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悪役令嬢エリザベス
04. 応接間にて
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数日後。
朝食中に、王家からの登城要請の手紙が届いた。おそらく先日のあの記録の件だろうとエリザベスはぼんやり思う。
侍女のミミィに授業を休む旨を伝えるように指示し、登城の準備を進める。要請の手紙には「制服で構わない」と注意書きがあったのでそのとおりにする。
手配した馬車に乗って、エリザベスは王城へと向かう。
通り過ぎる景色を眺めながら、エリザベスはあとこれを何度見ることができるのだろう、とぼんやり考えた。
謁見の間ではなく、応接間に通されてエリザベスはふぅと息を吐いてソファに身を預けた。国王と王妃には、王子妃教育の過程で会う機会が多いものの、いつだって緊張する。
国王と王妃が応接間に来るときは先触れが必ずある。それまでゆっくりしていよう、とエリザベスが王宮のメイドから出された紅茶に口をつけていると、がちゃりとドアが開いた。
「ベス!」
エリザベスの愛称を叫びながら飛び込んできたのはエリザベスの父であり、この国の外交長官を務めるクリストフ・レン・フェーマス公爵だった。立ち上がって迎える前にエリザベスはぎゅうとクリストフに抱きしめられる。
「お、お父様?!」
「すまない…すまない、ベス。要らぬ苦労をかけて…!」
どうやら、すでにあの魔道具の記録を見てきたらしい。驚いたものの、エリザベスは恐る恐る父の背中へと手を回す。
クリストフは当初、イーリスとの婚約に難色を示していた。
国内の勢力情勢からみてもイーリスとの婚約は妥当であったし、イーリスも第二王子としての立場からすると外交面を担当することになる。事実、今も学園に通いながら少しずつ外交関連の公務を取り入れている段階だった。
だが、クリストフの目から見たイーリスは、やや危うげなものだったそうだ。
「婚約者候補のときにベスとイーリス殿下のお茶会を何度か見かけたことがあるが、イーリス殿下から会話の歩み寄りがない時点でこの婚約は難しいと思っていたのだ。婚約者になろうとしている女性に対する対応ではない。いくらベスがイーリス殿下を慕っていたからと言って…もう少し、様子を見るべきであった」
エリザベスの隣に腰を下ろしたクリストフは肩を落としながらため息をつく。
そんなクリストフに、エリザベスは首を横に振った。
「いいえ、お父様。わたくしの視野が狭かったのです。あの御方の役に立ちたいと思うばかりで…」
「自分を責めるんじゃない。貴族は感情を制御し、周囲をよく見てそれに相応しく振る舞うのが当たり前だが、それ以前に我々も人間だ。感情を完全に制御することなど、できんよ。ライズバーグ辺境伯のご息女であれば容易かもしれんがな」
「ライズバーグ様の…」
そういえば、とエリザベスは記憶を辿る。
王宮で舞踏会は年に数回開かれるが、その折に噂を聞いたのと、学園のクラスでその姿を見かけたことがあった。
イェーレ・シャナトリス・ライズバーグ辺境伯令嬢。蔑称、人形令嬢。
蔑称、とはエリザベスの認識だ。お茶会や夜会、サロンなどで語られる噂話などに彼女の話は度々出てくる。
曰く、愛想がない。感情が欠落している。せめて人形のように美しければ良いものを。
彼女の容姿はたしかに良いとは言えない。藍色の髪に一重の細く黒い瞳。分厚いレンズの入った野暮ったい眼鏡をかけており、両頬に雀斑もある。
そして何より彼女が「人形令嬢」と蔑まれる原因としてその無表情さがあるだろう。愛想笑いひとつしない彼女は貴族社会の中では異様な存在だ。
エリザベスでさえも、どんな相手であれ笑顔たれと教育されている。けれど彼女はその真逆で無表情でやり取りも淡々としている。
エリザベスと彼女はクラスメイトではあるが、接点がほとんどない。また、彼女は社交界に出ることはあまりなく、実際に会って話したことがある貴族も少ないだろう。
だから、エリザベスとしては「感情を完全に制御している」だろうとイェーレの名を上げたクリストフに少しばかり軽蔑した。先ほどの言いようではクリストフも実際には会ったことがない様子だったからだ。
