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第六章

二つの世界の憂鬱

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 翌日、地球は日本。奈良県奈良市の奈良大学キャンパス。
 「繰り返します。奈良大学の2号棟が、”自由と正義の翼”の空爆を受けました。
 ご覧いただけますでしょうか。
 当局からは正式な発表はなされていませんが、G8の臨時閣僚級会議の場所が、春日ホテルからこの大学の会議室に移されたという情報も入っています。
 現在警察と消防による救助活動が行われていますが...。かなりの死傷者が出ている模様です!」
 タイトスカートに、背中の翼と干渉しないノースリーブのブラウスという装いのアイシア・セイレネ・べネリはマイクを持ち、カメラに向かって話し続ける。ベネトナーシュ王国で始まったラジオ放送は好評で、音声だけでなく、映像でももっといろいろなことを知りたいという声が高まっていた。それにこたえる形で、このたびついにテレビ局が開設されるに至った。地球のメディアに比べれば、まだマイナーなローカル放送だが、地球でも両大陸でも観ることができる程度の規模はあった。
 その放送開始初日に、こんな悲惨なニュースを流すことになるとは。アイシアは憂鬱な気分になる。もともと、この奈良には、G8各国政府の閣僚級の人物たちが集まる会議を取材するためにきたはずだった。それが、ドラゴンによる突然の空爆に遭遇したのだ。
 こんな美しい街を平然と空爆できる神経とは何なのだ?アイシアは思わずにはいられなかった。
 結局、この事態はG8各国政府の強引なやり方の果ての失態として非難されることとなる。大学の自治の関係上問題となると、会議室の提供に難色を示した奈良大学を強引に説得して、改装を口実に生徒や職員を追い出して棟一つを占領した。その挙句がこの有様である。
 異世界側のピケットを突破して時空門をくぐり、奈良へと飛来した”自由と正義の翼”所属の龍騎兵三騎の攻撃は正確だった。どういうわけか、本来会議が予定されていた春日ホテルではなく、奈良大学のキャンパスを空爆したのだ。おそらくはそこにG8の会議の場所が密かに変更された情報が漏れていたことは、誰にでも想像はついた。なにせ、囮のホテルに多数の警察官が配備されているのに対して、大学には民間人に偽装した私服の警察官のみが配置され、機動隊は民間のトラックに偽装した車両の中で待機していたのだ。はた目には、大学で会議が行われるなど想像もつかない。
 大学のキャンパスは建て替えが行われたばかりで非常に新しく、頑丈であることから会議の場所に選ばれた。それが完全に裏目に出てしまったのである。
 龍騎兵の日向灘上空時空門突破の連絡を受け、新田原基地からスクランブル発進したF-15の部隊と、あらかじめ防空のために大阪空港に配備されていたF-2の部隊が迎撃に当たった。しかし、龍騎兵に対してはほとんどものの役に立たなかった。異世界に派遣されている義勇軍と違い、空自のパイロットたちは、エンジンも持たず、レーダー反射率も極端に低いドラゴンと戦った経験はなかった。有効打を与えるどころか、見失わずについていくだけで精一杯だったのだ。
 加えて、竜騎兵たちは四国、淡路、大阪と、人口密集地の上を選んで低空で飛行しながら奈良を目指した。そのため、うかつに攻撃すれば下にいる民間人を巻き込んでしまうというためらいが、パイロットたちに攻撃の機会を逃させた。
 こちらでは使用可能なGPSと、光学画像誘導を併用する誘導爆弾用いた龍騎兵の空爆は恐ろしく精密で、G8会議室をピンポイントでヒットしていた。幸か不幸か、空爆の犠牲になったのはG8の関係者と警護の人間だけだった。民間人の犠牲者はゼロ。これがなにを意味するか。G8の無為無策が非難される一方で、相対的に“自由と正義の翼”の株が上がり、世論の支持をさらに受けることになるだろう。
