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ライゼルド視点

中編

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 ライアを探そうとして、親父から止められた。
 俺の手元に置くことになるなら、祭司官候補だ。つまりそれはまた真名がない子どもを囲い込むことになる。

「幸いにも彼女の住んでいる環境は悪くない。力があるお前が介入するな」
「けど…!」
「……耐えなさい、ライゼルド。彼女が真名を得て、自身の生き様を決めるまで」



 そこからは抜け殻の状態だった。
 もちろんやるべきことはやった。だが、ふたりがいた頃とは比べ物にならないほどの虚無感に、神だとしてもこうなるんだなと他人事のように思ったぐらいだ。
 ネレイディアが心配してやってきたこともあったが、鬱陶しくて追い払った。あの祭司官がいなけりゃ、多少は付き合ってやる気もあったんだが。

 この頃から、俺は魔力不足による頭痛にまた頻繁に悩まされることになった。
 フルミネーラが俺の祭司官だった頃は、同じ属性のフルミネーラから魔力を融通してもらっていたから少なかったが、あいつがいなくなってからはもうどうにもならず。
 なんで魔力が不足するんだ。大量に加護をばらまいてるわけでもねェのに。


 そうして二十年余りの時が経って、相変わらず魔力不足と頭痛、それから鬱陶しい信者共に悩まされていた頃。
 不意に、懐かしい加護を感じた。
 ズキズキとした頭でふらふらとそっちに向かう。もう魔力はほとんど残ってねェって分かってるのに、勝手に体がそっちに行った。

 ふと、下を見ればいつの間にか大海原のど真ん中で、海が割れて底に魔塔が聳え立っている。


 ああ。だ。


 ―― 閉まりかけた結界に俺は無理やり入り込んだらしい。

 そこら辺は全然覚えてねェんだが、目が覚めたらベッドで寝てて、魔力を融通してくれていた彼女 ―― ターミガンに会った。
 一発で分かった。彼女はライアだと。あのふたりの残した愛しい子だと。だって、ハロルドに渡したブレスレット型の魔導具を持ってるしすっげー似てる。

 だが彼女から「ライア」という名を聞けてねェ。
 魔塔は原則、親から与えられた名と家名は隠して偽名を名乗るとフォンセルドは言っていた。よっぽど親しい相手であれば教えられることもあると聞いて、俺は思った。

 ライアの、ターミガンの傍にいたい。
 ハロルドとフルミネーラの血を引くこの子を、あのふたりのようにさせたくない。
 魔塔内ならそう危険はねェだろうが、あのふたりが叶えられなかったことをターミガンに叶えさせてやりたい。
 だったら「俺の魔力が概ね回復するまで」ここにいることにすりゃいい。どうせしばらく魔塔から動けねェんだ。

 …ま、その結果ターミガンに迷惑かけてる形になるが、そこは許せ。


 相変わらず、俺と顔を突き合わせると増える信者。今日も今日とて思わずターミガン ―― ターニャの研究室に逃げ込んだ。
 「散れ!!」と群がった信者たちを部屋に入れずに追い払い、鍵を締めたターニャがくるりとこっちを見る。憤怒の表情だ。

「ライゼルド様、何回言えばいいの!あんたが一歩外に出たらああなるって分かってるでしょうが!」
「仕方ねェだろ、あいつら部屋にまで来やがんだから!ターニャも俺の部屋で待っててみろ、怖ェから!」
「だからってなんであたしの研究室なのよ!あたし最近みんなから睨まれてるんですけどぉ!それとあたしはターミガン!ターニャじゃない!」
「呼びにくいんだよそれ!どうせターニャって名前この塔にはいねェからいいだろ!お前の傍が一番居心地がいいからに決まってんだろ!!」

 ぜいぜいとお互い肩で息をしながら言い合いをして、結局ターニャもソファにずるずると座り込んだ。
 それから数分して「…お茶飲みます?」「…飲む」とやり取りがあって、ターニャが茶の準備を始める。

