僕らの恋愛経過記録

藤宮りつか

文字の大きさ
上 下
62 / 286
Season 2

第8話 初体験の後遺症(1)

しおりを挟む
 


(情けない……)
 身体の熱は下がったけど、まだ重い頭に溜息を吐く僕は、若干潤んだ瞳で天井を見上げた。
 陽平さんが持ってきてくれた薬は飲んだけど、多分これ、風邪ではないと思う。
 でも、汗をかいたまますぐ寝ちゃったから、風邪の可能性もなきにしもあらずなので、素直に薬を飲んだあと、しっかり寝ることにした僕だった。
 起きたばかりなのにまた寝た僕が、再び目を覚ましたのは昼過ぎになってから。こんなにいっぱい寝たのは久し振りだ。
 倦怠感と頭の重さはあるけれど、それ以外はなんともない。寝込むほどの状態でもないから、そろそろ起きようと、ベッドから身体を起こしたのと同時に
「どうだ? 律。まだしんどい?」
 部屋のドアが開き、様子を見に来てくれた陽平さんが顔を覗かせた。
「だいぶいいです。そろそろ起きようかと思ったところです」
 あまり心配をかけてもいけないから、なるべく元気な声と明るい表情で答えると
「腹減ってる? なんか食べたいものあるなら作るけど?」
 陽平さんはそう言ってくれた。
 まるでお母さんみたいだ。陽平さんって、なんだかんだと面倒見がいいし、家のことも色々してくれるんだよね。親元を離れている僕達にとってはありがたい存在だ、料理も上手だし。
 一方――。
「おい、司。お前はいつまでパジャマのままなんだよ。いい加減着替えろ。だらしない」
「はーい」
 リビングのソファーに深く腰を下ろし、休日のお父さんさながらにテレビの画面を眺める司さんは、陽平さんに呆れた顔で文句を言われている。
 普段、僕達が学校に行っている間の二人ってこんな感じなんだ。
 陽平さんと一緒に部屋から出てきた僕は、いつもは見られない二人のやり取りに口元が緩んでしまった。
 陽平さんに言われ、渋々着替えに立った司さんは
「もう起きて大丈夫なの?」
 と、司さんと同じく、パジャマ姿の僕のおでこに手を伸ばしてきた。
「熱はないみたいだね。良かった」
 呑気にテレビを見て過ごしていても、僕のことは心配してくれていたようだ。ホッとした顔になる司さんに、僕はちょっとだけ嬉しくなってしまった。
 共同生活も一年が過ぎると、一緒に暮らすメンバーのことも家族のように思えてくる。Five Sのメンバーには、同じグループのメンバー以上の感情を抱いている僕がいる。
「うどんでいい? それとも、雑炊とかの方がいい?」
「うどんでいいです。朝食べてないのでお腹が空いてます」
「そっか。食欲あるなら大丈夫だな」
 司さんが着替えに行くのを見送ると、台所に立った陽平さんが早速お昼を作ってくれた。三人分のお昼ご飯を手慣れた手つきであっという間に作ってしまうと、テーブルに着く僕の前に、具がいっぱい入ったうどんと、おにぎりを二つ乗せたお皿を置いてくれた。
 僕がお腹が空いたと言ったから、うどんだけじゃ足りないと思ってくれたのかもしれない。実際、うどんもおにぎりも綺麗に平らげた。
「陽平。俺、もう二個おにぎり食べたい」
「はあ? 自分で作れよ。おにぎりぐらい」
「自分じゃ綺麗に握れない」
「だったら普通に米食え。茶碗によそうだけだし」
「おにぎりがいい」
「ったく……。律もいる?」
「僕はお腹いっぱいです」
 具沢山のうどんと、塩加減のちょうどいいおにぎりでお腹が満たされた僕だけど、司さんにはちょっと物足りなかったらしい。おにぎりのおかわりを陽平さんに強請ねだり、陽平さんが面倒臭そうな顔をする。
 でも、結局おにぎりを作ってあげる陽平さんだった。
「それにしても、律が熱出すなんて珍しいね。新学期が始まって疲れが出ちゃったのかな?」
 再び陽平さんにおにぎりを握らせる司さんは、おにぎりを待つ間、正面に座る僕に優しく話し掛けてきたりする。
 陽平さんには子供っぽい態度なのに、僕にはちゃんとお兄さんらしく振る舞う司さんに、ちょっと混乱してしまいそうだった。
 一体どっちの司さんが素なんだろう。
 おそらく、どっちの司さんも素なんだろうけど、僕と陽平さんに対しての態度があまりにも違うので、首を傾げたくなる僕だった。