(もしかしたら、彼女だって…)
そう考えていたときだった。
ドアがノックされ「両陛下、ご入室です」と廊下に控えていた兵の言葉にクリストフとエリザベスは立ち上がった。
応接間のドアが開かれると同時に、クリストフとエリザベスは頭を下げる。
「よい、面を上げよ」
穏やかな男性の声に、顔をあげる。
入室してきたのは金髪に藍色の瞳を持つ初老の男性と、茶髪にエメラルドの瞳を持つ美しい女性だった。プレヴェド国王とその王妃である。
(相変わらず、王妃陛下はお年が分からないわ…)
王子ふたり、王女ひとりを産んだ女性とは思えない美しさだ、とエリザベスは内心感嘆のため息をついた。
国王と王妃はクリストフとエリザベスの向かいにあるソファに腰掛け、座りなさいと促す。それに従い、クリストフとエリザベスもソファに腰掛けた。国王と王妃の背後には護衛騎士が慣例通りに佇んでいる。
「…まずは、我が息子イーリスの件について詫びねばならんな。よもや、あのような振る舞いをエリザベス嬢にしていたとは…申し訳ない」
「へ、陛下?!頭を上げてください!!」
ふたりに向かって頭を下げた国王と王妃にクリストフは悲鳴じみた声をあげ、エリザベスは驚きで目を丸くした。言葉で謝罪をすることはあっても実際に頭を下げることは、為政者として弱みをさらけ出しているも同然だった。
国王と王妃は頭を上げるとゆるりと首を横に振った。
「いまは一個人の親として謝罪しているのだ。イーリスの記録も見たが、あれは酷い」
「ええ…フェーマス卿もそう思うでしょう?素直に言ってちょうだい、不敬だなんだはこの部屋では問わないから」
エリザベスはイーリスの記録を見ていないが、クリストフはエリザベスの記録と一緒に見たらしい。クリストフの方を見やると、彼はあからさまに眉間に皺を寄せた。
「即刻、婚約破棄…いえ、白紙にしていただきたいぐらいには」
「そ、そんなに第二王子殿下は酷かったのですか?」
エリザベスの問いに、クリストフはやや目を見張り、それから深いため息をついた。
「…見せたくはないぐらいには。掻い摘んで言えば、ダンフォール嬢を持ち上げ、ベスを貶すばかりで聞くに耐えん」
「それでも聞いていれば、エリザベス嬢を側妃にしてダンフォール嬢を正妃として迎えたいなどと…本当にあれはイーリスなのかしら」
はあ、と王妃もため息をついた。人前で王妃がため息をつくほどに、イーリスの態度は酷かったのだろう。
あのレオナルドすらイーリスとやり取りしている間は無表情になったらしい、と国王が呟く。どんなことがあっても穏やかな対応をするレオナルドが。
室内に沈黙が落ちる。
すると、静かな応接間に響いたノック音に室内の視線がすべてドアに向けられた。
「王太子殿下のご入室です」
噂をすればなんとやら、である。
「遅くなりました、陛下」
「いや…イーリスはどうした」
国王の問いを聞いた途端に、レオナルドの端整な顔が歪んだ。これもまた初めて見る表情だな、とエリザベスは内心驚いている中、備え付けられていたひとり用ソファにどっかりと腰を下ろしたレオナルドはため息をついた。
「ダンフォール嬢と、城下へお忍びだとか」
「なに?昨日の夕食時にフェーマス卿らと約束があると説明しておったのを聞いていなかったのかあやつは」
「生返事でしたからね。聞いても頭は覚えていなかったようですよあの愚弟は」
国王が頭を抱え、王妃は落胆の表情を浮かべる。
それから、とレオナルドは手にしていた書類を国王に向けて差し出した。国王は書類を受け取り、レオナルドはソファの背もたれに寄りかかり天井を見上げた。
ぐったりとしているようにも見える王太子らしからぬ態度にクリストフとエリザベスが困惑をしていると、ぐしゃり、と紙を握りしめた音が室内に響いた。
「…なんだ、これは」
「そこに書いてあるとおりですよ」
「あれは、今まで一体何を学んでいたのだ…っ」
「さあ?最近はダンフォール嬢との逢瀬に忙しいですからね。授業を受けて課題もこなしてはいるようですが」
感情を抑えた低い国王の問いに、レオナルドはそのままの体勢で呆れた声で回答する。
国王の手から書類を抜き取った王妃が書面に目を通す、途端に彼女の表情が無になった。
