時空を駆ける荒鷲 F-15J未智の空へ

ブラックウォーター

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第四章

膠着する戦況

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 04
 話は冒頭の”ヴァーラスキャールヴ防衛線”の直後に戻る。
 新暦102年射手月2日深夜。
 広大な三角州のはじっこの場所にある、港町アルヴァルディ。グルトップ半島のドゥベ軍占領地域から東南東に400キロ。多国籍軍のレーダー基地がある最前線。
 常日頃は穏やかなこの基地に、今まさに侵入者が入り込もうとしていた。
 「周囲に敵影なし、予定通りに作戦を遂行する」
 総勢16人で構成される特殊部隊の隊長トニー・オリヴィエラ大尉を中心に、マルチカモ迷彩の迷彩服に身を包んだ、ずぶ濡れの特殊部隊員たちは、視線と一致させたHK416突撃銃やミニミ分隊支援火器を油断なく構えて前進する。潜水具を用いて海から上陸し、最も警備の手薄なところを選んで首尾よく侵入した。うまくすれば、所期の目的通りレーダーの機能を麻痺させて、戦闘を回避して撤退も可能だろう。
 息を潜め、ナイトヴィジョンの視界を頼りに前進する。周囲に人影はなく、両脇にはやたら背の高い古びた石壁があるだけだ。目標であるレーダーサイトはすぐ目の前だ。
 そう思ったとき、部隊は突然無数のまばゆい光に照らし出されることになる。ナイトヴィジョンの視界がホワイトアウトし、一瞬何も見えなくなる。
 『銃を捨てて投降しろ!』
 拡声器から聞こえる野太い声がして、石造りの壁の上から武装した兵隊たちがこちらにむけて突撃銃を構える。特殊部隊員たちは驚愕する。なぜ見つかった?敵部隊は一体どこから湧いて出た?
 「落着け、全員撃つな、待機しろ!」
 オリヴィエラは大声で部下たちに命じる。そうしなければ、彼の部下たちは焦って引き金を引いていただろう。銃を石壁の上に向けて敵の様子をできるだけ観察する。敵の兵装は89式小銃とHK G36K突撃銃。装備は個人ごとにまちまちだが(おそらく戦闘で破損したものの補給が追いつかず、民生品を購入して用いているものと思われる)、石壁の上に置かれたサーチライトのまばゆい光の間からかろうじて見える迷彩服のがらと、ヘルメットの形から、おそらく日本人とドイツ人の義勇軍の混成部隊。数は20人、いや、もっといるか?
 『もう一度いう!銃を捨てるんだ!君たちの不利はわかっているはずだ!』
 拡声器から再度強圧的な声が響く。
 オリヴィエラは拡声器の主を見つけて、そこでようやくなぜ自分たちが待ち伏せを食らったのか理解する。一見ただの石壁にみえる両脇の建造物には、石造りのバルコニーが設けられていた。ご丁寧にもバルコニーにはこれまた分厚い石造りの壁があり、壁のてっぺんには石のブロックによって銃眼のような凹凸がつけられ、まるで銃で下を狙うために作られたような構造をしている。そして、そのバルコニーは、石造りのちょっとした複雑な構造と、たくみに調整された色合いによって、だまし絵のように下や横からは一見してバルコニーがあること自体が見えにくくなっている。元はネイビーシールズの隊員として、いくつもの任務をこなしてきたつわものたちが気づかないの無理はなかった。ついでに、バルコニーの壁を構成する石は厚く、彼らが装備する5.56ミリのライフルではとても抜けそうにない。
 「ちくしょーーーっ!」
 緊張の糸が切れた特殊部隊員が先に発砲し、打ち合いが始まる。いや、それは撃ち合いですらない、一方的な処刑だった。体を守るものがない特殊部隊員たちに対して、バルコニーの上の混成部隊は強固な石壁に守られた場所から悠々と攻撃ができる。しかも、撃ち下しで狙い放題の混成部隊と、上に向けて撃たなければならない特殊部隊の命中精度のハンデは明らかだ。複数の89式小銃とG36が絶え間なく火を吹き続け、16人の特殊部隊員たちは、たちまち蜂の巣にされていった。まだ若い少尉は、50口径対物ライフルで左腕と左胸部の半分を吹き飛ばされて、鮮血と肉片をまき散らしながら絶命した。バルコニーの上の混成部隊はマニュアルはあえて無視、空になった断層はバルコニーの床に置いて、素早く新しい弾倉を装填し、再度射撃を開始する。絶え間ない弾幕が、容赦なく下の特殊部隊に降り注ぐ。
