堕ちる犬

四ノ瀬 了

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全てが片付いたら、俺が、お前を、社会的に消してやる。愉しいな。

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 店の中で人混みの中に居ても、誰かに見られているような気がして、気が鎮まり切らない。激しい鼓動が、霧野自身の耳でまだはっきり聞こえる。少しでも気を抑えるつもりで、丁寧な手つきで、黒木の財布の中に折りたたまれ入っていた封筒を引き抜いた。口は留められておらず、中には一枚の紙が折りたたまれ入っているだけだった。霧野は一瞬中を見ることを躊躇したが、そもそもこの財布が、霧野に渡すことを前提として置かれていたことを考えれば、見て良い物のはずだと思った。紙を中から手の中へ滑り出させ開く。紙を開いたと同時にウッド調の良い香りが霧野の鼻を擽った。

『霧野、お前が今この手紙を読んでいるということは、お前が俺の手の内から一人で脱したということ。良かったな、流石、清々とした気分か、おめでとう。そして、もう、互いに会わないことを願おうか。』

 やはりそれは、黒木が霧野にあてて事前に書いていたらしい手紙であった。

『それとして、お前との暮らしは思っていたより俺の精神にとって良かったよ。お前にとってどうかは知らないし、宿泊費の代わりと称して、酷いことをした自覚はある。でも、これは俺だけの責任とは言えない。お前が無駄にいきり立って否定する顔が、今こうして書いていてもありありと目に浮かぶわけだが、互いの不満足をただ満たし合っていただけなんだからな。どうだ、怒ったかよ。ところで、これがお前の手にあるということは、お前には俺の本当の名前も既にわかっていることだろう。警察のデータベースでも使って調べればすぐに俺が本来はどういう人間だったのか、少しはわかるんじゃないか。もし、お前が興味あれば、の話だけど。もしお前がこのまま逃げ延びることが出来たら、俺は正直嬉しい気分だ、そう望んでいる。でも、失敗して戻ってきたとしても、俺はおそらく再びお前を歓迎するし、悪くはしないのではないかと思う。心の底ではお前を気に入り始めているみたいだから。「おそらく」「思う」「みたい」と敢えて書いたのは、その時に、次にお前に会う俺は、今この手紙を書いている俺ではないからだ。察したか。はっきりと、解離性同一性障害と書けば、お前なら、すぐにピンとくるだろう。非情な現実に対処するために、人格が分裂する病気だな。本来、発症するのは未発達で世間のあれこれに対応できない子どもに多いはずなんだが、俺の場合はそうではない。つまり俺が、あまりに未熟で、子ども並みに、弱かったってことだ。今の俺にはすべての記憶がある、しかし、間宮には一部しか無い。組織の中でお前と似たような道をたどった末生み出された、壊れた人格だから。詳細は今ここに書きたくない。書いたとしても、とても長くなるし、情けなく恥ずかしい話だ。だから、笑っていいぞ。お前一人行くなら、俺は二条の元に戻るだけ、そうすれば、いずれ俺は消える、存在それ自体消えて、後腐れも無く、清々する、じゃあ、後は一人で、頑張れよ。お前なら、大丈夫だろうから。』

 霧野は読み終えてから、もう一度頭から手紙を読み返した。初めて見る黒木の筆跡は、美しかった。霧野は元のように手紙を丁寧に折りたたみ、封筒に納め、ポケットの奥に突っ込んでしまった。脈拍が恐ろしく遅くなって、身体の真ん中、何もないはずの部分に痛みを感じる程だった。ポケットに再び手を突っ込み、指の先でしばらく封筒の角をカリカリと引っ掻いていた。黒木を足に美里を迎えに行き、そのまま3人連れで西へ行くという手も、黒木に提案したこともあった。すると、黒木は、白け蔑んだ眼をして珍しく霧野に食ってかかったのだった。

「俺を足にする?まぁいい、途中まで行くのも、まぁいい、……で?本気で最後まで三人仲良く一緒に行けると思っているのか。」
「……。お前、そんなに二条から離れるのが嫌なのか?」

 霧野が言い終わるが早いか黒木は眉間にあからさまにしわをよせた。そして口元に笑みを無理やり浮かべた。端の方がひきつって震えていた。

「誰が、そんな話……していないだろ今……、……。もういい……。」

 黒木はそう言ったきり、顔を伏せしばらく黙っていたが、再び顔を上げた時には、顔色も調子も普段の感じに戻っていた。

「お前がそういうなら前みたく追走して守ってやるくらいは考えるよ。こういうのは、分散した方が良いからな。それから、美里には最後まで俺のことは黙っておいた方が良いな。何故かなどと俺に聞くなよな、ウザいからな。少しは自分で考えろ、アホ。」

 しかし、今となっては霧野はまた全てを一人で始めなければならなかった。
 久々に自ら進んで口で摂取したアルコールによって、身体が酔いを覚え始めた。地面が回っている。

