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幕間 2
昼下がりの夢
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ローゼは白い空間の中にいた。見渡す限り白い空間は、どこかで見た景色に似ている。
どこで見たのだろうと思いながら記憶を探り、すぐにローゼは思い出す。
以前、エルゼを神降ろしした後にエルゼとレオンが邂逅した、あの空間と似ているのだ。
なぜこのような場所にいるのだろうと首を傾げたローゼは、近くで立つ少年に気が付いた。
褐色の髪をした少年は6歳か7歳くらいだろうか。反対側を向く彼は肩を震わせ、時々顔に手や腕を当てている。どうやら涙をぬぐっているらしい、と気が付いたのは、時々嗚咽が聞こえてくるせいだ。
ひとりきりで立つ細い背があまりに頼りなく寂しそうで、見ているローゼまで寂しくなる。泣かないでと声をかけたいのだが、どうしても声が出ない。
ならばせめて傍へ行ってあげようと思ったとき、背後から静かな声が聞こえた。
「……あの子はひとりになってしまったの」
振り返ると、立っていたのはひとりの女性だ。
肩下までの髪は褐色をしている。
彼女は腕に赤子を抱いているのだが、眠っているらしい赤子もまた、ふわふわとした褐色の髪をしていた。
ローゼはもう一度、背を向けている少年を見る。さらさらとした褐色の髪は、女性や赤子と同じ色だった。
(もしかして親子?)
思うと同時にローゼの心には憤りが生まれる。
(赤ちゃんは腕に抱いてるのに、なんであの子のことは離れて見てるだけなの?)
赤子がいるのだから、抱きしめることは難しいのかもしれない。だがせめて、涙を流す少年の近くに行って声をかけてあげて欲しいとは思う。
そう言おうとしてローゼが女性を振り返ると、先ほどまでは女性と赤子しかいなかった場所にもうひとり、ふたりに寄り添うようにして男性が立っていた。
男性の面差しはローゼの良く知る人物によく似ている。そして彼の瞳はローゼの良く知る瞳と同じ色だ。しかし髪の色は、柔らかい輝きを放つ金色だった。
褐色の髪をした女性と、赤子。そして金色の髪の男性。
3人の姿をローゼが呆然と眺めていると、やがて女性はローゼの背後を見ながら顔を歪めた。男性も同じ方を見て苦しげな表情になる。女性の腕の中の赤子だけが、何も知らぬ様子でただすやすやと眠っていた。
ローゼも女性と男性の視線を追って、ゆっくりと少年を見る。
一緒に居る、女性と男性、赤子。
ひとりだけ離れている少年。
この場にいる人物の見当がローゼにはついた。
そして、少年がひとりだけ離れている理由も。
ローゼの心に不安が忍び寄る。
なぜここには4人が揃っているのだろう。
なぜ女性と男性が若く、抱いているのが赤子で、彼は少年なのだろう。
――もしこの女性たちが少年の近くに行った時、何が起きるのだろう。
そう考えていた時だったので、足を踏み出す女性と男性を見たローゼは思わず叫んでしまった。
(近寄らないで!)
いや、叫んだつもりだが声は出ていない。心の中で叫んだだけだ。もう一度なんとか叫ぼうとしたのだが、ローゼの口も喉も声の出し方を忘れてしまったかのようで、何度努力しても声が出る様子はない。
ローゼは焦る。心の中には先ほどまで考えていた「少年の近くに行って欲しい」という気持ちは微塵もなくなっていた。
しかし、声に出さなくともふたりには伝わったらしい。
女性と男性は立ち止まり、少年からローゼへと瞳を向けた。彼女たちの憂いを含んだ視線を受け、ローゼは思わず息がつまる。
ふたりはこの少年が、今後どのように生きるのかを知っているような気がした。
「……生きていてほしいと思ったから置いて行ったの。幸せになってほしいと願って」
ぽつりと呟く女性の言葉は、ローゼの考えを裏付けるものだった。
女性は腕の中の赤子に視線を落とす。
男性が黙って彼女と赤子を抱きしめた。
そのまま、女性は続ける。
「なのに、こんなことになるなんて思わなかったわ。とてもとても後悔したのよ。だったら私がみんな一緒に連れて行ってあげれば良かったって。……あの時も、きっと何か手段はあったはずなのに」
泣きそうな表情のまま、彼女は淡々と言葉を紡ぐ。
「だからせめて、今からでも」
ローゼは彼女の話を聞いて、背に刃物を突き付けられているような気分になった。
(今から何をするの? まさか連れて行くっていうの? でも、そんなことができるわけ……)
しかしエルゼを降ろした時、人の姿をしたレオンは既にいないはずのエルゼと話をしていた。今もローゼは、既にいない人物と話をしている。もしやここは時をも超越した神の領域の一部なのかもしれない。
――だとすれば、強く願うふたりの望みは叶うのかもしれない。
(やめて、やめてやめて!)