 「馬鹿野郎!こんなやつらに!」
 オリヴィエラは憤っていた。自分たちは最強のネイビーシールズだ。毎年死者が出るのが当たり前の過酷な訓練をこなして、いくつもの課題をクリアしてきたプロなんだ!それが、ただの歩兵に毛が生えたようなやつらに...!だが、矜持と訓練成績の優秀さで銃弾は防げなかった。彼の腕、脚、そして首、防弾着に守られていない部分が撃ち抜かれていく。
 5分と経たないうちに勝負はついていた。後に残ったのは、特殊部隊員たちの無残な亡骸だけだった。

 「ずいぶんとずさんな作戦だな」
 ベネトナーシュ王立軍義勇兵の指揮官、黒岩三佐は、数分前までドゥベの特殊部隊員だった肉の塊を見分しながら、苦々しく口を開く。
 工兵と思しい隊員の大きなバックパックからは、爆発力の強いHMXオクトーゲンがしこたま出てきた。レーダーサイトを破壊するにはこれくらい必要だろうが、こんなものを全部起爆させれば、周辺にも被害が出ることは不可避だ。が、ドイツ人義勇兵が見つけたものに比べればまだましだったらしい。
 「アダムサイトですね。致死量ではないですが、もし解放されれば、半径1キロの円の中の人間は半日間げーげー吐き通しですよ」
 衛生担当のドイツ人の下士官が、金属製のボンベを調べながら言う。アダムサイトは、嘔吐性の神経ガスだ。もし吸い込めば、胃の中が空になり、脱水症状を起こすまで吐き気に苦しみ続けることになる。少数精鋭の部隊で敵の基地機能を麻痺させるにはもってこいだが、人道上の配慮からは大いに問題がある。
 「サリンやVXガスでなかっただけましと思うべきか?」
 「やつらも馬鹿じゃないでしょ。そんなものを使えば、こちらも使いますよ。ガスにとどまらない。天然痘、エボラ、炭疽菌...。それこそ歯止めが効かなくなっちまう」
 黒岩の言葉に、ドイツ人義勇兵の指揮官、キルシュナー大尉が混ぜ返す。正論だ。それだけに、黒岩は嘆息する。ここ最近のドゥベ軍の作戦は、ずさんかつ雑で、乱暴なものが目立ち始めている。今回の侵入作戦も、もう少し慎重に状況を分析すれば、待ち伏せを食らうことは予測できたはずだった。それに、たった16人では、アダムサイトを使ったとしても、基地全体を無力化するのは難しいだろう。
 だいたい、致死性の毒ガスはだめで、非致死性のガスならありなんて理屈通るのか?疑問に感じずにはいられない。
 「ま、元自衛隊、精鋭であるあなた方ベネトナーシュ義勇兵が構築した防空網相手にミサイルをぶち込んでも、撃墜されて終わるのがオチ。いわば、鉄壁なほど身持ちの固い女ってわけですな。
 とりあえずは強い酒か麻薬、オクトーゲンとアダムサイトで酔わせなきゃ、パンツどころかスカートにすら触らせてもらえない。わからない話じゃないですが...」
 「おだてるなって!それにしたって作戦の内容がいい加減すぎる。兵たちにとっちゃ、まるで死んで来いと言われたような作戦じゃないか」
 陸上自衛隊の、対地ミサイルに対する防空技術は、世界一身持ちの固いお嬢さんに例えられるほどに強固だ。あくまで噂だが、トマホーク対地ミサイルの場合で撃墜率100%などとも言われる。あくまで噂だが。特殊部隊を送り込んでレーダーサイトを破壊、無力化してから攻撃という話は合理的だが、その特殊部隊の安全をまるで考えていないやり方は、何かがおかしくなってしまっているのではないか、そう思わざるを得ない。
 「ま、そのあたりは、あちらさんも余裕がないってことなんでしょうがね。かつての我が国やあなた方の国がやらかしたがごとく...」