 ここ数日は、こんなやり取りが日常だ。
 ハロルドとも、フルミナーレともこんなやり取りはしたことがなかったな。あいつらもなんだかんだで一線は弁えていたし。…いいな、こんな関係。
 淹れてもらったお茶を口に含む。神殿で献上されるものよりも遥かに品質は劣っている茶葉だが、特にこだわりを持ってるわけじゃねェから普通に飲む。

「いい加減祭司官決めたらいいんじゃないのー」
「サクッと決められたら苦労しねェよ…俺見て平気な奴そうそういねェんだから…俺もエレヴェド様親父みたいな顔が良かった」
「…あの、世界各地の大神殿にあるエレヴェド様の神像って実際のエレヴェド様にそっくりなの?」
「あ?ありゃ多少美化してるな。親父はもうちょい、あっさりした顔してる。髪と目を誤魔化しゃ人間に紛れられるぐらいだぞ」

 いつだったかは忘れたが、何度かこっそり人界に降りて人としての生活を満喫したって聞いたことがあんな。無論、国は全部バラバラ。
 親父は元々だからな…「人の暮らしが懐かしくって」とどこか懐かしいところを見る仕草に当時の神殿側も俺らも黙るしかなかった。
 最近はないようだが、近々またあるんじゃね…?

 そう考えていると、ターニャがじっと俺の顔を見つめてきた。
 …ハロルドとも違う瞳の色、フルミネーラの本来の瞳の色である若草色。

「んだよ」
「…美形も大変だねぇ」
「親父んとこの祭司長と同じこと言うな。つーか今更だけどお前、なんで平気なんだよ。それで助かってるけど」
「好きなタイプじゃないから?あたし、どっちかっていうとエレヴェド様の神像ぐらいが好みだし」
「そう言ってた奴も大体コロッと変わってたんだがな…」

 はァ。いい加減今日のような奴らは増えてほしくねェ…どうすりゃいいんだよ。
 もう百年近く続く現象にはもう飽き飽きだ。面倒くせェ。

 そう思ってると、けらけらとターニャが言った言葉が耳に入った。

「ライゼルド様、歩く魅了になってんじゃないの?この魔塔に魅了魔力検知器あるから、やってみる?」

 口調的に冗談半分のつもりだったんだろうが、ちょっと待て。
 魅了魔力検知器だと?

「…んなもんあるのか?」
「え?うん。大侵攻が終わったあと、開発されたやつ。ある一定のレベル以上の魅了効果があるものとか、一定量の魅了する原材料が入ってる薬を見分けたりするのがあるけど…え、やる?」
「…そうだな。やる。どうすりゃいいんだ」
「え、あ、うん。その専門部署に申請すれば使える…あ、でもライゼルド様が行くと混乱するか。でも大型だからあたしの研究室に持ってこれないし…魔塔主に話を通してみるよ」
「ん。頼んだ」

 説明を聞く限り、魔導具や魔法薬に使うものらしいが…いや、つーかなんで俺は思い至らなかったんだ。顔を合わせた奴が信者になるなんざ異常だ。
 俺自身や親父が気づけなかったなにかが、俺の体のどこかに施された可能性が高い。

 …ああ、くそ。また頭痛がしてきやがった。
 魔力が不足すると頭痛がする。今朝融通してもらったばっかりだっつのに。
 少しでも魔力が回復するよう、寝るためにソファに寝転がって目を閉じた。
 

 それから割りとすぐに魅了魔力検知器とやらの使用許可が下りたと連絡があった。
 今代の魔塔主はフォンセルドだから許可が早かったんだろう。
 その連絡をくれたターニャとの会話で、俺の役割の話になった。俺はもともと、空気中の窒素を集めて稲妻をもって土壌に与えて草木の育成を促す役割がある。最近は肥料によって人里の方には出番は少なくなってきたが、未だに未開の山や森などでは現役だ。
 そして、俺は戦神いくさがみの側面も持つ。ここ最近でその役割を果たしたのはあのヒースガルド大侵攻のときだ。

 そこでふと、呟く。

「…そういや、誰彼構わず俺を見たら使いもんにならなくなったのはヒースガルドのが終わったときからだな。あのときはようやっと重い腰を上げた親父の力も借りて、神人一体となって無我夢中で抵抗した後だったか」