 思えば、司さんはギャップの多い人だった。ぼんやりしているかと思えば、急に鋭い顔つきになったりするし。ずぼらな面が目立つのに、やたらと几帳面で神経質なところがあったり。おとなしい人かと思えば、内には激しい感情を秘めていたり。物事に無頓着そうなのに、悠那さんには物凄く執着してる。
 人間誰しも二面性があるとはいえ、正反対の面を多く持つ司さんには謎も多く感じる。
(悠那さんの前ではどうなんだろう……)
 悠那さんにはとことん甘い司さんしか見たことがないけれど、悠那さんしか知らない司さんもいるんだろうな。司さんと付き合い始めて、悠那さんの表情も少しだけ変わったと思う。相変わらず可愛いんだけど、ちょっとだけ大人っぽくなった気がする。
 誰かを好きになると、人って変わるものなんだろうか。僕は海と付き合うことで、自分が何か変わったとは思えないんだけど。
「ん」
「ありがと」
 司さんの言葉にどう答えていいのか迷っていると、司さんのために追加のおにぎりを握った陽平さんが戻って来た。司さんの前におにぎりの乗ったお皿を置くと、自分の席に座り
「夏休み中は結構忙しかったからな。そりゃ疲れも出るだろう」
 と、僕の代わりにそう言った。
 言われてみると、それもあるのかもしれない。夏休みの間、僕達はいろんなところに出掛けたし、朝から晩まで仕事という日も多かった。学校がある時は、なるべく学校以外の時間でスケジュールを組まれることが多いけど、夏休みはそうじゃなかった。
 だから、疲れが出たというのも間違ってないんだろう。疲れてるところに持ってきて、あんなことがあったなら、そりゃ熱も出るのかもしれない。
「っ……」
 思い出したら顔が熱くなる。僕、昨日はなんてことを……。
「どうした? 律。顔が赤いけど、また熱出てきた?」
 いきなり顔を真っ赤にする僕に、陽平さんの顔が心配そうになるけれど、そこは心配されるようなことでもなかった。むしろ、気付かないで欲しかったくらいの羞恥の現れである。
「もしかして……昨日海となんかした?」
 昨日の一切を知らない陽平さんとは違い、僕と海との間で何かあったんじゃないかと薄々感じているらしい司さんに言われ、僕はキュッと唇を結んで俯いた。
 昨日、僕から恋愛相談的なものをされた挙げ句、僕達の目の前で悠那さんとキスをし、悠那さんの胸まで触った司さんは、その後の僕達がどうなったのか、多少は気になっているのかもしれない。
 でも、自分が昨日海にされたことを説明できるわけもなく、ただただもじもじしてしまう僕だった。
「何? どういうこと?」
 何か知っているらしい司さんに、陽平さんが鋭い目になって司さんを睨む。
 ここで、司さんが上手く陽平さんを誤魔化してくれないものかと期待したけど
「いやね。昨日律に、俺と悠那がどういう流れでセックスするのか聞かれてさ。律もついにそういう気になったのかと思って」
 そうはならなかった。普通に暴露してしまう司さんだった。
「え……。ってことは、律。お前までついに……」
 僕を心配していた陽平さんの顔は一変し、まるで絶望の淵に立たされたかのような顔になる。
 司さんと悠那さんだけでなく、僕と海までそんなことをするようになったら、陽平さんも堪ったものじゃないのだろう。ただでさえ、遠慮も恥じらいもない司さんと悠那さんに悩まされているのに。
「ちっ……違いますっ! 僕は海とシてませんっ!」
 誤解をされては困るので、そこはちゃんと否定しておいた。
 事実、僕は海とセックスなんかしてないし。ただ、生まれて初めて勃起してしまったので、その処理を海に教えてもらったというか……結局上手くできないから、海にお願いしてしまっただけだ。
 この歳にもなって、自慰行為自体が初めてだなんて情けない話だけど、昨日まで全くそういう気分にならなかったんだから仕方ないじゃないか。
 学校の授業で初めて性教育を受けた時、男はそんな面倒臭いことをしなきゃいけないのか――と思ったけど、多少は意識した。後々のことを考えて、一度やってみようとも試みた。でも、いざ自分を触ろうとすると、興味より後ろめたさの方が勝ってしまって、どうしても自分を触る気にはなれなかった。
