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第1章 異能力の目覚め
第2話 異能力の目覚め
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今日は午後から彼女とのお出かけだった。
そう北条美紀とのデートの日だ。
昨日の夜から胸の動悸が収まらず、気が付けば口が緩んで気持ちの悪い笑みが漏れてしまっていた。
ついにこの日がきたかと早朝に目が覚めたのもまるで遠足を待ち望む子供のようだ。
しかし午前中、ろくな服がないことに気が付き、また髪の毛もぼさぼさで前の毛が目に入るほどであったことから俺はデパートに向かうことにした。
これがそもそもの始まりだった。
この時、妥協した服で出かければよかった。
前髪も自分で整えればよかったのだ。
しかし、俺はそのデパートに向かった。
そのデパートはちょうど彼女との待ち合わせ場所までの経由地に存在し、そこに向かったのも考えれば当たりまえのことであった。
そいつも何故か俺が行ったデパートにいた。
少し遠くても向こうの町にあるデパートに行けばよかった。聞けば、向こうのデパートでは服飾関係の激安セールもやっていたそうだ。
本当に間違えた。
本当にこの日はツイてなかった。
そう暑さの中、耐えながら思ったのだ。
炎の渦の中で倒れこみ、周りの人間が逃げ行く様を見ながら後悔していたのだ。
その炎はまるで生き物のように縦横無尽にデパートの中をくねくねと泳ぎ回る。そして店の商品も看板も店員も関係なしに燃やし尽くしてゆく。
炎の龍が店やら人を丸飲みにしていく。
なにを言っているのか自分でも分からないが、急に店やら人が燃え上がったことは覚えている。
またその燃え上がった光景を見て、逃げ惑う群集の中で嫌な笑みを浮かべる一人の男も。
普通に髪を切り終え、服を見ていたのだ。
客は開店時のためか、まばらにしかおらず、俺はそこらのいつもなら見向きもしない服屋に足を運んだ。
俺が店内の服を適当に見ているとき、その店内には客が俺だけだったからか店員が俺の方に近づいてきた。
店員がこちらにちょうど何か声をかけようとしたときだった。
女性の悲鳴が聞こえたのだ。
その声はいたずらに漏らした声ではなく、本当にサスペンスドラマで聞こえてくるような悲痛な叫びであった。
初めは何でしょうね?なんて店員と話していたが、その声が徐々に大きくなり、尋常ではない悲鳴が耳を劈(つんざ)くとき、目の前の店員が発火した。
それはまるでマジックのように瞬く間に火が全身を覆って、顔も体もなにもかもが火で見えなくなるほどだった。
俺はその一瞬の出来事に狼狽えて、のけぞり、飛び退いた。
火が自分の服の裾に引火しそうになったからだ。
急な出来事に虚をつかれて、目の前で起こる事象に困惑する。
別の店員が消火器を急いで持ってきたが、その店員も同じく燃え上がった。
息をつく暇もなく、次から次へと発火していく。
デパート内を歩く客も店員も見境なく燃え上がる。
とすると、視界にくねくねと動く炎の帯が見える。
それは先端が上下二つに分かれ、まるで生き物のように空を飛び回る。
そう。空想上の龍のようにデパートの中、すべてを飲み込んでいく。
その龍がなんとも言えない機械音のような咆哮を放つと、人は何故か燃え上がっていく。
夢でも見ているのかと思ったが、先ほどから悲痛な叫びが耳に入り鼓膜を震わせ痛みを伴う。それはこの状況が現実だと示唆しているように。
どうにかしてこの場から逃げないと次は俺が燃やされる。
その何かに燃やされるかもしれない。
まわりの人間もその他の発火した人間を助けようとしていたが、そういった人間もまた発火現象に見舞われた。
人が目の前で燃え上がり、筆舌に尽くしがたい悲鳴が木霊した。
視界が火の海へと変わっていく。
火柱がそこらに立ち、逃げ行く人々は火に飲み込まれていく。
溶けているのか?
焦げているのか?
