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第4章(前)

余話:フォルカー

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 グラス村で一番の美女は誰かという話になれば、最初に挙がる名前は大抵「ローゼ・ファラー」だった。
 次いで「ベアトリクス・ターク」という流れになるが、これはフォルカー・タークにとって面白くない。

 フォルカーにとってグラス村で一番の美女というのは、4つ年上の姉、ベアトリクス以外にはありえない。なのになぜローゼの名が先に出てくるのかといえば、やはり髪と瞳のせいだろうとフォルカーは思っていた。

 髪や瞳が赤色をしている人物はアストラン王国の西方でよく見られるが、大抵は『赤みがかった』という程度であり、鮮やかな赤を持つ者はなかなかいない。
 そんな中で髪と瞳の双方が鮮やかな赤色をしているローゼは、女性にとっては羨望の対象であり、男性にとってはより魅力的な相手として映るようだ。

 だが、彼女は年頃の男性に人気が高くとも、年配の人物、特に女性からはあまり人気がなかった。端的に言えば「あの娘がうちへ嫁に来るのは困る」ということらしい。

 確かにローゼは美人として名高かったが、変わり者で性格にも難があった。

 きつめの顔立ちに見合う気性の激しさを持つローゼは、意固地な上に生意気で、一度思い込んだら相手が誰であろうとなかなか引かない。フォルカーも何度か激しい喧嘩をしたことがあり、仲裁として神官が呼ばれたことがあるくらいだ。

 しかしそんなローゼも、『聖剣の主』という存在になった今は男性たちから敬遠されている。良く分からない存在になりすぎて手が出しにくいということらしい。わずかな男性がより熱心になったとは聞くが、以前からすれば格段に人気が落ちている。

 現在、村一番の美女と言えば真っ先に名前が出てくるのは「ベアトリクス」になった。フォルカーからすれば、ようやく皆が正しくものを見るようになった、という思いでいっぱいだ。

 そもそもすべてが鬱陶しいローゼと違い、儚げな美女であるベアトリクスは性格だってとても良い。
 穏やかで辛抱強く、控えめで誰にでも優しい。時に厳しいこともあるが、激しい感情を見せたことは一度もない。

 柔らかな色合いをした栗色の髪は自己主張の強い赤よりも美しいのだし、瞳だって赤色だけよりも、赤みのかかった茶色の方がよほど『赤』が引き立って良い。

 つまりベアトリクスこそ世にいる女性の頂点なのだ。

 とフォルカーは言いたいところだが、残念ながらベアトリクスにも欠点があった。

 彼女は体が弱いのだ。

 大人になった今はずいぶん丈夫になったとはいえ、季節の変わり目に長く寝込むことがある。
 そのためベアトリクスもまたローゼと同じく「嫁としては困る」と言われる対象だった。

