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モブ令嬢イェーレ

10. エスコートするのは私だ

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 今夜、舞踏会がある。ヴェラリオン皇国からの留学生であるイェルク第一皇子を歓迎するためのものだ。うん、エルだね。毎日のように分体で会ってるから、久々という実感がない。


「…お嬢様、よろしいのですか?」
「うん。仕事だし」


 侍女のデイジーが困ったような表情で騎士の礼装であるダークブルーの詰襟上衣を準備していた。部屋の中には、トルソーに飾られたドレスがある。
 Aラインで、シャンパンゴールドの色合いだが金の糸で縫われた裾の刺繍が素晴らしい。一見目立たないが、光の反射とかでさり気なく見える類のものだ。胸元には宝飾品になれなかったとされる極小サイズの宝石がいくつか散りばめられている。しかもその宝石はすべてペリドットときた。
 どう考えても配色が殿下です。ありがとうございましたって着れるか!!

 舞踏会当日は私がエリザベスを護衛する仕事があるって知ってるくせに。ご丁寧にダンスの誘いやら「愛してる」だの綴られた手紙ごと送り返そうとしたものの「しかし、お嬢様を想って贈られたドレスを返すのもどうでしょうか…」というデイジーの言葉があって、苦肉の策で部屋に飾っている。ダンスは丁重に断った。手紙で。
 …まあ、このドレスはいつか殿下の隣で立てる時がきたら着てやってもいい。

 今日はエリザベスの護衛も兼ねている。招待客であるから参加の際はドレスでも問題ないけど、万が一ということもあるし、何よりこの格好の方が色々と行動しやすい。
 上衣に袖を通し、手早くボタンを留めた。デイジーがさっと乱れていた部分を直し、鏡の前には髪の長いポニーテール姿の私がいる。…私は父様似のはずなんだけど、こうして男装すると兄様に似ているんだよなぁ。やっぱりふたりの子なんだろう。


「首尾は?」
「問題ありません」
「よろしい。じゃあ行ってくる。遅くなる可能性があるから、先に休んでても問題ないよ」
「承知いたしました。いってらっしゃいませ」


 眼鏡をかけて、部屋を出る。
 廊下で出くわした上級生のご令嬢が混乱したような表情を浮かべていたが、気にせずエリザベスの部屋へと向かった。まあ、ここ女子寮だしね。武術学科の女子生徒もいるにはいるけど、私のように学生の身分で正式に軍に所属している子なんてほとんどいないだろうし、いたとしても学生のうちは好きなドレスを着たいとか色々あると思う。

 エリザベスの部屋のドアをノックする、と少し間をおいてドアの向こうから「どちら様ですか」と声がかかった。この声は侍女のミミィ殿か。若干戸惑ったような声色だったのは、ドアスコープから見えた私の格好かな。


「イェーレ・ライズバーグです」
「少々お待ちくださいませ」


 デイジーを通して、ミミィ殿には話を通してあったからすんなりとエリザベスを呼びに行ってくれたようだ。

 待っている間、ふと視線をずらせば廊下の向こうでこっそりと同級生が覗いている。それに軽く頭を下げれば「きゃーっ」と小さな黄色い悲鳴をあげて、パッと隠れてしまった。
 …何なんだ、一体。

 さほど間を置かず、ドアが開いた。彼女の美しい姿が眩しく見えて、思わず瞳を細める。

 ドレスはさすがに、エルも自分の色に寄せるのは諦めたらしい。まあまだエリザベスは表向きあいつの婚約者だものね。でも、ネックレスは堂々と「自分のだ」と主張している。見る人が見ればバレるだろこれ。
 ネックレスはやや大ぶりのルビーを中心に周りに青緑色の宝石があしらわれており、チェーンはプラチナだ。エリザベスの色白なデコルテに綺麗に映えている。青緑色の宝石はブラフだろう。

 ふと私の顔を見て、困惑した表情を浮かべていたエリザベスだったが、ハッと気づいた。


「…エレン!?」
「はい。お迎えに上がりました、エリザベス」


 驚くエリザベスに、内心笑う。たぶん兄様と一瞬間違えたのだろう。
 胸に手を添えて白手袋をつけた手を差し出した。


「あの、エレン?」
「本日は私がエスコートいたします」
「え?え?」
「詳細は馬車でお話します。どうか、手を取っていただけないでしょうか」


 エリザベスはほんの少しの間戸惑っていたが、やがてひとつため息をつくとそっと私の手に自身の右手を乗せた。


「きちんとお話していただきますわよ」
「もちろん」


 騎士の手習いとして男性役のエスコートもマスターしている。身長がいささか低いのが難点だが、まあ、仕方ない。
 エリザベスをエスコートして馬車に乗り、御者に指示を出してから向かいに座った彼女を見れば、眉根を寄せていた。ちょっと怒っているようだ。


「どういうことですの?」
「かんたんに言ってしまえば、あの王子バカにエリザベスをエスコートさせないためです」
「…え?」
「エスコートのために迎えに行こうとしていたんですよ。その先触れの手紙に気づいたミミィ殿が私の侍女に知らせてくださいまして。ああ、手紙は王太子殿下とお父上のフェーマス卿が立ち会いのもと、開封して不要だと返信済みです。最近、あの王子バカがエリザベスのことを婚約者として扱おうとしだしていまして。よっぽどお誘いを振られまくったのが堪えたみたいですね」


