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第1章 コラプス(破綻)、西の旅

第1話 口上

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【 01: 煮売屋 】

「りゅうり、腹が減ったよなぁ。」
 パルルパルパル・・という疑似エンジン音に紛れて、スーパーカブ「三十石」の左側面に後付けしてあるサイドカーから声が上がった。
 柳緑(りゅうり)の自我ホログラム・エコーである花紅(かこう)の声だ。
 実体を持たない花紅は、サイドカーの丸い先端部分にチョコンと腰をかけて座っている。
 サイドカーの座席空間は雑多な荷物で溢れ返っているからだ。
 その荷物の半分は、野営用の装備、後半分は彼らがブツブツ交換用に用いる旅の回収品や戦利品だ。

「実体のないお前が、なんで腹が減るんだ?」
    ホログラムといっても、在り来りの光学式のものではない。
    その技術は、超科学によって創り出されたものを人間が勝手に拝借して流用しているに過ぎないから、いわば"魔術"と同等だ。

「だって僕は、りゅうりのエコーだぜ。りゅうり がお腹が減ったら、僕もお腹が減るのは当たり前だろ。」
 花紅は突然強くなった風に、自分の被っていた飛行帽が飛ばないように帽子の天辺を抑えた。
 もちろん、風防眼鏡付きのその飛行帽もホログラムで出来ているのだから、風で飛ばされるなんて事はあり得ない。
 カブを運転する柳緑はプロテクトスーツの上から野戦服ポンチを着込んでいる。それがパタパタと風にはためいているのとは対照的だ。

 そんな花紅の仕草を見る度に、柳緑はこの精神医療用・自我ホログラムエコーの出来の凄さに感心する。流石はマルチバース・インポート・テクノロジー製だ。
 しかも柳緑のエコーは、彼の着込んでいる外骨格プロテクトスーツの人体シンクロデバイスとも連携してるから、その動きはさらに自然な仕上がりになっている。
    そしてエコーのコアは柳緑の身体の中に埋め込まれていて、花紅は片時も柳緑の側から離れない。

「ちっ、お前は俺の腹時計か?」
「しかし腹が減ったなぁ!」
 花紅は柳緑を無視して、自分が思っていることを言いつらねた。
 その無邪気な様子だけを見ると花紅の実体の元が、カウンセリング機能付きの精神治療用プログラムだったとは、とても考えられない。

「やれやれ。今夜、テントを張るまで待てないのか、、、てか、お前な、」
 柳緑がヘルメットについたバイザーを目の前に下げて、「異物」センサーを起動させる。
 「異物」センサーは、『マルチバース コラプス マップ』のアドオンソフトだ。
 「コラプス」と共に、柳緑の被っているヘルメットへインストールしてある。
 この周辺は、柳緑達のいた世界に『異時空のクワ』が入った土地だった。多少難しく言うと『多元宇宙の部分破綻地帯』と呼ばれている。
 ただ、まだ完全には「地面がひっくり返って」いない。

 柳緑のヘルメットバイザーの目の前の光景に重なるように、パピルス出版社のソフト『マルチバース コラプス マップ』が起動している。
    コラプスは破綻の意味だからネーミングとしては悪趣味というのか皮肉ぽい、まあこれ程、世界の収拾が付かなくなって人々がお手上げ状態になっているのだから、この商品名も仕方が無いのかも知れない。
    例えば、多元宇宙の部分破綻地帯の中心地点を、人々がガンダーラを捩って"ダラガン"と呼んだりするのと同じセンスだ。
   もちろん部分破綻地帯の中心部分がガンダーラのような憧れの都市であるわけがない。…人間、苦しい時は笑って誤魔化すしかないのだ。

「、、あそこにあるのは、どうやら煮売屋らしいな。」
 柳緑は「異物」センサーが知らせてくるスーパーインポーズを見ていった。

「煮売屋ってなんだよ?」
「煮売屋は煮売屋だ。、、ん?ひょっとして、お前。最初からあれに気がついてて、腹が減ったと言い出したんじゃないだろうな?」
 柳緑はバイザーの中に、右手前方のなだらかな丘陵地帯の裾野に立つ木造の一軒家を見つけてそう言った。
 「異物」センサーのマーカーが、その一軒家を青色でマークしている。
 とりあえずは「安全」という事だった。