鼻に突く異臭は嗅いだことのない匂いであり一気に嫌悪感が訪れて、吐き気がする。
そうして、前を向くとすぐに目をそらす。
見てはいけない。
これは駄目だ。
もう人間の体をなしていない。
ゲル状に溶けた何かだ。
溶けた皮膚がめくれ上がり、唇と同化したような。目が潰れて上から垂れ下がる皮膚に押し負けて腰巻のようにその皮膚は幾重にも重なっていく。
色味は赤黒く、ところどころ焦げ付いたそれはまだ息をして動く。
何かを探して動く。
何かを。
ああ。これは違う。
これは違うはずだ。
無作為な模様を視認した際に、それが俺の海馬から選びだされた事柄だと誤認しているだけだ。
違う。あれは違う。
なんとか自分を納得させる。
もう許容できる範囲を超えており、自分の中の境界線はまたがれている。
しかし、こうなる過程をまざまざと見せつけられれば、それが自分の良く知る人間の部位の一部だと分かる。
……………………目が合った気がしたのだ。
赤黒く血の光沢を纏ったそれらの物体と。
だめだ。
見るな。見るな。見るな。
…………
見るな。
…………
もはや悲鳴も出ぬまま、あたりを見回し恐怖から硬直した足を無理やり動かすと俺は一心不乱にその場から逃げ出し、外に出ようとほど近いドアに向かって走り出した。
後ろから警報音が追いかけてくるが、その音さえ怖くなり足を止めずに走り続けた。
あちらこちらで倒れて発火する人間と、それを覆う炎の龍はいまだデパートを飛び回っている。
皆が発火現象をおこし、先ほどまでの日常は一気に崩壊した。
悲鳴と警報音。炎の軌跡に続いて店内が燃え上がり崩壊する轟音。
それらが耳に入り、あまりの恐ろしさに外に出ようとドアに手をかけたとき、自分の手が燃えていることに気が付いた。
俺もあの人達と同じように燃えるのかと恐ろしくなり、引きつった声が口から吐き出され、その手を振り回しなんとか消火できないかと試みる。
その間に火は足に移り、手にまとわりついた火はさらに顔にまで迫る勢いだ。
そのまま、足の火に目を奪われ態勢を崩し、床に倒れこむ。もう外はすぐそこなのに。
炎の渦が俺を囲んでいく。
手を伸ばしてもドアの取っ手には届かない。
もうだめかもしれない。
このまま炎は俺を焼き付くすだろう。
嫌だ。
ああはなりたくない。
誰か助けて。
誰か………。
そんな言葉は誰にも届かない。
徐々に意識が薄れていく。
不思議なことに痛みはなかった。しかしながら意識は朦朧として、体からは力が抜けていく。
ああ。今日はデートだったのに。とんだ一日だ。
薄れゆく意識の中、炎の切れ目から人々の逃げ惑う姿と燃え盛る店内が見える。
その時、視界の端にある人間がいた。
そいつは逃げ惑う人々を見て嫌な笑みを浮かべて手をひらひらと揺らしている。まるで指揮者の様に。
その手に連動するように炎の龍は動きを変える。時に激しくうねりを上げ、時に静かにその場にとどまり火を花びらのように落とし、その落ちていく花弁のすべてがその男の手の動きに合わせて左右に揺れる。
まるで踊っているように。
「ああ。耽美な音が聞こえる。人間の声とはかくも醜く、愛おしい。ああ。なんと耽美な歌声か。讃美歌に比した悲鳴なのだろうか。ああ。ああ。嬉しい。ああ嬉しい。それでいて楽器に近くなっていく過程は時を忘れてしまうほどに美しい。醜さと美しさとは紙一重なのだ。これが君に分かるかな少年?」
そいつは何故か俺を見ていた。
なんだあいつは?
悲鳴の中から奇妙な笑い声が聞こえてきた。
人の悲鳴に恍惚の表情で喜びに打ち震えている男がいる。
気持ちが悪い。
ああ。肌が粟立つほどに気持ちが悪い。
嫌悪して吐き気がする。
あの男は人間なのか?
それすら疑ってしまうほどにあの男は異質な雰囲気を纏っている。
それにしても、あの男は何故燃えずにそこに平然と突っ立っている?
それにまるであの男の指示に従って揺れ動いてるように見える炎はなんだ?
あれはなんのマジックだ?
何故だ?あいつがこの惨劇を起こした張本人なのか?
普通ではない。
あれは超能力か?
いや。まあ、いいか。
そうだ。
どうせ俺には何も出来ない。
その他の被害者と同じくここで朽ち果てるだけだ。
俺は普通の人間だ。
あんな奇人変人の類に対抗できる人間ではない。
俺は普通のなんでもない高校生なんだ。
もう駄目だ。
体が動かない。
ああ。もうデートにも間に合わない。
彼女は怒るだろうか?
