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第五章 前編
62話 まさか
しおりを挟む暴れないでくれるのはありがたいが前より使えなくなったな。
——ここに来る前にセルを見たと言う兵士から、彼の部下である赤い兵士に運ばれていたとも聞いたし。
こうなったら彼の食い付きそうな話題を出すしかないか……。
「そう言えば……私の部屋にも響いてきたけど、理想の相手が見つかったのかい?」
セルはやっと顔を上げてこちらを見る。
シストはギクリとしたが、セルが斬り掛かって来る様子はない。
「ああ。とても美しい理想だ。俺の求める色、髪も目も肌も唇も美しい色だった。」
「へぇ。良かったね。」
「今彼が何者なのか調べさせている。だがお前は相変わらず汚らわしいな俺の視界に映るな。」
貴様の眼球を抉り取ってやろうか。
——その時だった、場違いなノックの音が聞こえて、シストの側近であるオリオスが「会食中だ控えろ」と注意する。
扉の向こう側から聞き慣れない声がたじたじになって聞こえてきた。
「しかし、ウロボス帝から調べるよう言われた理想の者の素性が割れまして——」
そこまで言った途端、セルが飛び上がって彼のいる扉へ尋常じゃない激しさで飛び込んで行く。
突然開いた扉にビクリと肩を揺らす少年。
——彼は確か。ラルフ・レーライン。……テイガイア・ゾブド博士の助手だ。
テイガイアは公爵の出とは言えただの博士だ。精々中級階止まりの筈だが。ましてやその助手が此の第7層へ出入りしているだと? しかも、助手ではなく兵士の格好じゃないか。一体何故彼が……。
「それで?」
少年は子供のように目を輝かせながら詰め寄る彼を軽くあしらって言った。
「はい。報告致します。歳は19歳。趣味は女遊び、奴隷遊び。しかし最近は女性とも奴隷とも関係を持っていないようです。8年前王族の権利を剥奪され43層ズオルボに堕とされ最近迄囚人でした。」
——その経歴を聞いて、不意に脳裏に焼け付くような感覚が起こった。
「……まさか」
美しい色——美しい赤い髪、美しい赤い瞳、美しい赤い肌、美しい赤い唇。
そ、そんな、まさか、まさかそんな訳。
あいつが美しいと評価する奴なんている訳が…………まあ、顔は綺麗な方だが。
シストが顔をしかめると、少年はくつくつと肩を揺らして笑った。
「……7歳の頃、両親を前王シルワール様に殺害され、軟禁状態で拷問、強姦されていたと噂がありましたが、ルーハン様からお聞きした情報ですと実際の出来事であることが非常に高そうです」
何だと?
「何の話かな」
父上が殺害? あの良心的な父上が、拷問、強姦だと。そんなの噂話に決まっている。
もしそれが奴なら尚更、そんな馬鹿げた噂——……そうだ、有り得ない、ヴァントリアな訳がない。
誰よりも、彼が誰なのか知りたいセルは、焦れったい報告に痺れを切らして聞いた。
「結局誰なんだい?」
「元王族。ヴァントリア・オルテイル様であることが判明しております。」
「——ヴァントリアだとッ!? そ、そんな筈は。奴は父上を誘惑して権威を使おうとしていたクソ野郎だ、父上が奴の両親を殺害したなど、あり得ない。もしそうなら奴がそうしむけて——」
その返しを待っていたと言わんばかりにくつくつと笑う茶髪の少年。それがだんだんと黒色に染まっていき、顔立ちも以前より美しく変わっていく。
こ、これは——魔法? いや、魔法なら私が見抜けない訳がない。
「シスト様、お久しぶりですね。セル様もお元気でしたか」
「……誰かな君は。知らないな。今はウロボス帝と私の会食だ。分かってて乱入したのかな」
「ウロボス帝ね、そうですね。貴方が話したいのはウロボス帝。でもウロボスの長との話は望んでいないと言いたいんですか。矛盾してますね」
「どう言う意味だ」
心底楽しそうに声が弾んでいるが、奴の表情は恐ろしいほどに無表情だ。
「セロウボス・メリットス。それが彼の本名なのは知っていますよね? 僕の名はヒオゥネ・ハイオン・ウロボス。ウロボス一族の唯一の血族です。でもほら、ひとりぼっちは寂しいでしょう。だから彼を買ったんですよ。名を捨てて、僕の仮面となって貰うためにね。僕は彼の裏でやりたい放題出来る。でも今回非常に興味深い話が耳に入ってきてしまいましてね。いてもたってもいられなくなってしまいました。僕もまだまだですね、困りました」
「王である私を謀っていたと……?」
「ヴァントリア・オルテイル様……」
恍惚とした表情で名を呼ぶヒオゥネに、カチンと来る。
私のことは無視か。例えウロボスの血を引いていようと今はオルテイルが支配している。無礼なことは変わりない。
「知りたいんでしょう。皆あの人に夢中です。彼の過去は謎で覆われています。シルワールに強姦? 違いますね。シルワールを倒して王座に就いたシスト様? 違いますね。貴方の殺したシルワールは元から死骸です」
一体何を言っている。急に現れた詐欺師からそんな話を聞いたところでどう信じろと言うんだ。
「……ヴァントリア。ヴァントリア、とても綺麗な名前だ。……なんて不幸な子なんだろう。汚れた色に侵蝕されてしまっていただなんて。俺がもう一度美しい色で染め直してあげなくちゃ」
セルは奴の言葉を信じているのか。そう言えば、久しぶり、と言っていたが、誰なんだこいつは。会ったことなんかあっただろうか。
「んー。僕もヴァントリア様が欲しかったんですけどね。セル様の理想なら仕方がないですね。手を引きましょう」
顎に指を当てて渋々引き下がったヒオゥネだが、突然——彼の頬は赤く染まり、自らの唇を弄り始める。
「……可愛かったな。呪いで悪い人になってたヴァントリア様。女性を強姦。奴隷を拷問。昔の純粋な彼だったら例え忘れられないからってそんなことに走るような子じゃないですもんね」
こいつはヴァントリアとも面識があるのか。
「何度かお見かけしたことがありましたが、いい人と呼ばれる側の人間でしたから。けど、呪われて悪い人になった彼の素行は正に可愛らしかった。下卑た顔も声も、全て好みです。もうキスしたくなっちゃうくらいには。でも……今はどうでしょう。少しも全く可愛くないですね。昔のヴァントリア様に戻ったみたいに女々しくなっちゃって。不細工ですよ。元に戻してあげないと。いい人に戻ったなら、俺がもう一度悪い人に戻して可愛がってあげなくちゃ。あはははは」
何を考えているんだ、こいつは。
……ああ、理解した。
ヴァントリア、貴様がまた何か企んでいるんだな。この男を利用して、また誑かして、何をする気だ。やはり奴は早く捕まえなければ。
セルの異常も、この男の目的も、ヴァントリアが深く関わっている。
あいつさえ牢獄に閉じ込めておけば、何も問題はない筈だ。
「ヴァントリアさま……」
ヒオゥネの舌が自らの指に絡み付き、粘り気のある液体がキラキラと星の様に輝く。
くつくつと笑っていない唇から笑い声が漏れ、不自然なそれに思わず眉をひそめた。
「想像するだけで僕も涎が出て来ちゃいました。困りましたね」
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