 キルシュナーのほのめかしには、黒岩も渋面を浮かべつつも同感だった。ドゥベ軍は、拙速かつ大規模な攻勢のため、兵力に余裕がなくなりつつある。地球では最強の軍事国家が支援しているとはいえ、地球とこの世界をつなぐ”時空門”を通じての後方支援や補給は簡単ではない。高度1000メートルに存在する時空門を通じて、大量の物資や重くかさばる兵器を持ちこむのは大変なのだ。加えて、かの国も一枚岩ではない。議会やマスコミの反発で、義勇兵による軍事介入にブレーキがかけられるとなれば、こちらの世界でも”世界の警察官”というわけにはいかない。
 必要性だけが問題にされ、実際それが可能かどうかは度外視された、無茶な作戦が行われるというのも、ある意味で当然の成り行きともいるのだが...。
 「これからの戦いは、下手をすると、ノーガードで互いに殴り合うものになりかねんな...」
 黒岩は、最低限の節度や理性すら忘れ、互いに攻撃一辺倒の戦いに陥る可能性を想像して、改めて深く嘆息するのだった。

 ドゥベ公国北部に位置する首都、バイドラグーン。
 市街の中央部にある大公庁舎、大会議室で行われている御前会議は、いらだちと憤り、攻撃的な雰囲気に満ちていた。全員が、テーブルの上に拡げられた地図をにらみつけて、行き場のない怒りと敵意をむき出しにしている。
 「おのれ、ベネトナーシュのやつらめ!やつらのお陰で順調だったわが軍の勢いが鈍ってしまっている!」
 幕僚の一人が毒づきながら机を叩く。数日前、この場にいる全員が早期のドゥベの勝利を確信していた。すさまじい速さで拡がっていく自国の版図を眺めながらの酒は、信じられないほどうまかった。それが今では、軍の進軍速度はすっかり鈍り、場所によっては押し返されているところまである。
 「ちくしょうめ!聞けば、ベネトナーシュの荒鷲とかあだ名されるニホン人パイロットに、義勇軍はことごとくしてやられているそうじゃないか!」
 陸軍大臣がいらだちを隠そうともせずにわめく。
 「ベネトナーシュめ、両大陸に統一国家を作り、戦争をなくそうというわれらの大義を理解せぬ愚かな国が!」
 「あの国に大人の判断を求めても無駄だ。きれい事を並べ立てて、自由主義政策とやらを進めようとするやつらだ。お陰で我が国の一部の愚民どもまでが、自由主義にかぶれてベネトナーシュの真似事を始めてしまっていた」
 「そうとも、国家には秩序と規律が第一だということを理解できん愚か者どもだ。自由という名の疫病を他国にまでばらまいて、しかも全く罪の意識を持っていない。害悪としか言いようがない」
 列席者たちの怒りと不満はベネトナーシュ王国に向けられ、会議は収集がつかなくなっていく。自分は悪くない。物事がうまくいかない原因は他にある。と思いたがる感情は、いい年をした大人に子供じみた癇癪を起こさせるものらしい。
 「まあ皆落ち着け、スペンサー提督。かくなる上は、あなた方が誇るキョウシュウヨウリクカンと航空戦力をもって、ベネトナーシュ本土を攻撃してはもらえまいか?本土が脅かされれば、ベネトナーシュの義勇軍もミザールに味方して戦うどころではなくなるだろうからな」
 会議が愚痴の言い合いになるのを避けるためか、海軍大臣が、アメリカ海軍から派遣された、義勇軍司令官である、ダニー・スペンサー少将に話を振る。
 「申し訳ないが、今強襲揚陸艦を半島から動かすのはお断りする」
 スペンサーは冷静に返答する。 
 「それはどういう意味ですか?」「スペンサー提督は臆病風に吹かれたか!」「なぜベネトナーシュに鉄槌を下せんか!」
 殺気だった列席者が、今度はスペンサーに矛先を向ける。
 「まあ聞いて下さい。グルトップ半島の情勢は微妙です。ミザール同盟も態勢を整えて、我々の動きに対応しつつある。ましてベネトナーシュが参戦したとなると、いつ強襲揚陸艦の戦力が必要になるかわからない。もし仮に、強襲揚陸艦が留守にしている間に半島において、敵の反攻作戦が開始されれば、かなり深刻な事態が予想されます。
 今は、ベネトナーシュ本国を攻撃する余裕はありません」
 “敗北主義者が”“栄えある公国の勝利に疑念を持つのか”“やってみなければわからんではないか!”スペンサーの反論は合理的だったが、頭に血が上ったドゥベの要人たちには理解できる理屈ではないらしく、無言の罵倒がスペンサーにぶつけられる。