 はじめは、最前線で戦った俺に対する称賛かと思ったが違った。段々と狂気じみたものに変わって、はじめて恐怖を覚えた。
 そこから点々と周囲との接触は最低限にして、変わらなかった神々や親父、中央神殿長、祭司長んとこによく顔を出すっていう風にしたんだった。

 重いため息を吐き出しそうになったそのとき、顔を掴まれてターニャに無理やり向かせられた。
 そのターニャの顔が思った以上に至近距離で心臓が跳ねた。

「お、おい?」
「ちょっと黙って」

 ローブのポケット何やら分厚くゴツいメガネを取り出し、カチカチとダイヤルを回す。それから、俺の瞳を覗き込むようにギリギリまで顔を近づけたきた。
 近ェ!と思わず飛び退こうとするのを耐える。ターニャがなにかに気づいたのが分かったから、邪魔すんのは悪ィのも分かってる。

 けど、ちょっと待て。なんだこれ。
 普段はここまで心臓が動くことはねェぞ。
 あとなんか、その、すっげーいい匂いがするんだが!?

 内心テンパってる俺をよそに、ターニャが淡々と呟いた。

「…ライゼルド様、右目の方に何かかけられてる」
「……」
「精霊魔法の類ではなさそうな反応…魔法のような…でも反応は呪いに近い。もしかして、誰彼構わずライゼルド様に心酔するようになってるのって、ライゼルド様と目が合った時なんじゃない?」

 ぱ、と顔が離れていく。嬉々として考えを話すターニャは気づいてねェ。
 …俺が思わず手を伸ばしたことに。
 思わず片手で顔を覆う。顔が熱い。落ち着け。

「ライゼルド様?」
「……んでもねェよ。俺の右目だと?」
「うん。このメガネ、魔道具の魔力経路の確認や、何らかの改造や呪いが加えられてないか確認できる魔道具なんだけど…人に対しても確認できるんだ。で、見たら明らかに、右目にライゼルド様以外の魔力で何かがかけられた形跡があった。ライゼルド様は何か覚えない?」
「……あるには、ある。が、親父からの加護は俺の素地を一時的に上げるのと、別のやつから相手の能力を可視化する一時的な加護だったはずだ。んな人を魅了するような効果はねェよ」
「でもライゼルド様、元からイケメンで格好いいし、綺麗だし、体格もがっしりしてて男らしいし。能力じゃなくて、元々の素地を底上げする加護なら、ライゼルド様がめっちゃ魅力的に見えるんじゃない?」

 なんだ。
 グサッとなんか刺さった気がする。痛い方で。
 あとすっげーガッカリした。なんでだ。

「…どうしたの?」
「……なんでもねェよ」

 俺でも分かんねェんだから答えられるわけがあるか。
 だがそれをターニャに告げるのは、なんだか憚られた。





 魔塔主であるフォンセルドの解析の結果、俺の右目には魅了の加護 ―― いや呪いがかかっていることがわかった。
 俺の根本属性である水と風属性を持つ奴や神の加護がある奴には効きにくいが、神が施した呪いだ。それなりの魔力を持たない奴は対抗レジストも虚しく魅了にかかるだけ。

 …俺の右目に加護を施したことがある奴は、一柱ひとりだけなんだよなァ。

 皮肉なもんだ。
 ヒースガルド大侵攻の原因は魅了の力だ。それと全く同じもんをこの目に埋め込まれたことになる。
 フォンセルドから「もはやだね」と言われたが、納得できるほどの能力だった。
 魔塔が管理する実験体を相手に検証してみたが、どうも俺と目が合った時間に応じて魅了にかかってる時間が違うらしい。
 一瞬なら二~三日、数分なら一ヶ月。どんだけ強力なんだよ!!どうりで信者が減らねェと思った!!