本当に申し訳ない。
俺から誘ったのに申し訳ない。
…………目が痛い。
…………手が痛い。
…………ああ。終わりか。
…………俺の人生がこうも一瞬で終わるとは。
…………。
…………本当にくだらない。
初めに南の顔が浮かんだ。
小学校から付き合いのある悪友の顔だ。
俺が死んだら、あんな軽薄な南でも泣いたりするだろうか?
あの男のことだ。墓参りに女を連れてくるだろう。本当に女好きな野郎だ。
両親は泣くかもしれないな。
本当に親不孝の馬鹿な息子で申し訳ない。
走馬燈のように色々な事柄が頭を駆け巡る。
なんでこんなところで死ぬのだろうと苛立ちを覚える。もっとやりたいことだってあった。
あのアニメの最終回を見逃したことも心残りだ。
なにより、あいつを置いて死ぬことが一番心残りだ。
あの女はいつも口煩く俺をなじるし、可愛いところも特にないがいつもそばにいてくれる。それに俺が死ねばあいつは悲しむだろう。
ああ。今死ねば俺はあいつが泣いているときに駆け寄ることもできなくなるのか。
それはなぜだか許せない。
本当に許せない。
あんな男に邪魔されていいのか?
それは、本当に許せない。
その時、泣いている女の子を想い出した。
彼女はいつも一人で本を読んでいた。
クラスの人間とも話さず本を黙々と読んでいたのだ。
いつもみんなの輪に入れない彼女は皆から除け者にされ、いじめられていた。
俺は知っていながら彼女のことを無視し視界に入れないようにしていた。
しかし、たまたま彼女を見つけたとき泣いていたのだ。
俺はいつもならどうでもいいとほっといたが何故かその子が気になってどうしていつも泣いているのかと聞けば、その子は嫌そうな顔をして俺を無視していた。
来る日も来る日も同じ質問をしていたらその日は何故か堰を切ったように泣き出し、俺は彼女の言葉を聞いたんだ。
どうやら父からもらったアクセサリーをクラスの連中に盗まれたと。
俺はなぜかそのことに無性に腹が立って彼女のアクセサリーを盗んだやつから取返し、南と一緒にその子へのいじめをやめるように訴えた。彼女へのいじめはそれからはなくなった。
南の社交性には驚くばかりだ。
この頃から南の女の子人気は凄まじかったことも思い出された。
その頃から、今だにその子は俺の傍にいる。
彼女といるのは気が楽だというのもあるが、本当の理由は違うのかもしれない。
彼女は一人でも生きていけるのかもしれない。
俺なんかがいなくても。
南は言うだろう。
「それは馴れ初めか?」って。いや違う。これは美談でもなんでもない。
単なる俺の自己満足だ。
俺が招いた結果の話だ。
だから彼女は今も俺といるってだけの話だ。
それが原因だから答えを先延ばしにするのかって南は俺に昔聞いてきた。
怖くなったから背を向けるのか?って。その通りだ。
だから彼女がいる限り、俺も傍にいたいって思うのは当然だ。それをあんな指揮者気どりのいかれた野郎に俺の思いを踏みにじられるのか?
答えは否だ。
あんな人間に俺は止められない。
止めさせない。
手に付いた火は消せるだろう?
体を覆う炎は見せかけだろう?
あの炎の龍は?
燃え盛る人間は?
おいおい。中二病なんてのは妄想の産物だ。消えて当然だろう?
それは自問自答のようで違うのかもしれない。
「なあ。これは妄想か?」
「ん?…………まだ完全な楽器にはなっていないのかね?うーむ。まあいい余興だ。……………………そうだ。少年。君の最後の言葉くらい聞いてやろう。」
「そうか。やっぱりそうなんだ。こんな魔法みたいなこと普通は起こらないもんな。……………………やっぱりそうだ。」
力が宿る。
それは妄想の力ではない。火でも風でもない。根幹を揺るがす力だ。
自覚のない男の手に宿った力は名称のつけられない力だ。
さあ、あの男はどうする?