3人と少年との間に立ちはだかり、ローゼは両手を広げた。
(連れて行かないで!)
女性は話せているというのに、相変わらずローゼの声は出ない。代わりに心の中で必死に叫ぶのだが、ローゼを見る二対の瞳にある絶望は深く、思わずたじろぎそうになる。
彼女たちの表情は告げていた。お前もこの場にいる少年がどう生きていくのか知っているではないか、と。
もちろんローゼは知っている。他ならぬ彼自身が話してくれたのだから。
もしここでふたりが少年を連れて行けば、彼はこの後つらい目に遭わず済むだろう。今もなお癒えることのない大きな傷を心に負うこともない。その方が彼にとっては良い人生なのかもしれない。
それでもローゼは真っすぐに彼女たちを見据え、足を踏みしめてふたりの視線を受け止めた。
ローゼは聖剣の主だ。彼と共にいられる時間は少ない。
だが彼は、ローゼと結婚することで自分が不幸になるとは思っていない、と言った。その言葉を口にしたことが間違いではなかったと。不幸なままでなくて良かったと思ってほしい――。
そこまで考えたローゼはぐっと唇をかむ。
違う、と心の中で呟いた。
――自分が彼に対して抱いている気持ちは、もっと強い。
(あたし! あたしが絶対にあの人を幸せにするわ!)
相変わらず声は出ないが、何とか気持ちを伝えようとローゼは必死に訴える。
(この後は、今までの不幸が消えてなくなるくらい、諦めずに生きてて良かったって思うくらい、あたしが幸せにする! だから、だから! お願い!)
「……つれて、いかないで……」
ローゼの唇からはようやく声が出た。ただ、本当に小さな囁き声だ。自分ではこれ以上ないほどの力で叫んだつもりだったのに、とローゼは悔しくなる。
しかし、ローゼの声を聞いた女性と男性は雷に打たれたかのようにびくりとし、動きを止めた。
両手を広げたローゼと、立ち止まったままのふたりと。音が絶えた空間の中で、どれほどの間、黙って対峙していただろうか。
やがてローゼの目の前で、ふたりは同時に笑みを浮かべる。
彼女達の表情は心からの安堵に満ちていた。
「……ありがとうございます」
先に言ったのは男性だ。
「どうか、息子をよろしくお願いします」
次に赤子を抱いたまま、女性が頭を下げる。
「あの子と仲良くしてあげて下さいね」
ふたりに向かってローゼは深くお辞儀をする。
顔を上げた後、精一杯の気持ちを籠めて返事をした。
「はい!」
力強くローゼが答えると同時に、周囲は眩しくなった。
* * *
ローゼが瞼を開くと、瞳に映ったのは張り出した木の枝とそよぐ緑の葉、そしてその向こうに広がる青い空だった。
晴れ渡る空の青は、南や王都ほど鮮やかではなく、北ほど透明感があるわけではない。だが、全てを包み込むような優しい青。これがどこの空なのか、ずっとこの色を見ながら育ってきたローゼにはもちろん分かっていた。
(……ええと、あたし、どうしたんだっけ……?)
