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8月9日:羨望
しおりを挟む夏、お姉ちゃんは、あまりの暑さに一階の書斎の入り口を開放している。だから、いつでも中に入って、書棚の上でごろ寝ができる。たくさんの本のインクの匂いと、心地よい風に包まれてまどろむのは、夏限定イベントのようなもの。夏の暑さに感謝だ。
今日は、いつもより早く目が覚めた。窓に上がってみたけれど、クロはまだ来ていなかった。仕方なく、暇つぶしに家の中を散策することに決めたのだけれど、こんな朝早くに開いている場所は、あの部屋しかない。
僕は、トイレに立ち寄って書斎に向かった。
のれんをくぐり書斎に入ると、僕はまずテーブルに上がった。誰かがいたら間違いなく怒られるのだけれど、今は誰もいない。
ちょっとだけ、悪いことをしている。
僕はドキドキしながら、テーブルの上から見える書斎の景色を楽しんだ。
冒険気分を満喫し、僕は窓に飛び移った。ここから見る風景は、二階の窓から見る風景とまったく違う。
居間の窓から見えるのは、鳥の舞う空。
書斎の窓から見えるのは、草の生える地面。
僕は目を閉じて、窓から降り注ぐ、日の出前の朝の光を浴びた。
時間の流れが変わる。穏やかだけれど、すがすがしく爽やかな光。
「何か聞こえる。」
電化製品の電源を入れたときのような、ブゥンという音があたりに響いた。僕は目を開け、音の方向に顔を向けた。
「あれ? どこだろう?」
遠くで、誰かが何か言っている。女の人の声だ。タッタッと足音が近づいてくる。僕は、目を凝らした。
「この辺だと思ったのになあ。」
セーラー服を着て、お下げ髪を結った女の人が、交差点から姿を現した。何かを探すようにキョロキョロしている。
「もう少し向こうかな。」
そう言うと、その人は山の方へ走って行った。
「高校生かな。」
お姉ちゃんに勉強を教わりに来る人と、雰囲気が似ている。僕は、走り去ったその人を目で追った。
「こんなところで、何をやっているんだ?」
クロの声が聞こえた。いつもより、近く感じる。
「うわっ!」
声の方へ顔を向けると、目の前にクロがいた。
そうだ。今、僕は一階にいるんだった!
「何を驚いているんだ?」
クロは機嫌が悪そうにつぶやき、僕をにらんだ。
僕は、どぎまぎしながら、ごまかすように言った。
「クロ、君こそなんでこんな所に?」
「ああ。ここは、俺の縄張りだからな。いつもここを通るんだ。」
「縄張り! 前にもその言葉、言ったよね!」
僕の知らない言葉に胸が踊った。すっかりはしゃいでいた僕に、クロは優しく微笑んだ。
「俺たちは、自分の『縄張り』を持っているんだ。そうだな、『陣地』みたいなものだ。」
「縄張りって、どうやって作るの?」
僕は、クロの話に夢中になった。
クロは照れくさそうな、でも得意そうな顔をした。
「自分の縄張りには、においを付けるんだ。『ここは俺の縄張りだ』って、みんなに知らせるんだよ。ただな、他の猫の縄張りと交わることがあるのが厄介なんだ。下手に出会うと、ケンカになるからな。」
ケンカは怖いけれど、僕は、クロが羨ましくなった。
「楽しそうだなあ……。」
急に、この部屋が狭いと感じた。
外に出たいと、強く思った。
「そうか?」
クロの声は冷ややかなものだった。
「俺は、お前をうらやましく思うけどな。」
思ってもみなかった言葉。クロは、僕の何をうらやましいというのだろう。
「この世界はな、」
クロは、鋭い刃のような瞳を道路に向けた。
「実力の世界なんだよ。肝と体の大きさがモノをいうんだ。身体が大きくて肝のすわってるヤツが、生き抜ける。」
クロは、僕に視線を移した。
「お前の、その大きな体が欲しい。わかっているだろ? 俺の体は小さいんだ。」
「そんなことないよ! 体は小さいかもしれないけど、堂々としていて、キリッとしていて、かっこいいよ。クロは、僕の憧れなんだ。」
心からの言葉だった。しかし、クロの表情は暗いままだった。
「体の大きさがなければ、ただの生意気なガキなんだよ。どんなに性格の悪いヤツでも、体が大きければボスになる。それが現実だ。」
僕は、クロの言葉を聞いて、舞い上がっていた自分を恥ずかしく思った。
「やっぱり、クロは幸せになるべきだよ。あったかい家族と一緒に暮らすべきだよ。」
クロは、複雑そうな顔をした。
僕は、真剣だった。そして、一緒に暮らすのが僕ならいいのにと、ほんの少しだけ思った。
*⋆꒰ঌ┈┈┈┈┈┈┈┈┈໒꒱⋆*
「縄張りなら、オレたちにもあるぞ。」
鴉が得意げに胸を張った。
「ケンカも負け知らずさ。」
「危ない目にも遭ってきたんだろう?」
私は、鴉とクロを重ねた。
「まあな。命を落しかけたこともあった。」
私は、首をそっと横に振った。
「クロもそうだった。いったい何故、そんな危険な思いをしてまで縄張りを持とうとするのか、私には理解できなかったんだ。」
「それはね、」
鳶がそっと目を閉じて言った。
「生きるためなんだよ。生きる、ためなんだ。」
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