答えは簡単だ。
「中二病ってのは所謂、存在しない力を信じた馬鹿の類だ。でも、そんなもので人が殺せるならそんな奇談はないだろ?ん?…………不思議そうな顔をしてるな?」
辺りには先ほどまでの惨劇を忘れたように静寂が訪れた。
先ほどまでの悲鳴やら、警報音は鳴りを潜め、二人の男がただそこにはいた。
火の龍も、火の花びらも逃げ惑う人々も焼けて灰になった人間もいない。
デパートには二人以外に誰もいなくなった。
ただデパートは焼きあがる前の様相であり、その場を静かに時が過ぎていく。
「なんだこれは…………。俺の火が消えている!?俺の力が消えている!?俺の火はどこに行った!?それに俺の楽器どもも。あの愚かな人間楽器どもはどこに行った!?なんでだ!?お前はなんなんだ!?」
「なんだそれ?あれは妄想なんだろ?お前が肯定したんだ。いや、俺も信じてないよ。そんな馬鹿な力。俺も本当はそんな力は信じていないんだ。でもお前を消すことくらい訳ないぜ?」
俺は手を伸ばす。もちろん。外に向かうドアではない。
男に向かって伸ばす。
これは妄想なのだろうか?はたまた走馬燈の一種か?
いや現実だろう。
なら馬鹿な中二病か?
魔族だなんだ?鬼の力だなんだってか?
そんなもん存在しないって自分が一番知っている。
じゃあ、人々を助けにきたヒーローかって?
違う違う。そんなもんに憧れもないしな。
単なるアニメ好きの高校生だ。
でも他にも知っている。
この体から湧き出る力に感動し、拒絶し相反する今の自分の現状。本当にとんでもない高揚感に包まれてるんだ。
現実ではあるが、受け入れることはむつかしい。
大丈夫。スッと息を吸って。後は放つだけだ。
俺はそのまま息を吐くと同時に手に力を込めた。
その瞬間、手から衝撃が伝わり、目の前の男をぶっ飛ばしていた。
そう北条美紀とのデートの日だ。
昨日の夜から胸の動悸が収まらず、気が付けば口が緩んで気持ちの悪い笑みが漏れてしまっていた。
ついにこの日がきたかと早朝に目が覚めたのもまるで遠足を待ち望む子供のようだ。
しかし午前中、ろくな服がないことに気が付き、また髪の毛もぼさぼさで前の毛が目に入るほどであったことから俺はデパートに向かうことにした。
これがそもそもの始まりだった。
この時、妥協した服で出かければよかった。
前髪も自分で整えればよかったのだ。
しかし、俺はそのデパートに向かった。
そのデパートはちょうど彼女との待ち合わせ場所までの経由地に存在し、そこに向かったのも考えれば当たりまえのことであった。
そいつも何故か俺が行ったデパートにいた。
少し遠くても向こうの町にあるデパートに行けばよかった。聞けば、向こうのデパートでは服飾関係の激安セールもやっていたそうだ。
本当に間違えた。
本当にこの日はツイてなかった。
そう暑さの中、耐えながら思ったのだ。
炎の渦の中で倒れこみ、周りの人間が逃げ行く様を見ながら後悔していたのだ。
その炎はまるで生き物のように縦横無尽にデパートの中をくねくねと泳ぎ回る。そして店の商品も看板も店員も関係なしに燃やし尽くしてゆく。
炎の龍が店やら人を丸飲みにしていく。
なにを言っているのか自分でも分からないが、急に店やら人が燃え上がったことは覚えている。
またその燃え上がった光景を見て、逃げ惑う群集の中で嫌な笑みを浮かべる一人の男も。
普通に髪を切り終え、服を見ていたのだ。
客は開店時のためか、まばらにしかおらず、俺はそこらのいつもなら見向きもしない服屋に足を運んだ。
俺が店内の服を適当に見ているとき、その店内には客が俺だけだったからか店員が俺の方に近づいてきた。
店員がこちらにちょうど何か声をかけようとしたときだった。
女性の悲鳴が聞こえたのだ。
その声はいたずらに漏らした声ではなく、本当にサスペンスドラマで聞こえてくるような悲痛な叫びであった。
初めは何でしょうね?なんて店員と話していたが、その声が徐々に大きくなり、尋常ではない悲鳴が耳を劈(つんざ)くとき、目の前の店員が発火した。
それはまるでマジックのように瞬く間に火が全身を覆って、顔も体もなにもかもが火で見えなくなるほどだった。
俺はその一瞬の出来事に狼狽えて、のけぞり、飛び退いた。
火が自分の服の裾に引火しそうになったからだ。
急な出来事に虚をつかれて、目の前で起こる事象に困惑する。
別の店員が消火器を急いで持ってきたが、その店員も同じく燃え上がった。
息をつく暇もなく、次から次へと発火していく。
デパート内を歩く客も店員も見境なく燃え上がる。
とすると、視界にくねくねと動く炎の帯が見える。
それは先端が上下二つに分かれ、まるで生き物のように空を飛び回る。
そう。空想上の龍のようにデパートの中、すべてを飲み込んでいく。
その龍がなんとも言えない機械音のような咆哮を放つと、人は何故か燃え上がっていく。
夢でも見ているのかと思ったが、先ほどから悲痛な叫びが耳に入り鼓膜を震わせ痛みを伴う。それはこの状況が現実だと示唆しているように。
どうにかしてこの場から逃げないと次は俺が燃やされる。
その何かに燃やされるかもしれない。
まわりの人間もその他の発火した人間を助けようとしていたが、そういった人間もまた発火現象に見舞われた。
人が目の前で燃え上がり、筆舌に尽くしがたい悲鳴が木霊した。
視界が火の海へと変わっていく。
火柱がそこらに立ち、逃げ行く人々は火に飲み込まれていく。
溶けているのか?