確か今日は昼食の後、ぶらぶらと村の中を歩いていた。
途中で見つけたのが、木の下で咲く薄紅色の花々だ。
今が盛りと咲き誇る花はとても綺麗だった。さらに木陰は涼しげで、歩き回ったあとの休憩場所として選ぶのはとても良さそうに思えた。そこでローゼは聖剣を抱えて花の中に座り、他愛もない会話をレオンと始めたのだ。おそらくその後、話しながら眠ってしまったのだろう。事実、寝転ぶ腕の中には黒い鞘の聖剣があった。
状況を思い出して安堵するローゼは、未だぼんやりとする頭で今まで見ていた夢の記憶を手繰り寄せる。
確か彼の両親と妹に会ったように思う。だが3人ともずっと以前に世を去っている。ローゼは彼らに会ったことがなく顔は分からない。あれが彼の家族なのだという証拠はなかった。
(そうよね。ただの夢に決まってる)
ローゼはアーヴィンが家に挨拶へ来てくれたあと、共に神殿へ向かって歩きながら、彼の両親が生きていたら自分は結婚を許してもらえただろうか、と考えた。その記憶が頭に残っていたせいで見た夢なのだとは思う。
――思うのだが。
(……でももし、本当にあの人の両親や妹と会ったんだとしたら……)
彼の両親は、過去を変えたい、という内容の話をしていた。
確かにあの場所が不思議な場所なのだとしたら、彼らの願いは叶うのかもしれない。
だが一方で、違う考えもローゼの頭をよぎる。
今のローゼも、そして成長した彼も、すでにここにいるのだ。
こんな状態で過去を変えることなど本当にできるのだろうか。
もしかすると、実は。
(……結婚の挨拶をしてくれるために来た……なんてことはない、よ……ね?)
揺れる木の葉と青い空とを見ながら考えを巡らせていたローゼだったが、やがて大きく息を吐く。
あれが何だったのかなど、考えても仕方がない。今はもうただの夢でしかないのだ。
だがあの夢を見たことはローゼにとって無駄ではなかった。おかげで、自身の気持ちを改めて確認することができた。
やはり今のローゼは「彼を誰よりも幸せにできるのは自分だ」と考えているらしい。
心の奥深くまで彼を想っているのだということが分かって、ローゼは嬉しくなった。
(うん。あたしは絶対、あの人を幸せにしてみせるわ。そもそも、あの人を誰よりも必要としているのだって、きっとあたしなんだもんね!)
自分の中にそんな傲慢さがあったことに気付いて、ローゼは可笑しくなる。
そのとき吹き抜けた心地よい風が、周囲に漂う花の香りを運び去り、清々しい香りをローゼに届けてきた。
――これは、自分が最も愛している人の香りだ。
彼が近くにいると知ったローゼは顔をほころばせる。同時に、低く穏やかな声がローゼの名を呼んだ。
どこで見たのだろうと思いながら記憶を探り、すぐにローゼは思い出す。
以前、エルゼを神降ろしした後にエルゼとレオンが邂逅した、あの空間と似ているのだ。
なぜこのような場所にいるのだろうと首を傾げたローゼは、近くで立つ少年に気が付いた。
褐色の髪をした少年は6歳か7歳くらいだろうか。反対側を向く彼は肩を震わせ、時々顔に手や腕を当てている。どうやら涙をぬぐっているらしい、と気が付いたのは、時々嗚咽が聞こえてくるせいだ。
ひとりきりで立つ細い背があまりに頼りなく寂しそうで、見ているローゼまで寂しくなる。泣かないでと声をかけたいのだが、どうしても声が出ない。
ならばせめて傍へ行ってあげようと思ったとき、背後から静かな声が聞こえた。
「……あの子はひとりになってしまったの」
振り返ると、立っていたのはひとりの女性だ。
肩下までの髪は褐色をしている。
彼女は腕に赤子を抱いているのだが、眠っているらしい赤子もまた、ふわふわとした褐色の髪をしていた。
ローゼはもう一度、背を向けている少年を見る。さらさらとした褐色の髪は、女性や赤子と同じ色だった。
(もしかして親子?)
思うと同時にローゼの心には憤りが生まれる。
(赤ちゃんは腕に抱いてるのに、なんであの子のことは離れて見てるだけなの?)