 ターニャは、フォンセルドからの依頼で俺の魔眼の能力を抑えるためのメガネの開発を開始した。今あるあのゴツいメガネでも効果は見込めるらしいが、かけるとすっげーダサくなる。なんか嫌だ。
 フォンセルドも思うところはあったらしく、俺の魔眼の影響が出ないターニャに頼んだようだ。無論、彼女の魔具士としての腕も見込んで。


 片目が塞がったことで距離感を掴めず、あちこちぶつかる俺に呆れたフォンセルドがターニャを連れ歩くよう言われてから、気づいたことがある。

 ターニャ自身は気づいていないが、他の奴らから嫌がらせを受けている。
 研究室はさすがに入れねェから被害はねェものの、魔法を使って転ばせようとしたり、ターニャが食堂で飲んだり食べようとしたものに気づかれないようになにかを混入させようとしたり。全部俺が防いだが。
 他の研究員からの依頼で魔導具の修理を依頼されたが、めちゃくちゃに破壊されたとしか言えないその様相には俺もターニャも唖然とするしかなかった。

 …たぶん直せなかった事に対してイチャモンつける気だったんだろう。だがターニャはきちんと直して、返した。相手が悔しそうな表情を浮かべたのもターニャは気づかねェ。どんだけ鈍感なんだ。


 そんなある日のこと。

 吹き抜けの廊下を歩いていたとき、不意に魔法が発動された気配を感じた。
 戦闘に明け暮れる冒険者や戦神である俺なら分かるものだ。その魔法は発せられた。

「ターニャ!」
「ひゃっ!」

 咄嗟にターニャの腕を自分に引き寄せる。
 それと同時に何かが吹っ飛んできて、廊下にあった植木鉢が煙を上げて溶け始めた。
 …は?こいつを、ターニャにぶつけようとしたのか?
 上階を見上げれば、研究員数名が「やべっ」という表情を浮かべて逃げていったのが見える。…チッ、逃げたか。今すぐ追いかけたいが…。

「ライゼルド様」
「ターニャ、大丈夫か」
「う、うん」

 ターニャの声も、体も震えていた。これが当たったらという想像をしちまったんだろう。
 安心させるように彼女を抱きしめて、背中を軽く叩いた。震えていたターニャの体が徐々に落ち着いていく。

 そのとき。

「ちょっとぉ!!人の研究室前で何よ、うっさいんだけど!!」

 バァン!とすぐ傍の研究室のドアが開いた。
 口調に似合わず、声は低く体躯は大きい野郎。スキンヘッドの頭がきらりと光った。
 俺とターニャに視線を向けて怪訝そうな表情を浮かべて、それから廊下の様子に目を向けて…大きく目を見開き、絶叫した。

「んぎゃーーー!!アタシの愛しいエーリンちゃんがァああ!!」
「…あ、え、と」
「え、ちょっとナニコレなんでアタシの研究室前にビトリオールまかれてんの!?」
「ご、ごめんなさ「ターニャ、謝るな」…で、でも」

 どう考えたってターニャのせいじゃねェ。俺のせいでもねェから謝る必要はない。
 この男に事情を話して、納得してもらえねェようだったら実力行使にでるか。

 くるりとこっちを向いた男は涙を引っ込ませて、真顔になった。

「ちょっとターミガン、アンタに怒るつもりはないわよ。そんなビクビクしないでちょうだい」
「…で、でも、ウルディエールさん」
「でももへったくれもないわ。悪いのはビトリオールを投げつけてきたやつよ。とりあえず入って」

 理解してくれる男で良かった。
 内心ホッとしながら、戸惑うターニャに「行こう」と促して目の前の研究室とやらに入る。


 結果的に、この目の前の男は口調こそアレだが、真っ当な男だった。
 今後も味方になってくれそうで良かった。とりあえず、ターニャの味方は多い方がいい。

 ターニャがトイレに立ったタイミングで、ウルディエールという男は俺に声をかけてきた。

「神様も大変ね」
「かれこれ百年ぐらいだからな…」
「でも神様だからこそ良かったわ。アンタがただの人だったら、実験体としてあちこち弄られてたでしょうから」
「だろうな」
「ところでお願いがあるんだけど」

 視線をウルディエールに向ける。ウルディエールは優雅に紅茶を一口飲んでから、続けた。

「アタシの大事な苗をダメにされたから、ちょっと苛ついてるのよね。アタシのに、報復とかしてくれないかしら?」
「いいぜ」
「あらやだ。意外とあっさりね」
「ハッ、俺は荒事が得意な神なんでな。チマチマするのは性に合わねェんだ。だがいいのか?堂々とお前を名乗って」
「うふふ。ビトリオールなんて足の付きやすいモノを投げつけたアレが悪いんだもの。ビトリオールを管理してるのは、この魔塔でただひとりなんだから」