 「しかしだな…」 
 「まあ待つがいい」
 低い声が、なおも食い下がろうとする列席者の一人を制する。
 「スペンサー提督の言い分ももっともである。今はまず全力を挙げてミザールとメグレスを制圧するのが最優先と余は考える。あちらもこちらもと野放図に戦線を拡大しては、いかに精強なわが軍、優秀なる義勇軍とて兵力が不足する可能性はあろうからな」
 上座に座る、ドゥベ公国君主、大公リチャード・ドルク・ドゥベだった。暗めの金髪、ややごつめながら整った顔立ち、立派なひげ、長身、広い肩。なかなかの美丈夫と言えた。その声には威厳があり、非常によく通る。
 殺気立っていたドゥベの要人たちも、おとなしくならざるを得なかった。
 「ともあれ、わが軍の進軍速度が鈍っているのは由々しき事態である。兵たちの士気に関わる問題だ。
 スペンサー提督、なにか策はないか?」
 「は、特にミザールに関しては、敵の軍事拠点と亡命政府を一挙に叩くのはリスクが大きすぎます。ここは、敵後方の食料や薪の供給源を抑え、敵の血脈を絶つことが最善です」
 リチャードの言葉に、スペンサーが静かに応じる。
 「ふむ、兵糧攻めというわけか」
 「ちょうどこれから冬に入りますからな。厳寒の中では、人間大量のエネルギーを消耗する物です。いくら武器があろうと、食料と暖房なしで冬の戦は戦えません」
 スペンサーが簡単に説明していく。どこの国であれ、地球から義勇軍を送ることにはなっても、食糧まで全部地球におんぶするわけにはいかない。ベネトナーシュの日本人たちはわざわざ本国からササニシキやコシヒカリを取り寄せて食っているらしいが、結局のところ、食料始め生活必需品の多くは代価を払って現地調達しているのが現実だ。まして、戦時体制で冬となれば、必然的に人間は大食らいになる。体力も消耗するから、薪も大量に必要になる。それらの供給を絶ってしまえば、敵の経戦能力そのものを絶つことも可能なはずだった。
 「あいわかった。至急その方向で作戦を立てるように。ドゥベ正規軍と、義勇軍はよく協調して、勝利に向けて邁進してもらいたい」
 リチャードのその言葉を最後に、その日の会議は解散となった。
 会議室に誰もいなくなるのを待って、リチャードは疲れた目頭を押さえた。君主というのも楽ではない。と思う。臣下のものたちの前で、特に公式な場所では、疲れた仕草をするのは厳禁だからだ。
 それでも、自分の心と身体に嘘はつけない。どうにも疲労がたまるのだ。戦争というのは気苦労が多い。一度戦争を始めてしまった国家は、国民に勝利を見せ続けなければならないからだ。それが独裁国家であればなおのこと。もし負けがこみ始めれば、抑圧されていた国民はたちまち政権への不満を爆発させ、革命という事態にもなりかねない。今のドゥベの政治体制がどうにか受け入れられているのは、国民に勝利を見せることで、熱狂させているからだ。負けて国民の熱狂を冷ましてしまうことは許されない。
 「あなた、お茶をお持ちしましたわ」
 リチャードの思考は、透き通った声で中断される。声の方に目を向けると、公妃であるレイチェルが、ティーカップを乗せた盆を持って立っていた。ウェーブのかかった長い黒髪が美しい、泣きぼくろが魅力的な色白の美人。今年34歳だが、驚くほど若く見える。その冷たく見えるほどの美貌とは裏腹に、気遣いができて献身的で優しい女だ。そして、寂しがり屋で、特に家族に対しては愛情が深いのを通り越して、依存型でさえある。
 「おお、わが妃よ、足を運ばせてしまい大義である」
 妃が会議室に入ってきたことすら気づかないほど、考え事に没頭していたかと苦笑して、リチャードは返事を返した。

 リチャードの公妃、レイチェル・ドルカ・ドゥベは、ティーカップに茶を注ぎながら、見慣れた夫の顔が疲れて見えることを案じていた。実際、メグレスおよびミザールとの戦争が始まり、ベネトナーシュまでが敵になったと聞いて、軍事には何の権限もない自分でさえ毎日気が気ではない。ドゥベ軍の最高司令官であるリチャードは、どれだけの気苦労を背負っているのかは想像もつかない。