 “自由と正義の翼”の破壊工作に悩まされ続ける地球と異世界の各国首脳は、この事件でまた頭を抱えることになるのである。特に、異世界への投資で利益を上げることをもくろんでいたG8構成国は、猛烈なマスコミと世論の反発に、いよいよ崖っぷちに立たされていた。

 「ふう…どうにか逃げおおせたな」
 そう言った“自由と正義の翼”の龍騎兵部隊の隊長、ジェイミー・ルク・ドゥベは兜を脱ぐと、すっかり蒸れてしまった長く美しい髪を風にさらす。その艶やかな姿はどう見ても女で、知らなければ誰も男の娘とは気づかないだろう。
 あの後、龍騎兵三騎は、西に進路を取った。そして、日向灘に戻るだろうと呼んでいた空自の裏をかいて、大胆不敵にも中国領空に侵入した。対応が遅れた中国空軍を尻目に、黄河上空千メートルに位置する時空門を通り、異世界に帰還したのだった。
 後は、アリオト伯国の離れ小島に潜んでいる同志と合流し、補給を済ませ、ドラゴンに休息を取らせる。然る後に本拠地に帰るだけだ。六騎いた龍騎兵は半分に減ってしまったが、作戦そのものは成功といって差し支えない。
この戦果を契機として、地球とこちらの世界の各国に組織として要求を突きつける。強引な経済政策の見直しを迫るのだ。その上で各国政府が応じない場合は…。
 「応じない場合は…」
 ふと、ジェイミーは、まだドゥベ軍の将校であったおり、戦闘中に互いに遭難して、偶然にも出会った男のことを思い出す。男色の趣味はないが、ジェイミーなら、と言ってくれた男。男の娘である自分に、一緒に来ないかと手を差し出してくれた男。あの男の事を思い出すと、今でも乙女のように胸がドキドキしてしまう。そして、もう一度会いたくてたまらなくなるのだ。
 もし、各国政府が要求に応じない場合の対応は決まっている。しかし、そうなった場合、あの男も多くの人間と一緒に恐らく犠牲に…。“自由と正義の翼”身を投じた時に覚悟はしたつもりでも、それはジェイミーにとって、どうしようもなく心苦しいことだった。

 所変わってこちらはドゥベ公国首都、バイドラグーン。その郊外にあるカール刑務所。先だってのドゥベ戦争の中で、犯罪行為を犯した者。要するに”戦犯”が服役する場所。
 「今さらそんなことを聞いてどうするんです?」
 2センチの強化ガラスで仕切られた面会室の中、受刑者用のグレーの作業服に身をつつんだジョージ・ドルク・ドゥベは、つい質問に質問を返してしまう。
 かつてはドゥベの第一公子で、次期大公とされていたのも今は昔。“戦犯”として終身刑の判決を受けて服役し、家でも廃嫡され大公の地位も妹が次いでいる状況では、かっこうをつけても始まらない。純粋に質問の意図がわからなかったのだ。
 「聞いているのはこちらです。あなたは“レーヴァテイン”の情報を提供してくれれば良い。ご協力をいただければ良いことがあるかも知れませんよ」
 面会室のしゃばの側にいる2人のうちの1人、ベネトナーシュ王国の情報将校である、ディーネ・デモニラ・キンバーは、魔属特有の黒白目で琥珀色の瞳を持つ目で、ジョージをにらみつける。
 最近、こちらの世界の闇ルートの武器や禁制品のやりとりがにわかに活発化し始めた。高値で売買される闇物資の規模と内訳は、禁断の兵器、”レーヴァテイン”が再び使用される可能性を示唆していたのだ。
 しかし、この小僧から有用な情報を得られるのか、ディーネは疑問だった。
 「わかったわかった。
 “レーヴァテイン“の試作品は2つありました。1つは戦争で失われた。もう1つは、戦中戦後のどさくさに紛失。ドゥベの誰も所在を把握していないんです」
 「なにを他人事のように。そんな危険な物をずいぶんと適当に管理していたものよな?」
 2人のうちのもう1人、銀髪の長い髪と狐耳、9本のしっぽをもつ少女が嫌みを言う。この世界の大規模な宗教団体の司祭であり、ベネトナーシュ王国の情報機関の長でもあるシグレ・シルバ・ソロコフスカヤだ。
 「言い訳かもしらないけど、あなた方ほどの方ならおわかりいただけるのでは?
