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第3章 草原の民の興亡

第10話 従者レ・チャパチャリ

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「いや、おじいちゃん、そうじゃなくて、僕ら腹ぺこなんだよね。お酒より何か食べ物の方がいいかなーって。それに今、お酒なんか飲んだら りゅうり なんて目が回っちゃうよ。」
 花紅の人誑し口調が出た。
 こういう場面に遭遇する度に、柳緑は花紅が自分自身のエコーである事が信じられなくなる。

 花紅は精神治療プログラムとプロテクの心身制御フィードバックプログラムのハイブリッドだが、プロテクが人誑しをする訳がないので、この所作は精神治療プログラムの一エレメントという事になるのだが…。

「おーそうかそうか、こりゃ気付かなかった。なにせこんな世界で旅してまわるんじゃ、余程の強者。強者なら酒を飲むというのは儂の思いこみじゃの。儂の種族がそうじゃから、全てがそうとは限らんの、」
 イェーガンは可愛い孫に諭されたように破顔した。
 演技なのか本心なのかが全く判らない。

「チャパチャリ!グッカがあったじゃろう。あれをこの二人に、いやこうなっては、花紅の分はもう良かろう。大きめの器でな。酒は又の機会という事で、この場はおさげしろ。」

 グッカは美味かった。
 具沢山の透明系スープと言った所なのだろうが、中に入っている大きな肉片がどう味わっても牛肉の味がした。
 柳緑がそのグッカを一気に平らげると、その隣で花紅が小さなゲップをした。

「いやー、噂には聞いていたが、ホロといのは凄いもんじゃの。」
 イェーガンは好奇心丸出しの目で花紅を見つめている。
 この集落に入ってから随分、柳緑達は好奇の目で見つめられいたが、イェーガンの視線は、それらとは少し違った。
 知的好奇心というか、その核にあるのは、科学的探求心のようなものらしい。

「こいつは、普通のホロとは又、少し違うんです。」
 思わず柳緑は言わなくても良いことを口走っていた。

「柳緑、あんたがその服の下に着込んでおる鎧から特殊な投影光が出ておるんじゃろう?それが空気中の窒素や酸素をスクリーンにして花紅を形作る。」
 柳緑は再び驚いた。
 いや驚くというより、絶句した。
 なぜこんな違う世界の、遊牧民と戦闘民族を混ぜたような種族の年老いた長が、そんな知識を持っているのかと。

「見たいのお。どうじゃ、柳緑。おぬしが花紅を造り出す所を、最初からゆっくり儂に見せてくれんか?もちろんタダで見せろとは言わん。お主の身の安全はもちろん、お主の持ってきた品物も買ってやる。儂の生き甲斐はの、この世の全てを知り尽くす事なんじゃ。アレが起こるまでは、それにも飽きが来ておったが、今は違う。この世は、知りたいことだらけじゃ。」
 イェーガンの皺だらけの顔の中にある二つの光点、つまり目が輝いていた。
 そこだけを見れば、この種族にあっては信じられない程の高齢者である筈のイェーガンは少年そのものだった。
 柳緑はその目の光りに魅入られていた。

 柳緑は座ったまま野戦服ポンチョを脱ぎ、プロテクの上半身を露わにした。

「ほお、これはこれは、美しいプロテクターじゃの、、。名はなんと言うのかな?」
 『製品でもなく商品でもなく、ただ個人的に作られて個人的に譲られたものですから名はありません。』と答えかけた柳緑だったが、花紅が先に返事をした。

「サバイブ・マークⅠ。生き残り型第1号でーっす。」

 柳緑は思い出した。
 確かに、これを造ってくれたジョン・カイルング・クリアが『儂が今まで造って来たものは、敢えて言えば”勝ち残り型”だ。じゃがもう疲れたよ。最後の一体になるかも知れんが、これからは”生き残り型”を造る。”勝ち残る”と”生き残る”、似ているように思えるかも知れないが、意味は大きく違うぞ。』そう言っていた。