『何考えてるんだ?』

 向かいの席にはもちろん誰も座っていない。頭の中に愉快そうな声が聞こえた。霧野は「ああ、また澤野が勝手に話し始めたな。」と思うと同時に、先刻読んだばかりの黒木の手紙を思い出し、心に冷たいものが走った。しかし、澤野は、霧野が彼らに取り入るために自主的に生み出し切り替えて使っていた自分の人格の一部であり、黒木のそれとはまったく違うはずだ。

 目の前の空席は、店の照明に照らされているにしては、やけに影が濃く見える。今しゃべっているのは、自分の口である。黒木のように人格が分裂しているわけでは、絶対に、無い。どちらが、偽りか真か、それも無い。それらは混ざり合っている、わからないが、今、自分は自分である。

『お前は、美里に続いて黒木まで”とられた”と思ったんじゃないだろうな。』

 とられた、右目の下の方が痙攣し、急に発汗し始めた。頭にきてる、違う、酔いすぎている、それだけ、そう思って握りしめたままのジョッキを見降ろす。いつの間にかほとんど飲み干している。一体、いつ、飲んだんだろう。

『お前は、川名と二条に、半身をとられて、また……、この世界でたった独りにされたんだぜ。憎いだろう。俺は憎いね、でも、こうも考えられないか?簡単な話だ、帰ればいいんだよ、帰ればよ、元の場所へな。そこへ行けばお前の居場所も、お前の片割れも全てある。天獄だろう。身体の穴はもちろん、心の穴も、全部埋まる。』

「今更、そんなことは、自分から行くなんて、今度こそは、殺されるに違いない。」

『それはあり得ない、と、本当は、心の底からわかってるだろ、戯れに、何度も、何度も、猫が半死半生のネズミをいたぶって遊ぶように、殺されかけるくらいはあっても、たとえお前が懇願しようとも、殺されはしない、とな。だって、今、お前がこうして生きてることこそ、その証拠じゃないか。お前の主が少しでも本気を出せば、俺がここでこうして酒を飲んでいるなんてあり得ないことなのだから。これは、組長の俺への好意、愛情の表れ、そのものじゃないか。今この瞬間も感じるだろう、視線を。どこにいても、お前の身体は、疼くのだろ。』

 身体が内から、本当に疼き始め、首を振った。酒を追加するために上げかけた手を降した。熱くなっているだけだ。冷静にならなければ、また、手紙でも読むか?しかし、霧野はもう、あの文字の羅列を見たくなかった。代わりにテーブルに腕をついて前が見えないようにして深く俯いた。傍から見れば酔いつぶれているように見えるかもしれない。

 今さら、川名の元に頭を下げて戻るなど、論外も論外だ、話にもならない。本末転倒。

 一度決めたことはやるんだ、約束もある。地下にいる男は外に出すと決めた、さっきまで一緒にいた男のことも、簡単じゃないか、だって、どこにいるのか調べなくてもすぐわかるわかるんだ、二条と居るに違いない、だから、何も失ってない、俺は何も失ってない。いや、はじめから。得るも失うも、無い。そうだろ。

 霧野が立ち上がりかけた時、背後から肩を叩く者があった。霧野の身体は反射的に臨戦態勢を保ち勢いよく振りかえった。そこには両手を軽く上げいなすようにして一歩足を後ろに引いた、同系別組三好会の南の姿があった。

「おいおい、怖いな~、殺気むんむんやんか、大丈夫ゥ~?」

 南は霧野の空いている向かいの席へ回り込み、さも待ち合わせてましたかというように勝手に座り、店員を呼びつけ勝手に注文を始め、それからにやにや顔面を朗らかに崩していたが、顔に霧野には見覚えが無い痣がついている。

 立ったままいる霧野を上目遣いに見ている。南は既に別の店で飲んできたのか紅潮しているように見えた。こんな男など無視してさっさと出ていってしまおうか迷った霧野だったが、そうするとこの男、逆に、追ってどこまでもついて来る。そういう人間である。霧野は南に聞こえるように舌打ちをして、彼の前にわざと店の時計を気にするようにしながら座った。

 南は、口元に手を当てて、霧野の方へ身を乗り出した。

「なぁ、お前もう、自由の身なんか?逃げてんちゃうの?」
「あ?」
「いや?この前会った時、そりゃもう随分仰山可愛がられてたようやからな、もう許されたんかな?早すぎるな?って思ってな、優希君、さっきの反応からみても、もしかしてアンタの所のあの組長はんのところから、うまいことやって、逃げ出して来たんちゃうの?」

 南はそう言って、意味深な目つきで、見慣れない霧野のカジュアルな服装、血の拭われきれていない穢れた手元、不自然に汚れて捨て置かれている穢れたおしぼりを見た。

「……、図星やんな。だってどう見ても不自然やもん、俺でもわかるくらいに。やっぱりおもろいな、優希君。安心してええよ、別に、優希君のこと売ろうなんてこれっぽっちも思ってないんだから、だって俺は、あ、どーも、」

