〜Marigold〜 恋人ごっこはキスを禁じて

嘉多山瑞菜

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第九章 普通の恋人同士なら行かないで…そう言うのかな…

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 一般常識から鑑みれば、リナの言う事は一々最もだった。

 桂だってそんな事は分かっている。桂の方がはるかにリナより常識も道徳観念も持ち合わせた平均的日本人男性だからだ。

 それでも桂は亮に関する限り、その常識も道徳観念も捨てる事にしていた。

「俺、休暇中、ニューヨークに行くから」

 その日、珍しく亮は桂にセックスを強要しなかった。桂を抱きしめたまま、ベッドに入るとぽつんとそう言った。

 彼が用意してくれたパジャマに包まれて、幸せな想いで亮の胸の心地よい温かさに身体を任せ、体をやさしく撫でる亮の掌の感触を感じながら、桂は耳元でその残酷な言葉を聞いた。

 それまでの穏やかな満ち足りた時間は一瞬にして桂の指の間から滑り零れていた。

「え…?ニューヨークへ…?」

 瞬間、桂は顔を上げると亮の顔を見詰めた。それが何を意味するのか…言われなくても分かっていた…。

 亮は相変わらず桂を抱きしめたまま、そして桂の反応を窺がうように彼も桂を見下ろしていた。

「…あぁ…。そうだ」

 少し掠れたような声で答える亮。その口調からは彼が何を考えているのか…桂には分からない。

 ギュッと心臓を鷲掴みにされるような痛みが桂の胸に走る。桂はその痛みをどうにかやり過ごすと笑みを浮かべた。

 わざとらしい程の明るい笑顔に陽気な声…自分の大根役者ぶりを恨めしがりながらも桂は唯一自分に許されている言葉を押し出した。

「良かったな…」
 
 リナが批判する亮の無神経さは「成田まで車で送ってよ」と言う一言だった。
民族大移動のお盆の時期、海外への出国ラッシュの最中…桂の願い虚しく亮はニューヨークへのフライトチケットを手にしていた。

 亮が嬉々として旅行の支度をしているのを横目で見ながら、桂は自分の「チケットが取れなければ良いのに…」と言う浅はかな希望が打ち砕かれたショックを押し込めて、亮の為にいつも通り夕食の支度をしていた。

 亮の出発は明後日に迫っていた。明日は桂も亮も仕事があって逢うことができない。実質今日が最後の夜だった。

 ニューヨーク行きを聞いて以来、桂はこれが最後になるのかも知れない…その不安と一緒に過ごしていた。

 健志と再会して、お互いの愛を確認しあって…、亮が「ごっこ」なんてしてらんない。

 そう気付いてしまえば自分の役割は終る。今が終ってしまえば…これからの半年は無いかもしれないんだ。

 それだけに桂は亮の出発までの時間が愛しかった。少しでも亮と一緒に居たくて、少しでも彼を側に感じたくて、亮の無理な要求にも仕事をやりくりしながら応じていた。

「今日が最後かな…」

 何度もその想いが胸を過ぎる。諦めとも絶望ともつかない苦い気持を桂は悶々としながら持て余していた。

「終りなら、はっきり終りにしたい…。でも終りなんて…考えたくない…」

 相反する気持と桂は葛藤しつづけていた。自然溜息ばかりが桂の唇から漏れていた。

 亮は全ての準備を終えると、尊大な態度でソファにどさっと座り込んだ。

 桂は亮の為にお茶を煎れると、亮の前に置いてやる。亮は桂の姿をじっと追いながら桂に、リナの怒りの原因となったその言葉を告げた。

「桂、成田まで車で送ってよ」

 躊躇いも、優しさも、気遣いもない…命令するような口調。桂は自分を切り裂くようなその冷たい言葉を身じろぎもせず受けとめていた。

「…あ……」

 少しだけ、体も声も震えていた。一瞬にして心が凍り付いてしまいそうな…冷え冷えとした空気が胸の中に押し寄せてくる。 

 亮は無表情に桂を見詰めつづけている。桂はゴクッと喉を鳴らして唾液を飲み込んだ。口の中がカラカラに乾いていて…言葉が出てこない。頭の中も真っ白で…なんて答えていいのかわからない…。

 自分にだってプライドはある…。
 それでも…
 それでも…
 …それでも……

 桂は亮に穏やかな笑みを浮かべると「良いよ。分かった」と答えていた。
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