一体何の書類なのかはクリストフとエリザベスには分からないし、知ろうとも思わない。
イーリスに関する不祥事なのだと推測できるが、国王らから説明されない限りは黙するだけだ。
国王はしばし目と口を閉ざして考え込んだあと、ゆっくりと口を開いた。
「我が伴侶よ」
「はい」
「儂はこちらに責があるとしてエリザベス嬢とイーリスの婚約を破棄としたいが、どう思う」
「異論はございませんわ。私情を述べさせていただくならば、エリザベス嬢がわたくしたちの娘になるのをとても楽しみにしていたので残念に思いますが」
「…それは同意見だ」
国王の目がクリストフとエリザベスに向けられ、ふたりは自然と背筋が伸びた。レオナルドもいつの間にか姿勢を正している。
国王の右手が上がった。
「第二王子イーリスがエリザベス嬢に対して不誠実な対応をし、かつ王家にとって恥となるべき行為を行った。これは、フェーマス公爵令嬢エリザベスの夫として第二王子イーリスはもはや相応しくないと判断する。よって、本日、このときをもって第二王子イーリス・フェリクス・プレヴェドとエリザベス・アメリア・フェーマス嬢との婚約を破棄する。慰謝料や婚約破棄に関する書類と国内への通達は追って知らせよう」
国王が非公式の場面で右手を上げて発言した場合、それは公式な発言として護衛騎士が記録する。エリザベスが護衛騎士を見やると、彼は懐からサッと用紙を取り出して国王の発言を書き記していた。
ーー これで、あの御方との縁を切ることができた
ほ、とエリザベスは安堵の息を吐く。当面の間は夜会などの話題の中心になるかもしれないが、その点は甘んじて受けようと思っている。
「…発言よろしいでしょうか、陛下」
国王が右手を下ろしたのを見て、レオナルドが声をあげる。国王が頷くと、レオナルドは王妃から受け取った先ほどの書類をひらりと揺らした。
「婚約破棄に関する通達は、待っていただきたい。これだけでは証拠不十分なため、しばらく泳がせたいのです。イーリスは障害のある恋とやらに溺れているようですから、下手に婚約を破棄したことを知らせると、我に返ってこれに気づいて隠蔽されかねない」
「…ふむ」
「フェーマス卿とエリザベス嬢には申し訳ないが、婚約破棄については噂として社交界に流しつつ、当面の間表向きは婚約者のままとしていただきたい。もちろん、書類上は婚約破棄となっているから婚約者として振る舞わなくていい。その方が噂に真実味をもたせることができるだろう。もちろん、私個人としてもエリザベス嬢への悪意ある者から守り抜こうと誓う」
頼む、とレオナルドに頭を下げられてエリザベスはひぇ、と悲鳴を上げそうになった。王族から2回も頭を下げられた挙げ句、守ると誓われたのだ。もう経験したくない体験である。
ちらとクリストフを見やれば、彼もまた顔を青くしていた。長年、王家に仕えているクリストフではあるがこういった経験はないのだろう。いや、ある方が問題である。
エリザベスがクリストフを見ていると、目が合った。クリストフが何を言わんとしているのか、エリザベスは察する。もともと、エリザベスもそのつもりだったので、クリストフに向かって頷くとレオナルドに向き直った。
「殿下、わたくしのことはどうぞお好きにお使いください。もう今後婚約者としてもう振る舞わなくても良いのであれば、それで十分です」
「…ありがとう」
頭を上げたレオナルドは、安堵の表情を浮かべた。
きっと、ここでエリザベスが了承しなくても命令を下せばエリザベスは従う。それでもエリザベスに頭を下げてくれたのは、レオナルドがエリザベスの気持ちを慮ってくれたからだ。
「せっかく順調に進んでいた王子妃教育ですが、こちらも中止としましょう」
「…もったいないわ、本当に。とてもよく学んでくれて、お話するのもとても楽しみにしていたのに」
思いがけない王妃の言葉にエリザベスは口元がにやけそうになったのを堪える。エリザベスも、教育を受ける時間も、その後にある王妃とのお茶会の時間はとても楽しみにしていたから、王妃もそう思ってくれているのにとても嬉しかった。
「ええ、もったいないです。ですので、私から提案なのですが」
レオナルドの顔がエリザベスに向けられ、エリザベスは思わず再びぴしりと背筋を伸ばした。
「エリザベス嬢。君、エルと婚約しないかい?」
