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第7章 背面軍の奮闘と熊本城完全解囲
第12話
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「田原坂を突破したら、すぐにでも熊本城にたどり着ける、と私は思っていたのですが、うまくいきませんね」
林忠崇大尉は、土方歳三少佐に話しかけていた。
第14連隊を救出して一夜が明けた、4月10日の朝のことだった。
「確かに田原坂は要衝だが、そこを突破したら、すぐに我々が、熊本城にたどり着けるわけではないさ。
実際、フランスでそのあたりの事は、軍事史学で学んでいないのか。
林大尉なら、学んでいそうに思うのだが」
土方少佐は、半ば軽口を叩いて返した。
「一応、学びました。
でも、実際問題として要衝を突破したら、すぐにでも重要な拠点にたどり着けそうに、思うではないですか」
「確かにそうだが、林大尉はまだまだ若いな」
林大尉の答えに、土方少佐は笑いながら言った。
「私は、まだ30歳前ですからね」
思わず憮然として林大尉は答えた。
「悪かった。
だが、古今の名将は、若くして優秀なことを示している者が、多いではないか。
本多忠勝も、長篠の戦に至った際には、未だ30歳に達していなかったと思うが」
土方少佐は、春風駘蕩のように、林大尉の言葉を更にいなした。
「本多忠勝を持ち出すのは、止めてください」
林大尉にしてみれば、本多忠勝は、雲上人に近い存在である。
土方少佐に悪気は無いが、林大尉にしてみれば、面映ゆくて仕方がない。
「まだ林大尉は、戦場では無傷だろう。
林大尉が、本多忠勝を見習って、目指しても悪くはないだろう」
土方少佐は、林大尉の反応に面白みを覚え、また笑って言った。
実際問題として、田原坂を突破して、熊本城救援を目指していた政府軍主力は、第1旅団長の野津鎮雄が戦死した影響もあったのか、半月以上にわたって、西郷軍の防衛線を突破できずに、苦戦を強いられる羽目になった。
4月9日に、第14連隊が苦戦を強いられた末に、海兵隊の救援を、急きょ仰ぐようなことが起こったのも、その苦戦の一環だった。
そうした中、背面軍が熊本城救援を順調に果たしそうだ、という情報が、海兵隊の下に陸軍から流れてきた。
山県有朋参軍としては、いわゆる味方の尻を叩く意味で、熊本城という果実を背面軍にさらわれてもいいのか、という趣旨で、陸軍内に情報を流し、更に海兵隊にまで、それが流れてきたのだ。
これを聞いた土方少佐は憮然としながら、林大尉に、そっと言った。
「全く味方同士、競い合わせるような情報を流すな。そこはお前らの奮闘で、味方も共に奮闘して、順調に進撃している、という情報を流すべきだろうに」
「全くですな」
林大尉も同感だった。
同じ情報を流すのでも、流し方によって、かなり印象が変ってくる。
これでは、背面軍が敵のようではないか。
なお、この件についての陸軍幹部内の受け止め方も、土方少佐と大同小異らしい、という情報が、犬養毅の下から林大尉の下には入ってきた。
山県参軍が、熊本城救援を焦るあまり、叱咤激励の意を込めて流した情報は、却って陸軍幹部や海兵隊幹部に対しては逆効果になった、という訳か。
林大尉は、そうも想った。
そうこうしているうちに。
4月15日、何度目になるか分からない西郷軍の陣地攻撃準備を、海兵隊を含む政府軍がしているところに、西郷軍の陣地から午後1時を期していきなり黒煙が上がった。
何事が起きたのか、と取るものも取りあえず政府軍が、斥候を出して偵察してみると、西郷軍の陣地はもぬけの殻になっていた。
「おそらく、背面軍の熊本城救援が成功したな。速やかに熊本城に向かえ」
山県有朋参軍は、政府軍主力に命令を下した。