 …それはそれで、管理体制は大丈夫なのかと思ったが口を閉ざした。
 俺は部外者だからな。


 ウルディエールからその管理者の通称と研究室を教えてもらった。
 ターニャは研究に夢中になると、周囲の情報を切り離して研究だけに注力する。そのタイミングで俺が部屋を出ても、ターニャは気づかない。
 眼帯をするようになって大分信者は減った。そもそも、俺と目を合わせる機会はそうそうない。

 魔塔内では、俺の魔眼について周知された。だから元から顔を合わせたことのない研究員たちや一度魅了がかかって覚めた研究員たちは眼帯しているとはいえ、俺と目を合わせないように気をつけている。
 また俺の目を見ようとするのは、まだ魅了が解けていない者たちだけだ。

 目的の研究室に辿り着いて、ノック。
 ドアが開けられると、俺だということに気づいた研究員は顔を明るくさせた。

「ライゼルド様!!」
「よォ」
「ど、どうして私めのような研究室に…!ああ、すみません、散らかっていて中にはお通しすることができない…!」

 狼狽えつつも、研究員の視線は俺に向けられる。
 頬を紅く染め、俺と目が合うとうっとりとする様に嫌悪感に顔が歪む。ターニャだったら…いやあいつがそんな表情を浮かべんのは仮説を証明する研究がうまくいったときだな。
 そんな俺を気にせず、室内を片付けようとする研究員を止めた。

「用事はすぐ済む」
「そ、そうですか?では、何の御用でこちらに?」

 何かを期待するような表情に、更に口元が歪む。
 自分でもけったいな表情をしてると自覚してる。当然、研究員の表情に困惑の色が浮かんだ。

「ウルディエールを知っているか?」
「え?ええ、もちろん」
「そうか。じゃあお前がターニャに向けて投げ込んだビトリオールとやらが、ウルディエールが大事に育てていたエーリン草にぶち当たって、ダメになったことは?」
「……え」

 研究員の顔色が一瞬にして真っ青になった。

 エーリン草は、生育が非常に困難な貴重な薬草として有名だ。人工肥料じゃあ育たねェ。少しでも手間をかけるのをサボったり、合わねェ肥料を与えるとすぐ枯れる薬草。
 あれを生み出した森林の女神ウルディアは「これぐらいしないと、すぐに人は調子に乗るでしょう?」とうっそり笑っていたのを覚えてる。あいつは怒らせると長いからなァ。あいつを怒らせた先人を恨め。

 生育が非常に困難だ、ということは種も希少だ。
 ウルディエールは「また育てればいい」と言っていたから種はあるんだろうが、数はねェだろうな。

 一歩、後ずさった研究員に合わせて、俺も一歩進む。

「見ていたよな?俺もあの場にいたのを」
「…み、…みてな…」
「雷神ライゼルドに、真名で誓えるか」

 ひゅ、と研究員が息を呑んだ。
 神に嘘をつこうなんざ愚の骨頂。創世神である親父ほどではねェにしろ、真名で縛るのは俺でもできる。

「俺は一度、お前がターニャの研究物を盗もうとしたのを知っている」
「ひっ」
「俺は一度、お前がターニャに向けてビトリオールとやらを魔法で投げつけ、ウルディエールが丹精込めて育てていた貴重な薬草を死滅させたことを知っている」

 研究員が後ずさろうとして、足元の書類に足を取られて尻もちをついた。
 ガタガタと震えている研究員の周囲に、バチバチと電気が走る。

「なぜ、なぜあの小娘を気にかけるんです!!もっと腕のいい魔具士はいる、魔石に魔力をリチャージもできない小娘だ!!ウルディエールには悪いと思っている、だがあんな役立たずなんかより私の方がライゼルド様のお役に「知ってるか?」え?」