 戦争末期のドゥベは大混乱だったんです。脱走兵が相次いで、士気は崩壊し、書類や物資は現地の指揮官が勝手に処分したり、着服したりする有様だった。“レーヴァテイン”にしたって、気がついたら元からあった場所から消えていたんです」
 ジョージは不満そうに混ぜ返す。戦争だったのだ。全ての物資の管理責任まで自分が問われるのは理不尽に思えたのだ。
 ともあれ、ディーネとシグレがそんな言葉で納得するはずもなかった。“レーヴァテイン”はこちらの世界のロストテクノロジー、禁断の力とされていたレーザー兵器だ。空気や水の中での減衰率が低く、遠距離から鋼鉄さえ蒸発させるほどの熱量を送り込むことができる恐るべき兵器だ。
 実際、魔法具のエネルギー源として使用され、ロランセア大陸南部、ヨーツンヘイム平原に大きな地震と大規模な津波を引き起こし、多くの犠牲を出した。
 「だが、おおまかな行方くらいは想像がつくんじゃないですか?
 われわれの察するところ、一番くさいのは“自由と正義の翼”ということになります」
 ジョージが1本取られたという顔になる。
 「お見通しか。
 実は私にも“自由と正義の翼”からオファーが来ていたんです。断りましたがね」
 ジョージは進んで語り始める。協力すればここから出してやると持ちかけられたが、“自由と正義の翼”の主義にはさして共鳴できなかった。それに、ドゥベだけでなく旧多国籍軍構成国の多くの人間から恨まれている自分は、ここにいるのが安全だと思ったのだ。
 ともあれ、後々なにかの役に立つかも知れないと考えて、興味があるふりをして組織のリクルーターからいろいろ聞き出すことにしたのだ。
 「大規模な破壊を引き起こす知恵と力が自分たちにはあると、確かに言っていました」
 「してみると、やはりきやつらは“レーヴァテイン”を確保している可能性は高いわけじゃな?しかし、やつらに“レーヴァテイン”が使えるか?」
 シグレの問いにジョージは一瞬もったいぶった顔になるが、すぐ口を開く。
 「起動には、私の生体データが必要になる。暗号を解かずに起動しようとすると爆発するように細工がしてあります」
 その言葉には、肝心な情報が含まれていない。ディーネとシグレにはわかっていた。
 「だが、鍵はあなたの生体データだけではない。そうですね?」
 「わかってるじゃないですか。“レーヴァテイン”を復元した技術屋は詳しくは言わなかったが、予備の鍵があるのは確かなようだ」
 ジョージは茶化すように答える。
 「その技術屋は?」
 「戦死しましたよ。あなた方の空爆で」
 ディーネが真顔で言うジョージを殴りつけてやりなくなった。この小僧は誰にでもこういう話し方をするのか?
 「では、予備の鍵のことは五里霧中というわけか」
 「話は最後まで聞きなさいって。ここからは私の推測ですが興味はおありですか?」
 ディーネとシグレは頷いて話の続きを促す。
 「その技術屋は、自他共に認める旧帝国至上主義者でしてね。“自分の技術をもって帝国を再興する”が口癖でした。
 私の生体データを鍵に選んだのも彼だったんです。そして、予備の鍵のことについてもそれとなくにおわせていた。
 しかし、この予備の鍵が問題だ。敵に利用されないために簡単には開かない構造で、それいていざというときは確実に開く構造でなければならない。この相矛盾する問題をどう解決するのか?」
 「続けて」
 ディーネが言葉遊びは不要とばかりに言う。
 「想像の域を出ないが、複数の鍵が必要なのではないかと考えています。
 組織で言えば、金庫を開けるための鍵というところですか。代表に至急される鍵は1つで開けられる。役員に支給される鍵なら2つ。それ以下の地位の者の場合3つが必要になるという具合です」
 ディーネとシグレははっとする。今までの情報を総合すると、充分あり得る話に思えたのだ。
 「ちょっと待ってください。つまり帝国の血をついでいる人間の生体データが複数あれば起動できるってことですか?
