怖からの解放による利益」と言えるのではないか。
この利益について、イメージしやすいのは忘れ物の時である。この場合の正義は早めに言うことだが、そこには「遅く言うと教師に叱られる」というバイアスがかかっている。早めに言えば、それを回避できる。そういう心理が隠れている。つまりこれも「不安及び恐怖からの解放による利益」と言えるだろう。
だから、つまり今日私が言いたいのは、
良心が単一でその効用を及ぼしうる範囲は非常に狭く、そしてその良心は利益と相互的に作用することによって持続しているということである。
少々小難しい風に書いてしまったが、
裏を返せば、良心を涵養する、つまり「あれこれしなさいよ」とか「こういうふうにしたほうがいいんじゃない」というときというのはその根拠を良心に任せすぎずにその裏にある「利益」というものをしっかりと提示するべきだということである。
ということで今日から私もいろんな人に
ご飯なんかを奢ろうと思うのである笑
(ただし、今回述べた内容は宗教による良心という超特殊なモノの上には全く成り立たないことを一応書いておく。)
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
麗しき未亡人
石田空
現代文学
地方都市の市議の秘書の仕事は慌ただしい。市議の秘書を務めている康隆は、市民の冠婚葬祭をチェックしてはいつも市議代行として出かけている。
そんな中、葬式に参加していて光恵と毎回出会うことに気付く……。
他サイトにも掲載しております。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる