魔術師の仕事

阿部うりえる

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1章

6 助手の仕事

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ルカに言われた通り噴水の前で待っていたネリーだったが、もう二時間くらい待つというのに行き交う人の中にルカの姿はなかった。
「退屈…ルカ何やってんのよ…」
空を見上げると太陽は西の空に傾きはじめている。
その時、足先に何かがこつんと当たったのでネリーは足元に目を落とした。足元にあったそれは綺麗な緑色のガラス玉だ。彼女はそれを拾うと手のひらで転がしたり、光に当てたりして観察した。ガラス玉の中には何かキラキラするものが数個見える。
「綺麗…一体どこから…?」
「あった!」
その時、どこからか子供の声が上がりネリーはきょろきょろと辺りを見回した。しかし誰もいないし、道行く人の中に子供の姿はない。
「なんだ、気のせいか…」再び手元のガラス玉に目を移した時だった。自分の目の前にはどこから現れたであろう、一人の子供の姿が…白っぽい金髪の可愛らしい少年は自分の手のひらを指さし「返して」と言うのだ。
「あ…これ君の?」
「うん」
人の目の色とは思えぬような真っ赤な瞳にネリーは息をのみながら少年の手のひらにガラス玉を落とした。
「ありがとう、お姉ちゃん。これ僕の大事なものなんだ」
少年はそういいながら血のように赤い瞳を細めこちらに微笑みかけるのだが、ネリーはなぜかその笑みに寒気を覚えた。
手の平のガラス玉を握りしめ駆けだした少年だったが、彼は何を思ったか振り返ると「ねえ、また会えるかな?」と言ってきた。突飛押しもない少年の問いにネリーは目をぱちぱちとさせることしかできない。
「また会えるね。きっと…」
「え…?どういうこと?…あっ、待って!君!」
少年はそういうと、再び振り返ることもなく、どこかへ駆けて行ってしまった。ネリーはなぜか湧き上がる不安と彼の意味深な言葉に立ちつくしてしまったのだった。


その頃、二件目の客の家を後にしたルカは人通りのない路地裏をネリーの待つ広場まで足早に向かっていた。
「少し長居しすぎたな…」
その時、彼の前方に先ほどネリーが市場でぶつかった銀髪の男が姿を現した。男は壁にもたれかかりルカの方をにやにやと見つめているようだ。
男の存在に気付いたルカが足を止める。
「ゲルハルト…なんでここに…」
どうやら彼と男は知り合いのようだ。男の名はゲルハルト・グレーナー。銀髪に青い瞳の長身の男だ。
「相変わらず可愛げのない奴だ」
彼は壁から離れ静かにそう言うと、ルカの方に歩みを進めた。
「何の用だ。まだ対価の日ではないはずだ」
ルカはゲルハルトを睨みつけながら意味深なことを呟く。ゲルハルトはフフと笑い彼の顎を引くと顔を近づけ「いや、今日はお前の飼ってる娘に会いに来たんだ」と言いさらに口元を緩ませた。
「ネリー…」
体にかかる彼の手を振り払いネリーの元に急ごうとしたルカだったが、すかさずゲルハルトに取り押さえられたルカはそのまま壁際に押しつけられ両手の自由を頭上で封じられてしまう。
「この…」
睨みつけながらもがくルカだったが男の力の強さに押さえつけられた手首はびくともしない
「まてよ嫉妬か?手は出してないさ、ただ確認しただけだ。しかしそんな焦る所を見ると…ふーん…おまえ、本当のことをあの娘に話してないんだな?あの娘が辿るであろう運命も…」
ゲルハルトはルカの耳元で謎めいた事を言ったのち彼の耳に軽く歯を立て、耳たぶ、首筋へと唇を這わせていった。
「あれはただの助手だ!何とも思っていない!」
ルカは首筋に触れる彼の唇を避けるように首を横に傾けながら怒りに顔を歪ませた。
「まあいい、どうせおまえも男だ、そのうち自分に正直になる日がくるだろう。俺はそれまで待つとするよ…おまえの体だってそんなに悪くはないしな」
ゲルハルトはそう言って彼を自由にすると笑いながらその場を立ち去った。
「僕は誰も愛さない」
遠のくゲルハルトの背に彼はそう呟くように言うと、舐められた箇所を拭いネリーの元へと急いだ。



再び広場の噴水前。ネリーは頬杖をつきながらなかなか来ないルカを待っていた。
「ネリー!」
「ルカ!遅いよ!」
背後から聞こえた彼の呼びかけにネリーはため息を漏らし振り向くと腰に手を当て少しの嫌味でも言ってやろうと待ち構えた。が、駆け寄ってきた彼は息を切らし何があったのか少し取り乱しているようだ。
「どうしたの…?ルカ…」
「ハア…おまえ、何か…ハア……い、いや…何でもない…」
ゲルハルトに何かされなかったか聞こうとしたルカだったが、途中何を思ったか口籠ってしまうのだった。
「え?何?どうしたの!?」
問い詰めるネリーにルカは何も答えず持っていた帽子を深く被ると彼女に背を向け歩き出してしまった。
「行くぞ」
「ルカ…?」


それから二人は宿屋に来ていた。
「なんで私がルカと同じ部屋に…」
宿に泊まったことのないネリーは枕をだきしめながら顔を真っ赤にさせ言う。
「宿屋なんてどこもこうだろ…赤の他人と相部屋じゃなかっただけでも良かったと思え…それにベッドは譲ってやったんだ。それだけでもいいだろ…」
ルカは呆れ顏でそう言うと床に寝転がり、毛布を頭までかぶりネリーに背を向けた。
「だってルカ、一応男の人じゃない?前にも本の部屋でキスしようとしたし…裸も見られたし、もしかして夜中に突然襲ってきたりして…」
「おまえ、あんな事まだ覚えていたのか?あれは冗談だ、だいたい裸になったのは君の意思でだろ。それに悪いが君みたいな子供に本気になるわけないだろ…そんなこと、十年たってから言うんだな…」
背を向けたままグサグサくるようなことを平気で言うルカにネリーは顔を真っ赤にして怒りはじめた。
「また子ども扱いして!じゃあルカはどんな女性が好きだって言うのよ!」
その問いにルカはむくりと起き上がるとネリーの方を振り向き彼女の顔や胸に目をやったのち「君みたいな子じゃないことは確かだな」と鼻で笑った。
「最低!」
ネリーは枕をルカに叩きつけると、いじけたように毛布を頭まですっぽりかぶった。
「ったく…なんなんだよ…」
ルカは投げつけられた枕を床に敷くと、ため息をつきながらベッドの横に置かれたランプの灯りを消し再び彼女に背を向け眠りについた。
布団の中、ネリーは気にするように平らな胸を撫で、ため息を漏らした。
そりゃあ自分はただのいそうろうで彼の助手だ。でも少しくらい自分を意識してくれてもいいのに…と思ってしまう。
その時、真っ暗になった部屋に「ネリー」とルカの声が響いた。
今度は何だと言わんばかりに起き上がり彼女はルカの方を見下ろす。彼は相変わらずこちらに背を向けたままだ。
「ドレス…似合ってた…」
呟くように言われたその言葉にみるみる顔が赤くなる。
「あ…ありがとう…」
こうして、何事もなく、いや、彼女にしてみればかなりの収穫のうちにルカとの暮らしの一日目が幕を閉じたのだった。



深夜の静まり返った礼拝堂、一人の司祭が何かに導かれるようにらふらふらと祭壇の前まで来て膝から崩れ落ちた。
「おはよう」
甲高い子供の声が祭壇の上から響き、彼は我に返ると垂れた頭を上げ、目の前の祭壇を見上げた。
祭壇の上から見下ろしていたのは金髪に暗闇に浮き上がるような赤い瞳をもつ少年だ。もちろん、彼は少年が何者なのかすら知らない。
「な…なんだ君は…そこで何をしている…?」
祭壇に置かれた銀の盃に、少年はどこから持ち出した来たのか葡萄酒を注ぐと「我らが清きクリストの血、悪しき我の一部となれ」と言ってと一気に飲み干すと大きなゲップをしケラケラと笑い出した。
「何ということを…」
少年の神をも恐れぬ冒涜っぷりに司祭は彼を睨みつけながら十字を切った。
「どうしたの?あなたも飲みたい?」
少年は盃と葡萄酒を持ったまま祭壇から飛び降りると、自分を睨んだまま目で追う司祭の周りを回りながら悪びれることなく再び盃に葡萄酒を満たす。
「臭うよ、すごく臭う、あなたからも僕と同じにおいがプンプンする。悪のにおいだ」
「何を言ってるんだ、今すぐそれを元の位置に戻しなさい!」
耳元で囁く少年を司祭は取り押さえようと身を乗り出したのだったが、少年の機敏な動きにからかわれ終いには自分の服の裾を踏み大胆に転倒してしまった。
「少し動きは鈍そうだけど…まあ、いいか。君を使ってあげよう」
少年は起き上がる司祭の前に屈むと、彼の頭に手を乗せ赤い目で彼の目を見つめた。司祭は全てを飲み込んでしまいそうな少年の赤い目から目を離せないでいた。
「あ…悪魔…」
見開く司祭の目が次第に黒い靄のようなもので覆いつくされ、白目と色彩が完全に飲み込まれ真っ黒に染まる。
「悪魔なんかじゃない、あんたと同じ人間さ」
どさりと倒れこんだ司祭に少年はそう言うと、足先で彼を小突いた。
程なくして意識を取り戻した司祭の目は既に元通りに戻っている。しかし…
「僕の合図があるまでおまえはしばらく待て」
「わかりました」
司祭は正気の抜けたような声でそう言うと起き上がり、再びフラフラとどこかへ行ってしまった。
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