 大半の人が20歳には結婚している中、ベアトリクスが22歳になっても独身なのはこのためだ。

 両親も、そしてベアトリクス本人も、残念ながら結婚は諦めている節があった。

 ところがある日、そんな彼女でも構わないと言う人が現れた。
 ようやくベアトリクスにも結婚の話が持ち上がったのだ。

 ――こうしてベアトリクスは神殿へ通うこととなり、フォルカーは寂しさを感じながらもほっと胸をなでおろしていた。


   *   *   *


「姉さんもついに正式な神官補佐になったのか!」

 その日の朝、ベアトリクスを目にしたフォルカーは感嘆の声を上げる。
 神官補佐の服を着た姉は弟の声を聞いて恥ずかしそうに微笑み、くるりと回って見せた。

「昨日、アーヴィン様から衣装をいただいたの。どう? 似合うかしら?」
「もちろんさ」

 白を基調に青の縁取りがなされている神官服とは違い、神官補佐の服は色も白だけで意匠も簡素だ。
 しかしフォルカーの目にはむしろ好ましく映った。

「姉さんは綺麗だから、服に余計な飾りはない方が引き立つよ」
「嫌ね、フォルカー。そういうお世辞ってどこで覚えてくるの?」

 言いながらもベアトリクスは嬉しそうで、フォルカーもまた嬉しくなった。

 大神殿で修業を積む神官とは違い、神殿の雑務をこなす神官補佐になるのは町や村の住人だ。グラス村の神官補佐は、前任の神官であるミシェラの頃からいる5人の男女だった。

 そんな彼らと一緒に私服のまま神殿で雑務をこなすベアトリクスのことを、周囲の人々が不審と好奇の目で見ていたのをフォルカーは知っている。

 姉が神殿で働いているのはきちんとした理由があるのに、とフォルカーはずっと悔しい思いをしていたのだ。

(だけど、それも今日までだ)

 ベアトリクスは神官補佐の服をもらえた。長い間いなかった『6人目の神官補佐』になれたのだ。
 果たして周囲は姉のことをどのように見るだろうかと気になって仕方がない。

 もちろんベアトリクスも嬉しいようで、神殿へ向かう足取りは弾むようだ。

 おまけに、いつもならば「絶対に神殿へ来ないでね。家族に見られるのはなんだか恥ずかしいもの」と言って家を後にする姉が、今日は言わなかった。
 おそらく嬉しさのあまり言うのを忘れてしまったのだろう。

(姉さんが言わなかったんだから、今日は行ってもいいんだよな)

 詭弁だとは分かっている。それでもフォルカーは畑仕事を終えると、即座に神殿へ向かった。神殿にいる姉をどうしても見てみたかったのだ。

 そろそろ夕刻を迎える頃合い、辺りを吹く風は冷たい。今日の天気は悪くないが、それでも例年に比べると気温は低いままだ。

 しかしフォルカーの心には朝からずっと春の日差しが降り注いでいる。心が温かいせいか、体の方も全く寒さを感じなかった。

(姉さんは建物の中にいるだろうな。まずは入り口からこっそり覗いてみよう)

 そんなことを考えながら歩いていると、近づいた神殿の門前には馬車が止まっていた。折悪しく大神殿からの連絡馬車が来ているらしい。

(参ったな。あんまり人目につくと、姉さんにバレるかもしれない)

 仕方なくフォルカーは、神殿の手前にある木の陰から様子を窺う。

 馬車からは2名の神官が積み荷を下ろしている。村の神官アーヴィンは書面を片手に荷の確認をしながら、屈強な御者と何か談笑している。
 どうやら到着したばかりのようで、連絡馬車は神殿の前から移動する様子が無かった。

(くそっ!)

 苛立ったフォルカーは舌打ちをする。
 このままではベアトリクスの姿を見られないかもしれない。

 落胆したとき、建物から輝く女性が出てきた。

 いや、実際に輝いているわけではない。しかしフォルカーの目には、彼女が美しく輝いて見えたのだ。

 神官補佐の白い服を着た儚げな姿は、思った通り白い神殿にとてもよく映える。
 柔らかな栗色の髪が茜色の陽に照らされて強い色になっているのもまた、いつもの姉とは雰囲気を違って見せた。

 なんと神秘的な姿だろうかとベアトリクスに見惚れているうち、フォルカーはひとつのことに気が付く。同時に彼女が「神殿へ来ては駄目」と言った意味を理解した。

 ベアトリクスの潤んだ瞳は柔らかく細められ、赤い唇は優しく笑みの形を描いている。頬はほんのりと上気し、そして視線は真っすぐアーヴィンにだけ向けられていた。

(そうか、姉さん。……そういうことか……)

 フォルカーの見守る前で、門の近くまで来たベアトリクスがアーヴィンに対して口を開く。
 彼女の玲瓏たる声が彼の名を呼ぼうとしたその時、連絡馬車から出てきた神官が2通の手紙を掲げた。