 南は出された酒を受け取って、話もそぞろに飲み始めた。霧野は面倒なことになったが、利用価値が無いでもない、と目の前の男を見定め始めた。まったく興味も無いが、南の顔について触れることにした。

「その顔はどうしたんだ。」

「ああ~、まあ、喧嘩とかそんなもん、ふふ、心配してくれんの、うれし、でも、ダサいよな~、ホンマはこんなひっどい顔、優希君に見せとうなかったけど、いざ目の前にしたらつい、声かけてもうた。」

 南がはにかむのを見ると同時に霧野は、自分が激しく気分が悪くなるのを感じ、テーブル下で貧乏ゆすりしかけた膝の上にそっと手を添え、自分を諫めた。自分から彼に話題を振ったことを激しく後悔する程であった。時間の無駄、一刻も早く、酷く悪い酔いして意味不明なことを語る低学歴酒カス脳筋の目の前から去りたいと思った。それから、南は、何か言おうか言うまいか迷っている様子で、霧野を見たり、酒を見たりしていたが、また、元のように、赤らんだ顔のままにやけた。

「ところで今ァ、その服の下は、どうなってん?」

 南の手が、す、とテーブルの上を動き、霧野の指先を一瞬掠めて、戻っていった。霧野は一瞬その意味をとりかねたが、衣服の下に何も調教を施されていないかと聞かれていると察した。サァッと霧野の顔が紅くなって勢いよく俯いたのを見た南は、これを澤野の珍しい羞恥の姿ととって加賀家でのことを思い出し可愛く思ったのだが、実際は羞恥などでは無く、激しい殺意で怒りに紅潮しただけである。霧野は今、自分が様々な、言葉にならない衝動のギリギリの縁に立って居ることを感じていた。ちょっと押されれば、もう、駄目になる、今感情にまかせ、目の前の男に手を出して騒ぎになどなったら、それこそ全て破算、コトである。自制しろ。自制しろ。自制、自制、自制、自制。霧野が伏せた頭、口の中で念仏のように呟いているのにも南は気が付かず、あらあ……、優希君たら、俺の前だっていうのに、あまりの羞恥にようしゃべれへんのかい、なんてことや、ま、しゃあないか、元々相当にプライドが高い男やし、それを隠そうともせんで年上の人間の前であろうが関係無くえらそうにしとったわけで、それでいてあの一癖も二癖もある上位陣営に気に入られとった訳やらかな、散々されてんやろな、と、破顔して身を乗り出し霧野に顔を寄せた。

「何もされてへんの……?、どっちぃ?、されてたけど、もう、自分で、解いたんかな、……なあ、逃げてんのやったら、帰る家、無いんやろ???優希君だったら、うち、泊めてやってもええんやよ、俺、部外者やからなぁ、もし何かあってもなんも知らん存ぜぬで通せるやろ。俺にとっても、優希君にとっても、ええ話やんな?ここでこうして会えたのも何かの縁。ついてるんよ、優希君は。」

 霧野は暫く俯いて黙っていたのだが、不意に顔を上げて、今度は真っ直ぐ南を見たのだった。南は思わず反射的に身を引きすとんと再び腰を椅子に落とした。霧野は南というか、その向こう側、それも、遠く、景色か何かでも見るような様子で、さっきまでの焦燥感や苛立ちの無く、肝の座って暗く静かな瞳をして、口角をあげた。眼が笑っていない、苛立ち半分の嘲笑である。

「さっきから何言ってる?ついているかどうか、それはお前ではなく、俺が決めることだ。俺の意志。他人が勝手に口出すな。」

 霧野もとい南から見れば澤野の、威圧的な口調に、南は驚いた。さっきまでのどこか怯えた様子はどこにいったのだろうか。しかし、本来の良く見慣れた方の澤野である。

「そう、確かにお前の言う通り俺は今逃亡者、貴様のような馬鹿に見抜かれるくらいにはあからさまに逃亡者だ。売らない?どうだか。まあ、売りたければ勝手に売ってもらって結構だぜ。お前のようなドマヌケ脳筋が電話してる内、姿を消す位さもなく簡単なことだ。そうして、追々、全てが片付いたら、俺が、お前を、社会的に消してやる。愉しいな。お前、もし俺がお前の家に行くことを拒絶したら俺を売る魂胆なんじゃないか。どうだ?」

「ふふ、酷いなぁ、そんなわけない、俺が、そんなふうに見えるかよ、俺達、お友達やろう。」

「見えるなァ!悪いけど、今の俺は気分が最悪な上、人間不信なんだ。でも、とめてくれるというなら、ありがたくとめさせてもらおうか。お前のことを信じてやろう。お前が俺のことを友達というのを本当か、確かめてやるためだ。ただし、俺の身体に少しでも触ろうものなら、すぐさま出ていく、それでいいな。」

