銀の繭に眠る贄

猫森満月

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第16話:絶望の逃走と糸の捕縛

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 春臣の脳裏で、蒼司の告白と日記の冷徹な文字が、絶望的な現実として反芻されていた。彼は、麗子の支配から逃れたのではなく、蒼司の狂気の計画という、より深く、より美しい地獄へと誘い込まれていたのだ。愛を捧げた師は、彼をただの**「道具」**と見なしていた。

「……僕は、誰の所有物でもない」

 春臣は、裏切られた愛の痛みに耐えながら、書斎を飛び出した。彼の目的は、この**「狂気の美学の檻」**からの、絶対的な逃走だった。

 彼は屋敷の玄関に向かって走った。背後からは、蒼司の静止の声が聞こえる。

「待て、春臣くん! 今、君が屋敷を出れば、変質が加速する!」

 しかし、春臣の耳には届かない。彼の足は、自由への渇望に突き動かされていた。

 屋敷の扉に手をかけた、その瞬間だった。

 廊下の奥、工房の方から、音もなく、透夜が現れた。彼は蒼司の部屋から解放され、春臣の異常な動きを察知し、その場に現れたのだ。

 透夜の白い瞳は、春臣の動揺を捉え、その無表情な顔には、「なぜ、僕から離れようとするのか」という、純粋な疑問と、強い支配欲が浮かんでいた。

「お兄様、どこへ行くの?」

 透夜の声は静かだが、その背後から発せられる糸の波動は、廊下の空気を重くしていた。

「透夜、どいてくれ! 僕はもう、君のそばにはいられない!」

 春臣は叫んだ。それは、透夜に向けた言葉であると同時に、彼自身の献身的な愛に対する決別でもあった。

 透夜は、春臣の拒絶を理解できなかった。彼にとって、春臣は生命の源であり、愛の全てだった。春臣が離れることは、透夜の存在自体が否定されることを意味する。

 透夜の指先が、ゆっくりと、しかし確実に伸び始めた。それは、昨夜麗子の首を締め上げた、銀色の光沢を帯びた生糸だった。糸は空中を漂い、春臣の身体目掛けて、生き物のように絡みついた。

「あああっ!」

 春臣の身体に、最初に糸が絡みついたのは、彼の手首、そして足首だった。糸は彼の肉体を食い破ることはないが、その力は強靭で、春臣の自由な動きを完全に封じ込めた。

 春臣は、まるで巨大な蜘蛛の巣に囚われた獲物のように、廊下に倒れ込んだ。全身に力が入らず、抵抗しようにも糸の力が強すぎて動けない。

「お兄様は、逃げられない」

 透夜は、春臣に近づき、春臣の顔に、絹糸で編まれたような冷たい指を触れさせた。その指は、春臣の頬の白い紋様をなぞり、その変質を喜び、肯定していた。

「僕が、お兄様を完成させる。お父様の邪魔はさせない」

 透夜の言葉は、蒼司の日記の言葉と重なり、春臣を絶望の淵に突き落とした。

「放せ、透夜! 僕は、君の依り代なんかじゃない!」

 春臣は、最後の力を振り絞って叫んだ。しかし、その声は、糸に絡みとられ、微かな喘ぎ声となった。

 蒼司が廊下に現れたとき、春臣は既に、透夜によって全身を白い糸の網目に捕縛されていた。彼の中性的な美貌は、涙と絶望に濡れ、**「生きた人形」**のようだった。

「透夜! 儀式を急ぐな! 春臣くんの命が持たない!」

 蒼司は焦り、透夜に近づいたが、透夜の周囲から放たれる糸の結界に、一歩踏み込むことができなかった。

 透夜は春臣を抱き上げ、まるで最も大切な宝物のように、その身体を抱きしめた。

「大丈夫。僕たちは、ずっと一緒。お兄様は、僕の愛になる」

 透夜の唇が、春臣の首筋に再び寄せられた。それは、最後の吸収、魂の融合の始まりだった。春臣の全身の力が抜け、彼の意識が、透夜の存在の中に、甘く溶け込んでいくのを感じた。
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