 別にシたいと思わないなら無理にシなくても――と思ったまま、昨日まできてしまった。他の人間より明らかに遅い自慰行為のやり方も、実際やろうとすると上手くできなかった。
 だから、海にシてもらって初めて、こうするものなんだと知った僕だった。
「えー。シてないの? 俺と悠那がキスしてるの見て、何も思わなかったの? 俺、悠那の胸まで揉んだのに」
 僕と海がシてないと知った司さんは、なんだか残念そうな顔である。
 なんか……最近司さんが悠那さんと同じようなこと言うようになった気が……。
「おいこら。何やってくれてんだ? お前らは」
 残念そうな司さんの言葉に、椅子から身を乗り出し、司さんの胸倉を掴む陽平さん。
「だって、口で説明するより早いじゃん。それに、悠那にキスされたら俺もそうなるよ」
「お前らはっ! なんでそうどこでもかしこでも盛るんだよっ! よくも人前でそんなことできるなっ! 恥を知れっ! だから、昨日もいきなりおっぱじめたんだなっ! 聞こえてんだよっ! 悠那の馬鹿デカい喘ぎ声がっ! いい加減にしろっ!」
 あまり反省の色がない司さんに、陽平さんは激怒だった。
 昨日、僕は自分の身に起こったことで精一杯だったから、あの後、当然のようにセックスした司さんと悠那さんに気付く余裕なんてなかったけど――そもそも、二人はセックスするために部屋に戻っていった――、陽平さんの耳には二人の蜜事は筒抜けだったらしい。
 最近、また声を我慢するの忘れてるよね、悠那さん。もういいのかもしれない。どんなに我慢しても、結局聞こえちゃうし聞かれちゃうから。
 おかげで、僕の口からついつい漏れてしまった声は誰にも気付かれなかったようだから、そこはちょっと感謝である。
「ったくっ! 律は悠那と違うんだからなっ! あんま変なことに巻き込むなっ!」
「巻き込んだわけじゃないよ。律が聞いてきたんだから」
 完全に悪者扱いされた司さんは、不満そうに唇を尖らせた。
 確かに、昨日のことは司さん達が悪いと言い切れない。二人が僕達の前でいきなりキスシーンを披露したのには驚いたけど、キスから先の行為の流れというものを、なんとなく理解できてしまったし。
 それに、あんなシーンを見せられてしまったから、僕も初めて性欲を刺激され、欲情してしまったわけで……。
「律の理性って鉄でできてるの? 普通、人のキスシーンとか見たら釣られちゃわない? エッチなことしたい気分になったり、勃ちそうになったりしないの?」
 陽平さんに怒られて、逆に吹っ切れたような顔だ。遠慮ないことを聞いてくる司さんに、僕は耳まで真っ赤になった。
 司さんと悠那さんのキスシーンには釣られてしまったけど、普通、そこまで簡単に釣られないよ。そんな簡単に釣られてたら、恋愛ドラマなんて見られないじゃないか。恋愛映画を見に行くことも危険になる。
 それとも、司さんはいちいち釣られているとでも? だから、悠那さんと頻繁にセックスしてるのか?
「僕はその……そういうものにあまり釣られることがないので……」
 決まり悪そうに答えると
「ほらみろ。律の頭の中はそこまで乱れてないんだよ」
 陽平さんがすかさず味方をしてくれた。
 しかし、昨日はうっかり釣られてしまった手前、罪悪感を憶えないでもない。
「そういうもの? じゃあ、律はどういう時にムラッとするの? この際だから聞くけど、律ってちゃんと抜いてる?」
 僕の理性が鉄だと感じた司さんは、より一層踏み込んだ質問を浴びせてきた。
 これにはどう答えるべきだろう。
「実は僕……昨日初めて勃起というものを経験したので、今までは……」
 もともと、僕は嘘を吐いたり誤魔化したりが得意ではない。それに、一緒に住んで一年以上が経っているうえ、僕と海の関係も知られている相手に、今更隠し事もないって気がする。
 だから、司さんからの問いに正直に答えると
「え……」
 陽平さんと司さんは全く同じ反応を返し、肩を竦めて小さくなる僕を、まじまじと見詰めてきた。そして――。
「陽平。今夜は赤飯だね」
「そうだな」
 冗談なのかなんなのか、真顔になってそんなことを言ってきた。
 何故赤飯? 意味がわからない。