 南は受諾した。南の家までは繁華街から徒歩15分程、新築マンションの一室だった。

 霧野はさっそく風呂を借りた。湯船にまでつかり、身体を洗い、シャワーで思う存分に身体に熱い湯を浴びせまくった。痛みが身体に染みるのが、今は、意識がはっきりとして、良かった。脱衣所に出て、身体を拭いた。南の家に向かう道中に買っておいた下着とスウェットが棚の上に置かれている。裸のままドライヤーで髪を乾かしていると徐に脱衣所の扉が開かれた。霧野は手を止め、緩慢な動作で音の方を横目で見た。南が脱衣所の入口に突っ立っている。南は何も言わないで、霧野の姿を見て、開け放たれたドアの向こうに突っ立ったまま動かない。近づいても来ないで、湯気だって、ごうごうと音を鳴らすドライヤーで髪が逆立っている全裸の霧野を黙って見ていた。霧野は視線を南から鏡へ戻し、南など最初から存在していないかのように元の動作に戻った。まだ居るのがわかったが、無視した。
 確かに触るなとは言ったが、別に、見るなとは、一言も言っていないからだ。

 霧野はドライヤーを止め、軽く欠伸をしてから、タオルで頭を、顔をぬぐった。南はまだ、脱所の入口に立ち尽くしたままでいた。タオルから上げられた澤野の、まだ水の滴っているその顔、端正な造りの割、睫毛が幾分人より長く縁取り、眼光の奥の鋭さを中和しているおかげで、どこか雰囲気に高貴さ、高潔さを与える瞳がある。ただ、熱が入り眼光の鋭さが増してしまえば、その効果はすぐ消し飛び、野蛮で、獣じみて、とても人を寄せ付けない顔つきになってしまうのだが。瞼のすぐ上、常に勝気な蛾眉がひかれている。澤野の風呂上がりの巨躯、それは、ただ魅惑的に大きいだけではなくて、全体的に艶々して、引き締まるべきところは引き締まり、膨らむべきところは膨らみ、窪むべきところはくっきりとくぼんでいる。調和のとれた肉の上に余多の傷が躍り、懲罰を物語っていたが、そのすべても痛々しいを通り越し、南の今まで感じたことの無い、あまりに極彩の強烈な色気に集約されて南の脳の奥を撃ち抜いたのだった。南は闘うことが、喧嘩が、好きである。それは、傷ついた人間を見ることが好きということでもある。肩甲骨の辺り、まるで翼のもぎ取られたような位置におそらく刃物で抉られた痕が特に紅く腫れ上がって水の滴り、輝いて見えるのが、南の目についた。湯上りで上気したその肉の上には、傷だけでなく人工的な異物と紋様も躍る。本来なら痛々しさ、滑稽さを伴ってもおかしくないのに、まるで、最初からそうデザインされていたように、目の前の肉体によく調和して馴染んでいるように見えた。それらは肉から漂う淫靡な雰囲気を毒々しく上昇させていた。唯一不完全な部分、それは片側の尻から太もも膝上にかけての彫り物である。湯にあてられ仄かに水の珠の滴る肉の上に桃色のに線の浮き出ている白彫の華、そして、深紅の華の彫り物の重なりの先、重なるようにして彫られている華の裾に、未完成の刺青があるのだった。開花する日を待ちわびている、縁取りだけで、色が入っていない華の下地。完成すれば、背面から見た時、この男の右尻肉の下部から膝上まで一面、豪奢な重い花の数々が咲き誇ることになるだろう。
 南は今まで、身体自慢、刺青自慢の男の身体を、いろいろと見て来た。隆々とした肉の上に鎮座する鬼神、神、龍、虎、男達は刺青から、力を、威勢を、借りていた。華。それは、メインの彫り物の周囲を飾る位はあっても豪奢な熟れた華のみを肉の上、それも下半身の最もたわわとした肉厚な箇所に、這わせ、咲かせている男など、ついぞ見たことが無かった。南は川名の、いや、川名の組の人間達が総出になって目の前の、罰のついた男に対し懲罰を下する中で、いつからかその性質が、単純な懲罰から、性的な彩の濃い苛烈な調教に特化して変わっていったのだろうと確信した。すべての者に、適正というものがある。それは本人の意思を超越して存在する。

 澤野は南の目の前で何一つ気にする様子も無く身体を拭き終え、鏡をじっと見ながら歯磨きを入念に、15分以上は全裸のままおこない、手を異常なほど神経質に洗ってからようやく着衣して、思い出したかのように再び南の方に目をやった。