「……はい?」
淑女らしからぬ、素っ頓狂な声が思わず出てしまった。
朝食中に、王家からの登城要請の手紙が届いた。おそらく先日のあの記録の件だろうとエリザベスはぼんやり思う。
侍女のミミィに授業を休む旨を伝えるように指示し、登城の準備を進める。要請の手紙には「制服で構わない」と注意書きがあったのでそのとおりにする。
手配した馬車に乗って、エリザベスは王城へと向かう。
通り過ぎる景色を眺めながら、エリザベスはあとこれを何度見ることができるのだろう、とぼんやり考えた。
謁見の間ではなく、応接間に通されてエリザベスはふぅと息を吐いてソファに身を預けた。国王と王妃には、王子妃教育の過程で会う機会が多いものの、いつだって緊張する。
国王と王妃が応接間に来るときは先触れが必ずある。それまでゆっくりしていよう、とエリザベスが王宮のメイドから出された紅茶に口をつけていると、がちゃりとドアが開いた。
「ベス!」
エリザベスの愛称を叫びながら飛び込んできたのはエリザベスの父であり、この国の外交長官を務めるクリストフ・レン・フェーマス公爵だった。立ち上がって迎える前にエリザベスはぎゅうとクリストフに抱きしめられる。
「お、お父様?!」
「すまない…すまない、ベス。要らぬ苦労をかけて…!」
どうやら、すでにあの魔道具の記録を見てきたらしい。驚いたものの、エリザベスは恐る恐る父の背中へと手を回す。
クリストフは当初、イーリスとの婚約に難色を示していた。
国内の勢力情勢からみてもイーリスとの婚約は妥当であったし、イーリスも第二王子としての立場からすると外交面を担当することになる。事実、今も学園に通いながら少しずつ外交関連の公務を取り入れている段階だった。
だが、クリストフの目から見たイーリスは、やや危うげなものだったそうだ。
「婚約者候補のときにベスとイーリス殿下のお茶会を何度か見かけたことがあるが、イーリス殿下から会話の歩み寄りがない時点でこの婚約は難しいと思っていたのだ。婚約者になろうとしている女性に対する対応ではない。いくらベスがイーリス殿下を慕っていたからと言って…もう少し、様子を見るべきであった」
エリザベスの隣に腰を下ろしたクリストフは肩を落としながらため息をつく。
そんなクリストフに、エリザベスは首を横に振った。
「いいえ、お父様。わたくしの視野が狭かったのです。あの御方の役に立ちたいと思うばかりで…」
「自分を責めるんじゃない。貴族は感情を制御し、周囲をよく見てそれに相応しく振る舞うのが当たり前だが、それ以前に我々も人間だ。感情を完全に制御することなど、できんよ。ライズバーグ辺境伯のご息女であれば容易かもしれんがな」
「ライズバーグ様の…」
そういえば、とエリザベスは記憶を辿る。
王宮で舞踏会は年に数回開かれるが、その折に噂を聞いたのと、学園のクラスでその姿を見かけたことがあった。
イェーレ・シャナトリス・ライズバーグ辺境伯令嬢。蔑称、人形令嬢。
蔑称、とはエリザベスの認識だ。お茶会や夜会、サロンなどで語られる噂話などに彼女の話は度々出てくる。
曰く、愛想がない。感情が欠落している。せめて人形のように美しければ良いものを。
彼女の容姿はたしかに良いとは言えない。藍色の髪に一重の細く黒い瞳。分厚いレンズの入った野暮ったい眼鏡をかけており、両頬に雀斑もある。
そして何より彼女が「人形令嬢」と蔑まれる原因としてその無表情さがあるだろう。愛想笑いひとつしない彼女は貴族社会の中では異様な存在だ。
エリザベスでさえも、どんな相手であれ笑顔たれと教育されている。けれど彼女はその真逆で無表情でやり取りも淡々としている。
エリザベスと彼女はクラスメイトではあるが、接点がほとんどない。また、彼女は社交界に出ることはあまりなく、実際に会って話したことがある貴族も少ないだろう。
だから、エリザベスとしては「感情を完全に制御している」だろうとイェーレの名を上げたクリストフに少しばかり軽蔑した。先ほどの言いようではクリストフも実際には会ったことがない様子だったからだ。
(もしかしたら、彼女だって…)
そう考えていたときだった。
ドアがノックされ「両陛下、ご入室です」と廊下に控えていた兵の言葉にクリストフとエリザベスは立ち上がった。