 っていうか、なんでいきなり団結したの? さっきまで険悪だったのに。
「マジかー……。ってことは、初体験に身体がびっくりしたってことなのか? 風邪とかじゃなくて」
「そうかもね。悠那も初めてオナニーした時、翌日熱出したって言ってたよ?」
「あいつはエロいこと考え過ぎて熱出したんだろ。どうせ、熱に浮かされながら二、三回は抜いてるぞ。律とは違う」
「ちょっと。悠那と律でえらい態度が違うじゃん」
「当たり前だろ。今やほぼ毎晩盛る悠那と、ようやく性に目覚めて戸惑う律を一緒にできるか」
「酷いな。悠那はあの顔でエッチなところが可愛いし、魅力なのに」
「勝手に言ってろっ!」
 団結したかと思ったら、あっという間に決裂する二人だった。
 正直に話したのはいいけれど、僕は恥ずかしくて死にそうだ。
「それじゃ、初めて勃っちゃったから、海にどうするか教えてもらったとか?」
「はい……そうです……」
「可愛いなぁ……」
 ひとしきり言い合いをしたあと、司さんに聞かれた僕が答えると、陽平さんがほんわかした顔でしみじみと呟いた。
 僕が物凄く子供扱いされている。まあ、実際に子供なんだろうから仕方ない。
「いや……でも、待てよ? 律が性に目覚めたということは、律と海がおっぱじめる日も近いのか?」
 二人にとっては初々しいらしい僕に和んでいた陽平さんだったが、ふと、そのことに気付くと急に青褪めた。
「それについてはなんとも……。ただ、僕は人の気配があるところではできないと思います」
 それがいつになるのか。また、そんな日はすぐに訪れるのかは定かではない。でも、僕は司さんや悠那さんと違って、自分がそういうことをしていると、人に勘づかれるのは絶対嫌だと思っている。そこは変わらないんじゃないかとも思っている。
「ならいいけど」
 これ以上、他人の蜜事に煩わされたくない陽平さんは、僕の言葉に少しだけ安心すると
「でもま、これで律も健全な男子になったってことだから、そこは良かったのかもな」
 そう言いながら、徐に立ち上がった。
 良かった……のだろうか。僕としては、煩わしい案件が増えたって感じで、あまり歓迎する気にはなれないけど。
「律も大丈夫ならちょっと買い出し行ってくるわ。夕方になると混むし」
 自炊が基本の我が家は、冷蔵庫の中の食材は常に豊富だ。普段、こうして陽平さんが買い物に行ってくれているからなんだろうな。
 ほんと、仕事のない日は完全に主婦のようだ。
「ついでにアイス買ってきて」
「お前なぁ……」
 すかさず陽平さんにお願いする司さんは、とことん陽平さんには甘えるらしい。
 体調を崩してしまったのは情けないけど、年上二人に話をしたおかげで、気持ちはいくらか楽になった。もう、頭の重さもなくなった。
 夕方になり、学校から帰ってきた悠那さんは、台所で夕飯の準備をしている陽平さんを見て
「え? なんで赤飯?」
 と、不思議そうに首を傾げていた。
 ほんと、なんで赤飯なの?
 何も言わない海には、その理由がわかっているようだった。



しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

暁の騎士と宵闇の賢者

BL / 連載中 24h.ポイント:10,007pt お気に入り:193

婚約破棄させてください!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,350pt お気に入り:3,012

女學生のお嬢さまはヤクザに溺愛され、困惑しています

恋愛 / 完結 24h.ポイント:149pt お気に入り:686

種族【半神】な俺は異世界でも普通に暮らしたい

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:312pt お気に入り:5,574

甘い婚約~王子様は婚約者を甘やかしたい~

恋愛 / 完結 24h.ポイント:177pt お気に入り:385

幼なじみ二人の視線が俺を舐めまわす

BL / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:20

処理中です...