「冷める前に入れよ。お湯をはったままにしてある。」

 南のすぐ横を巨大な熱の塊が通過し廊下の奥へ消えた。南は肩から力が抜けるのを感じ、今まで自分が思いの外緊張して動けなかったことに気がついた。そう、南は扉を開ける前までは、触るなと澤野から念は押されていたものの、今の澤野はあの食えない組長か、そうでなくても、おそらく複数の男に犯されるようなことは平気でされた後にちがいないのだから、脅かし半分で、あの日見たような澤野の羞恥に歪んだ弱気な顔を拝んで、ともすればそのまま……、と考えてさえいた。しかし、そんな南の魂胆は澤野の神々しい肉体と、普段と寸分変わらない傲慢な態度の前に、一瞬で吹き飛んだわけであった。飲み屋で軽い口を叩くのと実際は違う。

 南は持ち前考えすぎない性格、無邪気さのため、特にめげることもなく気持ちを切り替え、寧ろ澤野を家に泊めることでその肉体を隅々まで拝めたことを素直に喜んで、ただただ、今、いい気分になっていた。本格的に組を鞍替えしたくもなってくる。鼻歌交じりに澤野と入れ違うように脱衣所に入り脱いだ。とはいえ南自身、同年代の男には到底引けはとらない身体を持っていた。澤野とはまたタイプの違う、無駄なく細身の引き締まった地の黒い身体、バレエダンサーか長距離選手、ピューマのような身体である。南は自分の姿にはある程度の自負を持っていた。顔の傷は瞼を切り裂き、後ほんの少し下なら、失明していたと医者に説明された。血抜きして冷やし、安静にしている内に目立たなくなってきた挫傷だが、未だ治り切っていない。誰にやられたのかと詰め寄られたのを、南はただ強情に押し黙って通した。上の印象を悪くしたに違いなかった。しかし、澤野の身体を前にすると、そのような些末事は、別に、どうでもよくなる。比較のしようが無いのだから。

 風呂、さっきまで澤野が身体を沈めていた湯の中に入っている内、南は自分の股間が不自然に疼き始めるのを感じた。そして、頭まで湯船の中に沈めた。澤野の浸かった湯が体内に、入ってくる、体内の液体が全部入れ替わったらいい。南は身体からブクブクと空気を出し切っても、沈んだまま、さらに口を開いた。溺れて、死んだって、悪くないな、と思いながらギリギリまで中を湯で満たし、顔を上げる。そしてまた澤野の匂いの中に自ら沈み溺れるのが、癖になったように、やめられなくなった。

 湯がすっかりぬるくなったころに、ようやく南は湯船から出た。全身を洗って、出る前に、もう一度完全に冷えた湯船につかって、風呂を出た。身体を拭きながら、澤野の身体の、調教の証、ひとつひとつが鮮明に思い出されてくる。そこから、どのようなことが彼の身に降りかかったのか、考えはしたが、南の想像力では、とても追いつかなかった。死ぬほど気になりはする。しかし、今、本人の口から聞こうとも思わない。だって、俺達は、お友達なのだから。その点、気を遣うべきだ。澤野は、傲慢な態度をとりながらも、南を前にして、今の自分は人間不信であると、口に出していた。逆に考えれば、今こそ澤野の信用を勝ち取りやすい、もっと、もっと、お友達として親しくなれるチャンスである。澤野は強いゆえ、孤独な人間のはずだ。

 澤野にベッドを貸し、南は同じ部屋にあるソファに寝そべる。澤野は最初こそ警戒していた。隠せない殺気を毛布の下から放って南をけん制していたが、10分もすると、すぐに寝息を立て、眠り始めた。

 どうせ、組から逃げおおせることなど、できない、できないとわかっていても、他に手段が無く、野良犬のようにうろついて、飢え、疲れ果てた、そんな男を、今日、拾った。

 南は、ソファから勢いよく身体をうかせ、ベッドの脇に立って、じっと上から澤野を見降ろした。そうして1時間、2時間、南は途中からはベッドの縁にこしかけ、飽きもしないで、寝息を立て、時折寝返りを打ち、歯ぎしりし、小さく唸る、そんな澤野の寝顔の横に手を付いて覆いかぶさるようにして覗き込む。
 南の瞳が壁掛け時計の方を向いた。4時。微かな空気の振動。すぐさま南の瞳は澤野の方へそそがれた。澤野の寝息の隙間から、熱と共に小さな喘ぎ声が、漏れ始めてその顔が汗ばみ、赤らみ、険しさを増していた。聞いたことの無い澤野の声が南の耳を擽った。

 南はそっと身を引いて、澤野の毛布をゆっくりと剥がしていった。そうして、発見する。スウェットの下で大きく怒張し蒸れていた、彼の雄竿を。

 南の脳内先刻見た彼の裸体がありありと浮かぶ。澤野が、トラウマじみた淫夢に股間を濡らしていることを察した。南は思わず、澤野のスウェットを引き下げた。ぼろん、と勢いよく蒸れ反り返った赤らん雄が、外気に触れ、びくんびくんと、軽く痙攣した。澤野の肉欲の象徴を見ている内に、南の口内に唾液が溜まって、そして同じく、下半身に澤野と共有するような、どくどくとした熱い感覚を覚え始めていた。