焦げているのか?
鼻に突く異臭は嗅いだことのない匂いであり一気に嫌悪感が訪れて、吐き気がする。
そうして、前を向くとすぐに目をそらす。
見てはいけない。
これは駄目だ。
もう人間の体をなしていない。
ゲル状に溶けた何かだ。
溶けた皮膚がめくれ上がり、唇と同化したような。目が潰れて上から垂れ下がる皮膚に押し負けて腰巻のようにその皮膚は幾重にも重なっていく。
色味は赤黒く、ところどころ焦げ付いたそれはまだ息をして動く。
何かを探して動く。
何かを。
ああ。これは違う。
これは違うはずだ。
無作為な模様を視認した際に、それが俺の海馬から選びだされた事柄だと誤認しているだけだ。
違う。あれは違う。
なんとか自分を納得させる。
もう許容できる範囲を超えており、自分の中の境界線はまたがれている。
しかし、こうなる過程をまざまざと見せつけられれば、それが自分の良く知る人間の部位の一部だと分かる。
……………………目が合った気がしたのだ。
赤黒く血の光沢を纏ったそれらの物体と。
だめだ。
見るな。見るな。見るな。
…………
見るな。
…………
もはや悲鳴も出ぬまま、あたりを見回し恐怖から硬直した足を無理やり動かすと俺は一心不乱にその場から逃げ出し、外に出ようとほど近いドアに向かって走り出した。
後ろから警報音が追いかけてくるが、その音さえ怖くなり足を止めずに走り続けた。
あちらこちらで倒れて発火する人間と、それを覆う炎の龍はいまだデパートを飛び回っている。
皆が発火現象をおこし、先ほどまでの日常は一気に崩壊した。
悲鳴と警報音。炎の軌跡に続いて店内が燃え上がり崩壊する轟音。
それらが耳に入り、あまりの恐ろしさに外に出ようとドアに手をかけたとき、自分の手が燃えていることに気が付いた。
俺もあの人達と同じように燃えるのかと恐ろしくなり、引きつった声が口から吐き出され、その手を振り回しなんとか消火できないかと試みる。
その間に火は足に移り、手にまとわりついた火はさらに顔にまで迫る勢いだ。
そのまま、足の火に目を奪われ態勢を崩し、床に倒れこむ。もう外はすぐそこなのに。
炎の渦が俺を囲んでいく。
手を伸ばしてもドアの取っ手には届かない。
もうだめかもしれない。
このまま炎は俺を焼き付くすだろう。
嫌だ。
ああはなりたくない。
誰か助けて。
誰か………。
そんな言葉は誰にも届かない。
徐々に意識が薄れていく。
不思議なことに痛みはなかった。しかしながら意識は朦朧として、体からは力が抜けていく。
ああ。今日はデートだったのに。とんだ一日だ。
薄れゆく意識の中、炎の切れ目から人々の逃げ惑う姿と燃え盛る店内が見える。
その時、視界の端にある人間がいた。
そいつは逃げ惑う人々を見て嫌な笑みを浮かべて手をひらひらと揺らしている。まるで指揮者の様に。
その手に連動するように炎の龍は動きを変える。時に激しくうねりを上げ、時に静かにその場にとどまり火を花びらのように落とし、その落ちていく花弁のすべてがその男の手の動きに合わせて左右に揺れる。
まるで踊っているように。
「ああ。耽美な音が聞こえる。人間の声とはかくも醜く、愛おしい。ああ。なんと耽美な歌声か。讃美歌に比した悲鳴なのだろうか。ああ。ああ。嬉しい。ああ嬉しい。それでいて楽器に近くなっていく過程は時を忘れてしまうほどに美しい。醜さと美しさとは紙一重なのだ。これが君に分かるかな少年?」
そいつは何故か俺を見ていた。
なんだあいつは?