「そうだ。今回は荷の他に手紙もあるんです! なんと南方においでになってる聖剣の主様からですよ!」

 神官の言葉がアーヴィンにどのような表情をさせたのかは分からない。
 フォルカーに分かったのはベアトリクスの表情だけだ。

 目じりをつり上げた彼女は頬を紅潮させ、音が出そうなほどに唇を噛みしめていた。

 姉が見せた苛烈な表情にフォルカーは目を見開いて絶句する。

 しかし次の瞬間にはもう、ベアトリクスはいつもの優しい笑みを浮かべていた。
 表情を変化させたのはほんのわずか。見間違いだったと言われれば納得してしまいそうなほどの時間だった。

 それでも見間違いではないとフォルカーは分かっている。
 ベアトリクスの頬が普段以上に赤いままなのだから。

(姉さんも、そんな顔をするんだ)

 いつもはどこか人間離れしている雰囲気をまとった姉だ。
 今の顔はそんな姉が見せた、初めての生々しい感情かもしれない。

 目を吊り上げた姉を思い出し、胸元を押さえたフォルカーはそっと立ち去る。

 向かった先は、村で唯一の酒場だ。

 夕刻を迎えたこの時間、店の中は仕事帰りの人でにぎわっている。机のひとつには友人がいて、フォルカーを見ると手を上げた。

「よう、フォルカーじゃねえか! 今日はお前も来たのか!」
「ああ、たまにはいいと思ってな」

 こっちへ来い、と呼ばれたので素直に友人の向かいへ座ると、彼はちょうど来たばかりの新しい酒をフォルカーの前へ押す。

「なあ、これは俺が奢ってやる。だから聞かせてくれ。お前の姉さん、ありゃどういうことだ?」
「どういうことって、何がだ?」
「とぼけんなよ、分かってんだろ? なんで神官補佐の服を着てたのかってことだ」
「ああ、それは……」

 もったいぶって言葉を区切り、フォルカーは友人からもらった酒を手にする。ほどよく口を湿らせたところで大きめの声を出した。

「決まってるだろ。姉さんがに嫁ぐからさ」

 途端に酒場をどよめきが埋め尽くす。聞き耳を立てていた人物はだいぶいたようだ。やはりベアトリクスが神官補佐の服を着ていた件は、村人たちにとって興味を引くことだったらしい。

「うひょー! お前の姉さんが神殿にいたってのは、やっぱりそういうことだったんだな!」

 興奮して叫ぶ友人にフォルカーはうなずいた。

 グラス村では関係なかったが、神官の夫や妻は大半が神官補佐になるらしい。

 他の町や村ではそうした夫婦をよく見かけるとは、商人たちから聞いた話だ。

 盛り上がる酒場の人々を見ていたフォルカーは、次いで「しまった」と言いながら頭を掻く。

「なあ、この話はうちの親や姉さんだけじゃなく、からも口止めされてたんだ。頼むからここだけの話にしてくれよ、俺が怒られちまう」

 おおよ、と手を上げる酒場の人々を見ながら、フォルカーは内心でほくそ笑んだ。

 ここだけの話が、ここだけで収まったためしなど数少ない。しかも酒の入った人々は口が軽いだろう。「アーヴィン様は口止めなさったそうだけど、実はね……」と言いながら噂を広める村人たちの様子が目に浮かぶ。

(俺は嘘を言ってない。勝手に誤解した村人が悪いんだ)

 あの鬱陶しいローゼとの噂が持ち上がったこともあるアーヴィンだが、そんな話も消えている今、近くにいる美しいベアトリクスのことはいずれ気になるだろう。

 そこに周囲からの圧力も加われば、人が好さそうなあの神官は間違いなく姉にほだされる、とフォルカーは考えていた。

(姉さんだって本当は好きな奴と結婚したいだろうしな……俺が姉さんを助けてやるんだ)

 口の端を上げ、フォルカーは残りの酒をぐいとあおった。
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