 面白いぐらいに、ペラペラと神の前で喋ったもんだ。
 懺悔のつもりか?だが残念だな。

「神が許すのは二度目まで。三度目はねェんだよ」





 フォンセルドからちょっと小言はもらったものの、元からあの研究員の言動は気に入らなかったらしい。だったらもっと早く対処しやがれ。
 案の定、ターニャは気づいてねェ。たぶん、あいつがいなくなったことすら気づいてねェだろうな。

 基本、俺は用事がなけりゃターニャの研究室に入り浸る。
 ターニャから一度「退屈じゃないの?」と聞かれたが退屈だと思ったことはねェ。
 ただ、ターニャが研究に打ち込むその姿を眺めるだけでいい暇つぶしになる。あいつ、研究中クルクルと表情がよく変わんだよ。それが面白い。

 ウルディエールから「イケメンだから締まりの無い顔してても決まってて地味にムカつくわ」とか言われたが、仕方ねェだろ。この顔は元からだ。


 そうして、ターニャは魔眼を抑える魔導具メガネを仮実装までこぎ着けた。

 俺がふと零した「メガネは両目にかけなきゃいけねェのか」という呟きから元に、片眼鏡と呼ばれる形状に変えた。
 元々、左目は何の憂いもないが、今までの形でつけようとすると左目側のレンズにも何かしら加工しなきゃならなかったらしく、こうすることで無駄がなくなったらしい。

 眼帯を外して片眼鏡をつけた瞬間、実感した。
 明らかに魔力の流れが変わった。眼帯代わりの布でただ防いでいた頃よりも魔力の流れが明らかに良くなっている。
 今までろくに回復しなかった魔力が回復し始めたのにも驚きだ。
 しかも視界も良好ときた。

「うん。メガネをつけたときと、そうでないときの数値に顕著な違いが出ている。効果が出ていると言っていいね」
「じゃ、じゃあ」
「あとは実験を重ねてサンプルをとろう。使った実験体の中には魅了から回復してきたものもあるし、この状態でライゼルドと対面して前回のような結果にならなければ普段遣いしてもらっても問題ないと思う。ライゼルド、体調面の影響は?」
「今のところ問題ねェな。つーか、魔力も回復してきてる」
「うんうん。見たものすべてに対して、勝手に相手の魔力量に応じて魅了魔法を放っていたようなものだからねぇ。メガネを通すことで、見ている相手の魔力量が最低レベルと常に魔眼が認識すれば、現在のカテゴリの中では最低レベルの魅了効果しかない。この程度であれば、日常生活で困ることはないだろう…見た目もいいしね。これは研究室を与えるに見合った結果だよ、ターミガン」

 ターニャが誇らしげな表情を浮かべる。
 そうだ、ターニャはそれだけ凄い。俺まで誇らしく感じた。

「完成した暁には、階級を上げようか」
「えっ、でもあたし、魔石への魔力供給は…」
「うーん。考えてたんだけど、それは魔具士の基本業務の一貫だから目安としてあったんだよね。でも実際、ターミガンみたいに神々にも属性が混ざった魔力なんてざらにいたんだよね、ライゼルドがいい例だけど。そんなことでターミガンみたいに能力がある子が出てこれないのはちょっとね」

 これは俺も言われた。
 ただまあ、神としてはざらにいる体質ではあるが、人となると一概にもそうだとは言えねェからな。
 属性の概念が変わるのは、ターニャのような人財がもっと増えてからだろう。

「ターニャ」
「ん?」
「ありがとな」

 本当に。本当に、困っていた。
 最後の砦だった親父ですらダメで、もうどうにもならねェと諦めていたからすっげー嬉しい。

 心からの礼を述べたら、ターニャが顔を真っ赤にして「べつに!」とそっぽ向いてしまった。
 可愛い。このまま抱きしめて、賛辞を雨あられのように浴びせたらどんな反応をするかな。


「ライゼルド」

 ターニャが先に研究室に戻り、俺はフォンセルドに「実験の続き」と称してその場に残された。
 だが、フォンセルドの表情はそれじゃねェ。苦り切ったその表情に、嫌な予感がした。