赤子がいるのだから、抱きしめることは難しいのかもしれない。だがせめて、涙を流す少年の近くに行って声をかけてあげて欲しいとは思う。
そう言おうとしてローゼが女性を振り返ると、先ほどまでは女性と赤子しかいなかった場所にもうひとり、ふたりに寄り添うようにして男性が立っていた。
男性の面差しはローゼの良く知る人物によく似ている。そして彼の瞳はローゼの良く知る瞳と同じ色だ。しかし髪の色は、柔らかい輝きを放つ金色だった。
褐色の髪をした女性と、赤子。そして金色の髪の男性。
3人の姿をローゼが呆然と眺めていると、やがて女性はローゼの背後を見ながら顔を歪めた。男性も同じ方を見て苦しげな表情になる。女性の腕の中の赤子だけが、何も知らぬ様子でただすやすやと眠っていた。
ローゼも女性と男性の視線を追って、ゆっくりと少年を見る。
一緒に居る、女性と男性、赤子。
ひとりだけ離れている少年。
この場にいる人物の見当がローゼにはついた。
そして、少年がひとりだけ離れている理由も。
ローゼの心に不安が忍び寄る。
なぜここには4人が揃っているのだろう。
なぜ女性と男性が若く、抱いているのが赤子で、彼は少年なのだろう。
――もしこの女性たちが少年の近くに行った時、何が起きるのだろう。
そう考えていた時だったので、足を踏み出す女性と男性を見たローゼは思わず叫んでしまった。
(近寄らないで!)
いや、叫んだつもりだが声は出ていない。心の中で叫んだだけだ。もう一度なんとか叫ぼうとしたのだが、ローゼの口も喉も声の出し方を忘れてしまったかのようで、何度努力しても声が出る様子はない。
ローゼは焦る。心の中には先ほどまで考えていた「少年の近くに行って欲しい」という気持ちは微塵もなくなっていた。
しかし、声に出さなくともふたりには伝わったらしい。
女性と男性は立ち止まり、少年からローゼへと瞳を向けた。彼女たちの憂いを含んだ視線を受け、ローゼは思わず息がつまる。
ふたりはこの少年が、今後どのように生きるのかを知っているような気がした。
「……生きていてほしいと思ったから置いて行ったの。幸せになってほしいと願って」
ぽつりと呟く女性の言葉は、ローゼの考えを裏付けるものだった。
女性は腕の中の赤子に視線を落とす。
男性が黙って彼女と赤子を抱きしめた。
そのまま、女性は続ける。
「なのに、こんなことになるなんて思わなかったわ。とてもとても後悔したのよ。だったら私がみんな一緒に連れて行ってあげれば良かったって。……あの時も、きっと何か手段はあったはずなのに」
泣きそうな表情のまま、彼女は淡々と言葉を紡ぐ。
「だからせめて、今からでも」
ローゼは彼女の話を聞いて、背に刃物を突き付けられているような気分になった。
(今から何をするの? まさか連れて行くっていうの? でも、そんなことができるわけ……)
しかしエルゼを降ろした時、人の姿をしたレオンは既にいないはずのエルゼと話をしていた。今もローゼは、既にいない人物と話をしている。もしやここは時をも超越した神の領域の一部なのかもしれない。
――だとすれば、強く願うふたりの望みは叶うのかもしれない。
(やめて、やめてやめて!)
3人と少年との間に立ちはだかり、ローゼは両手を広げた。
(連れて行かないで!)
女性は話せているというのに、相変わらずローゼの声は出ない。代わりに心の中で必死に叫ぶのだが、ローゼを見る二対の瞳にある絶望は深く、思わずたじろぎそうになる。
彼女たちの表情は告げていた。お前もこの場にいる少年がどう生きていくのか知っているではないか、と。
もちろんローゼは知っている。他ならぬ彼自身が話してくれたのだから。
もしここでふたりが少年を連れて行けば、彼はこの後つらい目に遭わず済むだろう。今もなお癒えることのない大きな傷を心に負うこともない。その方が彼にとっては良い人生なのかもしれない。
それでもローゼは真っすぐに彼女たちを見据え、足を踏みしめてふたりの視線を受け止めた。
ローゼは聖剣の主だ。彼と共にいられる時間は少ない。
だが彼は、ローゼと結婚することで自分が不幸になるとは思っていない、と言った。その言葉を口にしたことが間違いではなかったと。不幸なままでなくて良かったと思ってほしい――。
そこまで考えたローゼはぐっと唇をかむ。
違う、と心の中で呟いた。
――自分が彼に対して抱いている気持ちは、もっと強い。
(あたし! あたしが絶対にあの人を幸せにするわ!)
相変わらず声は出ないが、何とか気持ちを伝えようとローゼは必死に訴える。
(この後は、今までの不幸が消えてなくなるくらい、諦めずに生きてて良かったって思うくらい、あたしが幸せにする! だから、だから! お願い!)