 澤野の眠っているベッドわきのサイドテーブルの上には、元々水の入っていた空のグラスが2つ、置いてあった。南はそこに、澤野の口をつける方に、強い睡眠薬を混ぜていて、澤野がそれをすべてしっかり飲み干すのもじっと見ていた。薬の最も強く効く時間は入眠後、2~3時間。つまり今である。この間に何があっても、飲んだ人間は100%起きることがないのだ。薬は南の組の扱っている違法薬の一種であった。何があっても、それは文字通り、くすぐられようが、殴られようが、刺されようが、解剖されようが、意識を完全に取り戻すことが無いことを表した。その効き目の強さに反して、効果時間が短く副作用が殆ど無く、使われた人間に一切気が付かれることがないのがこの薬の特異な点である。

 南は自らの服を剥ぎとるようにして脱ぎ、澤野の服に手をかけた。布繊維が彼の皮膚を擦る度、感じるのか、彼は甘ったれた仔犬のような南が初めて聞くような声を出し、眉間にしわを寄せた。声は喉奥から小さく出続けている。衣服を全て剥ぎとってしまってから、澤野の上に覆いかぶさり、顔を覗き込んだ時、どきりとした。うっすらと半分眼が、開いているのだ。しかし脳は寝ているらしく、夢を見て(本当は現実でもあるのだが)、視線は空中をふわふわと彷徨って上を向き、また瞼が閉じていった。身体を重ねると恐ろしいほどの火、熱が、南の締まった身体に伝わってきた。澤野の濡れた皮膚がねっとりと吸い付くのと一緒に伝わってくるのだ。同時に、香ばしい香りが股座の辺りからじわじわ、漂い始めた。

 南は澤野の重い足をとって開かせた肉を目の前にして、目をまともに開いていられなかった。薄闇の中で、手さぐりに蒸れ発情した巨躯に遮二無二自身の身体を重ねた。それでもまだ、すぅ、すぅ、と、寝息も立てている澤野の巨躯の前で勃起した南の雄鉾は、わざわざ澤野の股の間に腰を埋めて突き立てようとせずとも、女性器よりも簡単、何の抵抗も無く、するん、と、淫らな肉の中心にぬるぬると沈んだ。

 桃色の、底なしの肉沼だった。沈む。沈んでいく度、心がほどける。南の雄が完全に肉筒吞み込まれた時、肉は歓迎するようにぴったりと南を締め付けて全く離さなくなった。澤野の皮膚と南の皮膚の接地面が、吸い付く。境目を無く。外の皮膚と同じ様に、中も、汁が自然溢れ出て、ほとほととしはじめた。

 熱く溶けている、それで、きゅ、と可愛らしく、痙攣するように眠っている男に締め付けられ、油断していた南はつい、低い声で、うぉ゛と、呻いてしまっていた。澤野を盗み見るが、閉じた瞼の先で睫毛が掲げを作り、若干、端正な顔の中で、ほんの少し、眉がひそめられているだけだ。

 しかし、首から下の反応は顕著であった。南の雄に呼応するように、肉壺の奥が硬く引き締まり始めた。そして、うねる。触手で構成されたイソギンチャクが生餌を求め、捕食するように、ぎゅゅう!と、南の亀頭部分だけを吸い取るように渾身の筋繊維の力で締め付ける。また、声を先に漏らしたのは南の方である。腰を引き、また、中へ落とすと、また食いついて、離さない。

 血の脈拍の境い目、身体の奥、爛れた灼熱の肉泥が混ざり合う。南は、上下している内、途中から下半身から下が無くなったような感覚になっていき、ついに、昇天した。ぁぁ゛!と南は怒鳴った。身体に力が入ったまま、抜けない、澤野の身体に思わず爪を立てかけたのを、すんでのところで耐え、勢いよく腕をベッドの上につき、肩で呼吸をしている。南の身体から迸った汗が澤野の身体、顔、シーツの上に飛び散った。

 疲れ果て、腰を引こうとした南、しかし、轢くことが出来ない。澤野の、普段なら強靭な蹴りを繰り出すための筋肉質の太ももが、南の身体に、寝技を駆ける要領でぐぐぐ、と、からまり、自分の方へ激しく激しくひきつけ、さらに中をうごめかし、肉を引き絞る。プロレスごっこでもしているかのように、ベッドが信じられない勢いでたわみ、床まで抜けるかという勢い。南は再び澤野の熱くどろどろとした肉泥の中へ沈まされていく。止めろと思う程、澤野の肉体は、ぽっかりと空いてしまった穴を満たすよう、求めた。

 澤野の全身の筋肉が蠢きながらら、下半身に、雄に、肉孔に、集中して、器用に、南の雄を締める、雄膣の中に舌でもあるのではないかというような器用さで丹念に南の物を隅々まで、絡めとり、舐めとりどくどく締めつけるのである。