「君の世話役がようやっと来たんだが」
「今更だが…、それだけでお前がそんな表情しねェな。何があった」
「…君、世話役に水の祭司官を要望したか?彼女が来た」
「んなわけねェだろ!!」
「そうだよなぁ…いや、中央大神殿に僕の祭司官を使いとしてやったんだけど、どうも向こうも混乱してるようなんだよ。正規の世話役が怪我して、彼女が代わりに派遣させられたって話もあれば、水の祭司官が正規の世話役に危害を加えて無理やり代わっただとか色々…」
「絶対その後者だ」

 言い切った俺に、フォンセルドは怪訝そうな表情を浮かべた。

「…あいつは神官時代から俺をねちっこく見てたんだ。ずーっと。その上、水の祭司官になってから俺と会う機会が増えたと思ったら、俺を崇拝する言動をする」
「あー…。崇拝はいただけんな。だがその目の影響じゃないのか?」
「違ェ」

 魔眼の影響を受けた連中とは違った。
 どこが違うのかと言われれば、あいつの目だ。魔眼の影響で俺に取り入ろうとした連中は信心深い、敬虔な信者そのものの感情を見せるがあいつは違った。
 最初はなんだか分からなかった。
 だが、いま、この感情を持った俺なら分かる。

「……俺を手に入れてェんだよ、あいつ」

 自分だけを見て欲しい。
 自分だけに笑って欲しい。
 その声で愛を囁いて欲しい。
 その手で触れて欲しい。

 そんな恋慕の情が拗れにこじれまくった、ドロドロに煮詰められたようなものだった。

 最初、俺がんなあいつと同じ感情を持ったことに気づいたときは愕然とした。
 だが、俺はあいつとは違う。
 俺はターニャの力になりたいと思っている。
 ターニャのやることを邪魔したくない。

 俺はあいつが笑って、自由に研究して、人の役に立てたと喜ぶ彼女の顔が見たい。

 ふと、バタバタと小鳥が飛んできて、フォンセルドの肩に止まる。
 その足に括り付けられたメモを見て、フォンセルドが顔を顰めた。

「…道案内をしていた魔術師から、世話役の水の祭司官がいなくなったと連絡があった」

 それを聞いて、俺は弾かれたように部屋を飛び出した。
 どこにいるかは分からねェ。だが、嫌な予感がしたんだ。

 あいつは、フルミネーラのことを仇かと思うほどに睨んでいたことがある。
 常に俺の傍にいる奴を妬んでいたのだと、今では分かる。
 最近ずっと俺の傍に居たターニャが危ねェ。今まで魔塔にいなかったはずのあいつが知る由はないとは思うが、案内役の魔術師から聞いたかもしれねェ。

 そしてターニャの研究室に向かう途中、喚ばれた。
 ターニャが俺の名を。弱々しい、今にも消え入りそうな声で。

 ターニャが持っている魔導具は、俺がハロルドに渡したやつだ。
 ハロルドに渡したブレスレット型の収納魔導具の中には、フルミネーラに渡したロケットペンダントがある。
 あれには俺に会いたいと強く願い、俺の名を呼べば俺を一度だけ召喚できる魔法をかけてある。

 視界が一瞬で変わる。
 乾燥しきった空気の中、変わり果てた姿のターニャの首を締めている水の祭司官が目の前にいた。
 驚きで目を見開く水の祭司官。

 ふざけんな。
 ふざけんじゃねェ。

 俺の大事なモンに手出しするとは、いい度胸だ。

 触りたくもないが、ターニャの首にかけている水の祭司官の手首を躊躇なく握る。
 神の膂力は人はおろか竜人すら及ばない。当然、あっけなくボキリと音を立てて水の祭司官の手首が折れた。

「ぎゃああああああ!!」

 汚ねェ悲鳴を上げて、手が離れる。
 ふらりと倒れ込むターニャを支えた。
 体中の水分が失われ、もはや瀕死の状態だ。

 怒りがぶわりとこみ上げる。
 俺のターニャをこんな風にした奴を生かしておく必要はない。

 バチバチと周囲に電気が走る。
 ネレイディアや親父に何を言われたって構うもんか。


「―― 貴様、楽に死ねると思うなよ」


 恐怖に歪んだ表情を浮かべた水の祭司官の悲鳴は、掻き消えた。

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