「……つれて、いかないで……」
ローゼの唇からはようやく声が出た。ただ、本当に小さな囁き声だ。自分ではこれ以上ないほどの力で叫んだつもりだったのに、とローゼは悔しくなる。
しかし、ローゼの声を聞いた女性と男性は雷に打たれたかのようにびくりとし、動きを止めた。
両手を広げたローゼと、立ち止まったままのふたりと。音が絶えた空間の中で、どれほどの間、黙って対峙していただろうか。
やがてローゼの目の前で、ふたりは同時に笑みを浮かべる。
彼女達の表情は心からの安堵に満ちていた。
「……ありがとうございます」
先に言ったのは男性だ。
「どうか、息子をよろしくお願いします」
次に赤子を抱いたまま、女性が頭を下げる。
「あの子と仲良くしてあげて下さいね」
ふたりに向かってローゼは深くお辞儀をする。
顔を上げた後、精一杯の気持ちを籠めて返事をした。
「はい!」
力強くローゼが答えると同時に、周囲は眩しくなった。
* * *
ローゼが瞼を開くと、瞳に映ったのは張り出した木の枝とそよぐ緑の葉、そしてその向こうに広がる青い空だった。
晴れ渡る空の青は、南や王都ほど鮮やかではなく、北ほど透明感があるわけではない。だが、全てを包み込むような優しい青。これがどこの空なのか、ずっとこの色を見ながら育ってきたローゼにはもちろん分かっていた。
(……ええと、あたし、どうしたんだっけ……?)
確か今日は昼食の後、ぶらぶらと村の中を歩いていた。
途中で見つけたのが、木の下で咲く薄紅色の花々だ。
今が盛りと咲き誇る花はとても綺麗だった。さらに木陰は涼しげで、歩き回ったあとの休憩場所として選ぶのはとても良さそうに思えた。そこでローゼは聖剣を抱えて花の中に座り、他愛もない会話をレオンと始めたのだ。おそらくその後、話しながら眠ってしまったのだろう。事実、寝転ぶ腕の中には黒い鞘の聖剣があった。
状況を思い出して安堵するローゼは、未だぼんやりとする頭で今まで見ていた夢の記憶を手繰り寄せる。
確か彼の両親と妹に会ったように思う。だが3人ともずっと以前に世を去っている。ローゼは彼らに会ったことがなく顔は分からない。あれが彼の家族なのだという証拠はなかった。
(そうよね。ただの夢に決まってる)
ローゼはアーヴィンが家に挨拶へ来てくれたあと、共に神殿へ向かって歩きながら、彼の両親が生きていたら自分は結婚を許してもらえただろうか、と考えた。その記憶が頭に残っていたせいで見た夢なのだとは思う。
――思うのだが。
(……でももし、本当にあの人の両親や妹と会ったんだとしたら……)
彼の両親は、過去を変えたい、という内容の話をしていた。
確かにあの場所が不思議な場所なのだとしたら、彼らの願いは叶うのかもしれない。
だが一方で、違う考えもローゼの頭をよぎる。
今のローゼも、そして成長した彼も、すでにここにいるのだ。
こんな状態で過去を変えることなど本当にできるのだろうか。
もしかすると、実は。
(……結婚の挨拶をしてくれるために来た……なんてことはない、よ……ね?)
揺れる木の葉と青い空とを見ながら考えを巡らせていたローゼだったが、やがて大きく息を吐く。
あれが何だったのかなど、考えても仕方がない。今はもうただの夢でしかないのだ。
だがあの夢を見たことはローゼにとって無駄ではなかった。おかげで、自身の気持ちを改めて確認することができた。
やはり今のローゼは「彼を誰よりも幸せにできるのは自分だ」と考えているらしい。
心の奥深くまで彼を想っているのだということが分かって、ローゼは嬉しくなった。
(うん。あたしは絶対、あの人を幸せにしてみせるわ。そもそも、あの人を誰よりも必要としているのだって、きっとあたしなんだもんね!)
自分の中にそんな傲慢さがあったことに気付いて、ローゼは可笑しくなる。
そのとき吹き抜けた心地よい風が、周囲に漂う花の香りを運び去り、清々しい香りをローゼに届けてきた。
――これは、自分が最も愛している人の香りだ。
彼が近くにいると知ったローゼは顔をほころばせる。同時に、低く穏やかな声がローゼの名を呼んだ。
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