応接間のドアが開かれると同時に、クリストフとエリザベスは頭を下げる。
「よい、面を上げよ」
穏やかな男性の声に、顔をあげる。
入室してきたのは金髪に藍色の瞳を持つ初老の男性と、茶髪にエメラルドの瞳を持つ美しい女性だった。プレヴェド国王とその王妃である。
(相変わらず、王妃陛下はお年が分からないわ…)
王子ふたり、王女ひとりを産んだ女性とは思えない美しさだ、とエリザベスは内心感嘆のため息をついた。
国王と王妃はクリストフとエリザベスの向かいにあるソファに腰掛け、座りなさいと促す。それに従い、クリストフとエリザベスもソファに腰掛けた。国王と王妃の背後には護衛騎士が慣例通りに佇んでいる。
「…まずは、我が息子イーリスの件について詫びねばならんな。よもや、あのような振る舞いをエリザベス嬢にしていたとは…申し訳ない」
「へ、陛下?!頭を上げてください!!」
ふたりに向かって頭を下げた国王と王妃にクリストフは悲鳴じみた声をあげ、エリザベスは驚きで目を丸くした。言葉で謝罪をすることはあっても実際に頭を下げることは、為政者として弱みをさらけ出しているも同然だった。
国王と王妃は頭を上げるとゆるりと首を横に振った。
「いまは一個人の親として謝罪しているのだ。イーリスの記録も見たが、あれは酷い」
「ええ…フェーマス卿もそう思うでしょう?素直に言ってちょうだい、不敬だなんだはこの部屋では問わないから」
エリザベスはイーリスの記録を見ていないが、クリストフはエリザベスの記録と一緒に見たらしい。クリストフの方を見やると、彼はあからさまに眉間に皺を寄せた。
「即刻、婚約破棄…いえ、白紙にしていただきたいぐらいには」
「そ、そんなに第二王子殿下は酷かったのですか?」
エリザベスの問いに、クリストフはやや目を見張り、それから深いため息をついた。
「…見せたくはないぐらいには。掻い摘んで言えば、ダンフォール嬢を持ち上げ、ベスを貶すばかりで聞くに耐えん」
「それでも聞いていれば、エリザベス嬢を側妃にしてダンフォール嬢を正妃として迎えたいなどと…本当にあれはイーリスなのかしら」
はあ、と王妃もため息をついた。人前で王妃がため息をつくほどに、イーリスの態度は酷かったのだろう。
あのレオナルドすらイーリスとやり取りしている間は無表情になったらしい、と国王が呟く。どんなことがあっても穏やかな対応をするレオナルドが。
室内に沈黙が落ちる。
すると、静かな応接間に響いたノック音に室内の視線がすべてドアに向けられた。
「王太子殿下のご入室です」
噂をすればなんとやら、である。
「遅くなりました、陛下」
「いや…イーリスはどうした」
国王の問いを聞いた途端に、レオナルドの端整な顔が歪んだ。これもまた初めて見る表情だな、とエリザベスは内心驚いている中、備え付けられていたひとり用ソファにどっかりと腰を下ろしたレオナルドはため息をついた。
「ダンフォール嬢と、城下へお忍びだとか」
「なに?昨日の夕食時にフェーマス卿らと約束があると説明しておったのを聞いていなかったのかあやつは」
「生返事でしたからね。聞いても頭は覚えていなかったようですよあの愚弟は」
国王が頭を抱え、王妃は落胆の表情を浮かべる。
それから、とレオナルドは手にしていた書類を国王に向けて差し出した。国王は書類を受け取り、レオナルドはソファの背もたれに寄りかかり天井を見上げた。
ぐったりとしているようにも見える王太子らしからぬ態度にクリストフとエリザベスが困惑をしていると、ぐしゃり、と紙を握りしめた音が室内に響いた。
「…なんだ、これは」
「そこに書いてあるとおりですよ」
「あれは、今まで一体何を学んでいたのだ…っ」
「さあ?最近はダンフォール嬢との逢瀬に忙しいですからね。授業を受けて課題もこなしてはいるようですが」
感情を抑えた低い国王の問いに、レオナルドはそのままの体勢で呆れた声で回答する。
国王の手から書類を抜き取った王妃が書面に目を通す、途端に彼女の表情が無になった。
一体何の書類なのかはクリストフとエリザベスには分からないし、知ろうとも思わない。
イーリスに関する不祥事なのだと推測できるが、国王らから説明されない限りは黙するだけだ。
国王はしばし目と口を閉ざして考え込んだあと、ゆっくりと口を開いた。
