【完結】彼女が幸せを掴むまで〜モブ令嬢は悪役令嬢を応援しています〜

かわもり かぐら(旧:かぐら)

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悪役令嬢エリザベス

05. エルとエレンの正体

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 怒涛の午前中を切り抜けて、エリザベスは疲れた様子でいつもの中庭に足を向けていた。本当はもうこのまま帰りたかったが、そういう訳にもいかない。事情を聞きたい相手がいるのである。
 あの後はもう大変だった、主にクリストフが。エルとは誰だ、どこぞの馬の骨なんぞにベスはやらんぞと国王たちの前で取り乱したのだからそれを抑えるのに苦労したのだ。
 レオナルドがいつになく爽やかな笑顔を浮かべてクリストフを手招き、彼に何やら耳打ちしたところでクリストフは顔を真っ青にして倒れるという事態に陥るし、本当に疲れた、とエリザベスはため息をつく。クリストフは王城の方で目を覚ますまで看てくれるとのことだったので、その言葉に甘えてエリザベスは早めの昼食を頂いてから学園に向かったのだった。

 いつものガゼボに近づくと、人影があることに気づく。メンバーはエルとイェソンのようだ。
 エルは魔法を使って人の気配が分かるようにしていると言っていたから、エリザベスが来たのが分かったのだろう。エリザベスからエルたちの姿が見えた頃にはもうエリザベスに向かってひらひらと手を振っていた。


「おかえり、エリザベス」
「…はい、ただいま戻りました」


 座って座って、とエルにエスコートされ、エリザベスはベンチに腰を下ろす。
 ふ、と顔を上げると、正面に先程見えなかったひとりの女子生徒が座っていた。

 藍色の長い髪をゆるく三編みにしており、両頬に雀斑、分厚いレンズの眼鏡をかけている。
 レンズの奥にある黒い瞳と目が合うと、彼女は静かに立ち上がって綺麗なカーテシーを見せた。


「…個人的にお話するのは初めてかと存じます、フェーマス嬢。イェーレ・ライズバーグと申します」


 確かに、個人的に話すのは初めてだった。
 だがエリザベスは聞き間違えるはずもない、親しい声に苦笑いを浮かべる。


「…エリザベス・フェーマスよ。初めてだなんてひどいわ、エレン・・・
「…お気づきだったんですね」
「いいえ。今気づいたわ。姿を見せられない事情って、そういうことだったのね」


 はい、と頷いたエレン――イェーレの表情は無に等しい。けれど、少しばかり目を伏せたその様子は居心地が悪そうに見えた。


「…申し訳ありません。すっかり、精霊と信じられていたので…どう打ち明けようかと、悩んでおりました」
「気にしないで。だって、あなたはわたくしの愚痴や悩みに共感してくれて解決策も探してくれたわ。その時間は幻なんかじゃないのだから、あなたはわたくしの友人のエレンよ」
「…エリザベス、と今までどおりにお呼びしても、よろしいのでしょうか」


 ああ、誰だ。イェーレは感情が欠落していると言ったのは。
 こんなにも不安げに瞳を揺らし、声を震わせる少女に感情がないなんて。ああ言った人間はきっと目が節穴だったのだ。


「もちろんよ。わたくしもイェーレと呼んでも?」


 エリザベスが笑ってそう答えれば、イェーレは瞳を細めて。わずかに口角をあげて微笑みながら頷いた。


「…ところで、エル」
「うん、どうしたのエリザベス」


 きょとんとルビーの瞳を瞬かせるエルの表情が可愛く見えて、エリザベスはぐ、と言葉に一瞬詰まった。最近はこんなことが多い、と思いつつエリザベスは気を取り直し、エルの瞳をまっすぐ見つめた。


「王太子殿下から、あなたとの婚約を打診されたのだけれども」
「うん」
「わたくし、あなたのこと精霊と勘違いしていたぐらいにあなたのことを知らないわ。あなたは誰・・・・・?」


 エルは少し驚いたように目を見開くと、ライズバーグ兄妹へと視線を向けた。彼らは同時に肩をすくめたので、事情を知らない様子だ。


「…そっか。レオ、君に何も話してないまま打診したんだね」
「エルとは誰だと王太子殿下に父が詰め寄った際に、耳元で情報を伝えられたの思います。その場で卒倒しました」
「ええ…何してんだよ、レオのやつ。挨拶しに行きにくくなったじゃないか…まあ、そうだよねエリザベス。エレン…イェーレもちゃんと自己紹介したんだ、僕も改めて自己紹介しよう」


 座っていたエルは立ち上がり、座ったままのエリザベスの前に跪く。それから、そっとエリザベスの右手を恭しく持ち上げ、右手は自身の胸に添えてまっすぐとエリザベスを見上げた。


「僕…私の名はイェルク。イェルク・ヴェラリオン。ヴェラリオン皇国の第一皇子の位置づけにいる。今までエルと名乗っていたこと、どうか許してほしい」


 ヴェラリオン、という単語を聞いて、エリザベスの思考が停止した。

 世界には4つの大陸があり、この大陸にはプレヴェド王国を含めて全部で4つの国がある。
 それぞれの国は治めている種族が異なっており、ここプレヴェド王国は人族、隣国サーランドは獣人族、北限の国レリスタでは竜族が王を務めている。
 そして、南に位置するヴェラリオン皇国は精霊を始祖に持つ精霊族が王を務めている。この大陸のどの国よりも歴史は古く、そしてこの大陸のどの国よりも精霊魔法を使うことに長けており、海を超えた大陸との大陸間の交渉を行う代表国。この大陸の宗主国といってもいい。