 花紅は柳緑、柳緑は花紅だ。ただし、花紅は柳緑と違って人間ではないからプロテクや各ディバイスに直結している。
 ものを見つけるのは、花紅の方が圧倒的に早い。
 その一軒家からは、微妙に食べ物の匂いが流れ出していた。
 同時に、柳緑のお腹がグゥと鳴った。


    ・・・・・・・・・


「どうだ。俺が言った通り、煮売屋だったろ?」
 もちろん柳緑の言った煮売屋という言葉は、『マルチバース コラプス マップ』からの受け売りだ。
 この怪しげなソフトは、コラプス(破綻)によって目前に出現した世界の推定年代と地域言語から、もっともその該当施設の本質に近いものを、一つの言葉として柳緑に紹介していた。
 柳緑がいう煮売屋等という言葉は、コラプス前の柳緑達の日常生活には、影も形もなかったものだ。
 だが地球上の地面が掘り起こされ、それどころか時空や次元までがぐちゃぐちゃになり、時には過去の時代まで顔を覗かせる世界で生き延びるには、縦横無尽で種々雑多な知識が必要になってくるのだ。

「あぁ、煮売屋には違いないけどね、あの様子だと今日は休みだね。」
 もちろん花紅は柳緑だから、柳緑の知ったかぶりにも引っかかることはなく、自分の思いついたことを言った。

「休み?この時代の田舎の店みたいなのはな、ちょっと見、休んでるように見えるが中へ入ったらやってる事が多いんだよ、入って見ようぜ。」
 もちろん、柳緑自身にはそんな経験はない。
 なんとなくそんな気がして、言ってみただけだ。

 柳緑はスーパーカブを、木造民家の玄関先らしき場所に止めると、何時も背負っているリュックサックの肩ベルトのDカンにヘルメットをくくりつけ、カブから降りた。
 彼の使い捨てのソフトスニーカーの底から伝わってきたのは、久しぶりの地面の感触だった。

 どこからか、人間が作った料理の匂いがした。
 最近は野営が続いて、まともなものを食べていなかったから、この匂いは若い柳緑の腹に応えた。

「いやさ、りゅうり。入ってみる必要もないんじゃない?表にちゃんと断り書きがしてあるよ。ほら。」
 ニッカーボッカースタイルの妙にこざっぱりした服装をした花紅が、地面につったっていて、目の前の小汚い板張りの壁を眺めている。
 そこに何かが書いてあるようだった。
     花紅がソフトなしで読めると言うことは、この環境が同じ文化圏の文字の可能性が高く、それを一々プロテクトスーツの翻訳機能を起動させなくて済む事になるから、柳緑にとってはラッキーな出会いと言えた。

「断り書き?本日休みってか?」 
「いや違うよ、『ひとつ せんめし』と書いてある。『せんめし』って言うくらいなんだから、まぁめしは、せぇへんねんやろなぁ~。」
 花紅がワザと妙な言葉のイントネーションで喋る。"せん"とは"しない・出来ない"という意味だ。

「他はさ、飯は『ひとつせんめし さけさかな いろぉくぅくぅ ありや なきや』と書いてある。意味わかんねー。」
 柳緑は、花紅が見つめている柱にかけてあった木の板を見た。
 風雨に晒されているが、辛うじて筆文字が見えた。

「馬鹿か? かこう。それ、『ひとつせんめし』じゃない。『一ぜんめし』と読むんだ。」
「あぁ、『一ぜんめし』かぁ、、」
「『一ぜんめし、さけ、さかな、いろ/\あり、やなぎや』と書いてあるんだよ。やなぎやはこの店の名だろ。」
「あぁそうか、僕はまた、『ひとつせんめし さけさかな いろぉくぅくぅありや なきや』かなと思ってたよ。」
「てめー、ワザと言ってるんだろ!おかしな読み方をするな。」
 花紅は柳緑のエコーだ。
 柳緑に読める文字が、花紅に読めないわけはない。