悲鳴の中から奇妙な笑い声が聞こえてきた。
人の悲鳴に恍惚の表情で喜びに打ち震えている男がいる。
気持ちが悪い。
ああ。肌が粟立つほどに気持ちが悪い。
嫌悪して吐き気がする。
あの男は人間なのか?
それすら疑ってしまうほどにあの男は異質な雰囲気を纏っている。
それにしても、あの男は何故燃えずにそこに平然と突っ立っている?
それにまるであの男の指示に従って揺れ動いてるように見える炎はなんだ?
あれはなんのマジックだ?
何故だ?あいつがこの惨劇を起こした張本人なのか?
普通ではない。
あれは超能力か?
いや。まあ、いいか。
そうだ。
どうせ俺には何も出来ない。
その他の被害者と同じくここで朽ち果てるだけだ。
俺は普通の人間だ。
あんな奇人変人の類に対抗できる人間ではない。
俺は普通のなんでもない高校生なんだ。
もう駄目だ。
体が動かない。
ああ。もうデートにも間に合わない。
彼女は怒るだろうか?
本当に申し訳ない。
俺から誘ったのに申し訳ない。
…………目が痛い。
…………手が痛い。
…………ああ。終わりか。
…………俺の人生がこうも一瞬で終わるとは。
…………。
…………本当にくだらない。
初めに南の顔が浮かんだ。
小学校から付き合いのある悪友の顔だ。
俺が死んだら、あんな軽薄な南でも泣いたりするだろうか?
あの男のことだ。墓参りに女を連れてくるだろう。本当に女好きな野郎だ。
両親は泣くかもしれないな。
本当に親不孝の馬鹿な息子で申し訳ない。
走馬燈のように色々な事柄が頭を駆け巡る。
なんでこんなところで死ぬのだろうと苛立ちを覚える。もっとやりたいことだってあった。
あのアニメの最終回を見逃したことも心残りだ。
なにより、あいつを置いて死ぬことが一番心残りだ。
あの女はいつも口煩く俺をなじるし、可愛いところも特にないがいつもそばにいてくれる。それに俺が死ねばあいつは悲しむだろう。
ああ。今死ねば俺はあいつが泣いているときに駆け寄ることもできなくなるのか。
それはなぜだか許せない。
本当に許せない。
あんな男に邪魔されていいのか?
それは、本当に許せない。
その時、泣いている女の子を想い出した。
彼女はいつも一人で本を読んでいた。
クラスの人間とも話さず本を黙々と読んでいたのだ。
いつもみんなの輪に入れない彼女は皆から除け者にされ、いじめられていた。
俺は知っていながら彼女のことを無視し視界に入れないようにしていた。
しかし、たまたま彼女を見つけたとき泣いていたのだ。
俺はいつもならどうでもいいとほっといたが何故かその子が気になってどうしていつも泣いているのかと聞けば、その子は嫌そうな顔をして俺を無視していた。
来る日も来る日も同じ質問をしていたらその日は何故か堰を切ったように泣き出し、俺は彼女の言葉を聞いたんだ。
どうやら父からもらったアクセサリーをクラスの連中に盗まれたと。
俺はなぜかそのことに無性に腹が立って彼女のアクセサリーを盗んだやつから取返し、南と一緒にその子へのいじめをやめるように訴えた。彼女へのいじめはそれからはなくなった。
南の社交性には驚くばかりだ。
この頃から南の女の子人気は凄まじかったことも思い出された。
その頃から、今だにその子は俺の傍にいる。
彼女といるのは気が楽だというのもあるが、本当の理由は違うのかもしれない。
彼女は一人でも生きていけるのかもしれない。
俺なんかがいなくても。
南は言うだろう。
「それは馴れ初めか?」って。いや違う。これは美談でもなんでもない。
単なる俺の自己満足だ。
俺が招いた結果の話だ。
だから彼女は今も俺といるってだけの話だ。
それが原因だから答えを先延ばしにするのかって南は俺に昔聞いてきた。
怖くなったから背を向けるのか?って。その通りだ。
だから彼女がいる限り、俺も傍にいたいって思うのは当然だ。それをあんな指揮者気どりのいかれた野郎に俺の思いを踏みにじられるのか?