 本当にこれで良かったのか?レイチェルは今さらそう思う。
 ドゥベの貴族の家に生まれ、大公家に嫁いだ身だ。きれい事だけで世の中は廻らないことくらいはわかるつもりだ。行きすぎた自由主義も、民を愛しすぎるやり方も、ドゥベの国情と相容れないという理屈もわからなくはない。今の国の閉塞感と、経済的苦境、それに伴う国民の不満をどうにかしなければならないという必要性も理解できる。
 しかし、最近のドゥベはどうも危うい方向に流れて行っているように思えてならない。極右政治団体の台頭。言論や集会、報道の統制。ドゥベを中心として、帝国を復活させようという運動の活発化。国民のナショナリズムの扇動。そして、ドゥベが繁栄するためには、侵略戦争もやむなしとする方向に流れる政治路線。戦争の大義名分となる法律の制定。
 そんなことが重なり、ついにはメグレスとミザールに対して戦端が開かれてしまった。
 この国はどこへ向かっているのだろう。レイチェルはふとそう思う。今や、ドゥベは国全体が、全ての国民が同じ方向を向かされ、勝利以外は許されないという硬直した雰囲気に満たされている。戦いに懐疑的な意見は敗北主義とされ、口にすることさえ許されない。自由は国家の秩序の敵のようにやり玉にあげられ、皆が萎縮してなにも言えなくなっている。
 具体的にどうとは言えないが、このようなやり方をしていては、後々なにか恐ろしい事態になるような、漠然とした予感がするのだ。
 ともあれ、時は戻せないし、すでに始まってしまった戦争を前にこれでよかったのかと言っても始まらない。レイチェルにできることは、夫とわが子、そして、国民と将兵たちの無事を祈ることだけだった。
 「そなたの煎れる茶はいつもうまいな。心が落ち着く」
 こうして夫が自分の煎れた茶を飲んで、うまいと言ってくれる日常が、どうかいつまでも続いてくれるように。レイチェルはおかわりの茶を注ぎながら切実に願った。

 「な...なんだこりゃあーーーーーーー!?」
 ちょうど同じころ、ミザール同盟はヴァーラスキャールヴの多国籍軍基地に、ルナティシアの、厳密に言ってルナティシア(潮崎)の黄色い叫び声が響いていた。
 「ちょっ...なんで目の前に俺がいるの?ていうか、なにこの小さくてきれいな手...?まさか...」 
 目の前の芝生で寝ている自分の作業服のポケットからサングラスを取り出し、レンズに自分の顔を映してみる。予想通りというか、そこにはルナティシアの顔があった。たしか自分は昼飯を食った後、格納庫脇の芝生で昼寝をしていたはずだ。おぼろげに、ルナティシアが添い寝をしてきたような記憶があるが、まさか寝ている間にルナティシアと入れ替わっちまったのか?またF-15JSに乗った後遺症、サイコシンクロニティの副作用か...。ルナティシア(潮崎)はどうしたものかと途方に暮れた。戦闘機パイロットとしてこの地に赴任している自分はもちろん、ベネトナーシュの外交官として駐留しているルナティシアにしても、入れ替わってしまったままでは非常に不都合なのだ。
 「うーん、今度は姫様とシオザキ殿が入れ替わってしまうとは...」
 知らせを受けて駆けつけてきた、ベネトナーシュ王立軍技術顧問で、F-15JSのシステム担当でもあるメイリンが渋面を浮かべる。サイコシンクロニティの厄介なところは、なにか問題が起きても当事者に自覚症状がなく、突発的にこういう事態が起きてしまうことだった。
 「と、とにかくもとに戻らないと!この体じゃイーグルの操縦なんてできないよ!」
 慌てたルナティシア(潮崎)が必死で訴える。声はルナティシアなのに、口調が妙にゲスい。
 「せっかちだなあ。せっかく姫様と入れ替わったんだから、いろいろ楽しんでもいいんじゃ?」
 「メイリン!あなたは他人事だと思って呑気ですわね!」
 潮崎(ルナティシア)が、おねえ言葉で文句を言う。