「おかしな読み方?そうじゃなくて、これが悪い書き方なんだと、僕は思うよ。」
「もういい!中に入れ!」
 柳緑は、花紅の減らず口を諦めてそう言った。


【 02: 口上 】

「じゃまするよー。」
 柳緑は立て付けの悪いフスマ戸をガタピシと音を立てて店の中に入った。
 土間の上に、幾つかの木製の長机と椅子があった。柳緑の故郷では滅多にお目にかかれないアンティーク家具だ。
 店の奥、調理場と思える場所から、歳を取った親父が出てきた。
 まるで時代劇に登場するような、いやこの老人の方が「実物」なのだが、そんな人物だった。
 しかしこの人物、彼の時代には絶対にお目にかかれないような柳緑達の服装を見て驚かない所をみると、それなりに”コラプス”という天変地異に対応をしているようだった。

「はいはい、お越しなされ。」
「速攻で、飯が食べたいんだ。何か早いとこで、あるかな?」
 柳緑が席に着くなり、そう言った。
 花紅は興味深そうに、室内をキョロキョロと見回している。

「はいはい、出来るものは、みな紙に書いて壁に貼ってありますでな。」
 柳緑は部屋の壁に貼ってある、古ぼけた短冊の連なりを見た。
「ずいぶん沢山書いて貼ってあるじゃん。じゃあ、あの一番はじめのやつを、ちょっと持って来てもらおうかな、二人前。」
 柳緑は床机に腰を付けても、背中からリュックを下ろそうともせず、素早くそう言った。

「一番、はじめっちゅうと?」
「はじめに『くちうえ』と書いてあるよな、あれ二人前。」
「あら「口上(こうじょう)」と書いてある。」
 親父がさすがに、むっとした口調になった。

「『こぉじょ~』かぁ。なる程、そう読むのね。それ二人前!」
「そんなもんが出来るかいな。あら断り書きや。」
「断り書きか、俺はまた『くちうえ』って言うから、鼻でも料理して持って来るのかなと思った。」
 柳緑は楽しそうに言った。
 花紅以外で、こういう話し相手に出会ったのは久しぶりだった。
 故郷を離れてからは騙し騙され、ちょっとでも油断をすれば、地獄の底に転落する事になる相手ばかりだったのだ。

「その次の紙からなら、何でも出来ますのや。」
 さすがは年の功というより”この時代の老人”は、思いとどまる所は知っていて、そのまま感情的に暴走するような事はないようだった。
   まあノリが悪いともいえる。

「あぁそうか、次の紙からあとズッと……ね。そしたら、あの一番後ろのお終いに書いてあるのを持って来てもらおうかな? あの、『もとかた げんぎんにつき かしうりおことわり』ってやつね、あれ二人前。」
「そんなもんが出来るかいな、」

「爺さん、あんた何でもって、」
「あの二枚のあいだの紙なら出来ると言ぅた。」

「それなら初めからそういえば言いじゃん。『とせうけ』『くしらけ』『あかえけ』『けぇけぇ』ってのは、どんな食い物?」
「『け』じゃありゃせんがな、ありゃ『汁』といぅ字を、ちょっと崩して書いたら『け』に見えます。」

「あぁ汁か、なるほどね。……『とせう汁』?」
「『どじょ~汁』と読みなはらんかいな?」
 親父は呆れたように言った。

「いや、『とせう汁』と書いてある。」
「『と』の肩『せ』の肩に濁りが打ってあるやろ、いろはの文字は濁り打つとみな、その音(おん)が変わりますでな。」

「親っさん、なかなか学者じゃん。はぁ~、濁りを打ったら変わるか? そしたら、いろはの『い』の字に、濁りを打ったら、どぉなるのかなー?」
「『いぃ』に濁りを打てば、『い″』」
 柳緑は、『この親父、今、物凄い顔したなぁ』と、自分で仕掛けておきながら、親父の変顔に感心している。