答えは否だ。
あんな人間に俺は止められない。
止めさせない。
手に付いた火は消せるだろう?
体を覆う炎は見せかけだろう?
あの炎の龍は?
燃え盛る人間は?
おいおい。中二病なんてのは妄想の産物だ。消えて当然だろう?
それは自問自答のようで違うのかもしれない。
「なあ。これは妄想か?」
「ん?…………まだ完全な楽器にはなっていないのかね?うーむ。まあいい余興だ。……………………そうだ。少年。君の最後の言葉くらい聞いてやろう。」
「そうか。やっぱりそうなんだ。こんな魔法みたいなこと普通は起こらないもんな。……………………やっぱりそうだ。」
力が宿る。
それは妄想の力ではない。火でも風でもない。根幹を揺るがす力だ。
自覚のない男の手に宿った力は名称のつけられない力だ。
さあ、あの男はどうする?
答えは簡単だ。
「中二病ってのは所謂、存在しない力を信じた馬鹿の類だ。でも、そんなもので人が殺せるならそんな奇談はないだろ?ん?…………不思議そうな顔をしてるな?」
辺りには先ほどまでの惨劇を忘れたように静寂が訪れた。
先ほどまでの悲鳴やら、警報音は鳴りを潜め、二人の男がただそこにはいた。
火の龍も、火の花びらも逃げ惑う人々も焼けて灰になった人間もいない。
デパートには二人以外に誰もいなくなった。
ただデパートは焼きあがる前の様相であり、その場を静かに時が過ぎていく。
「なんだこれは…………。俺の火が消えている!?俺の力が消えている!?俺の火はどこに行った!?それに俺の楽器どもも。あの愚かな人間楽器どもはどこに行った!?なんでだ!?お前はなんなんだ!?」
「なんだそれ?あれは妄想なんだろ?お前が肯定したんだ。いや、俺も信じてないよ。そんな馬鹿な力。俺も本当はそんな力は信じていないんだ。でもお前を消すことくらい訳ないぜ?」
俺は手を伸ばす。もちろん。外に向かうドアではない。
男に向かって伸ばす。
これは妄想なのだろうか?はたまた走馬燈の一種か?
いや現実だろう。
なら馬鹿な中二病か?
魔族だなんだ?鬼の力だなんだってか?
そんなもん存在しないって自分が一番知っている。
じゃあ、人々を助けにきたヒーローかって?
違う違う。そんなもんに憧れもないしな。
単なるアニメ好きの高校生だ。
でも他にも知っている。
この体から湧き出る力に感動し、拒絶し相反する今の自分の現状。本当にとんでもない高揚感に包まれてるんだ。
現実ではあるが、受け入れることはむつかしい。
大丈夫。スッと息を吸って。後は放つだけだ。
俺はそのまま息を吐くと同時に手に力を込めた。
その瞬間、手から衝撃が伝わり、目の前の男をぶっ飛ばしていた。
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お腹には、殿下との子供を宿しているというのに、政略結婚をするため、バレンシア・セレナーデ公爵令嬢が邪魔になったという理由だけで、あっけなく捨てられてしまったのだ。
レオンハルトは当初、バレンシアを置き去りにする意図はなく、すぐに戻ってくるつもりでいた。
でも、王都に戻ったレオンハルトは、そのまま結婚式を挙げさせられることになる。
お相手は隣国の王女アレキサンドラ。
アレキサンドラとレオンハルトは、形式の上だけの夫婦となるが、レオンハルトには心の妻であるバレンシアがいるので、指1本アレキサンドラに触れることはない。
バレンシアガ置き去りにされて、2年が経った頃、白い結婚に不満をあらわにしたアレキサンドラは、ついに、バレンシアとその王子の存在に気付き、ご落胤である王子を手に入れようと画策するが、どれも失敗に終わってしまう。
バレンシアは、前世、京都の餅菓子屋の一人娘として、シンママをしながら子供を育てた経験があり、今世もパティシエとしての腕を生かし、パンに製菓を売り歩く行商になり、王子を育てていく。
せっかくなので、家庭でできる餅菓子レシピを載せることにしました
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