 「まあ怒らないで。シオザキ殿。姫様になった感じはどんなもんです?」
 「どんな感じって...。そんなのよくわからないよ...」
 ルナティシア(潮崎)潮崎は言葉を濁すが、メイリンには女の子の体に戸惑っているのが分かった。
 「わからない。じゃあ、調べちゃおうっ!ぐへへ!」
 メイリンは全長20センチの体を宙に躍らせると、ルナティシア(潮崎)のドレスの胸元から、服の内側に入り込んだ。
 「わっ!ちょっと待て...!やめろメイリン!あひいいいいっ!だめ...だめだって...!」
 メイリンが服の中を這いまわる感触に、ルナティシア(潮崎)が色っぽい声を上げる。
 「ちょっとメイリン!おやめなさい!」
 「ひゃんっ!」
 メイリンを捕まえようとした潮崎(ルナティシア)は、ルナティシア(潮崎)の左の柔らかいふくらみを思い切りつかんでいた。
 「あっ...ごめんなさい!潮崎様...!」
 「い...いや、いい!いいからメイリンをなんとかしてください!」
 かくして、メイリンをつまみだすために、二人は服の中に手を入れてまさぐる、非常に卑猥なスキンシップをしばらくすることになる。
 「はあ、危なかった...」
 「痛い痛い!悪かった!反省してますってば姫様あ!」
 潮崎(ルナティシア)は、メイリンのこめかみを親指と中指でぐりぐりとお仕置きしながらため息をつく。あれ以上メイリンがルナティシア(潮崎)に悪戯をしたら危ないと感じたのだ。どうも入れ替わってしまっただけでなく、感覚や知覚の一部が共有されているようだ。ちょうど生理が近いせいか、ルナティシア(潮崎)から、”えっちな気分が抑えられない””自慰がしたい”という気持ちが伝わってくるのだ。それはまずかった。ルナティシアは、潮崎にはいずれ自分の全てを捧げたいとさえ思っている。だとしても、秘密にしておきたいものというのはある。もし、潮崎に自分の体のまま自慰なんてされてしまったら、恥ずかしくて死んでしまうだろう。
 「ええと、戻る方法ですけど、要するに二人が一つになることですね。まあ、チョメチョメはまだ日が高いからやめておくとして、一番手っ取り早いのはやっぱりキスですね」
 メイリンの説明では、二人が一つになっていると体と心で実感することが重要ということだった。
 「でも、ルナティシアとの最初のキスが、入れ替わってというのもね...」
 「その、わたくしは構いませんわ。潮崎様と口づけをすることに変わりありませんもの」
 ルナティシア(潮崎)は、潮崎(ルナティシア)の言葉に覚悟を決める。
 で、唇を重ね、いろいろと試してみるのだが、なかなか二人は戻らない。結局、互いに密着して手を握り合う所謂ラブ握りの体勢でディープキスをすることで、なんとか自我の境界が消失して、戻る準備が始まるのを二人は感じる。
 「やだ...これすごく幸せで...ちょっと...気持ち良すぎるかも...!」
 二人がもとに戻る直前、ルナティシア(潮崎)は、情熱的過ぎるキスの心地よさで頭の奥が白く弾けていた。気が付くと、目の前にルナティシアがいて、全身をびくんびくんと震わせている。潮崎は倒れそうになるルナティシアを抱きとめる。やっぱり入れ替わりってやばいよ...。お互いにすごく倒錯した感じで恥ずかしい。そう思わずにはいられなかった。
 その後、二人は改めて医師の診察を受け、サイコシンクロニティの影響を調べてもらうことになる。幸いにして特に異常はなし。だが、二人のメンタルにはそこそこダメージがあったらしく、それからしばらく、恥ずかしくて互いに目を合わせられない状態が続いた。
 そして、サイコシンクロニティは軍事的に依然として有用だが、やはり危険だと改めて認識され、さらにリサーチが進められることとなったのだった。
 なお、他の”潮崎ガールズ”のメンバーである、アイシア、ディーネ、シグレが、”ルナティシアばっかりずるい”と潮崎に添い寝を要求するようになるのだが、それはまた別の講釈だ。
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