 はっ、ざまぁ。と鼻で笑う。
 最近エリザベスにちょっかい出してんのは知ってる。あんだけ放置していたのに、いざエリザベスが素っ気なくしだすと慌てるなんて遅すぎる。というかレアーヌに手を出してる時点で終わってる。
 こう考えると、乙女ゲームのシナリオというものはいかに夢物語か、と思う。現実世界でやれば非難されるのは当然だ。何世代か前までは男尊女卑の傾向があり、夫が浮気しても妻は寛容でいるのが美徳とされていた頃もあったが、今はほぼ廃れている。むしろそんな男は願い下げだという風潮が強い。


「エリザベス宛にドレスとアクセサリーを贈ったんですよ。でも同時にレアーヌにも贈ってるみたいで、バカの極みですよね」
「そうだったの?ミミィったら、エルからの贈り物しか言っていなかったから…」
「いまエリザベスが身につけているものすべてエルからのなのでご安心ください。ああ、そうそう。私がエリザベスをエスコートすることになった表向きの経緯ですが、エリザベスの護衛です。現時点では表向き、エリザベスは第二王子の婚約者ですから警護対象になるんですよ」
「…え?護衛?」


 驚いた様子のエリザベスに、そういえばそもそも護衛の件言ってなかったなと思い出す。


「これでも私、兄様と同じで正規の竜騎士ですので要人警護の資格は有しています。まだ学園を卒業していないので正式に竜騎士団に入団していませんが」


 言いながら、左胸につけてある徽章きしょうに触れる。私は高位貴族、つまりはエリザベスやヴィクトリアを警護する資格である第二種を保有している。兄様は王族を警護できる第一種だ。
 エリザベスがエルとの婚約を承諾した場合、私の資格ではエリザベスを警護できない。エリザベスと初めて会話したあの日、エルの恋路を応援すると決めてからは第一種取得を目指して奮闘中だ。第一種は他国の要人と接する機会が多いため、各国の情勢についても学ばなければならない。げんなりしながら魔法、剣術、勉学、と明け暮れている。たまに、殿下が「息抜きだよ」と言って生徒会室でお茶をすることもある。癒やしだ。


「頼りにしているわ」
「お任せください」 


 エリザベスは守る。絶対に。



 それからまもなく馬車は王城に到着し、エリザベスをエスコートしながら会場へと進む。入場直前、扉の前で待機している間にエリザベスは深呼吸を繰り返す。
 たぶん、並んで入場することでいらぬ憶測を呼ぶこともあるだろう。でも私はただのイェーレ・ライズバーグ辺境伯令嬢ではない。この場に立っている私は、竜騎士団所属、第二種騎士のイェーレ・ライズバーグで、エリザベス・フェーマス公爵令嬢を護衛する立場である。


「エリザベス・フェーマス様、ならびにイェーレ・ライズバーグ様、ご入場!」 


 事情を知っているのだろう。すらりと出た衛兵のアナウンスと同時に扉が開かれ、一歩、足を踏み出した。
 しん、と静まり返った場内を堂々と歩く。案の定、ヒソヒソと珍獣を見るような目でこちらを見てくる者たちが多いが私は気にせず、いつもの護衛任務と同様に周囲に気を配る。

 徐々に喧騒が戻りつつある中、壁際にほど近い場所で立ち止まる。ここなら小声で会話すればあまり聞こえないだろう。
 近くで給仕していたメイドは私たちを見て一瞬ギョッとして、すぐに表情を取り繕ったのが見えた。そこで驚いてしまうのは、まだまだだ。反対側でテキパキと働くメイド長を見てご覧よ。私たちを見ただろうに、何事もなかったかのように働いている。


 あ、そうだ。エリザベスに伝言あるんだった。


「エルのことですが…」
「分かっているわ」


 すべてを言わずとも理解してくれたエリザベスに内心称賛を送る。この会話だけ聞いても、エルがどういう人物か、どういう関係か他人には分からないだろう。私は理解してもらっていると解釈した、という意味で頷いた。


「それから、この夜会の後に国王陛下よりお呼び出しがかかっています。頃合いを見てお連れします」
「ええ」


 会場内にファンファーレが鳴り響く。どうやら、王族が登場するようだ。
 王族が現れる壇上へと向き直り佇まいを正すと、ゆっくりと頭を下げた。これは、場内にいるすべての貴人や給仕が行っている。
 高らかに、衛兵が声をあげる。


「両陛下、レオナルド王太子殿下、イーリス殿下、メリーベル殿下、ならびに国賓ヴェラリオン皇国第一皇子イェルク殿下のご入場!!」


 数人が歩く音が場内に響く。
 やがて、国王の「面をあげよ」という声に応じて私たちは頭を上げて壇上を見上げた。


「皆の者、よく集まってくれた。本日より我が国が誇る学園に、交流のため留学してくれることとなったイェルク殿だ」
「ご紹介にあずかりました、イェルク・ヴェラリオンです。かの有名なクルーゼ学園で学べる機会をいただけたこと、とても嬉しく思います。短い期間ではありますが、どうぞよろしく」


 ヴェラリオン皇国の伝統衣装を身にまとったエル――いや、イェルクが挨拶をする。
 さり気なく周囲を見渡せば、若い世代は彼の容姿に戸惑っている様子がほんの少し見て取れた。大人たちはさすがに表情や態度には微塵も出ていないが、やはりあの色合いか、と私は内心ため息を吐く。

 …なんとなく、エリザベスを観察すれば、彼女は瞳をキラキラと輝かせてエルを一心に見つめている。
 良かったねぇ、エル。エリザベスも心底君に惚れてるようだよ。

 そんなことを考えながら、場内から万雷の拍手が鳴り響くのに合わせて私も拍手をした。


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