 南は何度も、こいつ本当に寝とんのか?本当は起きてるんやないか、と、澤野を睨みにつけた、あまりにも器用に、雄膣の筋繊維が動く、無意識でありえるかっ、こんな、しかし、もし起きていたら、こんな肉結合は、あり得ない。「触るな」と言ったあの顔も言葉も、本気の澤野の意志である。

 南は、早々に頭の奥からチカチカし始め、吐気さえ覚える程快楽に飲まれた。ずくん、ずくん、と、腰が揺れる、えぐる、いや、揺らされる度頭がトびかけた。自分の雄が吸い取られたか、と思えば、どくどくと、放出、放出、そんなことを繰り返している。とても、耐えられない、と、快楽に沈みながらも、澤野の方を見て、どきりとした。両掌を上に向けた状態で、シーツを、破らんばかりにぎゅううとひっぱり掴み、半目になって、アルカイックスマイルじみた笑みを浮かべて、南と対称的に、まるで、余裕である、巨体を上下に揺らしながら。南の遥か向こう側の天上の方に目をやっていたかと思えば、半ば空いた口から、つぅ…と涎が出ていった。舌が、口にも入れ、出して欲しいというように、器用に涎と、唇とを舐めた。涎を舐めとっても舌は半ば出たままになって、癖なのか、時々舌先を犬歯の先で、噛み、噛み、しては、息を激しく、濁音交じりに荒げ、また、犬のように涎をだらだらとだらしなく垂らしていた。今まで気が付かなかったが、カチカチ、音が立つことで、彼の肉厚の舌の上にピアスが、おそらくその口で男根を咥え込んだ時の刺激剤として取り付けられたらしいピアスが、鎮座して闇の中に強く力を持って光り輝いているのに気が付いた。

 また、中がぐぅぅぅと激しく引き締まった。ぁぅぅぅがぅぁ゛ぅ゛ぅぅぅぉぅぅ、と、澤野の身体がのけ反るのに、南の身体もひっぱっられ、引き込まれる。とても人間とは思えない力と獣声が喉奥から最初は小さく、段々と大きくなって啼き、唸る首筋で、幾重も、擦れた痕、縄目上の痣、が、震えていた。南の方は、すっかりもうほとんど義務感で、彼に奉仕するように身体を澤野に埋め続けていた。肉体の満足というより、精神の満足を越えた領域に突入していた、ひとつ悲しいことは、一つの痕も、決して彼の肉体の上に付けられないことだ。彼の身体に残る数多の傷のひとつに自分の痕も加えてみたい、自分の痕跡を残してみたいと思わないわけでは無いが、できない。これは澤野の夢の一つだ。

 南は自身も喘ぎ喘ぎ、澤野の皮膚の手を這わせた。肉体の凹凸を、傷の凹凸を、底を指で、掌で撫でるようにすると、澤野の身体は時々フルフルと震えた。南は澤野を撫でてる内、指先に、硬い、傷とも違う、妙な質感を覚え、暗がりで指の腹でなぞった部分に、顔を近づけた。激しい呼吸でなめらかに、シャチのはらのように上下する澤野の白い横腹、その腰の付近に、川名組の刻印が施されている……、これは、刺青とも違う。焼いてある。ブランドや識別を、家具や家畜につけるように、焼いて印つけてある。南は澤野に夢中で気が付かなかったその焼印に、今、気がついた。そういえば、脱衣所では影になって見えていなかった印である。

 印、そしてその印の意味を理解した時、南の身体にぞっと震えと悪寒が走った。よく考えてみれば、いや考えなくてもだ、同じ組の兄貴の女を寝取るだけでも、糞度胸とリスクを覚悟しなければいけない、ましては、組長の女などもっての外、指詰めだけで済むのかというのに、それが、他の組の、まして……、今、自分が手を出しているこれが、一体何なのか、考えがおよんでいなかった。南のテンション上がって膨らみあがっていた雄鉾が、その時初めて恐怖で萎え、全身にびっしょりと嫌な汗をかきはじめ、もう一度刻まれた川名組の刻印を見て、恐怖に顔が引きつり唸っていた。しかし、当の澤野は寝息を立てながら、まだ全く終わらせたくない許さないというように、肉筒で抱き着き腰を動かし、締め付けてくる。恐怖のせいで上がった心拍数によって血管がポンプのように、再びどくんどくんとしはじめ、再び、勃起していた。あはぁあはぁ、と笑いたくもなる。「川名組」の所属物、備品。そんなものに勝手に手を付けて、……、南はしばらくの間恐怖にのまれていたが、段々と気は落ち着いていった。そもそもが、澤野に気が付かせないための薬をいれて行為に及んでいるのだ。バレようがない。