 柳緑はそれを忘れていた。
 いや花紅がそれを記録しているのだから、忘れた訳ではないのだ。
 柳緑は自ら、”勝ち残る”に関連する忌まわしい記憶を忘れ去ろうとしていたという事だった。

 花紅は、それをもっとも適切な場面で、その記憶の回復がもっとも柳緑に対して有効に働くように喋って見せたのだ。
 柳緑は、今でも柳緑の心のケアを忘れない花紅の姿を見た。
 人間のカウンセラーなら、自分の患者と長年連れ添えば、自らの使命を忘れる事があるかも知れないが、プログラムはそうではない。

 ・・・花紅は俺が完治するするまで、その使命を忘れない。
 柳緑は軽い動揺を覚えながら、そんな花紅の姿を一旦、消した。
 消した上で、自分の右手を、今まで花紅が座っていた位置に向けて伸ばし、その人差し指を何もない空間に差し出した。

 すると、そこに目に見えない鏡が置かれているように、もう一つの人差し指が反対側の空間に出現し、やがて右手が現れ、次ぎに腕、肩、柳緑の右側面という風に、もう一人の柳緑が形成されていった。
 実際には、この作業の為に、柳緑のプロテク表面右側にある数千単位で設置されたミクロの穴から特殊光が放たれているのだが、もちろん、人間の目では、それは見えない。

 それにミクロの穴といっても、それは外見上の話で、実際はプロテクの高度なセンサーと対になった出力装置がその穴の中に、セル状に埋め込まれているのだ。
 もう一人の柳緑となったホログラムは、その表面を微妙に揺らがせ長らく、やがて見慣れた花紅の姿になった。

「ほう、、凄いものじゃのう。しかし柳緑。先ほどお主は、自分のホログラムは、他のものとは違うと言っておったの。どう違うんじゃ?」
 柳緑は野戦服を頭から被り治している。
 その柳緑の代わりに花紅が応えた。

「りゅうり の代わりに僕が、って僕が柳緑なんだけど、応えます。僕の姿を造り出すホログラムは本来、光学迷彩やダミーを造り出す軍事目的で造り出されたものなんです。でも僕が極めて人間らしく見えるのは、このホロ生成上で、本来とは違うプログラムが走っているからです。あっ、お爺ちゃんは、好奇心旺盛だから、それはどんなプログラムだって聞きたくなろうだけど、それには柳緑は答えないと思います。誰にだってプライバシーはありますからね。」

「うーむ、なる程なぁ。柳緑、花紅、お主ら二人の話は、本当に面白いの。しばらくこの集落に留まっていけ。客人扱いじゃ。もっと色々な話を儂にしてくれ。儂も儂の知っている事を、お主らに教えてやるぞ。お主ら、これからも旅を続けるのであろう?儂の話はきっと役に立つ筈じゃ。」

「それは有り難いです、イェーガン様。俺は随分、自分の手の中を開かしました。正直に言って、それは貴方の魅力に引かれたからなんですが、ちとやりすぎたって反省してます。貴方は、俺ほどに、自分たちの事を何も語っていない。ずっとそれが先のような気がするんですが。」
 それは柳緑の本心だった。
 ホロの種明かしなど、普段の柳緑なら滅多にやらないことを、イェーガンの前では随分やっていたからだ。
 しかもイェーガンに会って、まだ1時間も経っていない。

「それはそうじゃのう。じゃが儂は儂らの文化を、違う世界から来たお主達に上手く伝える言葉を多く持たんのじゃ。儂がお主らから知識を得るのは、その為の橋渡しでもある。だから、これからはお主から儂に判らぬ事を聞いてくれ。」
「、、、。じゃ大前提を。イェーガン様、あなたは時空大破綻の事をご存じですか?ご存じなら、時空大破綻はあなたの世界に、どう影響しているんです?」