「我が伴侶よ」
「はい」
「儂はこちらに責があるとしてエリザベス嬢とイーリスの婚約を破棄としたいが、どう思う」
「異論はございませんわ。私情を述べさせていただくならば、エリザベス嬢がわたくしたちの娘になるのをとても楽しみにしていたので残念に思いますが」
「…それは同意見だ」
国王の目がクリストフとエリザベスに向けられ、ふたりは自然と背筋が伸びた。レオナルドもいつの間にか姿勢を正している。
国王の右手が上がった。
「第二王子イーリスがエリザベス嬢に対して不誠実な対応をし、かつ王家にとって恥となるべき行為を行った。これは、フェーマス公爵令嬢エリザベスの夫として第二王子イーリスはもはや相応しくないと判断する。よって、本日、このときをもって第二王子イーリス・フェリクス・プレヴェドとエリザベス・アメリア・フェーマス嬢との婚約を破棄する。慰謝料や婚約破棄に関する書類と国内への通達は追って知らせよう」
国王が非公式の場面で右手を上げて発言した場合、それは公式な発言として護衛騎士が記録する。エリザベスが護衛騎士を見やると、彼は懐からサッと用紙を取り出して国王の発言を書き記していた。
ーー これで、あの御方との縁を切ることができた
ほ、とエリザベスは安堵の息を吐く。当面の間は夜会などの話題の中心になるかもしれないが、その点は甘んじて受けようと思っている。
「…発言よろしいでしょうか、陛下」
国王が右手を下ろしたのを見て、レオナルドが声をあげる。国王が頷くと、レオナルドは王妃から受け取った先ほどの書類をひらりと揺らした。
「婚約破棄に関する通達は、待っていただきたい。これだけでは証拠不十分なため、しばらく泳がせたいのです。イーリスは障害のある恋とやらに溺れているようですから、下手に婚約を破棄したことを知らせると、我に返ってこれに気づいて隠蔽されかねない」
「…ふむ」
「フェーマス卿とエリザベス嬢には申し訳ないが、婚約破棄については噂として社交界に流しつつ、当面の間表向きは婚約者のままとしていただきたい。もちろん、書類上は婚約破棄となっているから婚約者として振る舞わなくていい。その方が噂に真実味をもたせることができるだろう。もちろん、私個人としてもエリザベス嬢への悪意ある者から守り抜こうと誓う」
頼む、とレオナルドに頭を下げられてエリザベスはひぇ、と悲鳴を上げそうになった。王族から2回も頭を下げられた挙げ句、守ると誓われたのだ。もう経験したくない体験である。
ちらとクリストフを見やれば、彼もまた顔を青くしていた。長年、王家に仕えているクリストフではあるがこういった経験はないのだろう。いや、ある方が問題である。
エリザベスがクリストフを見ていると、目が合った。クリストフが何を言わんとしているのか、エリザベスは察する。もともと、エリザベスもそのつもりだったので、クリストフに向かって頷くとレオナルドに向き直った。
「殿下、わたくしのことはどうぞお好きにお使いください。もう今後婚約者としてもう振る舞わなくても良いのであれば、それで十分です」
「…ありがとう」
頭を上げたレオナルドは、安堵の表情を浮かべた。
きっと、ここでエリザベスが了承しなくても命令を下せばエリザベスは従う。それでもエリザベスに頭を下げてくれたのは、レオナルドがエリザベスの気持ちを慮ってくれたからだ。
「せっかく順調に進んでいた王子妃教育ですが、こちらも中止としましょう」
「…もったいないわ、本当に。とてもよく学んでくれて、お話するのもとても楽しみにしていたのに」
思いがけない王妃の言葉にエリザベスは口元がにやけそうになったのを堪える。エリザベスも、教育を受ける時間も、その後にある王妃とのお茶会の時間はとても楽しみにしていたから、王妃もそう思ってくれているのにとても嬉しかった。
「ええ、もったいないです。ですので、私から提案なのですが」
レオナルドの顔がエリザベスに向けられ、エリザベスは思わず再びぴしりと背筋を伸ばした。
「エリザベス嬢。君、エルと婚約しないかい?」
「……はい?」
淑女らしからぬ、素っ頓狂な声が思わず出てしまった。
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