 エリザベスが気軽に話したり相談していた相手が、単なる精霊ではなく精霊族の皇族。しかも、相手から婚約を申し込まれているときた。

 父親同様、段々と顔が青ざめていくエリザベスだったが不意にエル――イェルクが悲しそうに眉尻を下げた。
 その様子がまるで犬が耳と尻尾をしょんぼりとさせているように見えて、可愛いと思ってしまったエリザベスは口の中をこっそり噛んで、表情が出ないようにする。


「やっぱり、怒ってる…?」
「…先ほど、イェーレからも言われましたけれども。わたくしが先におふたりを精霊と勘違いしたんです。だからわたくしが怒るべきではありませんし、何よりわたくしの方が謝罪しなければならないというか…」
「いや、僕もまあ精霊っちゃ精霊かな…みたいな感じで肯定しちゃったから、エリザベスのせいでもないよ。それに、いまの僕を高位魔術師に鑑定されたらたぶん高確率で精霊扱いされるからあながち間違ってもいないというか…」


 イェルク曰く。いま、この場にいるイェルクは分身のようなもので、本国にはきちんと本物のイェルクがいる。実質、同じ時間にイェルクがふたり存在していて、それぞれ動くことができるというのだ。
 ただ、分身は実体を留め置くには魔力と精霊の補助が必要なため、高位魔術師から見ると精霊とほぼ同じように見えるらしい。
 分身で得た記憶や感情、知識は本体に戻った際に共有される。


「まあ、分身である僕もイェルクだから、僕が抱いた感情は本体も同じ状況であれば同じ感情を持つんだ。だから、エリザベス。これだけは勘違いしないでほしい」
「はい」
「僕は、政略で君に婚約を申し込んだんじゃない。レオから言われたから婚約を申し込んだんじゃない」


 エリザベスの手の甲にキスを落とし、イェルクはエリザベスを見上げる。
 ルビーの瞳がまっすぐエリザベスを見つめていた。


「正式なプロポーズは本体が来てからにしよう。僕はイェルクに変わりないけど、自分に嫉妬しちゃうからね」


 なんせ、僕は随分前から君に惚れているのだから。


 イェルクの告白がエリザベスの耳に入り、頭でその言葉を理解するまでに一拍、時間がかかった。それから急速にエリザベスは顔が熱くなるのを感じた。

 思えば、誰かに愛を囁かれたことはなかったのだ。
 イーリスもエリザベスのことを愛しいと言っていたことがあるが、それは本心ではないことは分かっていたし、何よりイェルクは瞳が雄弁に物語っている。こんな、熱い眼差しで見られたことなど一度もなかったのだ。
 心臓が早鐘のように打ち、エリザベスは令嬢としての体裁を保てないほどに顔を真っ赤にしてうろたえた。けれどイェルクのその眼差しは嫌ではなかった。そのルビーの瞳が自分に向けられているのが、どことなく心地よくて。

 これは、この感情はなんなのだろうか。


「…エル、そろそろ」


 静観していたイェソンがそう告げると同時に、昼休み終了の予鈴が鳴った。
 名残惜しそうにイェルクはエリザベスから手を離し、立ち上がってイェーレに振り返る。

「エレン、エリザベスを頼むよ」
「わたくしを誰だと思って?」
「はは、それもそうだ。イェソン、レオに僕が文句言ってたって伝えといて」
「殿下からの伝言。自分の話ぐらい自分でしろ、だと」
「ぐ…あの野郎ほんとに…」


 はあ、とひとつため息をついたイェルクだったが、エリザベスに向き直るとにこりと笑みを浮かべた。


「近々、僕も正式にこちらに留学する。それまでの間はいつも通りここで会おう」
「…はい」
「またね、エリザベス」


 ひらり、とイェルクが手を振った次の瞬間、彼の姿は瞬きの間に消えてしまった。
 ぼぅ、とその姿を見送ったエリザベスだったが、イェーレに声をかけられてハッと我に返る。いつの間にか、手がイェルクがいた方に伸びていたのだ。

 思わず、自分自身の手を見つめているとイェーレが再び声をかけた。


「最初は戸惑うものです」
「…イェーレ?」
「私も戸惑いました。拒絶しました。でも、最近はちょっとは認めようかな、と思っています」


 さあ、教室に戻りましょう。そう言ってイェーレはエリザベスの手を取って歩き始める。
 導かれるまま、エリザベスはイェソンとイェーレと共に中庭のガゼボを後にした。


「そういえば、エレンという名前は…」
「それは愛称ですね。エレ、だとちょっと言いにくいのでエレン。イェルクはエル、です」
「俺にはないのが悲しいなぁ」
「兄様は愛称つけにくい名前ですから仕方ないですね」
「お前は少し言葉を選べ」


 教室に向かいがてら交わされる兄妹のやり取りに、エリザベスはクスクスと笑った。
 わたくしの愛称はベスなのですよ、と付け足せば、イェソンはやっぱり愛称があるのはいいなぁ、とぼやいたのだった。
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