「時空大破綻な、、アレの事だろう?アレのお陰で、世界はズタズタになった。儂の属する世界では、アレの事を正式に呼び現す言葉はないんじゃよ。我々の世界は、屈強な肉体と、柔軟な精神世界のこの二つでなりたっておって、それ以外の事は余り大きな要素ではないのだ。だがアレがあってから、我々が遊牧し、時には争うという世界が随分小さくなってしまった。昔は儂のような長が、部族を連れて回る旅は一人一回か二回だった。それがアレから儂は、何回も同じ土地を回るようになった。世界が縮み狭くなったんじゃ。遠くまで行けば、世界の果てが見えるんじゃよ。その先に自由の天地、儂らを育む土地があるなら、儂らは先に進むが、今の所、そんな豊穣を我々に約束するような世界の果てはない。」
「ひょっとして、お爺ちゃん。コラプスの前のお爺ちゃんの世界って、行けども大草原だって事?」

「そりゃ、ある所には、ここのように湖もあれば海もある。なだらかだが山脈もな。だが基本は豊かな草原じゃ。」
「どうりで行けども行けども、大草原の筈だよ。そんな世界に住んでるなら、機械文明なんていらないよね。」
 花紅がため息を付く。
 羨ましがっているのか呆れているのか、どちらなのか判らない。

「長老。貴方がたはこれからどうするお積もりなんです?」

「世界がこのように小さくなっても、同じ事を続けていけば我々は生き延びる事が出来る。それだけ、我々の世界の自然サイクルは強靭で豊かじゃ。しかしそれでいいのか、儂は迷っている。儂が新しい知識を得るのに、どん欲なのは、そういう側面もあるんじゃ。アレが起こったのは、誰かが儂らに何かをせよと迫るために起こったのではないかという気がしないでもないんじゃ。それに我々には、"広さ"が必要じゃ。それが原因で、他の部族との衝突が増えている。お主達を捉えたナパチャリだが、あれは千人隊長をしておる。もちろん常に闘いをやっているわけではないから、千人隊長の仕事は少ないがね。だからナパチャリは普段、ああやって自主的に我々の回りに何か異変はないかと見回っておるわけだ。」

 柳緑はまだ引っかかっていた。
 レ・ナパチャリはまったく違う世界の武人だから、その実力の程は判らない。
 ただ柳緑を捉えた時の早さは尋常ではなかった。
 それでも、柳緑が知っている重火器などの近代兵器を前にして、レ・ナパチャリ達は対抗できるのだろうか?

 少なくともイェーガンは、プロテクを見て驚かなかったし、ホログラムの知識も持っていた。
 イェーガンが長だというなら、そういった近代兵器に対抗する手段を、レ・ナパチャリらに与えている筈だったが、今までの観察からは、そういった発見は一つもなかった。

「少し疲れた。さあ今回はこれくらいにしておこう。お主達が常に腹ぺこなのは良く判った。今夜はご馳走を用意させよう。そしてぐっすり眠るといい。客人用のテントを張らせるよ。そうだな、商いの話は明日にでもしよう。その時、柳緑が抱いている我々への疑問も少しは解けるだろう。」
 イェーガンには柳緑の引っかかりが、お見通しだったようだ。

「チャパチャリ!客人用のテントが張れるまで、客人達を少し案内してやってくれ。そうだな、一通り集落を見て回ったら湖に行くといい。あそこは良いところだ。」
 レ・チャパチャリが音も立てずにしなやかな動きで再び姿を現した。

「しかし、イェーガン様、それでは貴方様のお世話が留守になります。」
 レ・チャパチャリが始めて口を開いた。
 その容姿からは若々しい声色が聞けると思ってが、それはずっと落ち着いた声の持ち主だった。

「チャパチャリ。お前は儂の付きの者ではないぞ。本来の勤めを忘れたのか?儂から学ぶには、儂のしようとする事を儂に成り代わってやる事も重要だ。儂が若ければ、ずっとこの客人達と、行動を共にしておるぞ。」
「おそれ入れます。」
 レ・チャパチャリが優雅な動きで頭を下げた。 
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