 しかし、帝国の皇族の血を受け継いでいる人間なんていくらでもいる。帝国の直系であるドゥベの公族だけじゃない。この国の貴族はほとんど公族の縁者、要するに帝国の皇族の末裔だ」
 「仮に一定以上血が濃いものに限定するにしても、それこそたくさんいるな。
 おぬしの母上とて、ドゥベの公族から別れた家のお嬢さんじゃったな?つまりおぬしは帝国の血を受け継ぐもの同士の子ということじゃ。やんごとなき家は、だいたい家柄にはくをつけるために良家の人間をめとったり養子にもらったりする。
 雲をつかむような話ではないか」
 そこでジョージがわざとらしく肩をすくめる。
 「誰かお忘れじゃありませんか?
 帝国崩壊以前からの名門のお姫様で、父君はドゥベの公族から婿養子に入った方。しかも、常に最前線で味方の士気を鼓舞する。勇ましき女傑。あなた方もよくご存じの人物を」
 シグレとディーネは頭を叩かれた気分になる。
 「まさか、ルナティシア姫が!?そういえば亡くなられた父君はあなたのいとこ叔父に当たる方でしたね?」
 「なるほどそれでか。ドゥベがルナティシアをおぬしの妃にと望んだのは、ドゥベの血筋にはくをつけるためだったわけじゃな」 
 ジョージがしまったという顔をする。口は災いの元とはこのことか。
 「ちっ、やぶ蛇だったか…。
 とにかく、ベネトナーシュ王国は、帝国がまだ存在していた時代に、属国でありながら帝国と対等な扱いを受けていました。ルーツはかつて帝国が両大陸を統一した昔にまで遡ります。ベネトナーシュの初代君主は当時の皇帝の妹だった。現代でもベネトナーシュでは女王様は縁起の良い存在であるとされているのはその辺もありますね。
 両国の君主同士が代々義兄弟のちぎりを結び、互いに女の子を輿入れさせ、酒宴では皇帝とベネトナーシュの君主が並んで座ることを許されているほどだった」
 本家と分家というものは本来厳格に区別される。分家でありながら、本家と対等な扱いを受けることは珍しいが、忠誠心を確保するため、あるいは本家に万一の事があった場合に分家から跡継ぎを迎えるためは、行われることもある。
 日本でいえば、南北朝、室町時代の鎌倉公方家や足利家の重臣斯波家。あるいは江戸時代の徳川御三家や御三卿のようなものと考えていい。
 「それともうひとつ、鍵穴となる生体認証データが手に入る人間で、帝国の血を濃くついでいるもの、さらには、誘拐して生体データを採取できる可能性のある人間となると限られてくるでしょう?
 そもそも生体認証自体がこちらの世界ではそれほど普及していませんからね。その点、お姫様であるだけでなく、軍属でもあり、外交官も勤めるルナティシア姫の生体認証データなら、盗み出せば手に入る可能性が高い。
 さらに言うなら、常に玉座を尻で磨いているわが妹あたりとは違って、現場でばりばり仕事をするのが身の上の姫様なら、誘拐するチャンスもあるかも知れない。
 あ、私はなにも知りませんよ?」
 シグレとディーネは驚いて顔を見合わせる。ドゥベ戦争後期に多国籍軍のデータベースとネットワークがサイバー攻撃とハッキングを受けたことを思い出して、肝を冷やしたのだ。
 「ディーネ、すぐ本国に連絡を!」
 「了解!ジョージ殿下、ありがとう。大変参考になる意見でした!」
 ディーネが椅子を蹴って出て行く。
 「せわしないですね」
 脱兎のごとく出て行ったディーネにジョージが呆然とする。
 「さて、ところで情報料じゃが、おぬしはなにが望みかや?」
 「そうですなあ」
 足下を見られることを懸念してか、ジョージは考えるふりをする。実は見返りとして要求したいものはひとつしかないのだが。
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