「『い』には、濁りは打てん。」
「頼むから打ってみて。」
「頼まれても打てん、」
「それなりの見返りはだすから、」
「出してもろても打てん。」

「駄目か、なら『ろぉ』は?」
「『ろ″』……も、ならんなぁ、」
「これも、駄目なのか? だったら『にぃ』は?」
「『に″』……?、何で、いろはの『は』を、よって飛ばしなはんねん……、悪い人やなぁ、わざわざ『はぁ』飛ばして。」
 表面上は聞き分けのない孫の相手をしている好好爺だが、間違いなく負けず嫌いのこの親父、どこかで柳緑をギャフンと言わせたいと思っているようだった。

「親爺、無理するんなよ。打てんやつに無理に濁りを打とうと思ってるから、『ばな』の頭に汗かいてるぜ。」
「『ばな』て。何や?」
「これだよ。」
 柳緑は自分の鼻を指さす。

「これは、儂の『鼻』じゃ、」
「だろ?肩に濁りが打ってある。」
「これは濁りじゃのうて、儂のほくろじゃ、……、なぶってんねやないで、この人は。」
「すると親父のその鼻は、『どじょ~汁』の読みようの類か?」
「そうじゃ。」 
「なるほどなぁ。ようやく納得がいった。どじょ~汁、くじら汁、あかえ汁か。だったら、その『どじょ~汁』、二人前、頼むよ。」

「はいはい……、これこれ婆どんや、客人、どじょ~汁がえぇっちぃなさるでな、ちょっとこなた、町まで味噌買いに行てきとぉくれ。わしゃこれから笊(いかき)持って、裏にドジョウすくいに行てくるさかい。」
「ちょっと待った、ちょっと待った。今、『町まで味噌買を買いに行く』って言ったよな?町って、近いのか?」
 この親父が本気で言っているのなら、その『町』とはゾーンか、最悪、『過去の何処かの町』にあることになる。
 柳緑から見れば、それは完全な過去への多元宇宙内時間旅行だった。

「近いもんじゃ、山越しの三里じゃ。」
「うわぁ~、『山越しの三里』!いつまでかかるの?」
 花紅が楽しそうに、このやりとりに加わってくる。

「いやいや、田舎のもんじゃ、山道にゃ慣れとりますでな、」
「えーそうなんだ!すごいよね。どれくらいあったら、行て来れるの?」
「まぁ、ものの、三日もありゃ。」
 二人のうち、可愛らしい方の花紅が言ったものだから、親父はニコニコ顔で言う。

「馬鹿言え。泊りがけで、どじょ~汁食うつもりはないからな。それと、親父、今『ドジョウをすくいに行く』って言ったけど、近くにイケスか何かあって、ドジョウを飼ってるのか?」
「いやいや、おととしの夏、大雨が降って、えらい水が出ましたんじゃ。そのとき、裏のほぉに溜池がでけてな、去年の夏覗きこんだらドジョウが二、三匹泳いどった。いま時分、大きなってるじゃろ思て、献立表の中へ入れた。」
「くそ、そんな心細いドジョウ食べてられるかよ。くじら汁にしてくれ。」

「くじら汁か、はいはい……。婆どんや、客人、くじら汁がえぇと言ぃなさるで、大急ぎで握り飯を十(とぉ)ほど作てもらいたい。わしゃ、草履に後がけして、これから熊野の浦まで鯨を買いに行てくる。」
 くそ、この悪ふざけ、やっぱりここは同じ破綻点でも、ゾーン付きの同一時空世界だ、と柳緑は思った。
 それに、この親父の云うくじら汁を食えるくらいなら、コラプス前なら一帯一路弾丸鉄道を使って俺の住んでた鍛冶屋市から世界の果てまで行けた筈だ、と。

「もぉいい。何も、俺はここで年取るつもりはないからな。そんなことしてられるか。マジで直ぐに出来るものは?」
 言ってから、マジという言い回しが通用するのかと思ったが、そのニュアンスは伝わるようだ。

「じきに出来るものは、そこの照らしに入れて並べてありますで、好きなもん言ぅとぉくれ。」
 柳緑は少し離れたところにある粗末な陳列棚のようなものを見た。

「悪いが、贅沢を言うようだけど、旅をしてるあいだ動くことは何とも思わないんだが、一度こうやって腰を掛けてしまうと、こっちからそこへ行くのが邪魔くさくなるんだよ。何があるか、ちょっと言ってくれるかな。」
 これは半分、柳緑の本音だった。



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