田原坂方面から出発した政府軍主力は熊本城を目指して急進し、背面軍と熊本城で合流した。
ここに完全に、政府軍による熊本城の救援はなったのである。
林忠崇大尉は、土方歳三少佐に話しかけていた。
第14連隊を救出して一夜が明けた、4月10日の朝のことだった。
「確かに田原坂は要衝だが、そこを突破したら、すぐに我々が、熊本城にたどり着けるわけではないさ。
実際、フランスでそのあたりの事は、軍事史学で学んでいないのか。
林大尉なら、学んでいそうに思うのだが」
土方少佐は、半ば軽口を叩いて返した。
「一応、学びました。
でも、実際問題として要衝を突破したら、すぐにでも重要な拠点にたどり着けそうに、思うではないですか」
「確かにそうだが、林大尉はまだまだ若いな」
林大尉の答えに、土方少佐は笑いながら言った。
「私は、まだ30歳前ですからね」
思わず憮然として林大尉は答えた。
「悪かった。
だが、古今の名将は、若くして優秀なことを示している者が、多いではないか。
本多忠勝も、長篠の戦に至った際には、未だ30歳に達していなかったと思うが」
土方少佐は、春風駘蕩のように、林大尉の言葉を更にいなした。
「本多忠勝を持ち出すのは、止めてください」
林大尉にしてみれば、本多忠勝は、雲上人に近い存在である。
土方少佐に悪気は無いが、林大尉にしてみれば、面映ゆくて仕方がない。
「まだ林大尉は、戦場では無傷だろう。
林大尉が、本多忠勝を見習って、目指しても悪くはないだろう」
土方少佐は、林大尉の反応に面白みを覚え、また笑って言った。
実際問題として、田原坂を突破して、熊本城救援を目指していた政府軍主力は、第1旅団長の野津鎮雄が戦死した影響もあったのか、半月以上にわたって、西郷軍の防衛線を突破できずに、苦戦を強いられる羽目になった。
4月9日に、第14連隊が苦戦を強いられた末に、海兵隊の救援を、急きょ仰ぐようなことが起こったのも、その苦戦の一環だった。
そうした中、背面軍が熊本城救援を順調に果たしそうだ、という情報が、海兵隊の下に陸軍から流れてきた。
山県有朋参軍としては、いわゆる味方の尻を叩く意味で、熊本城という果実を背面軍にさらわれてもいいのか、という趣旨で、陸軍内に情報を流し、更に海兵隊にまで、それが流れてきたのだ。
これを聞いた土方少佐は憮然としながら、林大尉に、そっと言った。
「全く味方同士、競い合わせるような情報を流すな。そこはお前らの奮闘で、味方も共に奮闘して、順調に進撃している、という情報を流すべきだろうに」
「全くですな」
林大尉も同感だった。
同じ情報を流すのでも、流し方によって、かなり印象が変ってくる。
これでは、背面軍が敵のようではないか。
なお、この件についての陸軍幹部内の受け止め方も、土方少佐と大同小異らしい、という情報が、犬養毅の下から林大尉の下には入ってきた。
山県参軍が、熊本城救援を焦るあまり、叱咤激励の意を込めて流した情報は、却って陸軍幹部や海兵隊幹部に対しては逆効果になった、という訳か。
林大尉は、そうも想った。
そうこうしているうちに。
4月15日、何度目になるか分からない西郷軍の陣地攻撃準備を、海兵隊を含む政府軍がしているところに、西郷軍の陣地から午後1時を期していきなり黒煙が上がった。
何事が起きたのか、と取るものも取りあえず政府軍が、斥候を出して偵察してみると、西郷軍の陣地はもぬけの殻になっていた。
「おそらく、背面軍の熊本城救援が成功したな。速やかに熊本城に向かえ」
山県有朋参軍は、政府軍主力に命令を下した。
田原坂方面から出発した政府軍主力は熊本城を目指して急進し、背面軍と熊本城で合流した。
ここに完全に、政府軍による熊本城の救援はなったのである。
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