 南は澤野の雄が、南の雄より遥かに大きく、紅く、はちきれんほどに怒張し、どろぉどろぉと絶え間なく透明な汁を垂れ流すのを呆然として見ていた、そして続けた。澤野の体液その飛沫が顔に飛んでくるのも、ぬぐわず、そのままにして。香ばしい臭いが、どんどん濃くなってきている、ここは本当に自分の部屋だろうか。酩酊するほどの雄の臭気。ベッドの染みが大きくなってきている。それは澤野の股座から出た淫液と全身から噴き出た汗による。

 南は澤野がこのように川名の家のベッドの上で欲望丸出しに喘がされていることを考えないでは無かった。しかしこれでは、あまりにも官能が、淫乱が過ぎて、まるで、懲罰にならないのではないか。今、この男は理性が無い状態、本能丸出しの飢えた獣のような状態、だから、川名が彼に相手をさせる時、きっと彼は基本的に理性をある程度残すに違いない。たまに戯れに今のように薬を打たれることがあるかもしれないが、そんな時は、彼に理性が戻ってから、醜態を見せて遊ぶのだろう。

 南は、澤野の上で、そして、下で、朦朧として、官能に染まった意識の中、南にしてはかなり明晰にそんな風に思った。凄まじい情交により血の巡りがよくなりすぎて、疲労とは裏腹に一時的に凄まじく勘と知能が冴え、良くなっているのである。澤野は調教の証のド太いピアスに貫かれた雄から3度ほど勢いよく噴いたくせして、まだまだ、それこそ、夜の明けるまで、南を、というか、肉ディルドを、離す気が無いように見えた。

 南はいくらでも相手をしてやり、できることならそのまま共に寝落ちするのが最も気持ちが良いのもわかっていたが、これ以上は堕ちる、意識が、それでは計画すべてご破算だ、薬の効き目に上限がある、このまま気を失って一緒のベッドで目覚める、それだけは避けなければ、と、最後の力を振り絞り、何とか獣から身を引きはがし、獣の股座に頭を近づけた。鼻先を勢いよく淫獣の暴れ雄がかすめていった。南はタオルを手に、自分が想定外に、不本意に放出してしまった精液を、澤野の身体から可能な限り丁寧にかきだしてやった。

 その間、この雄獣は大人しく寝息交じりに喘いでいたかと思えば突然、脚をあげた。プロレス技でもかけるように澤野の足がじゃれつくようにしかしあまりに素早く南の首に絡りかけたのだ。危うくしっかり掛けられる寸前のところを、普段の喧嘩の応用で、抜け出すことが出来た。もし、反応できなければ最悪、締め殺されていただろう。

 澤野の剥き出しの腹部もふいてやる。発情期の雄鮭が、所構わず子孫繁栄のため激流の中放出したような大量の半透明と白濁の混じった澤野のぬるぬるの雄汁が、腹直筋、腹斜筋の窪みに溜まりながら、生ぬるくなって、滴っていた。きれいに、赤子の世話でもするように拭き取ってやり、どうにか、澤野に元のように服を着せて、無理やり上から毛布を被せ、再びすっかり寝入るまで、飢えた獣を抑え続けなければいけなかった。

 南は獣が再び眠りに落ち着いたのを、肩で息をしながら、見届けた。よ、かった、よかったには、ちがいない、が、わけがわからん、あまりのことに、ことばにもならん、ばかになる、だめだ、このやり方では、いくら命があっても、まったく、足りん、もう、何も考えられん、誰が相手できる、こんな……こんな……、別の、やり方を……、南は、自らの身体を無理やり精神力だけで引きずるようにして、たどり着いたソファの上にうつ伏せに倒れ込み、そのまま意識を手放した。

 南の寝ているソファが横から蹴り上げられ、南の身体は衝撃にソファの上に一瞬飛びあがった。光が部屋にさしているのだろう。瞼を閉じていても、目が痛い。南は、あまりにも重い瞼を無理やり開いた。霞んだ像がだんだんと焦点を結びはっきりと一つの像を作る、外行きの服に着替えた澤野が腕を組んで傍らに立っていた。

「なぁ、もう昼だぜ。お前昨日そんなに飲んでたのか?仕事は?」

 南はしばらく身体を起こせず、腹筋に無理やり力を入れ、ソファの上に何とか身を起こした。夕方から仕事があったが、まだ、まったく、歩けないどころか、立てそうにさえなかった。澤野はベランダの方を親指でさした。

「昨日、寝汗で随分寝床を汚してしまったようだから洗って干してある。ところで、いびきか、寝言か、うるさくなかったか、俺。」

 澤野は探るように目を細め、南を見下ろしていた。

「寝言?さぁ……、別に、なんも、聞こえんかったなぁ。きっと俺の方が先によく寝いったんやろ。お前の言う通り、大分酔っていたようやからな。洗ってくれたんか、そう、ありがとな……。」

 澤野は余りに力の抜けた様子で礼を言う南を怪訝な顔をして見下ろしていたが、口を開く代わりに今度は腹を鳴らした。南は自分が叩き起こされた理由を悟って思わず苦笑した。
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